取りつくろえていない現実
クララの幼馴染み、オリバーが商用で王都にくることになり、そのついでにと王都から汽車で一時間の所に住んでいるクララに会いにくることになった。
汽車を見るのが好きなヒューゴをつれオリバーを駅まで迎えにいく。
ヒューゴは汽車を見て手をふり、「きた、ママ!」うれしそうだ。汽車の車内から手をふりかえしてくれた人にヒューゴが大きく手をふりかえす。
地元で会った時とかわらぬオリバーがクララ達の前にあらわれた。
ヒューゴに初めて会ったオリバーが「格好良い赤毛だなあ」とヒューゴをほめるとうれしそうにヒューゴが笑った。
ヒューゴは物怖じせずオリバーに自分を真ん中にして三人で手をつなぎ、クララと二人で自分を持ち上げてほしいとねだる。
「子供ってこれ好きだよなあ」笑いながらオリバーが応じ、ヒューゴがいきおいをつけてジャンプするタイミングで腕を大きく上げヒューゴの体を引っぱる。
「たかーい!」ヒューゴが笑いながら何度もいう。オリバーは姪によくやらされたので懐かしいと笑った。
三人で家に向かっていると義母と鉢合わせた。
「ヒューゴが一緒だとろくに話もできないでしょうから家にいらっしゃいよ。私がヒューゴの面倒をみるし。ちょうど頂き物の果物があるの」
クララが返事をする前にヒューゴが「おばば、おうち」義両親の家へ走りだしたので、そのまま義両親の家へいくことになった。
義両親の家で茶と果物をたのしみながら話をしているとあっという間に時間がたった。オリバーと義母は同じ芝居が好きなことから、初対面にもかかわらず大いに話がもりあがった。
ヒューゴはオリバーがもってきたクララの両親からの贈り物を受けとると夢中で遊んでいる。
「ヒューゴのことは私がみてるからオリバーを駅まで送っていったら」
ヒューゴが一緒にいくとだだをこねたが、義母がヒューゴが好きな豆鉄砲をみせるとよろこんで遊びはじめた。
クララはオリバーをうながし駅へむかう。
「お姑さん、よさそうな人で安心したよ。姉ちゃんのところの義両親とちがってクララのこと大切にしてくれてるようだし」
オリバーの姉、マーガレットの状況は以前と変わっておらず、オリバーはいつか強制的にマーガレットを連れ帰ることになるかもしれないとうんざりした表情でいった。
オリバーは姉の不幸な結婚を何とかしたいが、何もできないことにいらだっているようだった。
「クララと旦那さんは大丈夫なのか?」
オリバーがのぞきこむようにクララと目を合わせ聞いた。
クララはオリバーに本当のことをいうつもりはまったくない。幼馴染みではあるが、クララにとってオリバーは弟のような存在だ。
クララは自身の弟に多大な迷惑をかけてしまった。オリバーにまで心配をかけるようなことをするつもりはない。
「何を心配してるの? 大丈夫だよ。体調をこわして実家のお世話になってただけで、こうして戻ってきて元気にやってるし」
「じゃあ、なんで暗い顔してる? 幸せそうにみえない」
オリバーは鎌をかけただけだろう。ずっと笑って普通にしていたはずだ。
「考えすぎよ、オリバー」クララがいうと、オリバーがいらついた声をだした。
「クララにとって俺は年下だし弟あつかいなのは知ってる。子供の頃はガキ大将からかくまってもらったりしたから頼りないと思ってるのも分かる。
でもお互い大人になって俺は昔のように頼りない存在じゃないし、普通の大人の男としてクララを助けることもできる。
だからいつまでも俺を子供扱いするな。つらいなら頼ってほしい。姉ちゃんもだけどクララもつらいなら人を頼れよ」
クララは立ち止まるとオリバーの姿をしっかり見た。
いつの間にか自分よりも背が高くなり、がっしりとした男性の体になっている。オリバーがもう大人だといった言葉にもっともだと思った。
これまでオリバーを子供扱いしたつもりはないが、昔からの感覚でオリバーは自分が守るべき存在で、オリバーが自分を守ってくれる側だと考えたことがなかった。
「クララ?」
