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女を葬る

「疲れたなあ」


 リチャードとの離婚が成立した日、クララは友人宅の寝台に寝ころがり声にだしつぶやいた。


 離婚するのは大変だった。


 離婚はできるが実際に離婚する人は少ない。そのためクララの周りは離婚せずリチャードを許してやれといった。


 過ちをおかすことは誰でもある。本人が反省しているならチャンスを与えるべきだ。働かない、暴力をふるう、賭博にはしるといった悪癖ではないのだからといわれた。


「たかが一度の浮気ぐらいで」


 はっきりとそのように口にしたのは一人だけだが、他の人達もそのように思っているのが透けてみえた。


 昔は国教が離婚を認めておらず、配偶者と問題があっても我慢して夫婦でいるしかなかった。その名残で離婚するのは我慢と寛容が足りないからだといわれる。


 もし一度の浮気でしかないと簡単に許せ、忘れられるならそうしたい。


 しかしリチャードのことを考えるたびに、あの日みた裸の女とリチャードの姿がよみがえり吐いた。


 リチャードの話をすると吐いてしまうクララをみて、周りもやり直すのはむずかしいだろうとクララに何もいわなくなった。


「あの女が酔った俺をおそっただけだ。本当に浮気などしてない」


 リチャードは女との不貞をみとめなかった。


「起きたら裸だったが本当に不貞行為はしてない。女性はどうか分からないが、男はもし行為をしていれば絶対におぼえている。ぜったいに何もしてない」


 酔って裸になってしまったが、最後までしたおぼえはないと言い張った。


 あのように裸の二人を見ることがなければ、体に拒否反応がでるほどのことにはならなかった気がする。


 しかしあの時のことがどうしても頭の中によみがえる。どうやってもあの時の記憶を消すことができない。


 愛し合って結婚した。リチャードのことを信じたい。リチャードが愛しているといってくれたことを信じたい。


 しかし体はリチャードのことを考えるたびに吐き気をもよおす。やり直したくてもリチャードをみるたびに吐き気がするようではやり直すなど不可能だ。


 離婚するしかなかった。何度もリチャードはクララに自分を信じてほしい、あの女にはめられただけだと訴えたが無理だった。


 両家の父親が同席した最後の話し合いの時も、リチャードはずっと「やり直したい」といいつづけた。


 しかし気持ち悪さをこらえきれずクララが吐いてしまい、「これ以上クララを苦しめるな」父親達が離婚に同意し手続きがすまされた。


 離婚成立後クララは実家にもどった。


 両親はクララが戻ることを受け入れてくれたが、「離婚は家の恥だ」と娘が離婚したことを周囲に隠した。


 そのためクララが実家に戻ってきた理由は、体調をくずし実家で静養するためとなった。


 そしてクララが妊娠していることが分かった。


 国教は堕胎を認めていない。産む以外の選択肢はなかった。


 離婚したあとなのでクララはリチャードに知らせるつもりはまったくなかった。リチャードと二度とかかわりたくない。


 産むしかないのは分かっているが、自分を裏切ったリチャードの子など産みたくなかった。ひそかに流産するよう祈った。


 しかし神がそのような罪深い祈りを聞きとげるはずはなく、子は順調にクララのお腹の中で育ちうまれた。


 生まれてきた子はリチャードそっくりな、あざやかな赤髪の男児だった。


 無事に生まれてくれた喜びよりも「なぜ赤毛なの」と思った。そしてそのように思う自分を恥じた。


 子に何の罪もない。無事に生まれてきたことを、元気に生まれてくれたことを喜ぶべきだ。


 しかし息子をみるたびリチャードを思い出し、裏切られたと心に痛みを感じた。


「息子はリチャードではない」


 自分に言い聞かせつづけたが、どうしてもリチャードを思い出し、我が子を愛しいと思えなかった。


 子をうんだ後は体だけでなく、感情の変化もはげしく不安定になりがちだという。息子を愛しいと思えないのはそのせいだろうと思いたかった。


 しかし時がたっても息子を愛しいと思えなかった。


