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番外編3 後日談でも、言えないことがあるのです



「んあああああ疲れた……名前に反して、無邪気すぎる」


 ヒューゴーが、芝生の上にどっかりとあぐらをかいてから、後ろに手を突いて空を見上げる。


「なんであんな暴れん坊なんだよ……」

「誰に似たのかしら」


 傍らでシーツを干すマリーが、そう言って微笑む。その足元で、五歳ぐらいの男の子が黙々と手伝っている。


「そら、俺とお前だろうなあ~」

「ふふふ」

「げんきでかわいいよ。はい!」


 男の子が、次の洗濯物を差し出すのを、マリーは微笑みながら受け取る。

 

「あら、ありがとう。アスランはそう思うの?」

「うん!」


 アスランと呼ばれたその男の子のサラサラとした黒髪が、朝の光の中で揺れている。暖かい心地よい風が通り過ぎていく、自然の豊かな中庭だ。

 洗濯カゴから一生懸命タオルを取り出そうと格闘している、小さなつむじを見守りながら、マリーはふう、とその大きなお腹を撫でた。二か月後には、また新しい命が産まれてくる予定だ。


「ぎゃーーー!」


 すると、中庭の向こうから尋常でない悲鳴が響いてきた。

 

「あんのばか!」

 

 ヒューゴーが飛び上がって駆け出すと同時に、茶色のポニーテールを跳ねさせながらこちらに走ってくる、七歳ぐらいの女の子がいる。

 

「ちちー! 変な虫いたーーーーーー!」

「虫かよ!」


 苦笑いのヒューゴーが抱き上げるその女の子の頬は、土で汚れている。


「薔薇の根っこが気になったの!」

「勝手に掘るなって、ローズマリー。薔薇の根はあぶねえし。うわ、手も真っ黒じゃねえか!」

「んむうう」

「うあこら! 俺に泥をなすりつけるな!」

「とーさまー! ぎゅー!」

 ケタケタ、きゃっきゃと笑うローズマリーを、ヒューゴーは

「このお転婆ローズめ!」

 と肩にかついで、マリーのもとへと戻る。

 

「あらあら。またお洗濯しなくちゃね?」

「っ! ごめんなさい、母さま……」

 ヒューゴーの肩の上で途端にしょんぼりするローズマリーに、

「僕が手伝ってあげるから!」

 と笑顔を向けるアスラン。その瞳は――深紅だ。


「アスラン様は、お勉強のお時間でしょう?」

 マリーがよっこらせ、とかごを持ち上げると、途端にローズマリーがヒューゴーの肩からひょいと飛び降りて、代わりに持つ。

「うっ。ばれた」

「ふふ。さあ、先生がお迎えに来る前に、お部屋に戻りましょうね」

「ううう。今日は数の勉強なんだ。にがて」

「うわ。そりゃー俺もやりたくねえな!」

「ヒューも?」

「おう。終わったら、また剣技教えてやっから。な?」

「ほんと! やった!」

「……とーちゃんには内緒な」

「うん!」

 

 ワクワク顔は母ちゃんにソックリだな、とヒューゴーは笑う。

 

 ――自然が豊かなこの土地で、穏やかに暮らす毎日が、ようやく皆に訪れていた。


 ここに至るまでが本当に大変だったなあ、とマリーに目線を向けると、微笑まれた。

 

「幸せね」

「ああ」


 

 ヒューゴーが仰いだ青い空を、白い鳩が数羽連れだって飛んでいく。

 どこかでこの光景を見た気がするが、

 

「みんなー! ただいまー!」

「レオナ様!」

 

 主人の声がして、すぐに忘れてしまった。




 ※ ※ ※




「婚前にやましいことをしたような奴など、認めんぞ!」

「していません」


 無駄にキリッと返事をするルスラーンを、恥ずかしくてとても見ていられないレオナは、真っ赤になってがばり! と前かがみに伏せた。


 ローゼン公爵邸の、応接室。

 どかりと腰掛けるローゼン公爵ベルナルドは、腕組みをして、こめかみには青筋が浮き出ていた。

 レオナはソファに腰かけ、そのベルナルドを泰然と見返すルスラーンの横に、寄り添っている。

 

