第7話 新境地の出会い
踏み出した一歩目の感触は固かった。履き替えた軍靴はまだ馴染まない。辺は鬱蒼と茂る森、その疎林の一角に船を停めたのだ。暖かい風が髪を揺らし、頬が擽ったくなる。手で髪を抑えながら空を見上げた。服の内部に宇宙空間用スーツを着ていたが、必要ないくらいだった。
「水は探すとして、人はいるのだろうか? 気候も安定しているし生物が住むには申し分ない星だが」
「ねえ君どこから来たの?」
どこからか声を掛けられた。辺りを見回すと、後ろの木に手を添えている少年と目が合った。10代前半くらいだろうか。白いシャツにサスペンダー、黒の膝丈ズボンで、足を絡めて立っていた。彼が声の主だろうか。さっきまで居なかった筈なのに。
─人がいるとは驚いた。いや、それだけじゃない。何故言語が理解できるのだろう?
「ねえってば! どこから来たの?」
少年は私の元に駆け寄ってきた。遠くで見るより身長差があって、彼が私を見上げる構図となった。大きな赤い瞳が、吸い込まれそうだった。
「……そういう貴方こそ、何者ですか? 私の言葉が通じるようですけど」
「へえ、質問に質問で返すんだ。まあいいや。─僕はクロユリ、その様子だと君、ずっと遠くから来たでしょ。この土地のことなんて分からないくらい」
「えらく踏み込んだ質問をするんだな。私のことを知っている?」
「いや全然。まあ細いことなんていいじゃん! 僕君と仲良くしたい、名前ある?」
「……りんどう」
「オッケー、りんどうね! どういう字を書くの?」
これまでも疑心暗鬼だったが、字を書く文化もあるのか、と思いながら膝をつき、近くの小枝で地面に書いてやった。クロユリと言う少年は横でしゃがんで、手に書いたりして、それを理解しているようだった。
「いい名前だね」
少年は目を細めて笑った。
「ところでさ、お腹空かない? もう日が暮れるし僕と一緒に食べようよ」
「貴方の施しを受けるつもりは─」
「ほら行こうよ! この山の麓に僕の家あるからさ!」
「はぁ!? っちょ、離せ! 力強くないですか!?」
少年に強引に腕を引かれ、私達は山を降りていった。
「とうちゃーく! ここが僕の家だよ」
「ここは……神社、ですか?」
途中で腕は離してもらえたが、諦めてついて行くことにした。山を降りること数分、麓には本当に建物があった。しかし家のようには見えなかった。美しい朱の鳥居と、その一直線上に社があった。社はあまり大きくはなかったが、小さくもない大きさで、くすんだ緑色の屋根に朱い柱をしていた。そして社の前には狛犬の置物が2体向き合っている。珍しい建物を近くで見ようと、少年の前に乗り出した。
「この地域は神を信仰しているのか……? ここが家ということは、親御さんが神主で?」
「いいや」
少年は手を横に振り、続ける。
「僕に親なんていないよ。一応、僕が神主だ」
そう言って拳で胸を叩いた。
「そう、ですか」
「あと実際に住んでる家はあっちね」
少年が指を指して示した。社と造りがほぼ変わらず、神社の延長と言ってもいい建物だった。
「じゃあ手伝ってね」
少年は笑顔で、振り返って言った。
「えっ何を?」
「そりゃ勿論、夜ご飯の準備さ」
少年は家のドアを開けた。この年の子供らしかず、彼は靴をぴったり揃えてから上がった。
「お邪魔します」
「いいよ堅くなんなくて」
長い廊下を歩きながら適当に手をひらひらさせる。竜胆も靴を揃えてから、少年について行った。
「ところで、食材はどうしているのですか?」
「ああ、今日の分は用意してあるから大丈夫。洗面所でちゃんと手洗ってね。あっちにあるから」
「ええそれは勿論」
「手を洗ったらキッチンにおいで」
一連のやり取りの後、洗面所で手を洗った。和風な内装とは打って変わり、白く清潔感のある空間だった。一枚鏡の後ろの籠に合成洗剤やタオルがしまってあった。私は洗剤の1つを手に取った。
─かなり科学技術が進んでいる。家電の形式だって似ている。恐らく人口も多いのだろう。あの子は私と同じ星から来た移住民?……わからない。謎が多すぎるな。
キッチンでは既に少年が何か始めていた。
「すみません」
