〈199〉終末の獣5
※前半、目まぐるしく場面が変わりますm(__)m
※再び、残酷な表現があります。
ルスラーンは、エドガーを馬車へ押し込んだ後、ジョエルが布陣している王都北郊外の前線へと馬を走らせていた。
「ぐっ……!?」
だが、強烈な窒息感に突如として襲われ、同時に遥か前方で膨れ上がるリヴァイアサンを見た。
黒く、禍々しく、巨大な翼の生えた竜のようなフォルムへ成っていく、その過程をだ。
この距離で、肩から上が見えるほどの巨大さ。
背には、尋常でない大きさと数の背びれがある。
その邪悪な顔が、ふ、と向けられたのは――
「あの方向……ローゼンか!」
ローゼン公爵邸には、奈落の最後の神、空神ジズ(アザリー第五王子ヒルバーア)がいる。
それに導かれて向かうのだとしたら、戦力が必要なのはどちらなのか明確だ。
ジョエルたちのことはもちろん心配だ。だがルスラーンは
「……どうか、無事でっ」
彼らの無事を祈りつつ、馬首を南東へと変えた。
※ ※ ※
――タス……ケテ……
「あっ」
リサが、突然その動きを止めた。
アザリーとガルアダの国境。
逃走した摂政の私兵たちが、わずか百名ばかりでアザリーの最強、ナハラ部隊と緊張感の中で相対している。
第八王子タウィーザは、一番後方に張られた天幕で、突然やってきた客人を迎えていた。
マーカムからアザリー王国まで、ガルアダを超えて一瞬で飛んでやってきたホワイトドラゴンのリサ。カミーユとともに『闘神』ゼルを無事送り届けることができ、さあ帰国しようかというその時。
「リサ?」
「ん?」
「どうしたァ」
ゼルとタウィーザに頭を撫でられ、ご満悦で別れの挨拶をしていたはずが、急にその表情が曇ったので三人とも心配してその顔色を窺う。
「ユグさんが泣いてる!」
「ユグさん? て?」
「ター兄!」
「ああ、なんとなくわかる」
「へ、へえ」
普通の王太子であるカミーユは、自分だけ置いてけぼり気分を再び味わうはめになった。
「気にするな、急げリサ」
「落ち着いたらまたゆっくり本国に来てくれよォ」
砂漠の王子二人にそれぞれぎゅぎゅっと抱き着いて、リサは笑う。
「うん! みゆちゃんと、新婚旅行で来るねっ!」
「おお!」
「盛大な宴をしよゥ!」
「リ、リサッ!! うれしい! 僕とけっこ」
「みゆちゃん、いくよ! 急がないと死んじゃう!」
えっ、なんのこと? というカミーユの問いは、発せられることはなかった。
「あばば、くび! くびもげるうううう」
「魔法でおおってるから、もげないよー」
あっという間に竜の姿になり、カミーユを乗せ、飛んで行ってしまったからだ。
「我らも、できることをしよう、ター兄」
「もちろんだ、ゼル」
青い空に一瞬で吸い込まれていく白い影を目で追って、二人の王子はヒルバーアに祈りを送る。
「心はいつも共にあるぞ、ヒー兄!」
「飲み込まれるなよォ。我らは自由な砂漠の民なのだからなァ!」
タウィーザは振り返ると、前線へと力強く歩き始めた。
ゼルは、その半歩後ろをついていく。
ふと、タウィーザがゼルに拳を突き出した。
「恩にはァ」
すかさずゼルが、乾杯するかのように、自分の拳をゴツ、と当てる。
「恩で!」
無事に全てが終わったなら。
返しに行こう――
「レオナ……」
ゼルはその締め付けられる胸を、ごくりと唾を飲み下してごまかした。
※ ※ ※
「無事かっ!」
魔術師団本部に、髪を振り乱して飛び込んできたフィリベルト。
道すがら、できるだけ建屋ごと凍らせてきた。
