〈129〉動き出すのです
昼休みから戻ったディートヘルム達は、気味が悪いほど静かだった。レオナ達は拍子抜けした訳だが、一人、午前中に見かけなかった青年が教室にいるのに気づいた。
色白で、ほぼ白の長い銀髪を後ろでゆるく結んだ、碧眼の華奢な男子学生。軍服よりキャソック(聖職者の平服)の方が似合いそうだな、と思っていたら、なんと
「はじめまして。今日は儀式があって遅刻してきたんだ。僕はミハル・ゼメク。隠していてもすぐバレるから先に言うけど、イゾラ聖教会、ゼメク枢機卿の息子だよ」
と自己紹介された。
枢機卿、という地位は、教皇に次ぐ高い地位であるため、レオナがいささか驚いていると
「ゼメクは、代々ブルザーク元老院オクタ・セナタスの終身議員を勤めている家でもあるんだ」
とさらに補足をしてくれた。
「それは、ご丁寧にありがたく存じますわ」
「うん。レオナ嬢は慣れるまで大変だろうけど、宜しくね」
「こちらこそ」
なんかやっとまともな対応ができる学生に会えた気がするな! とレオナはホッとしたが、マリーはそうではないらしい。
無表情で気配もいつもと変わらないように振舞っているが、レオナにだけは分かる『警戒レベル引き上げ』だ。
――確かに紳士的で柔和な態度だけど、目が笑っていないわね……ランチは食べられていないけど、お腹いっぱいな気分!
「あ、君が第一号君だね」
ジンライに、ニコニコと話しかけるミハル。
「えっ」
「投資に値する成果を出すのって大変だろうけど、応援してるよ」
「あう……はい、頑張ります」
――前言撤回。紳士的で柔和なフリして、早速ジンライの心を折りに来た! さすがマリー!
「第一号?」「投資って?」「あいつそういや、苗字ないってことは平民だよな……」
周りのザワつくクラスメイト達に対しミハルは
「おや? ホンザ先生は説明していないのかな? ブルザーク皇帝が国費で援助して、優秀な学生を国内外からこの学校に入れる制度を作ったんだけどね、彼がその第一号。素晴らしい名誉だね!」
と大仰に言ってのけた。その声は静かだが、影響力は計り知れない。この教室の支配者は、ボス猿なんかじゃない、こいつだ……とレオナは悟る。
もちろん就学給付金制度は公的なもので、隠していない。
が、ジンライの性格を鑑みて、サシャが「おおお表立っていい言うこともないですよ!」と気を遣ってくれ、ホンザ先生にも申し送りがされていたはずだ。
「平民のくせに?」「留学できる身分かよ」「うわぁ、どうやったんだ?」
遠慮なく刺さる、クラスメイト達の無遠慮な声に、ジンライは――
「ありがとうございます! はい、名誉です!」
と、言い切った。笑顔で。
「めちゃくちゃ頑張りました! 皇帝陛下って、実際会ってもすごい怖いですよね! ミハルさんは、平気すか!?」
「え……」
「あの目で見られると、ブルブルしちゃいますよね! すげーカッコイイし迫力だし、声も」
「……皇帝陛下に謁見したの?」
「ん? もちろんすよ! ちゃんとお礼も言いましたよ!」
ザワッ
「へえ……それもまたすごい名誉だね」
「はい!」
「皆さん、席に着いて……おや、ミハル君?」
二人のやり取りは、次の講義のためにやって来たホンザにより中断となった。
※ ※ ※
「ジン、大丈夫?」
講義終わりに廊下を歩きながら、レオナが気遣うと
「はい! 俺、これでも国を出るって決めた時に、色々覚悟も決めて来たんすからね。まー、前までの俺なら、ブルブル泣いてっかもっすけど……なんつうか、ああいうのに構ってらんないんすよ」
「構ってられない?」
「はい。俺、親方やレオナさんやゼルさん、テオやヒューゴーさん……いっぱいいますけど、ちゃんとこなして、誇りたいんす!」
「ジン……」
レオナは、胸がぎゅう、となる。
すごい、前を向いている。――目が、キラキラしている。
「まー正直、心臓バクバクしてるし、また嫌なこと言われたり、されたりすんだろうなって思うんすけど」
たはは、とジンライは笑う。
「でも、俺にはレオナさんとマリー師匠がいますから」
「ジン!」
レオナは思わず、ジンライの脇からぎゅう、と抱きついてしまった。
「もーレオナさん、俺、ゼルさんに殺されますってー!」
ジンライが、無抵抗を示すバンザイで苦笑する。
