第4話:ふたりだけの記憶
それから、彼とは何度か会うようになった。
多くを語らなくても、お互いの存在がそこにあるだけでよかった。
名前を呼ばれる。
それだけで、私は“いま、ここにいる”と感じることができた。
彼といるときだけ、私は忘れられていなかった。
カフェで。
街のベンチで。
本屋の階段で。
誰にも気づかれないような場所で、ふたりだけの記憶が少しずつ積み重なっていった。
ある日、ふと彼が言った。
「……ねえ、他の人って、本当に君のこと忘れちゃうの?」
私は、ゆっくりと頷いた。
「話しても、笑っても、何度会っても。
1週間もすれば、最初から知らなかったみたいにされる。
話しかけても、“どちら様ですか”って顔をされる」
「それって、ずっと?」
「うん、ずっと。
高校の友達も、大学のサークルの仲間も、職場の人も」
私は言葉を切り、少しだけ息を整えた。
「……家族だけは、覚えててくれた。
でも、もう、みんな……いなくなったんです」
彼は何も言わなかった。
けれど、私の手をそっと握った。
あたたかくて、やわらかくて、でも強い指先だった。
この人だけが、私のことを忘れていない。
この人だけが、私のことを“存在している人間”として見てくれている。
たったひとり。
でも、それだけで、私はちゃんと“生きている”と思えた。
世界中の誰が忘れてもいい。
この人だけが覚えていてくれれば、それでいい。