「無事です!」
叫ぶジンライは、例の結界魔道具を起動していたし、傍らで雷神の守護獣グングニルも、その上から結界を施している。
この中にいれば安心だろうと、ようやくフィリベルトは息を吐いて肩の力を抜いた。
そんな中、鞄を抱きしめたまま、目を潤ませていたのはエリック。
先ほどフィリベルトを迎えにきた従士だ。
「よくぞ、ご、ごご無事で」
「ああ、ありがとうエリック。おかげで手ぶらで戦えた」
大事な書類や道具を投げ出さずに済んだ、と本心からの感謝だったが
「おれ、おれ、なにも、できなくて……生き残ったら、絶対、もっと、修行します!」
悔し気な様子に――
「なんか、誰かさんと同じようなこと言ってねえか?」
とニヤけるディートヘルムの目線は、ジンライに向いている。
「なあどうだ? ジン。こいつ、なにもできてないって、思ったか?」
「ディートさん……」
「まったく。まだそんなこと言ってたの? ほんっとジンって、めんどくさい性格なんだから」
ペトラが、カミロとともに手元の大きな通信具の裏側を見ながら吐き出すと
「うぐっ」
さすがに傷ついた表情のジンライ。それから、意を決した様子で唇をかみしめると。
「エリックさん。俺、ただの鍛治見習いですけど……命令聞いて、荷物抱えて走ってくるだけでも怖かっただろうなって思います。十分すごいっすよ! 俺らでもできることを、やりましょう!」
「!!」
「その通り。頼りにしているよエリック。こちらの通信具ももう少しで繋がりそうだ」
カミロが穏やかに微笑む。
本部の外は黒い雲に覆われ、うぞうぞと蠢く冥界獣の気配がそこまで迫ってきているが。
「では、これから万全の体制を敷き、この通信の要を守り抜くぞ!」
フィリベルトの鼓舞に、全員、力強く頷いた。
※ ※ ※
レオナは立ち上がり、ヒルバーアの元へと歩き出した。
その背後でナジャの頭を抱くテオは、号泣している。
「ぼ、ぼくは、なんと、いう、ことを……」
「あほぅ、戦いの最中に泣くもんがあるかいな」
「うぐ、ぐ」
懸命に歯を食いしばるが、その目から零れてくる滴はとめどない。
ぽたり、ぽたり、とナジャの頬を濡らすので――
「黒蝶、ものすごいやろ」
とナジャは優しく囁くように言った。
「うぐ、はい」
「わいはもう、ろくに立たれへん。託すで、テオ」
「!!」
「捨て置くも、助けるも。わかるか?」
「ナジャ、さん……」
「お前にはわいの命を託す価値がある。顔を上げろ。――油断できへんで」
「えっ」
テオは驚きとともに、レオナの背中を見つめた。
「奈落の三神の最後、空神ジズは、戦闘力はそないにないが」
ふう、ごっつうしんど、と言いながらナジャは身体を起こし、手を地に突いたまま片膝を立てる姿勢に変えた。
「空を掌握してんねん。闇の里の言葉なんやけどな。空はソラであり、カラであり、クウだ。意味わかるか?」
テオはぶんぶんと首を振る。
「空耳、空っぽ、空言」
絵空事、いうやろ? とナジャは小さくつぶやく。
空は青くて広いが――良い意味とは限らない。
「まさ、まさか……」
微笑みをたたえたヒルバーアは、ちらりとテオを見やったものの、意に介さず慈悲深い顔で
「せっかくしてもろたのに、すまんのぉ。レオナ嬢。生贄が、足りへんねん」
とレオナに向かって静かに言った。
「間に合えへんかな? 間に合うかな? どっちやろか?」
「ヒル様?」
ヒューゴーがハッとなり、慌てて叫ぶ。
「っ! レオナ、離れろっ」
ブヒヒヒヒーン!
