第5話:忘れられるということ
彼と別れた夜、私は部屋でひとり、ぼんやりと天井を見ていた。
静かな夜。
テレビもスマホもつけない。
ただ、部屋の明かりだけが小さく灯っている。
ふと、ある感情が胸をよぎった。
――怖い。
あの人が、もしも私を忘れてしまったら。
次に会ったとき、目を見ても、名前を呼ばれなかったら。
私は、もう戻る場所がなくなってしまう。
「家族は、私のこと、ずっと覚えててくれた。
でも、もうみんな、いなくなったんです。
だから今は、ほんとに誰にも、思い出してもらえないんです。
あなた以外には。」
呟くように、声が出ていた。
自分でも驚いた。
こんなふうに人に頼りたくなるなんて。
誰かに覚えていてほしいと、願ってしまうなんて。
でも、そうだった。
私は、もうひとりでは立っていられない。
誰にも名前を呼ばれずに過ごす日々は、
たしかに私の中に、何かを削っていた。
そのことに、今ようやく気づいた。
名前を呼ばれること。
存在を思い出してもらえること。
それは、思っていた以上に――私にとっての“命”だった。
次に彼と会うとき、
私は何を言おう。
この気持ちを伝えてもいいのか、まだ自信がなかった。
でも、もし彼が、またあのやさしい声で、
私の名前を呼んでくれたら――
きっと私は、それだけで、また今日を生きていける。