「レオナ様、はしたないですよ」
マリーは苦言を呈しつつも、仕方ないですね、のニュアンス。
「ごめん!」
嬉しい。嬉しいのだ。
自分に、少しでも誰かの力になれることがある。
友達が、未来に踏み出している。
私も頑張らなくちゃ、と思えるのが、嬉しい。
「レオナ様、一体何を……」
だが、迎えにやって来たマクシム達を、盛大に戸惑わせてしまったのは、反省しなければならない。
※ ※ ※
「さて、タウンハウスまでお送りすればよろしいか?」
「あ! えとね、ホンザ先生のところに寄りたいの」
「はい。何か問題でも?」
「問題だらけなのよ……」
「えっ」
「先生に説明をするので、一緒に聞いてもらえるかしら?」
「……御意」
マクシムが教務室の扉をノックすると、すぐにホンザが応答してくれた。
教務室は、現代日本でいう職員室のような感じで、複数の先生が座っているので、レオナが「ご相談があります」と言うと、その横の会議室に通してくれた。
「お忙しいところすみません、先生」
「いえいえ。頼りにはなりませんが、せめてなんでも言ってもらいたいです」
「ありがたく存じます。実は」
レオナはまず、食堂の状況を言った。
「汚いのはまあ、あれですが、メニューが?」
「はい。お肉しかないんです」
「そ……うでしたか……僕はいつも、自席で持参した物を食べるので知りませんでした……」
「マクシム少佐の時は、いかがでしたか?」
「はい、今思い出していたんですが、普通にスープとサラダ、パンぐらいはありました……」
「なぜ、こんなことに? 他の学生から不満は出ていないのでしょうか?」
レオナが言うと、ホンザは首をひねる。
「ううむ……ちょっと調べる必要がありそうですね。預からせて頂けますか?」
「申し訳ございませんが、お願い致します」
「ええ、食事は人間にとって大事なことですから。言ってくれて良かったです。他にもなにか?」
「……はい。申し上げにくいのですが、皆様のマナーについてです」
「ほう?」
「我々の、ですか?」
「はい。こちらは元々士官学校。教育は軍人育成が元になっているとお聞きしております」
「はい、その通りですね」
ホンザが肯定する。近年は魔道具研究が盛んになり、研究所や魔道具師の道へ進む者への、教育や援助もしているが、元々は士官学校である。
「その、私は今までブルザークのかなり高位の方々と接していました。一般的な方々と接したのは今日初めてで、その」
「学生達にマナーが身についていないと」
ホンザがあまりにもキッパリ言うので、レオナは面食らった。
「その通りです」
「え!?」
「残念ながら、マナーなど二の次、というのが正直なところですね」
「そう、ですか……」
「なんというか、無骨な振る舞いこそが男らしさ、と勘違いしている者が多いんですよ。ご存知かもしれませんが、ブルザークでは非常に男性が優位です」
「はい」
それは、皇帝ラドスラフにも言われたことだ。
「女性の前で品良く振舞ったりエスコートしたり、という文化は、まだそれほど定着していないのです。そこのオリヴェル君くらいからでしょうかね。国外の賓客に接する機会のある地位の者たちに、初めて叩き込まれる、と思ってください」
「なるほど。かしこまりましたわ」
「とはいえ、帝国は現皇帝になって国内が安定し、国外とのやり取りも増える。今のままでは到底マーカムのような豊かさは手に入らないでしょうね」
「マーカムは、豊かでしょうか」
「ええ。スタンピードの不安を抱えているとはいえ、安定した農作物の生産と、社交界などの文化形成、強固な騎士団。何より魔力という人間本来の素質に対する優位性もある。ローゼン宰相閣下の手腕によるところも大きいかもしれませんが、帝国はむしろ見習わなければならない点がたくさんあるのです」
褒められて嬉しい反面、レオナは腹の底が冷えるのを感じた。
「もしかして皇帝陛下は……」
「レオナ様は、聡明でいらっしゃる。ただ、それを表に出すべきではありません」
「……かしこまりましたわ。ホンザ先生、一つだけお願いがございます」
「はい、なんでしょう」
「お昼のお食事だけは、看過できませんの。私達に『マーカム流』をご許可頂けますか?」
「ふふ。分かりました、許可しましょう」
