〈195〉終末の獣1
「みゆちゃん。お迎えいかないと」
「ん!? おむかえ!?」
ガルアダ王国王太子カミーユの私室に繋がる隠し部屋で、お菓子を頬張りながらリサが無邪気に言った。
カミーユは、マーカムからの援軍要請に備えるための対応に追われ、ようやくリサの顔を見に戻って来られたのだが。
「て、だれを?」
「えーとほら、脚治してあげた人!」
「ゼル?」
「そ! ゼル君! なんかねー、大変みたい」
「うん!?」
「ほら、治してあげたときにね、あの人の魂って神様みたいで、ちょっと繋がったのね。〇インみたいな感じ? あ、レオナちゃんもなんだけどね」
「ラ〇ンてリサ……」
「間に合わないって、焦ってる。助けなきゃ、たぶんヤバい気がする」
「へえ?」
「ダメ?」
――いやうん、そんなうるりん(ハート)って見られたら、ウンていうしかないよねー! ま、大丈夫か。なんたってホワイトドラゴンだもんねー。
「えっと、目立たず行ける?」
「うーん、たぶん! 魔法で!」
「おぉ……」
えーとどうしよっかなー? とカミーユが悩んでいると。
「殿下。我々が」
「何とかします」
護衛の二人がぴかーっと笑った。
「へ?」
「世界の危機ですし、多少強引でも良いでしょう」
「リサ様と一緒なら心配いらないでしょうしね。いってらっしゃいませ」
「おー!?」
あれよあれよと、裏庭でリサがカミーユより二回り大きいぐらいの、こじんまりとしたホワイトドラゴンになり、その背に乗せられ、空に飛んだ。
上空の空気は冷たく、耳をバタバタと風が容赦なく打つ。眼下を見ると、すでに人どころか家々さえも親指程度の大きさしかない。
「ぎえーーー! こわーーーい!!」
「だいじょーぶだってばー」
「ぼく手ぶらなんだけどーーーー」
「それもだいじょーぶ。ほら、首見て。おやつ持ってきた!」
「遠足か!」
「あははー! バナナは?」
「おやつに入りませーん! くそう! 逃げちゃだめだ。逃げちゃだめだ」
「んもー、どうせそれまたアニメのセリフなんでしょ? 相変わらずおたくなんだからー」
「喋ってないと、怖くて死にそうなんだよっ」
「あははー。大丈夫。世界のどこだって、すぐ着くよー」
リサは、この速さで、まさに救世主となる。
※ ※ ※
「なんだ、あの軍勢は! 帝国軍か!? にしては動きがおかしい」
馬上で焦るマクシムは、最速で駆け抜けてきたが今はその足を止めざるを得なかった。
マーカムとブルザークとの国境に、半日でたどり着けた。まさにバイクをトップスピードで走らせ続けたくらいの速さだ。
奇跡とも言えるこの驚異的な速さを生み出したのは、フィリベルトが用意した馬を補助する魔道具で、その能力は高いが馬を一気に使い潰してしまう。途中途中で潰す前に変えながら来たので、これは三頭目だ。
疲労困憊ながらも、士気を維持しているオリヴェルとヤンの二人とともに、見晴らしの良い小高い丘に登り、遠目でその部隊の動きを観察すると――
「ジシュカ家の紋章です」
オリヴェルが短く言った。ジシュカ家は、ボレスラフの家名だ。
代々続く名門家のため廃位することは難しい代わりに、皇都から最も遠い南端の領を与えて追いやろうと、サシャが画策しているところだ。
私兵とはいえ、訓練された一個大隊。三百名はくだらないだろう。
「私費でよくもまあこれだけ養ってましたね」
オリヴェルが、あきれまじりの溜息をつき、ボヤく。
「それだけ私腹を肥やしていた、という証明ですね」
マクシムは苦々しくそれに答えるしかできない。
「州軍再編の混乱に乗じて、取り込んだ勢力も多いだろう。反発も大きかったと聞いているしな。この辺りは……アーモスの管轄か。奴はどこに」
「えーっとぉ、確か国境からすぐの街に常駐してい……あれえ?」
ヤンが、おもしろそうにその声を弾ませた。
「ほら! ジシュカ家の紋章の横! あれあれ!」
「ん?」「どうした?」
目を凝らすと……少し武装の異なるように見える部隊が、ちらほらと。
「はは」
「アーモスめ」
「ですよね? ちゃっかり潜りこんでますよね? ってことは、我々はー」
「「マーカム内に留まる」」
「うひぃ。マーカムの援軍間に合わなかったら?」
「それは」
「三人で」
「ですよねえ! で、俺考えたんすよ!」
いたずらっぽく、ヤンが笑う。
「アーモスの手を、応用しません? 手前の街に、冒険者ギルド、あったでしょ」
「なるほど。援軍のふりぐらい、してもらえるかもな」
マクシムが頷くと
「そうと決まれば、行きましょう。馬も変えてもらわなければ」
オリヴェルも同意した。
ブルザークとの国境を、なんとか死守しなければならない。
軽い言葉遣いとは裏腹に、事態は逼迫していた。