馬の嘶きが、公爵邸の中庭に鳴り響いた。
「おおさすが。間に合ったなあ!」
「ヒ、ル……?」
「くそ!」
「レオナさんっ」
公爵邸に、馬ごと走りこんできたルスラーンの眼前で。
「あ……」
ヒルバーアの左手――巨大な鉤爪が、咄嗟にかばったヒューゴーの努力も虚しく、レオナの身体を貫いていた。
「レオナアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
叫ぶルスラーン。
馬から飛び降り、必死の形相で駆け寄ってくる。
ヒューゴーは、即座にドラゴンスキルを発動させ、ヒルバーアに斬りかかろうとするものの、その爪がレオナを貫いたまま。咄嗟に振りかぶった剣を振り下ろせない。
「クッソオオオオオオオ!!」
「ははは。さすが薔薇魔女」
一方、ヒルバーアはずるり、とレオナからその爪を引き抜くと
「足りた」
と嗤った。
ぶお、とその肩や腕から黒紫の羽根が生えだす。
背中からも翼が生え、両足も鉤爪に変化する。――巨大な黒紫の怪鳥が、降臨してしまった。
どさり、と力を失ったレオナが、無造作に芝生の上に倒れる。
全てがまるでスローモーションのようにゆっくりだ。
なのに、強者どもは、動けない。
あまりのことに、判断能力が失われてしまっている。
「……ぶっ殺す」
唸るルスラーンのドラゴンスキルは、『ニーズヘッグ』と呼ばれている。
肉体と魔力の限界を外すそれは、あまりにも酷使すると――
「っいかん、止めな」
ナジャは、立ち上がろうと膝に力を入れるが、ぶるぶる震えてバランスを崩してしまった。
「ちい、あかんか……ヒュー! レーちゃん抱えて来い! 止血せな!」
「……くそ、くそ、クソオオオオオオオ!!」
漆黒のクレイモアを背中からすらりと引き抜くルスラーンは、もう正気を失っている。
その証拠に、脇をレオナを横抱きにしたヒューゴーが走り抜けても、一顧だにせずヒルバーアを睨み続けている。
「ぶっ殺す……ぶっ殺してやる……」
「はは! 近衛騎士とは思われへんなあ」
ばさり、とその禍々しい翼を広げて、ヒルバーア――ジズは羽ばたいた。
「三神、成せり」
空を覆う暗雲が、一層黒くなり、漂う空気が紫に色づいた気がする。はらはらと、中庭の草花から白い小さな光の玉がいくつも舞っては、消えていく。その命が、儚く散っていくかのように。
「出でよ、昏き者たちよ」
ばさり、ともう一度ジズは羽ばたく。
「終末よ、来たれ」
――絶望だ、とテオは思った。
「レオナ……逝くな……頼む……逝くな……」
ヒューゴーが、必死にレオナの腹に布を当てて抑えている。
が、背中から溢れる赤黒い液体が、青みがかった芝生を容赦なく黒く染めていく。
「レーちゃん、聞こえるか? あきらめたらあかんで。許さへんで」
「レオナさん! レオナさん!」
三人がかりで取り囲むレオナのその身体は、掛ける声も受け付けないかのように、どんどん肌から色が失われていく。
ドゴン!
ルスラーンとヒルバーアの戦闘が始まった。
「移動せな」
巻き込まれる、というナジャのセリフに、余裕で応えるヒルバーアは
「それには及ばんでえ」
と、飛んだ。
「!」
ルスラーンが地を蹴って跳躍して斬りかかるのを、ひらりと避ける。
「慌てなや。ちょっと待っとき」
「あんだと……」
冷静でないルスラーンは、それでも何度か跳躍を試みる。
「ほうら! きたやんー!」
上空で叫ぶヒルバーアが目線を向けた先には。
「グルルルルルル」
「……リヴァイアサン……」
ナジャの呟きは、まるで死刑宣告のように冷え切っていた。
――ああ、世界が終わっていく……
テオは唇を噛みしめて、レオナを見下ろした。
「ねえレオナさん。あなたの愛した、大好きな世界が、終わっちゃうよ」
氷のような頬を撫でる。
「あなたの大好きな人たちが、死んじゃうよ」
――ねえ、起きてよレオナさん……
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