〈168〉蠢(うごめ)くもの
※不快で残酷な表現があります。
ジョエルが去った後、入れ違いに近衛の詰所に戻ってきたのは。
「戻りました」
「ルス。戻って早々すみませんが、椅子の発注をお願いしたいのです」
眉をひそめる近衛筆頭。ルスラーンは壁際に置かれた壊れた木くず(椅子)を、意外そうに見やる。
「やっときますけど、何かありました?」
「あーいえ、ジョエルを煽ろうとして、その、やり過ぎまして」
「え! 筆頭、珍しいすね。見たかったっす!」
「反省してます……」
「いやあ、たまには良いですよ。副団長、やる気になりましたか?」
「どうでしょうねぇ……」
腕を組んで、苦笑するジャンルーカの背後から
「抱えるものが大きいと、踏み出すのは難しいものです。発注は、教えてくれたら私がやっておきますよ」
シモンが机を布巾でふきながら、笑顔でフォローする。
「すんません、シモンさん。発注用紙はここの引き出しで」
「はい、はい」
「五日に一回、ギルドの人が出入りしてるんで」
「ええ」
「これ書いて、本部に」
「んふふふふ」
いつの間にか近寄っていたシモンに、思わず後ずさりするルスラーン。
「なんすか!?」
「いえ、今日はね、ラザール様の護衛で学院へ行ったんですよ。レオナ様は相変わらず、ゼル様やディート様に迫られていましてねえ。モテますねえ」
「そ、すか」
「一応ご報告しときますね。では」
発注用紙を受け取ると、シモンは踵を返してスタスタと行ってしまった。
額に手を当てるルスラーンは、これにどう反応して良いか分からない。
「もしかして、まだ会いに行っていないのですか?」
「……ええ、その、はい……」
マクシム達をローゼン公爵邸へ迎えに行った日以来、全く会っていない。
レオナは卒業実習に向けて忙しいだろうし、自分も任務や訓練、雑用で相変わらず忙しい。
「休暇が欲しい時は、遠慮なく申請してくださいね」
「……はい」
それらは、単なる言い訳なのだが。
留学から戻ってきたレオナは、一層輝いて見えた。帝国軍人にも慕われ、新たな魔道具を開発し、さらに帝国名門家の学友を連れての凱旋帰国。
その手腕に、今まで薔薇魔女と蔑んできた貴族の中にも、手のひらを返して褒めはじめる者たちが、出てきている。
さらに、学院では下位貴族や下級生との交流もしているようで、勢いのある新興貴族がローゼンとの繋がりを持っていく橋渡しにもなっているらしい。
「全然追いつけないな……」
自然と独り言が出てしまったが、本人は気づいていない。
ルスラーンは、ブルザーク帝国での従軍キャンプ実習で、ダークサーペントに襲われるレオナ達を救った際、彼女から溢れ出た闇を目にしていた。
同行していた隠密のナジャが『封印している』と言っていたが、膨大な力を感じ……いざと言う時に滅することができるよう、さらなる修行をしてきたし、過去の文献を調べたりしてきた。嫌悪感とかはないの? とジョエルに心配されたが、不思議と全くなく――ただただ、力になりたいと思っている。
王国のために近衛騎士として日々まい進していく一方、その身のうちに闇を抱えている愛しい人を、自分はどう支えられるのか? と自問自答してしまい、なんとなく会いに行く勇気がわかないまま、今になってしまった。
「ルスは、真面目ですね。良いところなのですが、悪いところでもある」
ジャンルーカが、愛用の剣を腰に差し、装備を確認しながら、目尻を下げる。
「何も考えずに飛び込んだら、案外うまくいくものですよ」
では、と詰所を出て行くその背中を、ぼうっと見送るルスラーン。
「飛び込む……てどうすれば……」
かつてドラゴンの口に飛び込んだ男が、踏み出せずに迷っていた――
※ ※ ※
横で上下する、学院長のでっぷりとした白い腹を肘でこづいて、ベッドから下りて服を着る。
金ひげビーバーのような見た目の王立学院長は、昨晩も呼びつけてこの身体を好き放題にして……その後
「もうほとんど大人になっちゃったなあ。残念」
と、のたまった。
――僕、大人には興味ないんだよね。君の父上に次の子頼んであってさ。やっと見つかったんだあ!