「んもう! お父様! おやめくださいませ!」


 伏せたものの、沈黙に耐え切れず起き上がって叫んだのは、無作法であるが許して欲しい! と心の中でも叫んでいるが、二人はレオナのことなどそっちのけで、剣呑とした空気のままだ。

 

「ぐぬぬぬならば、周囲の者の態度はなんなのだあああああ!」

「さあ。分かりかねます」

 

 またも、しれっと答えるルスラーン。

 レオナからしたら、恥ずかしいことこの上ない。


 辺境領ダイモンにて起こったスタンピードを、ルスラーンが勘違いによる『バーサーカー化』でほぼ一人で殲滅させた。その後の夜を二人で過ごしたのだし、レオナの態度からも何があったかはお察し、とばかりに周りは振る舞ったが――


「お父様。恥ずかしすぎるのですが本当のことです……私が、待っていただいておりますの。ルスラーン様は誠実なお方ですわ。ですから」

 

 結局()()で、『これが、初夜になる……?』とレオナが言ったら、ルスラーンは『ぐは……そうか、そうだよな、大事だよな……』となんとか止まってくれた。(シャルリーヌに詰め寄られて打ち明けたら、「レオナって恐ろしい悪魔ね! 冥界神もびっくりよ」と呆れられた。)

 人には言えない、あんなことやこんなことは致したが、一線は超えていなかった。


 どうやらレオナの態度で、ベルナルドは色々悟ったようだ。諦めたように、片眉を下げる。


「……ルスラーン」

「はい」

「本当に愛しているのだな?」

「何度も申し上げた通り。この上なく」

「何もかも、受け入れるのだな」

「ええ。イゾラも、ゼブブも、全てを共に背負いたいのです」

「仕方ない」


 はああああ~と長すぎる溜息を吐き出してから、ベルナルドは腕をほどき……傍らに立っていた執事のルーカスに顎で指示を出した。

 

「ったく、フィリベルトの思惑通りなのがまた恐ろしいが」

「えっ、お兄様?」

「レオナ。フィリはずいぶん前からルスラーンを推していてなあ」

「えええ!」

「……ということは、あの復興祭での挨拶もフィリベルトの戦略でしたか」


 ルスラーンが苦笑すると、ベルナルドがにやりと返す。


「一目惚れには、効果的であっただろう?」

「っ」

「へ!? 一目惚れ?」

「だー! ハズイ」

「え、だって! 私もだし」

「マジか!」

「マジですわ」

 

 ふは! と笑うルスラーン。


「なんだよ、俺の悩み、全部無駄だったのか」

「悩み?」

「レオナが選ぶのは、ゼルかブルザーク皇帝かなと……」

「そんな風に思っていたの?」

「あーあーあー。もう後でやってくれ。ほら」


 ベルナルドが、雑に差し出した書類は。


「署名したぞ。で。式はいつにするんだ?」



 ――あれだけ待った婚約届なのに! とレオナが怒って、応接室にブリザードが吹き荒れたのは当然だろう。


 

「あー、やっと婚約者になれた……長かったな……」


 応接室を出て、レオナの私室でお茶をということでようやく二人きりになった。

 スタンピードの後も、残務や近衛筆頭としての任務、王太子と王太子妃の結婚式などが怒涛の如くやってきて、相変わらずろくに会えなかった二人。

 だがおかげでローゼン公爵邸の再建が終わって、こうして王都でゆっくりと会えるようになった。


「ええ。嬉しいわ!」


 スイはお茶の準備を終えると、気遣ってそそくさと退室してくれた。

 今までと違って、対面ではなく隣に腰掛ける。

 ダイモン伯爵邸での夜のお陰で二人の距離はだいぶ縮まったものの、レオナにとってはすべてが初めてのことで――軽く触れてよいのか、こちらからキスをねだっても? と実は脳みその中でぐるぐると悩んでいた。