声がした方をみるとリチャードだった。
リチャードにオリバーを紹介する。
「クララから幼馴染みが来ると聞いていたのに仕事の都合で挨拶できないと残念に思っていたので、こうしてお会いできてよかった」リチャードがにこやかにいう。
オリバーも愛想よくリチャードに挨拶をするのを見ながら、オリバーとの先ほどの会話を思い出す。
――お互い大人になりいつまでも子供の頃と同じではない。
もし姉のマーガレットの状況が悪くなれば、オリバーは父親と対決してでも姉を救おうとするだろう。
そしてもしクララが助けを求めれば、どうにかして助けようとしてくれる。自然とそのように思えた。
だからといってクララがオリバーを頼ることはないが、誰もがずっと同じではいられないとふと思った。
昔ならオリバーが大人びたことをいえば「生意気なこといっちゃって」とからかい、頭をなでオリバーを子供扱いしただろう。
しかし大人になった今では頭をなでるような接触はさけるべきで、幼馴染みとはいえ男女として適切な距離をとらなければ人から誤解をうむ。
これまで意識したことのない時の流れをかんじた。
汽車の時間がせまっているのでリチャードとわかれオリバーと急いで駅へむかう。
「クララ、我慢しすぎるな。つらかったら逃げていいんだ」
オリバーは最後にそのようにいうとクララの手を両手でぎゅっとにぎったあと車内へむかった。
オリバーを見送り駅をでると仕事場にもどったと思っていたリチャードの姿があった。
「どうしたの? 仕事は? もしかして私に何か用がある?」
リチャードがいることにおどろいていると、リチャードがクララの手をひき「一緒に帰ろう」といった。
「仕事はいいの? まだ終わる時間じゃないけど」
リチャードが無言のまま歩きだしたので、クララはヒューゴが義両親の家にいると伝えた。リチャードはかすかにうなずいただけだった。
義母はクララだけでなくリチャードがヒューゴの迎えにきたことにおどろいていたが、せっかくなので一緒に夕飯を食べようといいリチャードにおつかいをたのんだ。
ヒューゴがリチャードと一緒にいくというので二人を送りだし、クララは義母と夕食の用意をはじめた。
とりとめない話をしながら料理をしていると、「クララ、戻ってきてくれてありがとう」義母が突然いった。
いつになくしんみりした声色と話の流れにそぐわない言葉にクララは混乱する。
「クララが幼馴染みと実家に帰ってしまうかもと思った。だから……」
思いがけない言葉にクララの動きがとまる。
「二人が復縁してよかったと思ってたけど、クララはずっとつらそうだった。いつも笑顔をみせてたけど」
義母と視線があうとリチャードと同じ薄緑色の瞳が悲しげにみえた。
「――リチャードのことをまだ許せないかもしれないけど、親子三人で幸せになろうと考えてくれてると思っていいのよね?」
義両親はクララがリチャードと復縁したことをよろこんでくれ、リチャードとクララの関係に踏みこむようなことを一度もしたことがなかった。
それだけでなくクララがヒューゴを手放したことについて何もいったことがない。
クララに言いたいことは山ほどあるだろうが義両親はこれまでずっと静観してくれた。
義母を安心させるため「はい」と一言いえばよいのに、何の言葉もクララの口からでようとしない。
「もしリチャードと一緒にいるのがつらいなら、もしクララが望むなら……」
「ただいま!」
義母が言い終える前にヒューゴとリチャードが戻り、家の中がにぎやかになった。結局クララは義母が何を言おうとしたのか聞くことができなかった。
義母はそれ以上何もいわずいつも通りクララに接した。
自分では普通にしているつもりだが、周りがクララの態度におかしさを感じるほど取りつくろえていなかったようだ。
いつまでもこのままでいられない。
しかしクララは自分が何をしても周りに迷惑をかけてしまい、もう何をどうすればよいのか分からなかった。
クララは暗闇の中をさまよっているような気がした。