笑顔で、あっという間のお役御免。
宿主が四歳の時から好き放題しといて、あっさりと。
――卒業? 知らないよ、僕。成績評価には関知してないもん。
その前歯、へし折ってやろうか。
――ほらあの、学生台帳? 魔法属性とか魔力量とか書いてあるやつね。あれは、隠しといたままにしてあげるからさ。あとなんだっけ、高位クラスに無理矢理入れた子も、そのままで良いし。お金? じゃ、これあげるから。もう二度とここには来ないでよね!
よくもまあそれで無防備に寝られるものだ、と鼻で笑う。
こんな醜悪な獣が教育者だなんて、笑わせる。
マーカムも、学院も、薔薇魔女も、ぜんぶ! 滅んでしまえ!!
終末の獣、間もなく来たれり――
じわり、とわき出す黒霧を、必死で我慢して微笑んだ。
※ ※ ※
「ふんふんふーん」
「楽しそうだね、ディス」
「だって、やっとだもの」
マーカム王国、王都の繁華街には、一部スラムのような場所がある。
第一騎士団が、治安の悪い場所として、その入口を頻繁に巡回しているものの、入り組んだ裏道は迷路のようになっていて、怪しい取引をする者や、家のない人間たちの吹き溜まりになっていた。
サーディスとサービアは、この一角に潜んでいる。
「下ごしらえに時間かかっちゃったけど、間に合ったのが嬉しくてさ」
「あのツルツル、うるさかったね。薔薇魔女に恨み晴らすって言いながら、お金欲しかっただけだったね」
「うん、まさか王都までついてくるなんてさ。しつこくてがめついから、思わずやっちゃった。でもさすが腐っても元騎士団員だよね! こんなに生け贄調達してくれた」
「お金払ったんだからこれぐらい……スラム潰してあげたんだから、国王には感謝して欲しいくらいだよね」
二人の横には、うずたかく積まれた、人、人、人。
そのてっぺんには、かつてハゲ筋肉、と呼ばれていたイーヴォが、仰向けでだらりと横たわっている。色を失った瞳は、見開いたまま。
二人は向かい合わせに坐禅を組み、額と額、手のひらと手のひらを合わせた。手の甲には、青黒いあざが広がっている。
「「ルタ・マウナ・クータスタ」」
息もできないほど凶悪な汚臭は、不潔だからだけではない。よく見ると、積み上げられた人の下には、何らかの魔法陣が描かれている。
その近くで焚くのは、魅了草、別名チャームポピー。
「ジャムファーガス入りのご飯、美味しかったよね」
「最期にお腹いっぱい食べられたんだから、感謝して欲しいな」
煙がそれらを覆うと、みるみる人の山が白骨化していく。
「バアルへ届けよ」
「バアルよ、冥界神よ、我らの願い」
「「叶たまえ」」
――黒い光が一筋。
スラムから変な光が上がったのを見た!
スラムのやつら、なんか減ってないか?
