〈200〉終末の獣6
「?」
レオナは目覚めた、と感じた。
正確には、何も見えないので、目が覚めたかどうかは、分からない。が、確かにまばたきをしている感覚がある。
「ここ……は……?」
呟いてみるが、音は空気に吸収されてしまうかのように、響かずくぐもっている。
確かに、ヒルバーアに腹を刺されたはずだ。
また中庭でなんて、とザウバアに刺されたことを思い出して、思わず自嘲の笑みがこぼれる。
恐る恐る、両手を上げてみる。少しずつ広げてみる。ふと、手のひらが硬い壁のようなものに当たった。そっと触れながら、その手を前後左右に少しずつずらしてみる。伝い歩きしてみると――四方を壁に囲まれた、小さな部屋のような場所かな? と検討をつけた。
「真っ暗ね……」
一筋の光すら差さない、暗く静かな場所。
息苦しくはないが、閉塞感がある。
「こんなところにずっと居たら、頭がおかしくなりそうだわ」
本心がつるりと口から出てしまった。
すると、目の前にキラキラと輝く小さな白い石が現れ、浮いている。
「なにかしら?」
そっと、手探りで触れてみる。
つんつん、とつついてみてから、つまんでみた。
「綺麗……ナジャ君のピアスに似てる」
――まるで返事をするかのように、ぱあ、と光った。
「え? これ、は」
途端に、目の前に映像のように浮かんだのは、見覚えのある庭の鉄柵。
「うち、だわ……」
映写機のように映し出されたその画像は、静かに、なめらかに動いている。レオナの見慣れた風景だ。ローゼン公爵邸の、一番外側の柵が横に流れていく。ゆっくり歩いている、誰かの目線のような動画だ。
執事のルーカスが魔石を練り込んだ鉄柵は、触ると痺れる仕掛けになっているので、小さい頃興味津々で近づいては怒られたことを、懐かしく思い出す。
特にその頃は、落ち込んだら必ず行っていた「泣きスポット」も柵の近くにあって……部屋で泣くと皆が過剰に心配するからと、庭を探検していたら見つけた、秘密の場所だ。
「え、わた……し?」
その鉄柵の向こう側で、深紅の瞳の少女が笑って何か話している。――はじめは見下ろしていた視線が、下がった。しゃがんだのだ、と分かる。
少女の頬には、きらりと光る涙の筋ができていて、よく見るとまぶたは腫れて鼻の頭も赤い。
「わたし……だ……」
そしてこれは。
この、思い出の持ち主は。
「もしかして、ナジャ……君の……」
音は無い。動きも淡々としている。小さなレオナだけが、笑ったり、ぷうと頬を膨らませたり、走り回ったりしている。それらをただ追いかけている。
が、そこには……気持ちを温かくさせる空気があった。
ああ、これこそが、彼の宝物なのだ。
そしてこの場所は……
――ああ。ああ。なんてこと! 優しいあの子が、どうか怪我をしませんように。無事でありますように。
レオナは、溢れる涙を手の甲で拭った。
が、拭っても、拭っても、止まらなかった。
※ ※ ※
「レオナさん……」
「くそ! なんでだよ! 今度、今度こそって……くそお!」
「……」
テオとヒューゴーは『レオナの死』を受け入れられず、ナジャは何か魂を留めておける手段はなかったか、と自身の脳内の知識を総動員させていた。
三人が、横たわったレオナを取り囲んで動けない間、ルスラーンは独り、暴走機関車のように暴れ回る。漆黒の竜騎士は、徐々にバーサーカーと呼ばれる、狂戦士になりつつあった。
本来なら危機にあっては、冷静に俯瞰で状況を把握しなければならないのに――大誤算は、まずナジャが倒れたこと。ヒルバーアを解呪できると思い込んでいたこと。そして。
「ほんま、甘い奴らやなあ」
ヒルバーアの裏切り。
「なーみだ、ちょちょぎれるわー!」
歌うように罵詈雑言を吐いて、空を縦横無尽に飛び回る。
その背後にリヴァイアサンが到着し――
「おおおおお!」
ルスラーンはたった独りで、二体の神を相手に、戦おうとしていた。
「……あんの無茶な馬鹿野郎を助けな、ヒュー」
「わ、わかってる……」
ナジャの言葉が頭に入っても、心には入らない。
「ぼ、僕がっ」
「アホう、ドラゴンスレイヤーでも勝たれへん相手やで。無駄死にや」
「……でもっ」
三人が冷静でない、無駄なやり取りをしていると。
「あらァ、無茶な子、だーれだ?」
「「「!?」」」
突然レオナが、上体を起こした。
「なっ!」
「レオナさん!?」
「ちゃう! レーちゃんやないな……っ! その気配! ゼブブかっ」
「せーいかーい! 久しぶりだねっ。よーく覚えてるよ。今は……ナジャだね?」
よく見ると、プラチナブロンドの髪の毛先が、黒く染まっている。
「えへっ、来ちゃった」
全員、絶句している。
「あーあ。たかが父上の下僕たちのくせに、好き勝手してくれるよねー。腹立つなあ」