「なあ……まだなにか、悩んでいるのか?」

「うっ」

「言えないことか?」

「ちち、ちがくて! は、はずかしい」

「なんだよ今さら。全部見ただろ」

「っっっ!! もう!」


 レオナが思わず「ぼか!」と肩に拳骨を落としたら、ルスラーンが「うは、結構いてえ!」と笑った。

 脳内に見事な腹筋がまたチラチラと浮かびつつ、頬を真っ赤に染めてしまう。その横でニヤニヤするルスラーンが小憎たらしく、もういいや! と半ば投げやりで切り出してみる。

 

「あのね、ルス」

「ん?」

「キスって、いつでもしていいのかな?」


 ルスラーンは、額に手を当ててのけ反った。

 

「おま……ははあ。俺の理性の限界を試しているんだな? そうなんだな。よし、受けて立つぞ」

「ちーがーうー!」

「ははは」

「もー!」

 

 レオナの尖らせた唇に、ちゅ、と軽いキスが降る。


「いつでも、好きにしていい。俺も、好きにする。な?」

「ふふ、そっか! ありがと」

「ああ……こちらこそ」


 ――と、遠慮なくお互いにキスを繰り返していたら

「すげー殺気が近づいてきたぞ」

 とルスラーンが苦笑して離れると同時に、強めのノックでヒューゴーが入ってきた。


「いい加減にしやがれですよ」

「あ?」

「婚約者様とはいえ、最低限の節度は持って接していただきたいですね」

「あのなあ、俺はようやく……」

「ようやくもクソもねえんですよ。勝負は一度とは言っていません。結婚前にもう一度手合わせ願います」

「上等だ! 何回でもやってやる」

 

 なかよくしてえ~、というレオナの声は、二人には届かなかったようだ。

 以降、何度となく手合わせという名の小競り合いが、繰り返されることになるのである(時々リンジーも混ざる)。


 


 ※ ※ ※




「父上と母上は、結婚するのも大変だったのですね」


 アスランが行儀よくディナーを食べる様を見ながら、ルスラーンとレオナは苦笑する。


「そんなに閣下は、怖いお方なんですね。知りませんでした」


 どうやら辺境領を散策している際、やっとレオナが来てくれた、と領民が話しているのを聞いたらしい。

 だから包み隠さず、婚約に至るまで公爵閣下の許可が下りず大変だったところから話し始めた。

 

 五歳にしては利発過ぎるのは、家庭教師からも指摘されている。レオナは、気にせずアスランのあるがままに受け止めているが。


「俺には怖いが、アーシュには優しいだろう?」


 ルスラーンが眉尻を下げながら言う。

 

「はい」

「ならば、優しい人と思って良い」

「父上は、怖いですか?」

「怖いなあ」

「ダークロードスレイヤーにも、怖いものがあるんですね」

「あるさ。恐怖がなくなったら、人間じゃない」

「でも父上が、人間離れしていると言う者もいました」


 スタンピードでのバーサーカー化を直接見た者は、未だに人外のごとき戦いだったと語る。


「……アーシュは、俺が怖いか?」

「いいえ。大好きです」

「それなら良かった。俺も大好きだぞ」

「さ、遅くなるわ。アーシュ、寝室に行きましょう」


 アスランは、ルスラーンに丁寧にお休みの挨拶をし、レオナにぱちりとウインクをする。


 そうして、自室のベッドに入りながら、

「黒ポンコツ、やっと風格出てきたね」

 イタズラっぽく笑うのだ。

「こら、ゼブブ。だめよ。戻って?」

「ふふふ! 少しだけ。レオナ。抱っこして」

「分かったわ。少しだけよ?」


 眠りにつく前のわずかな時間。

 災禍の神を宿した幼子は、来るべき次の災厄に備えて、愛しい薔薇魔女の抱擁をねだる。



「やっぱりあれ、完全にゼブブ宿してるだろ……俺、いつ打ち明けられるんだ? ……打ち明けてもらえるのか?」

 


 ダイニングで独り、ワイングラスを傾けながら、ルスラーンは悩むのだった。



 

 お読み頂き、ありがとうございました。

 ゼブブの別れの挨拶が「またね」だったことを覚えていらっしゃったら、相当の薔薇魔女フリークです!笑

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