などと人々は噂したが、すぐに忘れてしまった。
※ ※ ※
魔術師団副師団長である、ラザール・アーレンツは、副長であるブリジット、トーマスと共に王立学院を訪れた。
トーマスが、攻撃魔法実習を教えている際、屋内演習場の結界の綻びに気づいたからだ。
「ここと、あとあそこもです」
「なるほど……」
「何度か修復したのですが」
トーマスが報告をすると、ブリジットが
「変ですわ。結界を壊すのが目的ではないようです」
と深刻な顔を返す。
「壊すのが目的ではない?」
「ええ。魔道具か何かで、強引に結界の役目を変えようとした痕跡があります」
ラザールが、指摘箇所を確認する。
「だが、まるで素人だ」
「ええ、副師団長の仰る通りです。少しでも知識がある者の仕業ならば、結界の変質で目的も分かるのですけれど」
「むしろ素人だから、やってることも適当。それで何をしたいのか分からないってことか……!」
トーマスが、悔しげに歯噛みする。
学生か、学院関係者か、騎士団か。
「とりあえず、巡回強化を申請しよう」
ラザールは、嫌な予感に背筋が冷えるのを感じていた。
すると
「ラジ様!」
背後から明るい声がし、振り返るとそこには。
「レオナ嬢」
「お久しぶりですわ!」
「久しぶりだな」
後ろにヒューゴーとテオを従えているレオナが、制服姿で簡易なカーテシーをするのに併せて、ラザール、ブリジット、トーマスが騎士礼を返す。
久しぶりに見たその魔力は……
ラザールは思わず鑑定の魔道具である半眼鏡を指で押し上げた。
「! レオナ嬢、その魔力は」
「さすがラジ様ですわね」
少し、気まずそうにされてしまったので、慌てて取り繕う。
「ああいや、その、責めたいわけでは」
「ふふ。――我慢するのを、止めたのです」
以前にはなかった闇属性が、七色に黒を加えた、夜のオーロラのように見えている。その力は強大で恐ろしいが、美しく思えた。
「そうか……体調は大丈夫か? 頭痛は……」
「うふふ、お優しい」
「うわー、副師団長、相変わらずレオナ様だけ特別扱い! ずるい! ボクにも優しく!」
「んん!」
「こら! トーマス!」
ブリジットがまた、書類を挟んでいる板の角で、トーマスの頭を叩く。
「いだあ! 角はヤメテ!」
「まあ!」
「お気になさらないで、レオナ様。この子、お調子者なので」
「お調子者だな」
「「なるほど」」
「ちょお! その公式認定、辛い!」
だがトーマスの明るさが、レオナをいつも助けてくれるのだ。
「いつもありがたく存じますわ、トーマス様」
「ほえ!?」
「女子学生たちからの評判も良くってよ」
レオナが言い、素直に赤く頬を染めたトーマスに
「話しかけやすい、子犬」
「間違っても絶対叱らない、ヘタレ先生」
ヒューゴーとテオが、追撃する。
「それ、褒めてるの!?」
「「たぶん」」
「ふくざつっ!!」
「あ、ラジ様、よろしければ、攻撃魔法のおさらいをしたくって」
レオナが申し出ると
「ふむ。少し待ってくれるか? 結界を修復してから、存分にやろう」
ニヤリ・ラザールのご降臨である。
「はい!」
「うおー。見たーい!」
「はあ。お調子者と私で見学させて頂きますわ」
「ぶ、ブリジットさーん!?」
「「がんばれ」」
レオナは、ラザールに空間結界を直接教えてもらうことにしたのだが、ついでに移動魔法も、と特訓されたのだった。
※ ※ ※
「頭痛が酷くて起き上がれないんだ」
カミロが、学院の休養室で辛そうな青い顔をしている。
研究室を訪れたフィリベルトが、カミロ不在を不思議に思って探した結果、なんと倒れて運ばれたのだという。
「大丈夫そうではないですね。一人では不安でしょう。我が邸に来て頂ければ、治癒士も呼べますから」
申し出た公爵令息に
「申し訳ない……」
と、ただただすまなそうな、カミロは額を苦しそうに押さえている。
「あ、しまった……! フィリ、すまない」
「どうしました?」
「たぶん、研究室の鍵を掛けられていないんだ」
「!」
「君の方は大丈夫だけど、私の……」
「何か危険な物は置いてましたか?」
「大したものはないと思うが……魔石と、あ!」
「まさか」
「破邪の結界の応用で、拘束具を作っていた! 未完成だが机の上に」
フィリベルトが宙を睨むと、影が動いた気がした。
「それは、どのような?」
「肉体ではなく魔力だけを封じるものだよ。レオナ嬢は制御できているが、そうではない人が普通に暮らせたらと思いついて、研究していたんだ。まだ調整できていなくて。拘束できるかも検証していない」
「……その話、どこかでされましたか?」
「いや。ただ、予算取得のため学院長には詳しい書類を提出している」
「そう、ですか」
――フィリベルトの懸念通り、その研究中の魔力拘束具は、何者かに盗まれたか何かで、紛失していた……
お読み頂き、ありがとうございました!
昨日のジャンルーカ様がご心配だったと思いますが、ご安心ください。わざとでした♡
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