表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/9

第1話:支店で出会う、もう一度

エレベーターの扉が開いたとき、

その人は、ほんの少しだけ立ち止まった。


彼の目が、まっすぐ私を捉えた。


私は、何も言わずに軽く会釈しただけだったけれど、

その一瞬の視線に、覚えている人間の目を感じた。


こんなこと、ほとんど起きない。

私は「忘れられていく人間」だから。


自己紹介をしても、数日後には「どちら様でしたっけ」と言われる。

お礼を言っても、笑顔を見せても、相手の記憶から私はこぼれ落ちていく。


でも――

私を好きになった人だけは、私のことを覚えている。


彼の目は、その例外のひとつだった。


私は今、ある地方都市の支店で働いている。

異動希望を出したわけじゃない。

ある日、辞令が出た。

誰にとっても、私が“いなかった”ことになっていたからだろう。


本社では、もう誰も私を覚えていない。

席も、メールアドレスも、社内チャットの履歴も、全部消えていた。


でも――

彼だけは違った。


出張でやってきた彼は、支店の廊下ですれ違った私に目を留め、

名前を呼ぼうとして、言葉を飲み込んだ。

その一瞬で、私は確信した。


この人は、私のことを忘れていない。


忘れられた世界の中で、

自分という存在を知っている誰かがいる――


それだけで、呼吸が少し楽になる気がした。


その日、彼が会議を終えて帰ろうとしたとき。

私はほんの少しだけ勇気を出して、挨拶のように立ち上がった。


「お疲れさまでした」


彼は立ち止まり、そして言った。


「……田中さん、ですよね?」


私の心が、一瞬止まった。

声が震えそうになったけど、必死で笑った。


「……はい」


たった、それだけのやりとり。

でもそれは、私にとって――


この世界にもう一度“存在した”瞬間だった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