心配される身
冬枯れた木々に小さなつぼみがふくらみはじめ、春のおとずれが遠くないことを日の光の強さと共に感じながらクララ・ジョンソンは地元の街を歩いていた。
「久しぶりね、クララ。体調くずしてるって聞いてたけど元気そうでよかった」
幼馴染みのマーガレットの母に買い物をしていると声をかけられた。
マーガレットとクララは同い年でお互いの家をよく行き来していたので、マーガレットの母はクララを親戚の子のようにあつかう。
「お久しぶりです。ご無沙汰してしまってごめんなさい」
「本当よ、クララ。こっちに帰ってきたのに顔もだしてくれないし。娘がいなくても顔をみせにきてほしいわよ。
まだしばらくこっちにいるの? 旦那さんと息子ちゃんに会えなくて寂しいわよね。がんばって早くよくならないと」
クララの両親は周囲に娘が離婚したことも、息子を手放したこともずっと隠していた。そのためクララはまだリチャードと夫婦で、病気になり夫と息子とはなれ実家で静養していることになっている。
クララは両親にずっと嘘をつかせていることが心苦しかった。一度ついた嘘のせいで両親に嘘を重ねさせている。
恥でしかない娘を見限らず嘘をついてでも受け入れてくれる両親にいつか報いなければと思う。
クララが港町から実家にもどった時に、母は泣きながらクララを抱きしめ父はクララに謝った。
「これまでつらい思いをさせて悪かった」
父はクララが離婚したことを恥といい、離婚したあと子ができたことを知りなげき、子の世話をできないクララの弱さを叱った。
誰もがごく当たり前のこととしてしている結婚や育児をまともに出来ないことに父は怒りをつのらせた。
「お父さんはこれまであなたが長女として弟の面倒をしっかりみて、勉強もできて教師にまでなったクララが自慢なの。
だからこれまでと違うクララにどうしてよいのか分からずきついことをいってしまうのよ。お父さんを許してあげて」
父がクララに怒りを爆発させるたびに、母はそのようにいいクララをなぐさめた。
それだけにこれまでクララを責めていた父から、まさか謝罪されるとは思ってもみなかった。
父は世間体のためにクララが離婚したことを隠しただけでなく、ヒューゴをリチャードにたくす相談をしなかったことを詫び、何も心配せず休養すればよいといった。
クララは両親が自分を腫れ物あつかいしていることに申し訳なさを感じたが、港町でリチャードと再会し知ったことに対し考える時間が必要なこともあり甘えることにした。
「ちょっとだけ家によっていってよ。こんな所で立ち話もなんだし」
マーガレットの母に強引に手をひかれ家にお邪魔することになったクララは、こういうところがおばさんらしいとくすりと笑った。
「その笑いは、おばちゃん、相変わらず押しが強すぎとか思ってるんでしょう? まあ、そうなんだけどね」
マーガレットの家につくと先ほど買ったという甘いパンと茶をだしてくれた。子供の頃、お腹がすいているでしょうとおやつを食べさせてくれたことを思いだす。
二人で話していると、マーガレットの弟で、クララにとってマーガレット同様に幼馴染みであるオリバーが家にもどってきた。
「うわー久しぶり、クララ! 体、大丈夫か? 体悪くて里帰りしてるってきいてるけど」
オリバーも加わり家族の話や世間話をしていると、マーガレットの母が夫にちゃんと手紙をだしているかとクララに聞いた。
「男は寂しがり屋だから放っておかれると、すぐにふらふらするから気をつけるのよ」
クララの胸がちくりと痛んだ。もう夫ではない男のことで痛みをかんじる自分自身に自嘲する。
「母さんがいうと何か重みがあるよなあ。もしかして父さん、浮気したことあるのか?」
マーガレットの母が息子の腕をバシッと音がでるほどのいきおいでたたいた。
「そういうことは冗談でもいわない。あんたが思ってるよりも浮気がどうのという話は身近であるもんなの。人の傷をえぐる話題だから軽々しくいわない」
あきれたようにいう。
「貞操を守れって教会でさんざんいわれるから、異性にちょっと馴れ馴れしくする人はいても実際に浮気する人は多くないだろう?
