第4話 離別
山を登ること数十分、既に息が上がっている。研究所が道を舗装していたとは云え、永遠続く斜面に身体が保たない。木を掻き分け先の開けた場所に出ると、見上げる程の緑のカーブがあった。それが約束の高台であった。
「もう……安全だろうか……」
汗で滑りやすくなった片眼鏡を強く押し戻す。肩で息をしながら、マリーの姿を捜した。やがて、煙嵐の中、人が腕を振っている様な影を捉えた。
その隣には何十倍にも及ぶ巨大な影があった。少し近づくと、正体はマリーと宇宙船であることが分かった。
「間に合ったね竜胆」
「ああ、なんとか……」
「疲れてるところ申し訳ないけど、時間がない。荷物はこちらでまとめておいた。確認して問題なければ……出発してほしい」
竜胆は呼吸を整えて言った。やはり、勘は当たっていたようだ。
「その前にこれ。研究所の船じゃないか! 船の用意はどうしているのだろうと考えていたが、いよいよ罪に問われるだろう……!」
「でもこの船が一番扱いやすいでしょ? 毎日手入れしてたんだからさ。それに、研究所も大学もほぼ全壊だ。船一つくらい大丈夫! というか、今の竜胆に拒否権なんて無いんだからね!」
そう言ってマリーは口を隠してニタっと笑ってみせた。竜胆は不服を隠しきれなかったが、現実を受け容れる他無かった。
「まあ、そうか。そうだな。何から何まで、本当に世話になってしまった。上にバレたら、マリーもただでは済まないのに」
「気にしないで! 僕の勝手で動いてるし」
マリーは大袈裟に手を振った。そして続ける。
「そうだ、これは言っておかないとね。竜胆が入院してる間に船を改造したんだ」
「改造? マリーひとりで?」
「ああ、いや……。実は桔梗さんに頼んだんだ。事件のことも、これからの計画も話した。彼は信頼できるから」
「桔梗さんに? 知らなかったな。まあこの船の管理当番でもあるし、色々詳しいか。でもよく引き受けてくれたなぁ」
「さ、話している場合じゃない。最後の確認は僕と一緒にやろう。船に乗って」
「うわっ」
マリーに背を押されるまま乗り込んだ宇宙船は、明らかに以前のものとは違う箇所があった。
「……驚いた。桔梗さんの腕をナメていた」
「でしょ? 改造前は機械が壁に剥き出しだったけど、主要な装置以外は壁にしまったらしいよ。お陰で広く感じるよね」
「それも嬉しいポイントだが、こっちの方が気になるな」
「他の天体や周囲の状況が把握出来る端末かな。それも改造して、検索や予報・自動運転、その他機能の追加に、この星との通信を遮断させたって言ってた」
「と言うと、この星のネットが無い状態でも使えると?」
「その通り」
「居場所を隠して追跡を諦めさせる為か。マリーはそうだが、桔梗さんも相当頭のキレる人だな。些細な工夫から十分に伝わってくる。」
「だろうね、僕より全然……。次の箇所に行こう! この調子だと説明しきれないよ」
そう言って早足で進む。
「個室が四つ、それぞれ備え付けのベッドと机がある。替えの服や宇宙空間用のスーツなんかも、サイズ別で何着か。生活用品と一緒に物置部屋にあるから。それと、この向かい合った個室の奥は研究室になってる。やっぱり必要でしょ? あと貯水庫ね。竜胆一人なら5ヶ月分は保つ。無理すれば風呂も使えるかな。あと一応、酸素発生装置も用意しといた」
部屋を一周して、船の入口へ戻ってきた。
「船の入口であるここがリビングという形だ。この奥はキッチン。テーブルも向こうにあるよ」
「凄いな……ひとつの家じゃないか」
「そりゃそうさ。下手したら竜胆は一生ここで過ごすかもしれない。不便があってはいけないんだ」
「心遣い感謝するよ」
「さて、不備は無かったから。こんな事言うのは辛いけど、早く行ったほうが良い。僕は船を降りるから」
「そうだな」
マリーが船の扉を開けた。竜胆は続けて、小さく呟いた。
「別れの言葉を云う時間もないなんて、この星は残酷だ」
「竜胆っ!」
竜胆の独り言が届いたのか、振り向いたマリーの頬には別涙が伝っている。
「自分にはこれくらいしか出来なかった。初めて出来た友達を死地に送るような真似をして、僕は莫迦だ。……もし、安心して暮らせる星があったら僕のことなんて忘れて楽しく過ごせ。ただ、くだらない理由では絶対に死ぬな! 僕が許さない!」
竜胆は微笑を浮かべ、熱っぽく語るマリーに言った。
「当たり前だろ? 誰が繋いだ命だよ」
マリーの目の前に手を差し出した。その意図を汲み取り、彼は握手で返した。
「じゃあ、元気でね」
彼と最期の言葉を交わした。船を降りたマリーはずっと手を振っている。竜胆も窓際から手を振った。エンジンがかかり、離陸する。その勢いによろけた竜胆をマリーは笑っていた。
─それが、この星で最期に見た景色となった。