【コミカライズ】派手顔だから男好きだなんてひどい誤解です。愛人のお誘いも勘弁してください。面倒くさいので、お飾りの妻になってさっさと引きこもろうと思います。
「マライア嬢、あなたに結婚を申し込みたい」
「辺境伯さま、結婚にあたって条件がございます」
「俺にできることならば」
「私を愛していただく必要はありません。望みはただひとつ、辺境伯さまの想いびとさまへの惚気を毎日私に聞かせていただきたいのです」
「……は?」
呆気にとられた美丈夫を前に、私は優雅に微笑んでみせた。
***
話は少しばかり遡る。
突然の王命に、我が家は上を下への大騒ぎになっていた。
「なにが風紀を守るため、今すぐ結婚するか修道院へ行くようによ」
私の趣味は、ひとさまの惚気話を聞くことだ。それがどうして、王家も巻き込んだ大騒動を引き起こすことになったのか。納得のいかない王命に、ひとり扇をもてあそぶ。
「マライア、こういうことは言いたくないがもっとうまく立ち回れなかったのか」
「お言葉ですが、お父さま。茶会や夜会でお会いしたときに、おしどり夫婦で有名な公爵さまのお話を聞いていただけです。二人きりになったことは一度たりとてありません。それでも私が悪いとおっしゃるのですか」
誤解されやすい自分自身の容姿について、私は誰よりも理解している。大人びた雰囲気、めりはりのある体、色気を醸し出す顔つき。こちらが気をつけたところで、勘違い男たちは光に集まる蛾のように湧いてでてきた。
友人の婚約者と会話すれば言い寄られ、夜会に出かければ人気のない場所で襲われかける。だからこそ、会話をする相手もよくよく気をつけてきたつもりだ。
だというのに、父親よりも年上の男性に「自分が好きだ」と勘違いされるとは。
「私が公爵さまに懸想していると本気でお思いで?」
「まさか」
「あまつさえ色目を使っているだなんて」
金切り声を上げて非難してきた奥さまの声を思い出し、頭が痛くなる。
「急に抱きしめられた上に体をまさぐられても耐えろとおっしゃるのでしょうか。殴り飛ばさなかっただけ、マシと思っていただきたいです」
「わかっている」
「見目が良いだけの女は踏み荒らされる。おじいさまの教えに従って、私設騎士団内で鍛えていただいてようございました。そうでなければ、とっくの昔に手折られてしまうところでしたわ」
「まったく、我が娘は美の女神どころか戦女神か」
「お父さま!」
「わかっているとも、お前は悪くない!」
そういうわけで急遽お見合いをすることになったのだが、そう簡単にことは進まなかった。
***
「何か希望はあるか」
「あらお父さま、私の希望など通るものでしょうか。あくまで王命に基づく結婚なのでしょう?」
愛人にならないかと粉をかけてきた公爵さま。その奥さまは現国王陛下の妹君。身分の高さや兄妹という関係性から見ても、私に有利な結婚にはならないだろう。押し付けられた釣書の山を見て、ため息をついた。
「年がひどく離れているだとか、後妻としてだとかは気にしませんが……。お取りつぶし予定のところに放り込んですぐに処刑とかは嫌ですね」
「ざっと調べてみたが、後ろ暗いところのある人間はいないようだ」
「そうですか。意外と陛下は公平なお方なのでしょうか」
「お前は男をなんだと思っているんだ?」
「美人の涙に弱い、下半身でものを考える生き物」
「頼む、見合いの席では口を閉じておいてくれ」
涙目で拝んでくるお父さまの頭頂部の守りが、徐々に弱くなっていることは見ないふりをした。
「何かひとつ希望できるというのなら、お願いがあります」
「なんだ。顔か金か?」
「お父さまこそ私をなんだとお思いなのです。顔を重視するなら、部屋で自分の顔でも眺めておきますわ。私よりも美しい人間は、男女含めても少ないでしょうし」
「その自信が、ときどき羨ましくなるよ」
「お金はそうですねえ、ないよりあった方が良いですが。必要とあれば、どんな手段を用いてもお金を稼ぎますので。結構です」