「ああおかえり、僕食器洗ってるから野菜の皮剥いて切っといてくれるかな」
白いシャツの袖を肘まで捲った腕を、包丁へ向けた。ここで私は、ある危機に直面したことを実感した。
「その……わ、私料理したこと無いんです。ちゃんと出来るか分からなくて。先に言った方が良いと思いまして……!」
怖気づいて、私は目を瞑って話していた。そっと視界が開けていくと、真っ先に、正面にいる少年の顔が目に入った。鳩が豆鉄砲喰らったような気の抜けた顔だった。
「えっ料理経験ゼロ……? 竜胆何歳?」
余程信じ難いのか少年は口を手で覆って言った。それがまた、私の羞恥心を煽る。
「18歳、です」
「ああ18かー……まあ自炊しなくても生きられるからね、今の世界。でも社会経験の一貫として、ね? 教えるからやってみようよ!」
「善所します……」
少年は子供を諭すように、私の両肩に手をおいて言った。
「じゃあこれとこの野菜の皮剥いて。こっちはピーラー使った方がいいよ」
少年は2種類の野菜とピーラーを笑顔で差し出した。私はそれをおずおずと受け取る。やがて生ゴミ用のゴミ箱の上で作業を始めた。
「皮剥き、これでいいですか?」
「もう少し。ほら、まだ青みがかってるでしょ?この色が白くなるまで剥いてほしいな」
その後もこの野菜はこう切れ、この野菜の芽はもっと綺麗に取りきれとダメ出しばかりだった。年下の子供にこんなダメ出しを喰らうなんて思ってなかった。これまで家事を避け、勉強にばかり没頭していたせいかと自分の中では納得していた。
「これでどうだろう」
「うん、初心者にしてはいいんじゃない?」
この見下した言葉が癪に障るが、彼が皿洗いの合間に切った具材を見たらそんな気も失せた。
「じゃあ鍋に油ひいたら具材炒めて」
「……なあ、そろそろ交代してくれないか? もう腕が痛くて」
「えぇー竜胆力無さ過ぎでしょ、ほら貸して」
少年は私に変わりガツガツと鍋を混ぜ始めた。さっき切った具材を全て入れ暫くした頃だ。
「聞いていなかったが、何を作ってるんだ?」
「カレー。竜胆は知らない?」
「いや……知ってる。私の住んでた地域にもあった」
「本当?」
「……あの、気になってたんだが、この地域と私が来た場所の文化が殆ど同じなんだ。貴方が言ったように、私はずっと遠くから来た。なのに、何故? 以前私の住んでいた地域に、いたことがあるのですか?」
「あーそれね。うーん……タダで教える訳にはいかないなぁ。竜胆のこと教えてくれるなら話すけど?」
「……あまり安々と話せることじゃないんです」
「じゃあ僕もさっきの質問にはノーコメントで。でも、“お互いのこと全部知らないと友達”なんてルール無いんだし! プライベートは大事だよね!」
これを最後に会話が途切れた。少年も訳ありなのだろう。親無し─仕事で家を空けてる訳でもなさそうだ。口振り的に“最初からいない”が正しいだろう。不躾だったと己を反省した。
「竜胆、お皿取って。大きめのやつ」
黙りこくって色々考えるうちに料理が出来ていたらしい。少年がお玉を持って皿を待っていた。私の背後の棚に、確かにそれらしき物がある。
「これか?」
「ありがと。折角だし、最後の盛りつけは自分でやってみない? 僕は自分のだけよそるから」
「……わかりました」
炊飯器の蓋を開けると、むわっとした熱気が顔に当たった。右眼に掛けた眼鏡が曇る。でも何だかいい匂いで、懐かしくて暖かい。悪い気分じゃないのは確かだ。杓文字ひとすくい分皿に盛ると、米の塊がほろほろと崩れ、艶めきを持ちだした。そして狐色のカレールウを上にかけて完成だ。暖色の野菜が画面を明るくし、食欲を唆った。久しぶりに空腹になった気がする。自分の皿によそり終えた少年が横から覗き込んだ。
「お、上手くできたじゃん。居間のテーブルに僕のも運んでおいて。スプーンとコップ持っていくから」
「はい」
居間は畳で、木目のテーブルに紫の座布団が2つ敷いてあった。対面になるように皿を置き、腰を下ろして待った。
「おまたせ」
スプーンとコップを2つずつ持って少年が現れた。それを2人の手元に置き、座布団に腰を下ろす。
「じゃあ、食べようか!」