夢のような一日
カーテンの隙間から差し込む朝日が、眠気でぼんやりとしている視界を照らす。時間を確認すると、出勤する時間まで一時間はある時間だ。大きなあくびを一つしながら、背伸びをして体を起こす。
ベッドから降りようとしたところで、くらり、と目眩がして体が倒れそうになった。と、思ったら、ふんわりと優しく柔らかな感触に包まれた。突然のことに、なんだ? と思いながら顔を上げると、見知らぬ女性が目の前に立っていた。
自分は、その女性の胸元にもたれかかる形になっていた。あまりの驚きに固まってしまう。
「大丈夫でしたか?」
「えっ、あ、はい……」
優しい声色でそう聞いてきた女性に、どうにか返事をする。
「大丈夫ならよかったです。突然のことでびっくりしていますよね、ごめんなさい。……私は、貴方が飼っている猫のルミーです。昨日の夜、貴方が寝ていたあいだに、突然、私のところに魔法使いを名乗る人間が現れて、私を人間の姿に変えてしまわれたのです」
「ルミー……? キミが?」
呆然とする自分に、ルミーだと名乗った女性は微笑みを返す。確かに、髪の毛や瞳の色など、ルミーに似ているかもしれないと思った。
「はい、そうです。証拠になるかはわかりませんが、部屋のどこを探しても猫のルミーはいませんよ。それが証拠になるかと思います」
言われた通り一通り探し回ったが、確かに猫のルミーは部屋の中にいない。部屋の外には絶対に出ないようにしているはずだから、勝手に出ていくはずがない。そして、勝手に自分の部屋の中にいつの間にか他人が侵入していたなんてありえない。とりあえず今は確かにこの女性がルミーなのだと思った。
「どうして人間の姿に?」
「私は願ったんです。人間の姿になって、もっと貴方のお役に立ちたい、と……。そうしたら、魔法使いさんが人間にしてくれました。この魔法の効果は一日で切れてしまうらしいですが、一日、私にください。貴方のためにできる限りのことをします」
「一日くれって言われても……仕事に行かないと……」
「何を言ってるんですか、今日はおやすみですよ? 昨日の夜、貴方がそう言ってたんじゃないですか」
「えっ? あ、そういえば……」
慌ててスケジュール帳を確認する。確かに、今日は会社の創業記念日でおやすみだと書かれていた。
「ね? だから、貴方の好きなこと、たくさん一緒にしましょう? 一日しかないけど、一日だけでも思いっきり楽しみましょう?」
「楽しむ、って言われても、何をすればいいんだか……」
自分の趣味はアニメを見ることやマンガを読むことなど、一人でできるモノばかりで、二人で一緒になにかしようと言われても突然にやりたいことは思いつかない。
「じゃあ、とりあえず、私がしてみたかったことしてもいいですか? 貴方はいつも肩こりだなんだって疲れてるみたいだから、マッサージしてあげたかったんです。マッサージしますから、まずベッドに横になってください」
言われるがまま、自分はベッドにうつ伏せになった。ルミーのマッサージはけっこう効いた、ような気がする。マッサージなんてちゃんとされたことがないからわからないけれど、しっかり効き目はあるように感じられた。
「ありがとー、ルミー。おかげで肩が軽くなったよ」
「よかったです! こうやって貴方の役に立ちたいなって思ってたんです」
「……ボクは、ルミーが側にいてくれるだけで幸せだし、役に立つ必要なんてないよ?」
「……そう言ってもらえるのは嬉しいです。でも、いつも疲れてるみたいだから、どうにかしてあげたくて……」
「ありがとう。そう言ってもらえるだけで、満足だよ……」
「こんなことで満足してもらっちゃ困ります! お次は……そうですね、一緒にアニメ鑑賞会なんていかがでしょう? 人間はそういうことをするのでしょう? 貴方はいつも一人で見ていることが多いですけど……」
「あー、まあ、仕事の時間的にあんまり他の人と予定が合わないからね。やってみたいかもだけど……」
「けど、なんですか?」
「あ、いや、こんなかわいい女の子と二人きりで一日中、一緒にいるなんて、緊張するな、って思ってさ」
「え?」
「あっ……」
つい本音が出てしまった。気持ち悪いと思われたかもしれない。と自己嫌悪に駆られる。
「かわいいなんて言われるなんて、嬉しいです。ああ、そうだ、鑑賞会をするなら飲み物とかも必要でしょうか? 私は人間の食べ物はこの姿でも食べられませんが……。貴方には必要ですよね。なにか買ってきましょうか?」
「い、いや、ルミーは、家にいてくれ。ボクが買ってくるから」
「そうですか? 私が買ってきますよ、お役に立ちたいですから」
「……ちょっと気持ち悪いこと言うけど、いい?」
「……なんですか?」
「ルミーがあんまりかわいいから、人前に出したくないんだよ……。他の人の目に触れないで、ボクだけの存在でいてほしい」
言った後、こっ恥ずかしい気持ちに襲われる。言うんじゃなかった、と思いつつ、でもこれが本音だから、本音を包み隠さず出していこう、と思った。一日限りの夢なんだから。