「……お父さまは悲しい」
「ですから、王命で結婚をするのであれば、最初から契約結婚とさせていただきたいのです」
「は?」
「本当に好きな相手とは結婚できないというのは、貴族社会では往々にしてあること。ならば私が形だけの妻となりますわ」
「マライア、自棄になってはいけない。いつか心の底からお前を大切にしてくれる相手がきっと」
「理由は様々でしょうが、訳ありカップルの役に立てるなら本望です。毎日彼らの惚気話を聞くことができるなら、喜んで白い結婚をいたしましょう」
初恋もまだの頃から愛人の誘いばかり受けていては、結婚生活への憧れなど生まれるはずもない。私にとって恋愛というのは、小説や歌劇、もしくはひとさまの惚気話を聞くだけで十分なのである。だから簡単に結婚相手が決まると思っていたのだが……。
「意外と難しいものですのね」
「お前が相手の男性にちょっかいを出さなければ、うまくいっていたのではないか?」
「少ししなだれかかったくらいで押し倒そうとしてくる男性なんてクズです。ちょっとしたきっかけで浮気しますよ。相手の方には、見切りをつける良いきっかけになったと感謝してほしいくらいです」
「マライア」
「だからと言って、私をただの駒のように扱えると判断する人間もあり得ないですね。あくまで私は対等な契約者です。惚気話を聞くのもあくまで友人としてであって、上から目線で自慢されたいわけではありませんし」
「お前は本当に面倒くさい……」
父の頭頂部の輝きがさらに広がりかけたそのとき、私はようやく見つけたのだ。理想の結婚相手を。
***
そして話は冒頭に戻る。
「辺境伯さま、遠路はるばるようこそお越しくださいました」
「マライア嬢、あなたに結婚を申し込みたい」
その言葉に対して私が突きつけた条件に一瞬だけ目を見張った辺境伯さまは、続く言葉にどうも頭痛を覚えたようだった。お飾りの妻だからこそ、必要最低限の関わりだけを求めていたのかもしれない。でも毎日の惚気話は、しっかりたっぷり語っていただきたいのです!
「私に求婚に来られたということは、お飾りの妻を求めていらっしゃるということで間違いないはず。もちろんお飾りを求める理由はひとそれぞれですが、面倒な『結婚』や『見合い』を避けるためというだけでしたら、私はご協力できません。あくまであなたさまに愛する方がいらっしゃり、しかし何かしらの障害があってきちんとした形で娶ることができない場合にのみ、私は白い結婚の相手として嫁がせていただきます」
「……」
「想定外だったでしょうか。それならば、このことは口外しませんのでどうぞお引き取りを」
「想う相手はいる」
「まあ!」
「ただし、恋人同士どころか彼女は俺のことなど眼中にもない。相手の心など望むべくもないが、それでも俺は彼女のそばにいたい。他の女性とお見合いをするのも嫌だ。こんな理由でも、あなたの求婚者になる資格はあるだろうか」
「大丈夫です、最高の求婚者です! ちなみに、私が夜の相手を求めてきたらどうしますか?」
「……試し行動はやめていただきたい。男は、好きという感情以外でも、女性を抱くことができる生き物だ」
「合格ですね。お父さま、私、辺境伯さまに嫁ぎますね!」
「……本当にこんな娘で申し訳ないが、どうかよろしくお願いいたします」
お飾りの妻としてうきうきで輿入れすることになった私を、父と辺境伯さまは何とも言えない表情で見つめていた。
***
辺境伯領で始まった新婚生活は、意外にも穏やかなものだった。屋敷の離れに押し込まれることもなければ、いないものとして扱われることもない。驚くほど自然に、家族として受け入れてもらっている。
ここには、私の見た目のことをとやかく言うひとさえいなかったのだ。会うひとみんなに歓迎される始末。逆に怖い。
むしろ、「辺境伯さまが、やっと結婚されてめでたい!」「あなたが噂のマライアさまですね。お噂はかねがね」と本気で喜ばれてしまっている……。ねえ、みんなが聞いていた噂って一体何なの……?
