最終話:忘れない花の名前を
春の終わり、ふたりで訪れた小さな公園。
桜はすっかり散っていて、
その代わりに、足元に咲く紫の花が風に揺れていた。
「紫苑だね」
私が言うと、彼はしゃがんで、花に目線を合わせた。
「これが、君の名前の花?」
「うん。
“君を忘れない”っていう意味があるの」
「……忘れないよ」
その言葉を、私は静かに受け取った。
それは何度目かの“約束”だったけれど、
今度は、少し違って聞こえた。
ただの記憶ではなく、
これからを一緒に生きていこうとする“選択”のように感じられた。
「ねぇ」
彼が、ふと私の方を見た。
「俺、君の名前、ちゃんと呼んだことってあったっけ?」
私は首を振った。
「じゃあ、教えてくれる?」
私は、笑って言った。
「シオン。
田中シオン。
それが、私の名前です」
彼は、ゆっくりと頷いた。
「……シオン」
その声が、とても優しくて、
私は一瞬、涙が出そうになった。
誰かが、私の名前を呼ぶ。
誰かが、私という存在を、この世界に“あるもの”として認めてくれる。
それだけで、生きていけると思った。
紫苑の花は、何も言わずに揺れていた。
でも、ちゃんとそこに咲いていた。
君を忘れない。
私は、シオン。
それが、この物語のすべてだった。