放っておいてくれ
冬とは思えないほど強い日差しがそそぐ港町を、エリオット・オコナーは同僚の妹、ナンシーと歩いていた。
エリオットが食堂で昼食をたべ職場にもどろうとしているとナンシーと鉢合わせた。
エリオットの同僚で、ナンシーの兄であるジョセフが風邪で仕事を休んでいるので容体をきくと、
「ふだん風邪ひとつひかない兄さんが高熱をだして寝込んでるから我が家はおおさわぎよ」
心配そうな顔でナンシーがいった。
ナンシーとジョセフは仲のよい兄妹で、ナンシーの職場がエリオット達の職場と近いことから、ナンシーがジョセフと一緒に帰ろうとよく職場に顔をだしていた。
「エリオットって本当にひげがはえないよね」
ナンシーがやけにエリオットの顔を凝視しているので何かと思えば、エリオットのひげが気になっていたらしい。
「成長が中途半端にとまって、おかげでひげだけじゃなく声も変わらないままだ」
これまで何度も口にしてきた説明をすると、突然、ナンシーがエリオットの頬にキスをした。
「なんか甥っ子にキスしてるみたい。私の恋人もエリオットみたいにひげがはえなかったら、キスしてもひげでチクチクしないのになあ」
ナンシーは思いついたことを衝動的にやってしまうことがあり、どうやら今日も思いついたままエリオットの頬にキスしたらしい。
「ナンシーの恋人に殴り殺される。頼むから今後は俺の頬にキスなんてするなよ」
ナンシーは自分の恋人が嫉妬深いことを思い出したようで「本当だわ」たのしそうに笑った。
エリオットは港荷役をしているナンシーの恋人の大きな体を思いうかべ、「笑いごとじゃないんだけどな」ナンシーに文句をいう。
港町なので荷役人が多く、力自慢な男がくさるほどいる。
優男風の細くて力がなさそうにみえる男や、子供のように小さな男であっても酒樽を軽々もちあげたりする。相手を見た目で判断し喧嘩をふっかけると痛い目にあう。
「そういえばこの前、食堂の女の子からデートにさそわれてたよね?
あの子、食堂にいるあいだずっと私のことにらんでたんだよ。いい子だけど嫉妬深そうだから付き合うなら気をつけてね」
エリオットは苦笑した。ジョセフと二人で食堂に行こうとしているとナンシーと偶然会った。せっかくだからと三人で一緒に食べたことがあり、その時のことをからかわれているらしい。
色白で小柄、声変わりをしていないので男にしては高い声で、典型的な弱々しい外見のエリオットだが、なぜかエリオットのことを好ましく思ってくれる女の子がいる。
力自慢の荷役人とちがい、ひ弱な見た目通り重い物などろくに持てない。喧嘩をすれば数秒で叩きのめされる。男として女の子をひきつける要素など何もない。
それにもかかわらずエリオットに好意をもってくれることを喜ぶべきなのだろうが、死ねないので生きているだけの屍だ。人の好意など必要ない。
「ナンシー!」
ナンシーの恋人がこちらに向かってくる。
ナンシーは同僚の妹でしかない。彼女の恋人を見かけ、びくつく必要はないが、先ほど頬にキスされたこともあり、いま一番会いたくない男だった。
「なんでエリオットと一緒に歩いてるんだよ」
挨拶もせず、すでに喧嘩腰だ。エリオットはナンシーがうかつなことを言わないよう祈る。
さいわいナンシーは風邪で寝こんでいるジョセフのことだけを話したので恋人は怒りをおさめたが、ナンシーをエリオットから引きはなそうと、エリオットとナンシーの間に大きな図体をわりこませた。
「愛されてるな、ナンシー」
ふふっ、とナンシーが嬉しそうにほほえむ。人から愛されるのが当たり前という無邪気な笑みがまぶしかった。
ナンシーが頬へのキスについて口をすべらせたらとんでもないことになるので、一秒でも早く二人の側からはなれるに限る。
「俺は先にいくよ。恋人達の邪魔するようなまねをしたくない。ジョセフにお大事にとつたえてくれ」