そんな感じで始まった新婚生活だが、辺境伯さまは日がな一日私のそばにいる。いや、想いびとさまの近くにいなくていいのですか? 何ですか、その微妙そうな顔は。
「せっかくですので、お相手のかたにお仕事もお手伝いしていただいた方が良いのでは? あくまで私はお飾りですし、内向きのことを掌握しても仕方がないのではないでしょうか」
「ああ、もちろんそうだが、彼女にはまだ俺の気持ちは伝えられていなくて……」
ええっ、まだ進展ないんですかとツッコミそうになるのを慌ててこらえる。辺境伯さまは、なかなかのイケメンだ。王都の貴族とは異なる髪や瞳の色は珍しいかもしれないが、それを差し引いても女性にモテる類の容姿をしていると思う。そんな男性に口説かれて、ちっともなびかない女性などいるのだろうか。
だが私から目を逸らし、非常に言いにくそうな様子にぴんときた。なるほど、高位貴族の常識に疎い身分の方というわけか。それならば女主人としての采配を期待することは確かに難しい。
「辺境伯さまと想いびとさまがお嫌でなければ、私が今後もお手伝いいたします。これは私が彼女を差し置いて女主人として認められたいという意味ではなく、あくまでおふたりの生活をお手伝いするためだとご理解ください」
「……ああ、もちろんだ」
わお、超絶渋い顔をしている。
やっぱり愛する女性以外の女に家の中を引っ掻き回されるのは嫌よね。とはいえ彼女ができないというのであれば、残念ながら仕方がない。諦めていただこう。
それが嫌なら別途教育を受けてもらうしかないでしょうけれど、無理に教え込んだところで成果が上がるとも思えないし、いっそこのまま辺境伯さまの癒し担当でいてもらったほうが良いような気もする。
「どうせなら、辺境伯さまの想いびとさまも、こちらにいらっしゃったらよろしいのに」
「……いや、彼女は……」
「ああ、やっぱり私のような人間が屋敷にいると怖いですよね。こちらから虐めるようなことはあり得ませんけれど、派手な顔立ちはどう考えても悪役顔ですし、怖がられるのは仕方がありません」
ああああ、仲良くなりたかったのにいいいいい。ガールズトークと恋バナが実現しないことを悶絶して悔しがる私のことを、辺境伯さまは生温かい目で見ていた。
辺境伯さまは私に想いびとさまを紹介してくださることはなかったが、約束通り毎日惚気話を語ってくれた。加えて、お相手への贈り物へアドバイスを求められることもしばしばだ。それこそドレスに宝石、花束にいたるまで……。
「あなたは、どう思う?」
「お会いしたことがないので、あくまで私の好みという形でしかお答えできませんが……」
「可愛らしい色やデザインが好きなのだね」
「ええ、ですが全然似合わなくて。この顔には黒や紫、深紅のほうがしっくりくるんです」
「そんなことはないと思うが。気になるようならば、濃紺などはどうだろうか? あなたの凛々しさが引き立つ色だ」
特産だという絹織物を見ながらドレスの話をしていたら、想像していたよりも盛り上がってしまった。辺境伯さまといえば、いつも無愛想で仏頂面と言われていたが、一緒に過ごしてみればそんなことはない。柔らかな笑みで細やかな気配りだってできるひとだ。私の前で惚気るときでこの調子なのだから、お相手の前ではどれだけとろけるような笑みを見せていることだろう。
はっ、危ない危ない。あやうく、ふたりの仲をぶち壊すとこだったわ。
「いけませんよ、辺境伯さま。想いびとさまへのプレゼントを私に選ばせるなど愚の骨頂です。それをやったら最後、相手にフラれると覚悟してください」
「そんなことになるのか?」
きょとんと目を丸くする辺境伯さま。ここまで一途に想いを向けられる想いびとさまというのは、一体どのような方なのか。きっと私とは全然違う、守ってあげたくなるような儚げで可愛らしい女性なのだろう。
「いや、私の好みはどうでもよくてですね。お相手の好みが大事なのでは?」
「俺も最近知ったことだが、彼女は可愛らしいものがお好きなようだよ」
「あら、私と同じですね」
「そうだな。彼女は自分の欲しいものをちっとも口に出してくれないんだ。欲しいとただ一言ねだりさえしてくれたら、国を敵に回してでもすべて叶えてあげるのに」
「お相手が、お姫さまになりたいと言いださないように願っておきますね……」
辺境伯さま、好きなひとにねだられたら王位だって簒奪しそうで怖いわ……。しかも、意味深に口の端をあげておられるし……。もう、想いびとさま、ちゃんと辺境伯さまの手綱を握ってくださいませ!