――そのころ、時を同じくして魔術師団本部に辿り着いたディートヘルムとカミロは、ジンライとペトラに合流した。
「大変なことになっちゃったね」
カミロが、ジンライとペトラに語り掛けると、二人は手を繋いだまま、決意した顔を向けた。
「先生。俺、怖いけど、とにかくできることをと思って」
「私は、持っていた魔石を、ありったけ持ってきました」
「うん。我々の作る道具がきっと、みんなの助けになるよ。通信をつないで、結界を維持して、防具を作ろう」
「「はい!」」
「俺は? なんも作れねえけど?」
「「護衛と荷物運び!」」
「ははは、よろしく頼むよ、ディート君」
「それも重要だな。わかった。マクシムたちからの通信がかろうじて届いている。国境付近にボレスラフの私兵が来ているらしい。混乱に乗じて暴れる気だろう」
「! それは、本当かい? ジシュカは、皇帝には逆らわないと思っていた……」
ディートヘルムは、カミロのその発言に違和感を持った。
「? お詳しいですね、先生」
「……ああ、うん……この際だから言っておく。僕は、ラースの兄なんだ」
「へえ……へ?」
ディートヘルムが、綺麗な二度見をした。
「うっそ!!」
ペトラの口がびっくりするほど開いている。
ジンライだけが
「あの? ラースって?」
ときょとんとしている。
ディートヘルムとペトラは顔を見合わせると、慌てて深く礼をした。
「ご無礼を!」
「まさか、皇帝陛下のお兄様とは知らず」
「ああいや、いいんだよ。僕はもう亡命して継承権も持っていない。ただ血が繋がっているだけなんだ」
眉尻を下げる『優しい先生』は、続けた。
「有事にあたって不便があるといけないから、明かしたまで。どうか内密に。そして、今まで通りに」
ディートヘルムはだが、帝国軍陸軍大将子息として、その態度を改めざるを得ない。
「なるほど、だから副団長は、先生が攫われるかもと言っていたんですね。納得しました」
「そういえば、その御髪のお色は……」
ペトラも、すっかり帝国の侯爵令嬢だ。
「はえーーーー! ラディさん……皇子の時はラースさんって呼ばれてたんですよね。お兄さんだったんですか! 言われれば確かにちょっと似てます」
ジンライだけが変わらず、カミロはホッとする。
「似てるかな? 嬉しいな。父が同じなだけなんだけどね。さ、雑談はここまで。がんばろう」
「「「はい!」」」
「各所との通信をまずは強化しなくちゃ。ペトラ嬢、手伝ってくれるかな」
「はい!」
「ジン君は、あっちの防具に水の耐性強化を付与して欲しい。ディート君、道具を運んであげて」
「はい!」
「了解!」
いつの間にかオスカーは、日当たりの良い場所を見つけて、丸まって寝ている。ということは、今は危険がないということだ。
様子を窺っていたラザールは、この場は問題ないと判断し、自身の部下を何人か護衛として置いていくと、騎士団本部へと舞い戻った。
――ジョエルとともに、前線に出る覚悟をして。
「副師団長!」
本部へと続く廊下で、そのラザールを後ろから呼び止めたのは
「どうしたブリジット。何か問題か?」
第二副長、ブリジットだ。回復部隊を支える任務に就いている。補給も兼ねた、前線を支える重要な後方支援だ。
「いえあの……この戦いが終わったら、こちらの書類に署名をいただきたいのです」
「熱心だな。落ち着いてからでも良いだろう……」
ブリジットはだが、思いつめた様子だ。いつも持ち歩いている木製の書類挟みから一枚の紙を取り出したその手が、小刻みに震えている。
その態度を重く受け止めたラザールは素直に受け取り、さっと目を通すと
「……わかった」
と短く言った。
「無事戻ったら、必ず署名をする」
そして丁寧に折りたたみ、胸元にしまった。
「ラザール様……っ、ご武運を……!」
その瞳から涙がこぼれそうになっているブリジットに、ラザールは珍しく微笑んだ。
「ああ。ブリジットもな。必ず戻れ」
ローブを翻し、ラザールは廊下を足早に歩いていく。
振り返らないその背中を、ブリジットはずっと見つめて――姿が見えなくなってからようやく、踵を返した。
※ ※ ※
ローゼン公爵邸から、一台の馬車が出ていく。
乗っているのは、公爵夫人のアデリナとシャルリーヌ。そして執事のルーカス、メイドのマリーだ。
「嫌だわ、離れるだなんて。でも、留まったところで足手まといだものね」
「同じ気持ちです……」
下唇を噛み締めるシャルリーヌの震える肩を、アデリナはそっと隣で抱き寄せた。
「バルテ侯爵の判断は、正しいわ。弱みは分散させるのが定石よ。覚えておきなさいね」
「……ぐす……はい……」
バルテ侯爵と夫人、長男のリシャールはバルテ侯爵家保有の別荘。
