EP 1
角砂糖と赤マルと、深夜の掃除
タロウ国の首都、その煌びやかなネオン街から一本外れた薄暗い路地裏。
そこに、知る人ぞ知る一軒のBARがある。
看板の名は『DEATH & SUGAR』。
重厚なオーク材の扉を開ければ、紫煙と静寂、そしてほのかに甘い香りが漂う大人の隠れ家だ。
「……ふぅ」
カウンターの中で、一人の男が紫煙を吐き出した。
鬼神龍魔呂。二十二歳。
黒を基調とし、裏地に鮮烈な赤をあしらったジャケットを羽織るその男は、彫刻のように整った顔立ちをしているが、その眼光は研ぎ澄まされた刃物のように鋭い。
彼の手には、琥珀色のバーボンが注がれたロックグラス。
そして――。
カリッ、ガリガリ。
静かな店内に、硬質な音が響く。
龍魔呂は氷ではなく、真っ白な『角砂糖』を奥歯で噛み砕いていた。
バーボンを一口含み、角砂糖の暴力的な甘みと、アルコールの苦味を口内で融合させる。これが彼にとって至高の時間だった。
指に挟まれたタバコは『マールボロ・レッド』。
タロウ国王が異界から持ち込んだ、この国でしか手に入らない嗜好品だ。
カラン、コロン。
ドアベルが鳴り、無骨な足音が店内の静寂を乱した。
「おい、やってるか」
入ってきたのは、身の丈二メートルはあろうかという巨漢だ。全身に古傷があり、腰には無骨なブロードソードを差している。隣国の傭兵崩れだろうか。
龍魔呂は表情一つ変えず、静かに告げる。
「いらっしゃい。……ウチは静かに飲む店だ。武器は仕舞ってくれ」
「はんっ、細っこい色男が店主かよ。バーボンを寄越せ。ボトルごとだ」
男はドカとカウンター席に座り込み、ドンとテーブルを叩いた。
龍魔呂は無言でボトルとグラスを出す。
男は酒をあおると、ニタニタと笑いながら龍魔呂の顔を覗き込んだ。
「へえ、近くで見ると女みてぇな顔してやがる。おい兄ちゃん、俺の相手をしてくれれば、金貨一枚くらい恵んでやるぜ?」
下卑た笑いと共に、男の手が龍魔呂の頬へ伸びる。
――瞬間。
龍魔呂の指が動いた。
デコピンの要領で構えられた中指が、男の鼻先へと弾かれる。
「――『指弾』」
ドォォォォン!!
破裂音。
それはデコピンなどという生易しい音ではなかった。まるで至近距離でバズーカ砲が発射されたかのような轟音が店内に響き渡る。
「ガハッ!?」
巨漢の体が、紙切れのように宙を舞った。
そのまま店の奥まで吹き飛び、壁に激突してずり落ちる。白目を剥いて気絶していた。
「……ったく。壁の修理代、高くつくんだぞ」
龍魔呂は赤マルを吸い込み、面倒くさそうに頭をかいた。
気絶した男の懐から、羊皮紙の束がこぼれ落ちる。
ふと気配を感じてそれを拾い上げると、龍魔呂の眉がピクリと動いた。
『商品リスト:獣人の子供(女)3名、人間の孤児5名。今夜二時、第三倉庫にて出荷』
「……なんだ、これは」
リストに記された子供たちの年齢は、かつて自分が守れなかった弟――ユウと同じ年頃だった。
龍魔呂の脳裏に、弟の最期の笑顔がフラッシュバックする。
そして、どこからともなく子供の泣き声が聞こえた気がした。
ガタガタと、グラスの中の氷が震える。
いや、震えているのは龍魔呂の手だった。
「…………」
数秒の沈黙。
龍魔呂は震える手で、最後の一つとなった角砂糖を口に放り込み、ガリリと噛み砕く。
甘みが脳髄に染み渡ると同時に、震えが止まった。
その瞳から「光」が消え、底なしの「虚無」が宿る。
「……笑ったな? 子供を攫って、ヘラヘラと」
彼はカウンターの奥から、『DEATH4』と刻印された仮面を取り出すことなく、ただ赤のジャケットを翻した。
今夜は、店仕舞いだ。
***
タロウ国湾岸エリア、第三倉庫。
そこは、表向きはゴルド商会の倉庫だが、今は海外の人身売買組織が不法占拠していた。
檻の中には、手足を縛られた子供たちが押し込められている。
「おい、例の傭兵が戻らねぇな」
「酒でも飲んでんだろ。そろそろ船が出るぞ、魔獣を見張りにだしとけ」
組織の男たちが、召喚魔法陣を展開する。
呼び出されたのは、体長三メートルを超える『キラー・ウルフ』。鋼鉄の牙を持つ殺戮用の魔獣だ。
カツ、カツ、カツ。
静まり返った倉庫に、足音が響く。
闇の中から現れたのは、赤マルの先端を赤く光らせた一人の男。
「あぁ? 誰だテメェ!」
「ここは立ち入り禁止だぜ兄ちゃん。……おい、ポチ! エサだ、食っちまえ!」
男の命令で、キラー・ウルフが床を蹴る。
常人なら目で追うことすらできない速度。鋭い牙が、龍魔呂の喉笛に迫る。
龍魔呂はポケットに手を突っ込んだまま、退屈そうに息を吐いた。
「……躾のなってない駄犬だ」
右手が閃く。
それは拳ですらなかった。ただの裏拳。
だが、そこには赤黒い闘気が圧縮され、空間すら歪めていた。
パァンッ!!
乾いた音が響いた次の瞬間。
巨大なキラー・ウルフの上半身が、風船のように弾け飛んだ。
血飛沫すら上がらない。闘気の衝撃によって魔力の粒子へと還元され、霧散したのだ。
「……は?」
組織の男たちは、目の前の光景が理解できず、口をパクパクとさせている。
S級に指定される魔獣が、裏拳一発で消滅した?
「ば、バケモノ……! お前、何者だ!?」
「テメェらのようなクズに名乗る名はねぇよ」
龍魔呂はゆっくりと歩み寄る。
その背中から、どす黒い殺気が陽炎のように立ち上っていた。
「死にたくなきゃ、子供たちを置いて消えろ。……いや、その前に」
龍魔呂の拳が、赤黒く発光する。
「少し、『掃除』をさせてもらおうか」
その夜、湾岸倉庫から轟音と悲鳴が響き渡ったが、朝になる頃には塵一つ残らず静まり返っていたという。
***
翌朝。
小料理屋『龍』の暖簾がかかる。
白い割烹着に身を包んだ龍魔呂は、澄んだ瞳で出汁の味見をしていた。
「……うん。今日もいい味だ」
昨夜の修羅の顔はどこにもない。
そこにはただ、最高の料理を振る舞う店主の姿があった。
「大将ー! おなかすいたー! キャベツの芯ちょーだい!」
裏口から、元気な(そして貧乏な)少女の声が聞こえてくる。
龍魔呂は苦笑しながら、大鍋の蓋を開けた。
タロウ国の片隅で、最強の処刑人の一日が、また始まる。