「……わかりました。じゃあ、私はお部屋の片付けなんかしながら待ってますね。早めに帰ってきてくだあさいね」
「うん、早めに戻るよ。じゃあ、行ってきます」
「行ってらっしゃい」
ベッドの横に転がっていたカバンを拾い、玄関に向かう。
最寄りのコンビニまで行き、飲み物やお菓子、お菓子以外の食べ物も少し買った。なるべく足早に、部屋へ戻る。本当にこれは現実なのか? などと思いながら、足を進める。
部屋に戻ると、ルミーが大げさなリアクションで出迎えてくれた。
「おかえりなさいませ!」
と、言いながら、キツく抱きしめられた。柔らかくて温かいルミーの肌が、自分の肌に触れるのを感じる。
「た、ただいま……」
ルミーの勢いに少し戸惑いながら、自分は買ってきたモノを机の上に広げる。テレビの前でアニメを見る準備をしていると、ルミーもいつの間にか隣にいた。
「じゃあ、鑑賞会、しようか」
「しましょう!」
ルミーが元気よく言いながら、リモコンの再生ボタンを押した。
・
「すごくおもしろかったです……!!私、感動しました……!!」
興奮しながら熱く作品の感想を語るルミーの勢いに、圧倒されそうになる。
「楽しかったなら、よかったよ」
「……貴方は、楽しくなかったですか?」
「楽しいよ?」
「でも、あんまり笑顔じゃなかったです」
「そうかな? いつもこんなもんだよ」
「それは……確かに、そうですね……。いつもそんなだから、笑顔を引き出したいと思ったんですけど……」
ルミーが困ったように言う。
「いや、ボク、感情があんまり表情に出ないだけだから、本当にそんなに気にしないでいいよ。ルミーと一緒にアニメ鑑賞会、楽しかったよ。ごはんはどうする? いくつか買ってきたけど……あ、人間のごはんは食べられないんだっけ?」
「はい、食べられません。私はいつもの猫の餌で十分です。でも、私に遠慮せず、お腹が空いてるならどうぞ食べてください」
「じゃあ、まあ、とりあえずごはんでも食べながら、次なにするか考えようか」
「わかりました」
コンビニで買ってきた食べ物をレンジであっためて、食卓に並べる。ルミーの猫の餌も、今日だけは食卓の上に一緒に並べた。そして、二人で一緒にごはんを食べる。
「……なんだか、さ」
「はい?」
「誰かと一緒にごはんを食べるって、幸せなことなのかもな、って思ったよ」
思わずそう口にしていた。少し恥ずかしいことを言ったような気がして、ちょっと後悔した。
「……貴方が幸せなら、それが一番です」
ルミーはそう言って、優しい微笑みを返してくれた。
「せっかくだから外に出てみたい気持ちもありますけど、どうしましょう、このまま魔法の効果が切れるまで、ダラダラしますか?」
「……うーん、そうだね。外に出るのは危ない気がするから、部屋の中で過ごそう。久々に対戦ゲームでもひっぱり出してこようかな? ちょっと待ってね……。二人以上じゃないとできないゲームをやりたいから、ちょっと探してみる」
そう言って、自分は部屋の奥の物置の中を覗いた。色々なモノがまとめて詰め込まれていて、この中もいつか整理しなくてはと思いつつ、目的のモノを探す。
トランプや、カードゲームなどのアナログなモノから、少し前に買っていたゲーム機など、色々とあった。とりあえず目についたモノをすべてルミーの前に持っていく。
「ルミーはこの中から、どれやりたいとかある?」
「んんー、ルミーはなんでもやってみたいです! 人間の遊び、興味があります……!」
「じゃあ、片っ端からやっていこうか」
そういうわけで、様々なゲームをして遊んだ。時間を忘れるほどゲームに熱中するのは、久々だった。気がついたら、あっという間に夜になっていた。
「あれ、もうこんな時間か……」
ふっと時計が視界に入り、意識がゲームから現実に引き戻される。日はすっかり暮れ、夜の闇の中に月明かりが差している。
「こんな楽しい日なんだし、出前で豪華なピザでも食べちゃおっかな」
「私は人間の食事は食べられませんよ?」
「ああ、そっか。ちょっと一人で食べるのはキツいかも……。寿司にでもしようかな。ちょっと待っててね、ルミー」
ルミーに待ってもらって、出前を取った。迷ったけど高級な寿司にした。
頼んだ寿司が届いて、勢いよくたいらげる。ルミーはそんな自分の横で猫の餌をモクモクと食べていた。
「ルミー、今日は楽しかったか?」
「はい! とっても! ……でも、貴方のお役に立ちたいと思ってたのに、遊んでばっかりで……」
「いいんだよ、十分。ボクにとってはすごく幸せな時間だったよ。ありがとう」
「……それならよかったです。もうそろそろ、時間ですね」
ルミーが言うと、部屋の中が一瞬、煙に包まれた。煙が晴れると、自分の目の前にいたのは猫の姿のルミーだった。
「……今日は一日ありがとう、ルミー。また明日」
言いながら、ルミーを撫でる。ルミーがゴロゴロと喉を鳴らす。今日の出来事が、本当に現実だったのか、疑ってしまうけれど、今のこの幸福な気持ちは本物だ。
とても幸せな一日だったな……と思いながら、自分は寝床についた。
〈了〉