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この世で一番会いたくない男

「エリオット、お客さんだ。うっかりしてたが、あがる時間をすぎてる。もう帰っていいぞ」


 役所に提出する書類の用意に集中していたので気付かなかったが、商会の終業時間をすぎていたらしい。


 このような時間に取引先の人がくるのはめずらしいが、同僚以外に知り合いのいないエリオットに客がきたのなら取引先の人しかない。


 エリオットが店の外へでると、今朝みかけた赤毛の男がいた。二度と会いたくないあの男だった。


「クララ」


 男をみて動揺していることも、この男のことを知っていることも相手に悟らせてはいけない。


「お待たせしました。どのようなご用でしょうか?」


 男が表情をひきしめた。


「クララ、君に会いにきた。すこし時間をもらえないか?」


「商談はすべて店を通すことになっています。明日、あらためて営業時間内にきていただけますか?」


 失礼しますと男に挨拶をし場をはなれようとすると、「仕事の話ではなく個人的な話だ」と男がいった。


「俺はあなたのことを知りません。どなたかとお間違えですよ」


 男が悲しそうな顔をした。エリオットはすぐにこの場をはなれたかった。


「いや、間違ってない。いまはエリオット・オコナーと名のり男性の格好をしているが、君は俺の元妻、クララ・ジョンソンだ。姿は男性らしくできても背格好や声は変えられない」


 反応してはいけない。エリオットはぐっと腹に力をいれた。


「何をおっしゃっているのかまったく分かりません。これ以上、訳の分からない言いがかりをつけるようなら、あなたを自警団につきだします」


 エリオットはそれだけいうとその場を足早にはなれた。


「待ってくれ、クララ! 話をさせてくれ!」


 エリオットは背中になげられた言葉を無視し走った。ここでつかまるわけにはいかない。エリオットは全速力で走った。


 息をするのも苦しく胸が破裂すると思ったとたん、足がもつれ体が地面にたたきつけられた。


 やみくもに走ったので自分が今いる場所がどこなのか分からない。


 ザザザー。ザザザザー。


 波の音がきこえる。


 どうやら海にちかい場所らしい。しかし暗闇のなか、それ以外のことは分からない。


 このままここで寝ころがっていれば、通りがかった馬車にひかれ死ねるだろうか?


 エリオットが道にころがっている姿は暗闇にまぎれ見えないはずだ。馬と馬車に乗っている人を危険な目にあわせるのは申し訳ないが、もう生きていることに疲れた。


 どうして放っておいてくれない。死ねないから生きているだけだ。ただそれだけなのに――。


 エリオットは道の真ん中に体を横たえ馬車がくるのを待った。







 エリオットは痛む体にむちうち下宿をしている部屋の荷物をまとめていた。いくら待っても馬車はこず死ねなかった。


 まさかこの地で知り合いに、それもこの世で一番会いたくない男に見つかるとは思わなかった。


 名前と性別、年齢をかえた。


 ここにいるのはクララ・ジョンソンというあの男の妻だった女ではなく、エリオット・オコナーという男だ。


 国の東側に住んでいたエリオットは、これまでまったく縁がなかった国の西側にあるこの港町なら、誰にも見つかることはないだろうとやってきた。


 それにもかかわらず見つかったことへのショックが大きかった。誰にも行き先をつげていない。誰とも連絡をとっていない。過去はすべて捨てた。見つかるはずなどなかった。


 半年前にきて必要最低限のものしか増やしていない。荷造りは簡単だ。旅行かばんに荷物をつめながら、どこに行くのかを考える。行き先を決められなくても朝一番にこの地をでる。


 しかしエリオットはふと思った。元夫のリチャード・ナイトは何の話があるのか分からないが、わざわざ元妻をさがしてここまで来たのだ。話をせず逃げればリチャードは再び元妻をさがし会いにくるだろう。