***
辺境伯さまとの生活で、私が不満を覚えたことは一度もない。むしろこれ以上なく大切にしてもらったと思う。
女だてらに剣を振り回すことも、感心されこそすれ否定されることなどなかった。辺境伯さまにいたっては、笑顔で剣の稽古をつけてくださったくらいだ。
輿入れにあたりひとつだけ誤算だったこと。それは、辺境伯さまがとても優しくて、人間的にも好ましいひとだったことだ。そう、私はいつの間にか彼を好きになってしまっていた。
本当になんてことかしら。一番ダメなパターンよね。「振り向いてもらえなくても、愛するひとを恋い慕うあなたが好き」「事情があって表立って一緒になれなくても、想いあうあなたがたが好き」って言っていたのに。同じ口で辺境伯さまを好きになってしまったとか言えません。気持ち悪いでしょう、そんなの……。
気がついた瞬間から持て余してしまった恋心。これは飲み込んで、今まで通り生きていくしかない。そう思っていたけれど、すみません、3日でギブアップしました。
いやね、ただの友人や家族なら惚気話はいくら聞いても幸せですよ。でも絶対に報われないとわかっている状況で相手の惚気を延々聞くことになるとか、なにこれどういう生き地獄なの? この条件で結婚をゴリ押しした私ってなんなの、バカなの?
おかげで人生で初めて、胃を壊したわ。高熱の時でも食欲が減退したことがなかったから、ご飯を食べたくない理由がわからなくてびっくりしてしまった。
しかも辺境伯さまは、私が食べられるものはないかと、滋養のあるものを各地から取り寄せる始末。周囲はまるで私が妊娠したのではないかとお祭りムードになってしまうし、針のむしろよ。
さらに体を動かせば気持ちも晴れるかと思い、辺境伯さまの目を盗んで庭を駆け回り素振りをした結果、思いっきり捻挫。しこたま怒られたあげく、お世話係が私付きのメイドから辺境伯さま本人に変更になりました。本当に弱り目にたたり目よ。神さま、お助けを!
結局天啓はなかったので、自力で解決することにしました。
「マライア、あなたが呼んでくれるとは珍しい。何かあっただろうか。庭に出たいなら、俺が抱えていこう」
呼びませんよ、呼べるわけないでしょう。髪結いから着替えにお風呂まで。嬉々としてお世話したいと言われて、平気でいられますかっての。
「辺境伯さま、すみません。この結婚の契約内容についての確認なのですけれど」
「ああ、何か足りないものがあっただろうか。社交界とは縁遠いこのような辺境だが、王都の商会を呼びつけて買い物をすることもできる。さっそく、手紙を出して」
「いえいえ、全然そういう意味ではありません。むしろこれ以上、私にお金を使ってもらっては困ってしまうのです」
「あなたは欲がなくて、俺のほうこそ困ってしまうな」
無欲どころかあり得ないほど強欲なんです……。だって欲しがってはいけないものを欲しがっているんですから。辺境伯さまの信頼が辛い。
こんなに丁寧に接してもらったら、勘違いしたくなる。もしかしから、脈があるのかなと想像してしまう。私に声をかけてきた男性陣も同じように一喜一憂していたのかなと思うと、ちょっと憎めなくなってしまった。ただし、公爵さまを始めとする暴行未遂犯たちは除く!