でしょ? と三人をニコニコと見るレオナは、彼女のいつもの仕草ではない。
「僕の大好きな、レオナの世界を壊そうとするなんてさあ……滅ぼすよ?」
ゾ、と背筋を寒気が駆け巡る。
災禍の神も――降臨した。
※ ※ ※
「は! ――えっ、え!?」
「あーよかった、間に合ったー!」
覗き込んでいるのは、肌も髪も真っ白な少女。
好奇心旺盛な黒い大きな目が、くりくりと動いている。
「リサ様!?」
「うん、そだよー! みゆちゃん置いて、急いできたんだ」
ジョエルは、飛び起きた。
周りを見回すと、惨憺たる様子だ――大量の騎士団員たちが、力尽きて倒れている。
「くっそ……」
「うん……頑張って飛んだんだけど……間に合わない子たち、多かった……ごめんね……」
いつも無邪気なリサの表情が、暗い。
「いえ、助かりました。心から感謝申し上げる」
ジョエルはリサの足元に跪いて、最大限の礼を伝えた。紛れもない、命の恩人である。
「ううん。ジョー君とザール君が、ユグさんと強く繋がってたから。だから来られたんだよ」
「!」
――ユグドラシルの加護!
ジョエルは、ぐっと拳を握りしめる。
まだ、戦える! とキョロキョロ探すのは。
「ザール……ラザール!」
「おお、呼んだか……」
目深にローブを被り、くたくたな様子のラザールが歩いて近づいてきた。
「水は苦手なんだよ……泳げないんだよ……」
ぶちぶち文句を言っている。
「はは、そだったねえ!」
「……魔術師団も、魂の強い者たちは、なんとか残ってくれたぞ」
ぎりり、と歯を食いしばる。
「必ず勝とう」
「そ……だな」
「あーんとね、ユグさんにね、お願いしてみたよ」
「お願い?」
「どういう?」
「みんなの魂、出ていかないよーに」
「「!!」」
「でも難しいみたい。イゾラさん? がいないと」
「な、んだと」
「イゾラ……レオナ!」
――希望が、ある!
「あ、レオナちゃん、そっか……なら、なんとかなるかも! でも、あんまり時間ないって」
「っ、公爵邸へ急ごう」
「馬ー! どこだー!」
「うん? どっち?」
「「は?」」
キョトンとする二人が見上げるは。
「乗せてったげるー!」
きゅるん、と首を傾げるホワイトドラゴンだった。
「まーじー?」
「驚いた……」
ドラゴンの背に乗るなど、そんなことが? と二人は内心激しく動揺している。そんな二人の心を知ってか知らずか、
「ほんとは、リサねー、やっぱあそこから出ちゃダメなんだって」
飛びながら、ホワイトドラゴンが言う。
「ドラゴンは、あそこでしれん? を与える生き物、なんだって。その決まりを破っちゃったの。でもね、ユグさんの子たちを助けるためだから、今はいーよって。だから、リサも、ジョー君とザール君にお礼言わなきゃなの」
バサリ、バサリ。
ドラゴンの背で、二人は顔を見合わせ、頷いた。
「なるほど、それならば納得できる」
「そっかー! 僕らのためなら、仕方ないよねー!」
「うん! だからね、みゆちゃんが、これが無事終わったら、リサのお家を作ってくれるの!」
「おー!」
「それは素晴らしい」
「そしたら、その……遊びに来てくれる?」
「「もちろん」」
「ほんとう!? やったあ! リサね、お友達をお家に呼ぶのが、夢だったんだあ」
無邪気に、リサが語る夢。
ぐ、と二人は肩に力を入れた。
「絶対行くよー!」
「必ず約束する」
「えへへ……お友達と約束しちゃった! 嬉しいなー、心がポカポカするねっ」
ぶわ、と胸にこみ上げるものがあるが、今はまだ泣けない。
「よーし! て、うわー、どっちもいるじゃーん!」
「はあ……結局両方か」
リヴァイアサンとジズ。
奈落の二神を倒し、平和を手に入れるまでは。
※ ※ ※
「あは、相変わらずブッサイクだね、リヴァイアサンって」
ズンズン近づいていくレオナ――ゼブブを、見送るしかできない三人。
一番先に我に返ったのは、ナジャだ。
「テオ、わいらは邪魔になる。できるだけ下がれるか?」
「! はいっ」
「あの軒下がええ。建物の結界利用する」
「分かりました!」
テオがナジャに肩を貸し、二人三脚の要領で移動を開始した。ヒューゴーはそれを見て、
「っし! あの暴走馬鹿を助けに行くか!」
と気合いを入れて走り出した。
「止まれ」
ゼブブが放った言葉は、それだけで力となって対象を襲う。ルスラーンは、がむしゃらに振るっていた剣ごと、その動きを止められた。
「うぐ、が……ぎぎぎ」
「休んどきなよ」
「!」
どさり、と横倒しになる。
ゼブブは、その傍らにしゃがむと、頬を撫でる。
「黒いのが死ぬと、レオナが悲しむからね――えーと、きみもね?」
「ヒューゴーっす」
「うん。魂休めの術の時にもいたね」
「うす」
「黒いのもヒューも人間の中ではすごく強いね」
――でもこれは、神の戦いだからね?
