番外編2 溺愛は、任務の後で 前
「んあああああ……」
王宮内にある、近衛騎士の詰め所。
そこで書類にまみれながら、ルスラーンは机に顎だけを突いて、だらしなく両腕を下にだらりと垂らす姿勢で座って? いた。
「あらら」
シモンがそれを見て、呆れた声を出す。
「どうされたんです、筆頭」
「……シモンさん……俺、向いてねえす……」
「レオナ様がこの姿を見られたら、どう言うでしょうねえ」
「うっ」
「ま、婚約もまだですからね。ディート様、近々またマーカムに来られるらしいですし? 女心は変わりやすいですからねえ」
「ぐぬぬぬ」
めきゃ。
「あ、やべ」
机の天板が、顎だけの力で真っ二つになった。
「あらあら。発注はご自分でどうぞ。巡回に行ってまいりますね」
「はい……」
――くっそ忙しいんだよ!
心の中で毒づくルスラーン。
近衛筆頭とは、強いだけでは務まらない。マーカム王国のあらゆる規範、式典、伝統を頭に入れなければならないのだ。勉強だけで一日のほとんどを費やし、その後鍛錬。ジャンルーカからの引き継ぎ、団員への教育もある。巡回任務を免除されているとはいえ、本当に目まぐるしい毎日だった。
そんな時。
「緊急伝令! 緊急伝令です!」
騎士が、バタバタと近衛の詰め所に走ってきた。
「どうしたっ」
「大変です! 北の森でスタンピードの予兆ありとのこと!」
「なっ、んだと! 情報はどこからだっ」
「ダイモン辺境伯ヴァジーム様です! 団長が、至急本部へ参集して欲しいとのこと!」
「わかった。ありがとう」
即座に立ち上がって衣服を整え、走り出す。
ルスラーンは全ての思考を停止して、目の前の緊急事態へと意識を集中させた。
※ ※ ※
――レオナちゃん、レオナちゃん!
マーカム南の別荘地で、やがて産まれてくる弟か妹、そしてマリーの子のために刺繍に勤しんでいたレオナ。
頭の中に突如響いてきた声は……
――!? リサちゃん?
――そ。大変だよ! なんか、やばいのいっぱい生まれた気配、した!
――やばいの、いっぱい?
――うん! それに、ブラックさんが、呼んでるの。
――ブラックさんて……まさか、ブラックドラゴンのこと?
――そうそう! ブラックさんのとこ、いっぱいいっぱい、やばいの!
「まさか……」
――スタンピードね!!
――えっと、よくわかんないけど、とにかく急げって言ってた。ごめんねリサ、もう飛んじゃダメってみゆちゃんに言われてて……
――いいのよ! ありがとうリサちゃん! お家できたら、遊びに行くからね!
――うん! ありがとっ!!
レオナは、部屋から出て叫んだ。
「ヒューゴー!」
バンッ、と別の部屋から飛び出てきたヒューゴーは、なぜか左頬が赤い。よく見ると、手形だ。
「どうしましたっ」
「……ヒュー、貴方、まさかまた」
「うぐ」
ヒューゴーは、マリーの大きくなったお腹に耳を貼り付けたまま離れないので、ひっぱたかれる日常を送っている。
「だって、お腹の中から俺のほっぺを蹴るんすよ! 可愛くて!」
――絶対女の子だな。完全に遺伝だな。
「ごほん。……今、リサちゃんから連絡があったの」
「リサちゃん、て……え!」
途端にヒューゴーに緊張感が走る。
「北の辺境にスタンピードの予兆ありよ。お兄様に連絡を」
「はっ!」
さすが専属侍従。瞬時に親バカから仕事モードに切り替わり、通信魔道具のある部屋へと走っていく。
部屋から出てきたマリーが、それを見送った後で振り返る。
「レオナ様……まさか」
「マリー。行ってくるわね」
「っ……ヒューゴーも連れて行ってください」
「でも」
「任務です。お願いいたします」
「わかったわ」
ここから北の辺境領まで、馬で三日はかかる。馬車なら六日だ。
「……間に合えば良いのだけれど」
レオナは大きなため息をついてから顔を上げると、スイに荷造りを指示した。
※ ※ ※
騎士団本部の、会議室。
コの字に並べられた木の机の正面に座るのは、騎士団長ジョエル・ブノワ。
その右に副団長ジャンルーカ・ファーノ。
左に、魔術師団団長ラザール・アーレンツ。
ルスラーンが入室した時には、既に第一騎士団師団長セレスタン・オベール、第二騎士団師団長ウルリヒ、第三騎士団師団長リンジー、そして魔術師団副師団長ブランドンも着席していた。