「マライア?」
疑われないように、マライア嬢ではなくマライアと呼ばれるようになってしばらく経つというのにいまだ慣れない。辺境伯さまに呼ばれただけで、私の名前が宝石のように美しく感じてしまう。
もう本当に重症すぎる。やはり、離婚してもらうより他に方法はないのだろう。辺境伯さまにこんなに愛されている想いびとさまがちょっとだけ憎たらしい。公爵さまの奥さまも、こんな気持ちを味わったんだろうなあ。私の場合は、悲しいことに誤解なのだけれど。
「あのですね、辺境伯さま。私、この契約結婚を見直したいと言いますか。大変申し訳ないのですが、離縁をお願いできないかと思いまして」
「……は?」
そう思って、辺境伯さまにご相談することにしたんですが、どうしてそんな顔で怒っていらっしゃるんでしょうかね?
***
「何が不満だったのだろうか。あなたが契約結婚を望むから、俺は待てをしたまま、ずっとあなたのそばにいるつもりだったのに」
「辺境伯さま? え、ちょっとなにをっ」
結婚式でさえ唇に近い頬をかすめるような口づけだったというのに、逃げられないように強く抱きしめられ、深く口づけられる。
いくら体を鍛えているとはいえ、国境の守護神と言われる辺境伯さまには私もさすがに敵わない。そのままソファーに押し倒された。えーっと、これは控えめに言って貞操の危機では?
正直、似たような状況になったことはいくらでもある。私を男好きだと勘違いした人間は、ちょっと抵抗したところで「いやよ、いやよも好きのうち」などと都合のいい解釈をされた。だからこそ、私は自分の身を守るために強く、たくましくなったのだ。
でも、相手は辺境伯さまなのだ。
私以外に愛するひとを持つ、手の届かないひと。
――男というのは、好きという感情がなくても女性を抱ける生き物だ――
そんなことはわかってる。書類上の妻がいなくなっては困ることが辺境伯さまには多すぎるのだ。万が一妊娠したら、私を縛りつける大きな枷になる。
一瞬、それでもいいかとも思った。その身に触れることさえ叶わないはずの相手と肌を重ね、さらに子どもを宿すことまでできたなら、そこに愛はなかったとしても私は幸せになれる。
けれど、やはり無理なのだ。この事実を知ったとき、辺境伯さまの想いびとはどう思うだろうと。ようやっと、辺境伯さまに心を開いてくれたその女性は、私に子がいることを知ったら彼の元から逃げ出してしまうのではないか。
だから、やっぱり受け入れることはできないのだ。私のためではなく、辺境伯さまのために。
「いけません、辺境伯さま。どうぞおやめください」
「……こんなことになっても、あなたは冷静なのだな。俺は、これほどの絶望を今まで生きてきた中で感じたことなどないよ」
冷静なもんですか!
自分の気持ちさえ持て余しているというのに、さらには想いびとさまの気持ちまで考えてしまって、頭の中はぐちゃぐちゃだわ!
「……俺に抱かれるのは、泣くほど嫌か」
「ふえ?」
気がついたら、涙が溢れていた。いろんなことで限界を超えていたらしい。私に泣かれたことで興がそがれたのか、辺境伯さまが引いてくれた。いつもの無愛想とは完全に異なるこの表情は、まるで泣き出す直前の子どものようで……。
「いや、あの、嫌というかそういうわけではなくて。こんなことをしたことがバレると、想いびとさまに嫌われますよ!」
「今まさに、その想いびとに離婚を切り出されている。これ以上、何を失うというんだ」
「……は?」
すみません、辺境伯さまは一体何をおっしゃっているのでしょうかね?
***
それからこんこんと話し合いを重ねた結果わかったこと。信じられないことに、辺境伯さまの想いびとというのは私のことだったらしい。ねえ、ちょっと嘘でしょう?