結婚するまで純潔を守れとか、結婚したら配偶者以外の異性によそ見するなって聞き飽きるほどいわれるじゃないか」
息子の意見にマーガレットの母が分かっていないという表情をみせた。
「甘い! 生きてるといろいろなことがあるの。とくに弱ってる時にそばにいる異性からちょっと優しくされると、ころっと好きになるもんなのよ。
弱ってると誰かにすがりたくなるし、一時的な気持ちで突っ走りやすいのよね。
離れていても強い絆があれば大丈夫なんていうけど、強い絆があっても気の迷いとか、魔が差したなんて言葉がある通り本当に何であんなことしたんだろうと思うことをやっちゃうことがあるわけよ。
だから教会で何度もうるさく男女の距離についてや貞操についていうわけ。どこで何がどう転ぶかなんて本当に誰にも分からないから」
「どうしたんだよ、母さん。急に小難しいこといいだして」オリバーが自身の母をからかう。
再びオリバーの腕をはたくと「親を何だと思ってるやら」マーガレットの母が笑った。
「クララも旦那さんとはなれて寂しいでしょう? 大変だろうけど息子ちゃん連れてこっちに顔見せにきてとお願いしたら?
旦那さんもクララとはなれて寂しいはずだから、妻からかわいくお願いされたらすぐに飛んでくるわよ」
「かわいくおねだりかあ。そういえば姉ちゃんってかわいくおねだりするようなタイプじゃないよな」
親子でマーガレットについて話しはじめたことがクララにはありがたかった。
表情を取りつくろっているが、きっと表情をつくりきれていないだろう。自分の状況を嘘でかためているので、元夫のことや息子の話をするのは気が重い。
遅い時間ではなかったがオリバーがクララを家まで送るといい断るのも面倒なのでオリバーとつれだち家へむかう。
「クララ、食べてるか? 食べないと元気にならないぞ」
「食べてるよ。若い男の子なのにお母さんのようなこといわないでよ」
クララが笑いながらいうとオリバーがいつになく真剣な顔をした。
「クララ、つらかったら旦那なんて捨てて帰ってこい。姉ちゃん夫婦をみてると結婚って本当に大変だなあってしみじみ思う。
姉ちゃんの場合、クララとちがって親が決めた結婚で、商売上のつながりを求めてだから簡単に離婚できないけど、姉ちゃんにつらいなら俺が面倒みるから帰ってこいっていってる。
姉ちゃん、義兄と性格的にあわないし、義両親は嫁を奴隷と思ってるようなひどい扱いするから姉ちゃん苦労してる。あの気の強い姉ちゃんが、いつでも帰ってこいっていったら泣いた。
姉ちゃんを無理矢理にでも連れて帰りたいけど、親から―― 親父からとめられてる。商売で必要な縁だから離婚なんて許さないって。
母さんも自分自身が商売のつながりのために結婚してるから、どうしようもないことだって感じだし。義家族との関係がむずかしいのは誰でもそうで、自分で何とかしていくしかないって考えだからなあ。
姉ちゃんに何もしてやれないのがつらい。だからせめてクララはそういうしがらみがないんだから、旦那がひどい奴ならさっさと捨てて帰ってこい。
さすがに姉ちゃんとちがって俺が面倒みるとはいえないけど」
オリバーが真剣な顔をくずさず言葉をついだ。
「離婚した人のことをとやかくいう風潮があるから離婚する決心がなかなかつかないかもしれない。
でも旦那が死んだことにすれば周りは何もいわない。旦那はここの出身じゃないから嘘がばれることもないし。だからつらかったら離婚を考えてみたらどうだ?」
オリバーの気持ちがうれしかった。幼馴染みとしてクララのことを親身になって心配してくれている。
もしクララの両親が離婚に反対するようなら、オリバーはクララのために両親を説得しようと思っているだろう。
オリバーはクララがリチャードとすでに離婚しているのを知らない。そのことを含めオリバーに本当のことを話すつもりはない。
「ありがとう、オリバー。心配してくれてありがとう。でも本当に大丈夫だから」
何か言いたげなオリバーの瞳に気持ちがゆれるが、クララはにっこりほほえんだ。
「クララ、さっきいったこと撤回。つらいなら俺が面倒見るから安心して戻ってこい」
オリバーがクララにしっかり目を合わせていった。