「遅いよー、ルスー」
ニコニコと言うジョエル。だが、その目は笑っていない。
「申し訳ありません!」
言いながら着席すると同時に、ジャンルーカが口を開いた。
「皆、伝令で聞いていると思いますが、先ほど北の辺境伯ヴァジーム卿からスタンピードの予兆ありとの緊急通信が入りました」
全員が頷く。
「至急援軍を編成し、送りこまなければなりません。前例から言うと、物量にまず耐えること。そして何日間にも渡り戦い続けることが必要です」
ジャンルーカの言を受けて、ラザールが付け足す。
「……殲滅重視を推奨する」
静寂が、会議室を包んだ。
「あー。……ってことは、バフ(強化魔法)が得意な部隊編成ですねえ」
ブランドンがそれを破って穏やかに言うと、
「第三は出番なさそやな」
リンジーが腕を組む。
「ブルザークとガルアダへ援軍要請するなら、うちが迎えにいきますが」
ウルリヒが言うと
「頼みたい。第一は、王都周辺の混乱を抑えるのに注力せざるを得ないだろう」
セレスタンがそれに同意しながら頭をかいた。民衆もそうだが、貴族たちがパニックに陥るのは避けなければならない。
目を閉じて全ての発言を聞いていたジョエルが、深く息を吐いた。
「ジャンは、宰相閣下を通じて周辺諸国に援軍要請。リンジーと協力して情報統制も頼む」
「は!」
「了解やでえ」
「魔術師団は、前衛にバフ。後衛に回復部隊。薬草、ポーションもギルドに要請してかきあつめてくれ」
「承知した」
「お任せを」
「第二は国境巡回と援軍の導線確保」
「はっ」
「近衛と第一は王宮と王都の警護強化」
「はっ」
「……」
一人だけ、返事ができないルスラーン。
「……はー。ルス?」
「……っ」
「もー。わかってるよー。セレスタン!」
「はっ」
「悪いけど、近衛のことも、頼むねー」
「はは。わかってた! おいルス、後で酒おごれよ」
「! あざっす! カトリーヌさんが許してくれたら、いくらでも」
(セレスタンは恐妻家で有名で、妻であるシャルリーヌの姉のカトリーヌは、本当に怖い。騎士団員たちからも、恐れられている。)
「っ! おんまーーーえーーーはーーーーーーーー!」
がばり、とセレスタンがルスラーンの首を羽交い絞めにして、頭頂を拳でグリグリする。
「いだだ! いだだだ!」
それをガン無視して続ける団長。
「主力はルスラーンと僕で行くからねー」
「!」
「……だろうと思ったぞ」
ラザールが、半眼鏡を押し上げる。
「ぱぱっと撃退しちゃおー。ね、みんなー?」
ジャンルーカ、セレスタン、ウルリヒ、そしてリンジーで王都を守る。
前線は、ジョエル、ラザール、ルスラーン。
「ほなら、えげつない結界敷くんは、ありやんな?」
リンジーがにやにやしている。
「……あからさまなのは、やめてねー?」
「っしゃ。新しいのん試すええ機会やわ~」
じゃあ散会するか、という雰囲気になった時に立ち上がるのは。
「あの!」
近衛筆頭で一番年下の漆黒の竜騎士、ルスラーンだ。
「みなさん! ありがとうございます! どうか、宜しくお願いいたします!」
深く頭を下げる彼に、全員の微笑みが優しい。
「……礼を言うことではない。王国の危機だ。全力で対処する」
「ザール君つめたーい! ま、でも、そーいうことー! ……全員、気を引き締めろ! 散会っ!」
「「「「「おうっ!」」」」」
頭を下げたまま戻れないルスラーンの肩を、優しくぽんぽんと叩くのはジャンルーカだ。
「さあ、一刻も早く、助けに行きましょう」
「はい!!」
※ ※ ※
「もっと良い時に行きたかったな」
馬上のレオナは、そう溜息をつく。
馬車で行くことも考えたが、一刻も早く北の辺境領ダイモンへ行くために、最低限の荷物だけで馬を駆っている。
先頭を走るのはヒューゴー。マリーと離れたくないなら残って良いのよ、と言ったら
「冗談はやめてもらえますか」
と割とガチで怒られ、さらに背後を走るテオとスイに無理してはダメよ、と言ったら
「レオナさんだけには、言われたくないですね」
「おなじく」
と冷たく言われてしまったレオナである。
――あれーえ? 私、ご主人様じゃなかったのかしらーん? トホホですわよー!