「まさか、辺境伯さまの」
「グスターヴァスと」
「グスターヴァスさまの『彼女』が私のことだったなんて想像もしていませんでした」
「もともと、あなたに求婚するために王都に向かうつもりでいたのだが。国境でまた小競り合いがあってな。社交シーズンの開始に間に合わなかった。しかも到着してみれば、すでに騒ぎが起きたあとときた」
「な、なるほど?」
「どうにかしてあなたに想いを伝えようと屋敷を訪ねたが、あなたは契約結婚を希望していると言う。あの時は頭を抱えるしかなかったよ」
それは本当にすみませんでした。今考えると、かなりとんでもない条件を突きつけてしまっていたと思う。それに付き合ってくれたグスターヴァスさまは、やはり紳士的な方だ。
「今、俺のことを優しいとか親切なひとだと思った?」
「はい」
「俺はあなた以外の人間には、別に優しくなんてないよ」
「ですがグスターヴァスさまのように、か弱き人々を守り抜く誇り高い方を、私は他に知りません」
貴族の中には領民を奴隷か何かのように考えているろくでなしだってたくさんいる。グスターヴァスさま以外の方が辺境伯だったなら、この国はとっくの昔に隣国に攻め落とされていたに違いない。
「それは、昔あなたが俺に教えてくれたことだよ」
「私が?」
果たして、私と辺境伯さまに接点などあっただろうか。首を傾げていると、楽しそうにグスターヴァスさまが色っぽく片目をつぶる。
「ずっと昔、俺が公爵家主催の夜会に出たときの話だ。辺境伯というのは、国にとって重要な立場ではあるが、上位貴族にしてみれば野蛮な連中に見えるのだろう。みんながひそひそと俺のことを嗤っていた」
「おかしな話です。辺境伯さまがしっかり国境を守っているからこそ、私たちは安心して暮らすことができるのに」
「ありがとう。そう言ってくれるひとが、もっと増えるといいのだけれどね。まあそんな雰囲気に嫌気がさして、庭に出たら女神がいたんだ」
「女神、ですか?」
「ああ、素晴らしい笑顔で暴漢をタコ殴りにしている戦女神がね」
「えええええええ」
すみません、私が想像していた方向性とは全然違うのですが!
「あなたは、下位貴族の女性に不埒な行いをしようとしていたとある貴族子息を諌めていたんだ」
「タコ殴りは、果たして『諌める』と言うのでしょうか」
冷静に考えると、とっちめるの間違いなのでは? それにグスターヴァスさま、さっきその貴族子息のことを「暴漢」っておっしゃっていましたよね……。
「そしてことが露見したとき、女性の名誉を重んじるため、あなたは助けた女性の名前を出すことなく、自分が襲われたから反撃したと話していた」
「まあ……。全然覚えていませんが、その流れは確かに私で間違いなさそうです。全部、見ていたんですか」
「ああ、何かあれば間に入ることも考えていたが、あなたは常に凛と前を向いていたよ。失礼な男は笑い飛ばし、それでもしつこくしてくる相手はいなしていたね」
「そこまで見ているのなら、お声をかけてくださればよかったのに」
「勇気が出なかったんだ。野蛮な辺境の武人と言われて卑屈になっているような自分には、あなたに愛を乞う資格があるようには思えなかった」
卑屈だなんて、今の堂々としたグスターヴァスさまからは縁遠い言葉にしか思えないのに。
「社交シーズンが来るたびに、似たような事例を目撃することになった。その度に警備の人間には注意を伝えていたし、こちらも気をつけて見るようにはしていたんだが、やはりあなたの出番がなくなることはなかった」
「あら、そういうことだったんですね。か弱い女性を狙う卑劣な人間が減ったような気はしていたのです」
「あなたの男好きの噂は、逆恨みした男性陣によるものだったのだろうね。あなたに助けてもらったことのある女性たちも心苦しくは思っていたらしい。とはいえ、下位貴族のお嬢さんたちでは、上位貴族の嫌がらせには対抗するのも難しい」
「でしょうね」
「こちらでも噂の出所は見つけるたびに潰していたんだけれどね。王都の人間は思ったより、阿呆が多くて困ったものだよ」