「感謝申し上げます。お話が聞けて大変助かりました。お時間を賜りありがたく存じます」
「こちらこそ。また何かあれば、言ってください」
そうして学校から出たレオナに、ジンライが
「あの、レオナさんは、何に気づいちゃったんですか?」
と不安そうに聞いてきた。
「ん? んー、大丈夫よ! 明日からも、たくさん勉強しましょうね! ランチのご許可も頂けたことだし!」
「そ、ですか」
「はあ、それにしても、そんなことになっているとは、ですね」
マクシムが盛大に溜息をついた。
「まあ、やはり違うのね?」
「あそこの食堂が美味しかったか、というとそうでもなかったと思いますが、肉だけというのはあまりにも」
「良かった、ブルザークの食文化に慣れないといけないのかしら、って不安だったわ! お兄様は研究所所属で帝国学校には通われていなかったから、一切こういったお話はお聞きしていなくて」
「なるほど。研究所なら、隔離された環境ですからね。ブルザークは塩が豊富なので、塩漬け肉は多いですが……」
「一度、街でお食事をしてみたいわ!」
「お付き合いせねばなりませんね」
「ふふ、よろしくね!」
マクシムとレオナがそのような会話をしていると
「あのっ」
前を歩いていたヤンが、振り返る。
「?」
「どうした、ヤン?」
マクシムが尋ねると
「こ、こんなことをお願いするのは、ダメだと思うんですがっ」
マクシムはレオナの顔を見、レオナは頷いた。
「言うだけ言ってみろ」
「は! あの、自分にマナーってやつを教えて頂けないでしょうか!」
「へ?」
戸惑うレオナの代わりに、マリーがその対応を請け負う。
「どういった目的ですか」
「は、あの、自分はまだ軍曹です。そういった教育機会がまだないのは存じておりますが、その、先日の失敗もあり、少佐の立ち居振る舞いを見て、学ばねばと思ったのです!」
「必要性を感じた、と」
「は!」
「良いですよ」
「は?」
「私で良ければ、お教えしましょう。マーカム流ですが」
「マリー殿、良いのですか?」
マクシムが心配そうに聞くと
「レオナ様のためです。周りの振る舞いが、その主人の評価に繋がりますから」
ニヤリ、と笑んだ。
「……確かに」
マクシムも頷く。
「ヤン軍曹」
「は!」
「私は、厳しいですよ」
「は! 望むところであります!」
「お覚悟を」
「は!」
若干、ヤンの耳が赤いのは――緊張のせいだろう、と色々飲み込んだ、レオナであった。
※ ※ ※
「なかなか、気の強いご令嬢みたいだね」
クスクスと、ミハルが中庭のベンチで本を読みながら、笑う。
「あの女、なめやがって」
「ディート。あの手の人間は、頭を使わないとダメだよ」
その横でイライラと膝を揺するディートヘルムの膝頭に、ミハルはそっと手を置いた――収まった。
「頭?」
「うん。僕に考えがあるんだけど、聞く?」
「あいつをへし折れるんならな」
「ディート次第かなー」
「……聞かせろ」
「まず、あの三人を引き裂かないとダメだよ」
「ほう」
「孤立させてから、心に入り込むんだ。誰の心が一番弱いかな」
「そりゃ、あの平民野郎だろ」
「僕もそう思うね」
「……うし」
ディートヘルムは、立ち上がって伸びをした。
「ミハル、いつもありがとな!」
「いえいえ。また明日ね」
「おー!」
ひらひらと手を振って、ミハルはまた本に目を落とす。
「ミハル様……」
しばらくすると、潤んだ瞳の女子学生が一人、近づいてきた。
「また懺悔したいのかい?」
「はい……」
「ふふ、悪い子だね。おいで」
ぱたん、と本を閉じて、ミハルはベンチの裏の小屋へ誘う。学校内に設置されている、祈りのための十畳ほどの小さな礼拝所で、その鍵はミハルが管理していた。中は最低限の天窓と、イゾラ像、ベンチしかない。
「お仕置、してください」
礼拝所に入るなり、その女子学生は、制服のボタンを一つずつ外していく。
「うん、いいよ」
ミハルの日課が、始まった。
お読み頂き、ありがとうございました!
フィリベルトは、王立学院を卒業して高等科1年生の時に留学しています。そのためレオナとは少し違います。
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