おそらくこんなに侍従とメイドに怒られる主人も珍しい、というかいないであろう、とひそかに落ち込む。
挙句の果てにフィリベルトには
「だろうと思ったよ」
と通信魔道具の向こう側で呆れた声を出され
「無理して倒れたら、外出禁止令を出すからね」
と脅されている。
「今夜はとりあえず、この町で宿を取りましょう」
ヒューゴーが、とある町の手前で馬の速度を緩めた。
最短ルートで北上するレオナたちは、王都の西をかすめて北へ直進している。
日が落ち始めたので、その足を止めることにしたようだ。
「野宿でも構わなくてよ」
レオナの発言に、全員が驚いて馬を止める――ブルルルル、と馬たちが大きく鼻を鳴らし、ちょうど地面に生えている草を食んだ。
「……あのねえ……俺がルスにぶっ殺されますって」
ヒューゴーに同調して何度も頷く、テオとスイ。
――なんだろう、このアウェイ感!
「じゃあ、夜通し走るのはどう?」
「はあ?」
「回復魔法しながら。ね」
「……それ、馬には効くんすか」
「じゃーん!」
レオナの手の中には、フィリベルトが開発した馬を補助する魔道具が、四つある。
「じゃーんてなんすか。――は?」
絶句したヒューゴーの代わりに、スイが冷たい声で言った。
「確信犯ですね」
「へへへー」
「ヒュー兄さん、あきらめましょう」
テオが、ヒューゴーを慰めている。
「いやだから、殺されんの俺なんだけどおおおおお!!」
「『殺さないで! 私のわがままだったのよ!』て言うから。ね?」
「んだから、そーいう問題じゃねえんだっつの! あああ! もう! 知らねーぞ!!」
ヒューゴーが馬から降りると、レオナからひったくるように魔道具を奪い取り、順番に取り付けていく。
――レオナには、分かっている。
ヒューゴーは未だに、北の森を再訪できていない。
勝手ではあるが、彼の思い残しを回収する旅にしたい、という思いもあるのだ。
「うし。……行きますか」
顔を上げるヒューゴーにレオナは
「ヒュー。ずっと一緒にいるからね」
と告げた。
ヒューゴーは何度か目を瞬かせた後に、
「……はい」
と頷いた。
※ ※ ※
「ソゾン! 前線はどうなっとる!」
その頃、ダイモン伯爵ヴァジームは、辺境伯邸の自室の通信魔道具前で怒鳴っていた。
『どんどん湧いてきてます! このままでは、明日の朝には森から溢れてくるかと!』
辺境騎士団の団長に就任したソゾン(復興祭交流試合で、ルスラーンと準決勝で戦った相手)が、緊迫した声で報告する。
「ちい。結界はどうじゃ!」
『想定よりはるかに多いです! 持って二日が限度かもしれません!』
「くそう、魔石をありったけ支給して回れ!」
『は!』
「前線に辺境騎士団を送り届けつつ、住民たちを最優先で避難させろ!」
『おまかせを!』
なぜか、マーカム王国北の森に何十年かに一度起こる、スタンピード(魔獣襲来)。
それからこの土地を守ったのが、『雷槍の悪魔』の異名を持つ『英雄』ことヴァジーム・ダイモン。ルスラーンの父親だ。ブラックドラゴンスレイヤーでもある、まさに先駆者である。
自身の経験からも、何度も辺境騎士団に訓練をしてきたし、住民たちへもその恐怖を伝えることと避難方法の確立、備蓄を促してきた。領主として、できうる限りのことはやってきた、その自負があった。
「なんだこの凶悪さは……」
だが、以前のスタンピードとは比べものにならない脅威が、襲い掛かってきている。
魔獣の量も、湧く速さも、その一体一体の強ささえも、段違いに恐ろしくなっているのだ。
「何が起こっておるのだ……まさか……奈落戦争の名残ではあるまいな」
嫌な予感とともに、窓の外を見やるヴァジームの眉間には、深い深い皺が刻まれている。
「頼む……間に合ってくれ……」
辺境領の武力では、耐えることで精いっぱい。王都からの援軍とともに殲滅に移行しなければ、とてももたない。
ヴァジームは大きく息を吐いてから、壁に立てかけてある雷槍に目を移した。
「あれが振るえなくなったら引退しようと思っておったが、どうなることやらじゃのー」
うぞうぞと蠢く大量の邪悪な存在を感じながら、ヴァジームは独り、溜息をついた。
久しぶりの番外編いかがでしたでしょうか?
イラスト置き場に、ルスラーンの絵を置きました!!
本当に理想通りに書いて頂きましたので、ぜひぜひ、ご覧ください!!