王国騎士団第一師団長セレスタンの妻である、シャルリーヌの姉カトリーヌは、娘とともにオベール侯爵家保有の別荘。
王国騎士団副団長ジョエルの婚約者であるシャルリーヌは、ローゼン公爵家保有の別荘。
それぞれ分かれて避難するのは、誰かが生き残れば良い、ということだ。
「シャル。辛いかもしれないけれど、あなたが一番狙われるわ」
アデリナが、冷たい声で言う。
「あの化け物がゲルルフだというのなら、ジョエルへの恨みが強いはずよ。だから貴女は、ローゼンとともにいなさい」
「でも! それだと奥様たちが!」
「あら。ローゼンよ? 歯向かった瞬間に、終わりよ」
ルーカスとマリーも、黙って頷いている。
「ま、ここまで辿り着きやしないわ。安心なさい」
にっこり笑む公爵夫人が、強く輝かしく、シャルリーヌは眩しさに何度もまばたきをした。
「信じて祈りましょうね」
「はい……!」
アデリナはだが、シャルリーヌに震える声が悟られなかったことに、心から安堵した。
夫も息子も、娘までも置いていかねばならない苦しさを隠し、次世代を守ることこそ自身の役目とし、必死に耐えているのだ。
母として、レオナが抱えているものは全て分かっている。
分かった上で離れるのは、何よりも辛い。代わってあげたい、側にいてあげたい、と思う。
だからこそ、無事に帰って来られたら、笑顔でたくさんのハグとキスをあげよう、と決意して。
長旅に備えて休んでおくわね、と、アデリナは目をきつく閉じ、溢れる涙をこらえた。
そして――自室の窓から、その馬車を見送るのは、レオナだ。
「行ってくれた……」
「っすね」
シャルリーヌもマリーも、はじめはレオナと一緒にいると聞かず、説得が大変だったのだ。
ヒューゴーも巻き込んで、懇々と説得したものの埒が明かず、困っていたところに最終的にアデリナが出てきてくれ
「あら。そういうわがままは、この公爵夫人を納得させてから言いなさいな?」
と一言で終わらせてしまった。
「お母様には、頭が上がらないわ」
「ほんとっすね……」
「ヒューゴー、心配?」
「ええ。なんか最近、奥様もマリーも、体調悪そうだったんで」
「……そうね。ローゼンの別荘は安全な場所にあるし、知られていないの。ルーカスもついてくれているし、安心して任せられるわ」
「はい。あとは勝つだけっすね」
「……かーんたんに言うてくれるわなー」
ヒューゴーの決意に、飄々と口を挟んできたのは。
「ナジャ!」
黒装束に身を包んだ、伝説の隠密、ナジャ(リンジー)が、いつの間にかレオナの部屋の入口に腕を組んで立っていた。
「ふいー。ごっつうつかれたわー。レーちゃんのお茶飲ましてや?」
「分かったわ、ナジャ君。すぐ淹れるわね」
レオナが、すぐに部屋の脇のワゴンに用意されているお茶セットに向かうと、ヒューゴーが
「おまえなあ!」
とイラついた。
主人の部屋に無断で入ったばかりか、お茶をねだるなど、と怒りかけたわけだが、
「ヒュー。ヒルバーアがイゾラのお告げを受けてん」
ナジャはそれに構わずその覆面を取って、ソファにだらりと横になった。ほぼ寝ていないのが丸わかりの、顔色の悪さだ。
「ヒルバーアとリヴァイアサンは、決して会わすな、やと」
とぽとぽと、丁寧にお茶を淹れながらレオナがそれに呼応する。
「奈落の三神は、地と海と空。地はベヒモス、海はリヴァイアサン。ゼブブ、その二人は嫌いだと言っていたわ」
「嫌い?」
ヒューゴーの疑問に、レオナがテーブルに茶器を並べながら答える。
「ええ。殴ったり蹴ったりして、地上に山や湖を作らされたんですって。神話の通りね」
「空神は?」
「分からないわ。そこまで話ができなかったの」
レオナは、そっとナジャの頬に触れながら側に腰掛けた。
「こんなに消耗して……起きられる?」
さらにナジャの頭を撫でながら労うと
「……癒されるわ……レーちゃん……もっと撫でてや……あんな黒ポンコツにやりとうないわー」
と返されて、思わず真っ赤になってしまったレオナ。
「ま、両思いやし仕方あれへんかあ。さっさとごっついの倒すだけやな。その後黒ポンコツの野郎は、わいと決闘してもらわにゃ」
「それ、俺も混ぜろ。俺らに勝てなかったら」
「ちょっ! 二人とも、なに……」
「「だが断る!」」
「んもう!」
それは、二人なりの「生きて勝つ」覚悟だった。
その時のルスラーンはと言うと。
「殿下、どうか馬車に……」
「いやだ! セリノはどうした! なんで兄上だけが残るんだ!」
エドガーのワガママに、付き合わされていた――
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