プロローグ:忘れられる私
田中さんは綺麗だ続編です。
また今日も、私の名前を誰も呼ばなかった。
出社して、挨拶して、会議に出て、書類を提出して、笑って帰る。
誰も、私の名前を口にしない。
もう慣れた。
私は、そういう人間だから。
最初は戸惑った。
あの人が、自分のことを覚えていないなんて。
でもそれが二度、三度と続いていくうちに、気づいてしまった。
私は、忘れられていく人なんだ。
友達も、恋人も、同僚も、みんな少しずつ私を忘れていく。
でも、家族だけは覚えている。
たぶん、そこだけは、世界が見逃してくれているんだと思う。
でも――
一つだけ、法則があった。
「私を好きになった人」だけは、私を忘れない。
最初は、偶然だと思ってた。
でも、何人も、何度も繰り返してきて、確信に変わった。
私はもう、誰にも強く関わらないようにしている。
誰も好きにならなければ、誰かに覚えられることもない。
それがきっと、穏やかに生きる方法。
それでも、たったひとりだけ。
私をまだ、覚えてくれている人がいる。
いつかの春、私に気づいた人。
私の名前を呼んだ人。
その人が、もう一度私の名前を呼んでくれたなら――
それだけで、生きていける気がする。