 夜中に泣き声がし息子の世話をしながら、いつまでこのような生活をしなくてはならないのだろうと絶望がおそった。


 子に乳を与えるために数時間ごとに起こされ、おむつをかえあやし、眠るまでそばにいる。


 母が手伝ってくれたがろくに眠ることができず、赤毛をみるたび憎しみがわきおこり、もう死んでしまいたい、楽になりたいと強く思うようになった。


 子を愛せない母親など本当に必要なのか? このまま息子を愛せなかったら――。


 生きていたくなかった。もう何も考えたくなかった。


 離婚したあとに出産するクララを両親は迷惑に思っていただろうが、孫がうまれたことを喜んでくれた。自分がいなくなれば代わりに育ててくれるだろう。


 子を愛せない母より、愛してくれる祖父母に育てられた方が息子も幸せなはずだ。


 もう頑張れない。


 子を愛せない母親など生きている価値はない。


 窓から身をなげだそうとしていたところを母に止められた。


「ヒューゴを育てるのが死ぬほどつらいなら養子にだそう。ヒューゴも大切だけど、あなたも私達の大切な娘なの。娘が苦しんでいる姿をこれ以上みていられない」


 両親にそのようにいわれクララはうなずいていた。とにかく苦しみから逃れたかった。


 ヒューゴを養子にだす手続きはすべて両親がととのえてくれ、ある日ヒューゴはクララの目の前から消えた。


 ヒューゴがいなくなって思ったのは


「もう泣き声で起こされることはない」だった。


 ヒューゴがいなくなりクララは解放されたと思った。


 しかしリチャードに似たあざやかな赤毛の息子がいなくなり、ほっとしたのは一瞬で、日がたつにつれ罪悪感で苦しくなっていった。


 母親として失格だ。自分の生んだ子を愛せず手放してしまった。


 子を愛せない生みの母よりも、愛情をそそいでくれる養父母の方が子にとって幸せだろうと頭では分かる。


 しかしたった三か月で母親であることを放棄した自分への情けなさ、母親として、そして人として失格だという思いで息をするのもむずかしかった。


 生きているのか死んでいるのかもよく分からない生活を送り、両親だけでなく弟にも心配をかけた。


 そのような状態がつづきクララの姿をみかねた弟が、


「いい加減立ち直って普通の生活をしろよ。せめて子に恥ずかしくない生き方をしろ。姉ちゃんができるのはもうそれぐらいだろう」といった。


 離婚し家族に恥ずかしい思いをさせ、それだけでなくクララが実家にいることについて周囲に嘘をつかせた。息子を養子にだしたことも嘘の理由をつくりあげたはずだ。


 クララは家族に罪深いことをつづけさせている。このような姉がいては弟も肩身がせまいだろう。


 何をしても駄目な自分がここにいては家族を苦しめる。


 クララは家をでることにした。もう世話をすべき息子もいない。自分一人なら何とでもなる。


 もう家族を自分のせいで悲しませたくない。親に孫を養子にださせてしまった。孫を捨てるようなことをさせてしまった娘など必要ない。


 クララがどこに行こうかと考えた時に、一度いってみたいと思っていた港町の名前がうかんだ。


 さまざまな国から人が集まる町であれば、クララが性別をかえ生活しても人目をひくことはないだろう。


 母親失格なのだ。もう女でいる必要もない。一人で生きていくのに男であった方が何かと面倒がない。


 クララは久しぶりにすっきりした晴れやかな気分になった。


 国教は神のみが人の生き死にを決めることから自死を禁じている。


 そのためクララは生き恥をさらしてきたが、クララ・ジョンソンという女の人生を終え、男として生き直そうと思った。


 息子の養父母の身元は秘密にされているが、もし将来養父母に何かあり息子に助けが必要な時に手を差しのべたい。


 実際に息子に何かあったとしても、クララはそのことを知る立場でもなければ、知らせてくれる人もいないだろう。


 それでも万が一、何かの巡りあわせで息子が困っているのを知ることができたなら、いつでも助けられるようにしようと思った。


 クララはクララ・ジョンソンという女を葬った。

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