「いいえ、十分です。私が私としてあり続けるために、相手の言いなりにならないように生きてきました。それを知っていてくださっただけでなく、私を信じて後押ししてくださっていたなんて。何より嬉しいです」
グスターヴァスさまが少しだけ困ったように笑った。
「だが、今回は反撃が遅くなってしまった。あなたを手元に確保してから根回しを行ったが……。あなたが傷つけられたことを考えれば、さっさと公爵家の領地に攻め込んだ方が良かったかな」
内乱になるのでやめてください。その夜、いかにグスターヴァスさまが私のことを愛してくれているか、身をもって知ることになった。
***
「意外と王都までかかりますね」
「いくらクッションがあると言っても疲れるのではないか。さあ、ここへ」
「恥ずかしいから、お膝の上にナチュラルに誘おうとしないでください!」
「誰も見ていないのに?」
「乗ったら、それ以上のことをするでしょう!」
「当然だが」
なんだかんだ結婚して1年。今は王都に向かっている最中だったりする。
無理に社交の場に出る必要はないと言ってもらったのだけれど、私が心配だったのだ。こんなに素敵な辺境伯さまなのである。いくら一部で野蛮と言われていても、地位もあり見目麗しい。最近では武力だけでなく、政治力もつけてきているのだ。「あの性悪女よりも、わたくしのほうが良いのではなくて?」みたいな女性が出てこないとも限らないではないか。ここは私がしっかりとひっつき、虫除けしなければ!
「むしろ、さらに美しくなったマライアを連れて行くことのほうが心配なのだが」
「評判が地の底に落ちた私に声をかけるのは、クズ男だけですよ。むしろ、私に声をかけることでクズ男判定が出ますよ」
自分で言っておいてなんだけれど、もしかしたら私が社交の場に出ることで、虫除けどころか虫退治と称して面倒臭い女性陣が出てきてしまう可能性もあるのではないかしら……。失敗したかも。
頭を抱えていると、辺境伯さまが楽しそうにくつくつと声をあげた。
「あなたの評判なら、心配することはない。例の公爵家については、すでにおしどり夫婦という幻想は崩れ落ちている」
「え、嘘でしょう」
仲睦まじい様子が、若い女性の憧れだったのに? 年を取ったらあんな夫婦になりたいなと思うご夫妻ナンバーワンだったのに? まあ、公爵さまの実態はあんなんでしたけれど。
「あのあと、あなたに雰囲気のよく似た女性たちを公爵に近付けたんだ。もちろん女性たちには事情を話した上で、身体の危険が及ばないようにしっかりと護衛もつけてね。それで、まあ彼のおおっぴらにできない性癖などが明らかになった」
「私に雰囲気のよく似た女性たちですか……」
公爵さまの奥さまのあだ名って、王家の妖精姫だったはず。
いつまでも若々しくて可憐な方なのだけれど、ばーんとかぼーんとかは対極というか、非常に控えめでささやかな方なのだ。どこがとは言わないけれど。
「それで奥方さまのほうにも、あなたが被害者であることをようやっと納得していただけた」
「なるほど。それならば、シーズン中にお茶会に招かれることもあるかもしれませんね。全然気にしていないアピールをしつつ、私の辺境伯さまに手出し無用だとみんなに釘を刺してきます!」
「いや、俺が言いたいのはあなたの名誉はすでに回復しているということであってだな。別に俺のような人間を欲しがる女性はいないから心配する必要は……」
「何を言っているんですか。こんなに素敵なのに。やっぱりお茶会とかは無視して、辺境伯さまにひっついていようかしら」
「それは嬉しいが、どうせひっついてくれるなら……」
「ここは馬車です! 寝室以外ではダメです!」
待てをやめた大型犬のように、べったりと甘えまくりの辺境伯さまの期待に満ちた目を見て、私は明日は全身筋肉痛になることを覚悟した。
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