 離婚は間違いなく成立している。もう他人だ。何のつながりもない。それだけになぜ今頃、何の話があるのかまったく分からない。


 しかし確実にいえるのは「リチャードと話す必要などクララにはない」だ。


 この地で新しい生活をきずいていたのに、リチャードにそれを壊されようとしていることに怒りがわいた。


「なぜ『私』が逃げなきゃならないんだ? 悪いことなど何もしていない。もうあの男とは他人だ。何を話しに来たのか分からないが私が逃げる必要があるのか?」


 リチャードに見つかり動揺し、この地をはなれようと思ったが、なぜ自分が逃げる必要があるのかと冷静に考えられるようになってきた。


 話をしないかぎりリチャードがこの地を去らないなら、話をしてリチャードの用件をさっさと終わらせればよいだけだ。


 そしてもう二度とここに来るなと念を押す。それだけだ。


「話をすればよいだけだ」


 エリオットはまとめていた荷物を元の場所に戻しながらリチャードへの怒りをつのらせた。







「ジョセフ、恋人と別れたあと会いにいったことあるか?」


 同僚のジョセフがおどろいた顔をしてエリオットをみる。


「どうした。めずらしいなあ。女の話をしてくるなんて。女嫌いかと思ってたぞ。女の話をしても全然のってこないし」


 ジョセフが気持ちよい笑い声をたてた。


「別れた恋人に会いにいく理由なんてひとつだろう。やり直したいだ」


 エリオットは衝撃をうけた。まさか――。


「なにおどろいた顔してんだよ? 別れた女に未練があるから会いにいく。それ以外に何があるんだよ?」


「でも別れた恋人にもう新しい恋人がいたらとか考えないのか?」


「そんなこと気にしても仕方ない。それに恋人がいようと、あっちも何らかの未練があるはずだ。だったらやり直せるかもしれないだろう?


 それでお前はいまどういう状況にいるんだ? 別れた女がお前に会いにきたのか? 吐けよ」


 エリオットは反射的に首を横にふっていた。


 記憶の奥底に沈めたはずの、思い出したくない記憶が浮かびあがりそうになるのを必死におしとどめる。


「気になるなあ。吐かないなら吐かせるぞ」


 ジョセフがエリオットの首に腕をまわし体を拘束しようとしていると、店長がジョセフの名をよんだ。


「あと一歩だったのに。またあとで」


 ジョセフがにやりとすると仕事にもどった。


 エリオットは想像すらしなかったジョセフの意見に唖然としていた。やり直すなどありえない。まさか本当にそのような理由でリチャードはここへ来たのか? 


 離婚して二年ちかくたっている。いまさらだ。


 なぜ? ジョセフは未練といったが、リチャードが未練をもつ理由がわからない。


 エリオットの名をよぶ同僚の声で仕事中なのを思い出す。仕事に集中しなければ。エリオットはやるべき仕事を頭の中で整理し、自分がやるべきことに意識をむけた。







 仕事をおえたエリオットは、リチャードが待ち伏せしていないかを警戒しながら店をでた。しかし予想に反しリチャードの姿は見えずほっとする。


 リチャードと話をする必要があるとはいえ、動揺することが多く考えがまとまらない。すこし気持ちを落ち着けたかった。


 下宿へとむかいながら夕食が何かを考える。下宿でだされる食事はおいしい。大家が料理好きで、自分が作った料理をふるうために下宿をはじめた人だった。


 急に目の前にあらわれた人にぶつからないようエリオットはさけたが、歩いていた勢いをおさえきれず体がぶつかってしまった。


「すみません」詫びながら顔をあげると、ぶつかった相手はリチャードだった。逃げようとしたが腕をつかまれた。


「話をしたい。すこしでよいから時間をくれないか?」


 不意打ちをされたことへの怒りもあり、エリオットはリチャードをにらみつけると「手短にしてくれ」投げやりにこたえた。


 話をしてすべてを終わらせる。それだけだ。


 リチャードと一緒にいるところを知り合いに見られたくないのと、エリオットの本当の正体にかかわる会話をすることになるため、エリオットは海辺沿いの道へリチャードをつれてきた。


「人に聞かれたくない。ここでなら話す」


 リチャードはうなずいたあと「あやまらせてほしい」といった。


「離婚した時点でもう縁はきれてる。過去のことをあやまる必要などもう――」


「ちがう。過去のことではなく現在のことだ」


「現在?」


 リチャードが緊張した表情をみせた。ジョセフは別れた恋人に会うのはやり直したいからだといったが、この表情とあやまりたいという言葉から考えると違うだろう。


「ヒューゴのことだ」


 ――なぜリチャードがヒューゴのことを知っている? 離婚して完全に連絡をたっていた。リチャードがヒューゴのことを知る手段などなかったはずだ。


 ヒューゴは――。


 会いたいなどと決して思ってはいけない。


 もう二度とかかわってはいけない。


 もし町ですれ違ったとしても他人のふりをしなくてはならない。


 ヒューゴは―― クララ・ジョンソンが捨てた子だった。

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