ぼ、とレオナの両の手のひらが、黒い炎で包まれた。
「離れといて。巻き込まれたら死ぬよ」
「!」
ヒューゴーは、ルスラーンを背負ってナジャの結界まで運んだ。振り返る目線の先には、空に浮かぶ巨大な黒い竜のリヴァイアサンと、その隣で羽ばたく黒紫の怪鳥ジズ。それを仰ぎみる華奢な令嬢の背中が、違和感たっぷりだ。
「……よお。ゼブブ」
バサバサと地上に降り立つヒルバーア――ジズが、眉尻を下げる。
「ジズって相変わらず嘘つきだね」
「はは」
「ま、仕方ないか。僕があそこから出るには、こうするしかなかったもんね」
「……」
「でもすごいなあ。人間を、信じられたんだね」
それを聞いたジズは、面白そうに首を傾げて、首元に付けられた破邪の魔石のペンダントを愛おしそうにさする。
「愛っちゅうやっちゃ。ゼブブもやろ?」
「うん!」
「見てみいや。あんなん、人じゃ倒されへんで。やろ?」
「うん。僕らじゃないとねえ」
二人の視線の先には
「グギャギャギャギャギャ!」
口角から唾液を垂れ流す、リヴァイアサン。
「あーあ、そんな膨れちゃって」
「食いすぎやで。腹壊すでえ」
「おー。あの黒いのすごいじゃん」
よくみると、その強靭なはずの鱗のそこかしこに、無数の切り傷がある。じくじくと黒い血が浮かんでいる。
「せやねん、驚きやで……斬っとる」
「ふふ。伝説になっちゃうね、ダークロードスレイヤーだなんて。さすがレオナの想い人だね」
さて始めようか、と、ぱん、とゼブブは自分の身体の前で手のひら同士をくっつける。
「さあ災禍よ、来たれ。ありとあらゆる闇よ、命を蝕め。そこのは我が餌。我が糧。我が父冥界神バアルよ、今こそこれを捧ぐ」
「さあ奈落よ、堕とせ。ありとあらゆる邪よ、命を毟れ。そこのは我が縁。我が贄。我が主君冥界神バアルよ、今こそこれを捧ぐ」
そのやり取りを見守っていたナジャ、テオ、ヒューゴーは。
「……あんにゃろう」
「まさか、ヒルさん……」
「ゼブブを出すために、やったんか」
レオナの命を奪うのではなく。
魂休めの術を破るために、奈落の神の爪でレオナを貫いたのだ。足りない生贄を『薔薇魔女の仮死』で補い、神として降臨するためでもある。リヴァイアサンからの影響は、破邪の魔石が守ってくれる。これらの作戦を、あの地下室で、独りでずっと考えていたに違いない。
「賭けに勝ちやがったってことか! くっそ、俺らに何かできることはないのか!」
ヒューゴーがヒルバーアの目的を把握して、歯噛みする。
「……わいの最悪の予想が当たるんなら、出番あるで、ヒュー」
ナジャが、嫌なことをまた言う。
「せやけど、足らん。ユグドラシルの加護が」
「! ナジャさん、大丈夫だよ! 見て!」
テオが、ぱっと輝く笑顔で指差す空に。
「ホワイトドラゴンやんか!」
「ジョエルとラザール!」
ば、と全員顔を見合せた。
――希望が! やってきた!
お読み頂き、ありがとうございました!
ラザール、かなづちどころか水恐怖症で、水属性魔法も苦手っていう裏設定でした。
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