エリオットはナンシーに挨拶をしたあと素早く二人のそばをはなれた。これで殴られる可能性はなくなった。
エリオットは歩きながら、なぜ求めていない他人からの好意や興味をひいてしまうのかとうんざりしていた。
そもそも人目をひく容姿ではまったくない。男としてひ弱なところが人の注意をひいてしまうようなので、目立たないよう言動に気をつけ、出来るだけ人と目を合わさないようにしている。
そして人との接触自体を最小限にしている。仕事場でうまくやっていけるように愛想よくしているが、必要以上に同僚と親しくするつもりはない。
仕事先や下宿先の大家、食堂の従業員など生活する上で必要な人以外と話すこともめったにない。
放っておいてほしい。
もう誰にも振りまわされたくない。
エリオットは大きく深呼吸すると小走りで職場へもどった。
エリオットは冬の朝の身を切りつけるような凍えた風をうけながら、海辺の道を歩き職場へむかっていた。遠回りになる行き方だが、海を見ながら歩くのが気持ちよかった。
半年前まで川はあるが海のない場所に住んでいたので海がめずらしかった。天候や光の加減で海の色が変わるのを見るのはあきない。そして波の音が耳に心地よかった。
エリオットが繁華街にはいり職場へむかっていると、あざやかな赤毛の男の後ろ姿が目にはいった。
港町なので遠くの国からも人が来ることから、肌の色や髪色、目の色がことなる人達が多くいる。もともと赤毛はこの国でめずらしくないが、日の光をうけオレンジ色にかがやくほどの赤毛はこの地でも目立った。
記憶の中にある男の姿がまぶたにうかぶ。しかし彼がこの地にいるはずがない。
男の隣にいる女が小さな子供を抱いているのがみえた。子供も男と同じあざやかな赤毛で、男が女から子をうけとると肩車をした。
子供のはしゃいだ様子に、はなれた場所にいるエリオットにも男の子が笑っている声が聞こえるようだった。
家族の幸せそうな姿に胸が痛む。自分には一生縁がないものだ。
エリオットは生きる屍でしかない自分が痛みを感じることに自嘲しながら、彼らから目をはずそうとしていると男がふりむいた。
あの男だった。
「なぜあの男がここにいる――」
男の側にいる女の顔をたしかめようとしたが、エリオットがいる場所からはちらりと横顔が見えるていどで確認できない。
しかしきっとあの女だ。二人はあのあと結婚し子をなしたのだ。怒りと痛みでうまく息ができない。
なぜあの男とあの女がここにいる。
あの男がこの地に縁があるなど聞いたこともない。あの女の実家でもないはずだ。
知り合いが一人もいない、これまでの自分と縁もゆかりもないこの土地を選んだ。
これまでの人生を捨てるために選んだこの土地に、なぜあの二人がいるのだと腹が立つ。偶然なのは分かるが、大切にしている場所をけがされたようで気分が悪かった。
エリオットは二人に見つかりたくないので道をそれた。
あの二人がこの地にいる理由がまったく分からない。その気味悪さに不安がつのる。
もう二度と会うはずのない、この世で一番会いたくない男と女だった。あの二人が幸せにしているなど反吐がでる。
小さな子供。もし――
エリオットは体のふるえを止めようと、手を祈るようにくみ力をいれる。
「大丈夫。大丈夫だから」
自分に言いきかせるため声にだし何度もつぶやく。
落ち着きをとりもどしたエリオットは、自分がいつの間にかうずくまっていたことに気付いた。
立ち上がると大きく息をすった。かすかな潮の匂いに海の美しい青をかんじる。
しゃがんだせいでよれてしまった服をなおし、汚れがあるわけではないが袖の部分を手ではたいているうちに気持ちがやわらいだ。
あの男がここにいるとしても一時的なことだ。
「大丈夫だ」声にだしいった言葉を耳がひろい冷静になる。
エリオットは深呼吸するとゆっくり職場へむかった。