〈128〉やるしかないのです
ホンザが授業の質は保証する、と言った意味はすぐに分かった。知見の広さ、知識の深さ、どれも申し分のない内容だった。一つだけ難があるとすれば、その声が非常に柔らかく心地よく、眠気を誘ってしまうことぐらいか。――ブルザーク猿軍団は、ボス猿を除いて全員スヤスヤ寝ていた。
ジンライの魔法については、きちんと彼が即座に謝罪したことにより、表向きは収まったかに見えた。が、恐らくディートヘルムの心中は穏やかではないのだろう。その証拠に、床抜けるんじゃ? というくらいの貧乏ゆすりである。
――なーんか、小物感がものすごいのよねー
父親で陸軍大将のアレクセイには申し訳ないが、息子のディートヘルムは短慮、短絡思考のただのボス猿にしか見えない。とてもマクシムを貶められるような人脈を持っているとは、思えなかった。
――まぁでも、アザリーの陰謀の後だもんね……
国家間の様々な謀略と、命懸けの呪いや、本当の命の危機を乗り越えた今、多少感覚が麻痺しているかもしれない、とレオナは思い直した。
※ ※ ※
午前の授業を無事に終えたお昼休み、学生食堂にやってきたレオナ達三人は、その汚さに絶句する。
「こ、ここで、食べるの!?」
「うはあ」
「……ちょっと、無理ですわね」
さすが男社会。しかも学生。騎士団の食堂以上の汚さで、テーブルどころか床まで食べこぼし飲みこぼしが落ちていて、歩く度に何かを踏んで、ねちゃり、とする。
「掃除しないんすか!?」
ジンライが思わず近くにいた給仕のおばさんに聞くと
「したって無駄だよ! 奴らが好き勝手に撒き散らすのさ!」
と、逆ギレである。
またここでも猿どもか! とレオナは頭が痛くなる。
「明日からお昼は持参致しましょう。中庭で食べる方がましです」
マリーが言うことも一理あるが、雨の日はどうする、とか他の女子学生は、とか色々想像してゲンナリするレオナである。
「そうね……今綺麗にしても、使う側の意識が低いとまた繰り返すだけよね」
勉強以外の問題が多すぎる、と皇城に直接文句を言いに行きたいところだが、致し方ない。皇帝が、こんな問題まで把握しているわけないしな、と努めて頭をクールダウンさせる。
「それなら、勝手にやっちゃいましょう」
レオナは、空いていた端の八人がけ長テーブルを、綺麗にすることに決めた。
「あ、掃除なら任せてください」
ジンライが制服の上着を脱いで椅子に掛けると、シャツだけになり腕まくりをした。
「雑巾とバケツ借りて来ますわ」
マリーが颯爽と動く。
この二人がいなければ、レオナはとっくに留学どころではなくなっていただろう。
環境、というのはこれほどまでに大切で、心に影響するものなのだな、と実感できたのは良かった、と思う他ない。
「魔法使って良いかしらね」
「いーんじゃないすか? 陛下、やっちまえ、て言ってたんでしょう?」
――あくまでも『個人の見解』てやつだけどな!
バケツと雑巾を持って戻ってきたマリーは、周囲の学生達が「なんだなんだ」「何する気だ?」とざわつき始めたのを横目で見ながら
「ブルザークの男性って、どんなものかと思って来てみれば、まともに食事もできないのね!」
ガン! とバケツを床に置いて、大きな声で愚痴る。
「レディ! 俺とデートしてくれえー!」
一人、ガタイの良い熊のような男が、ニヤニヤ話しかけてきた。が、マリーはびしぃ、とその男子学生を人差し指で指すと
「口の周りの食べかす! 袖口ぐちゃぐちゃ! 手を上着で拭かない! そんな汚い男は願い下げよ! 女口説く前に、自分を磨きなさいっ!」
と一刀両断。熊男は自分の上着を見てその汚さに気づき、ぐうの音も出ず、すごすご去っていく。
――マリー師匠、かっけえ……
周りの男子達も、さりげなく自分の制服の上着を見て「うわ」「やべ、きたね」「お前もやべえぞ」と言い合っている。
「相当イラついてましたからねえ」
ジンライのそのセリフで、レオナは思わず遠くを見てしまう。
ある意味、最強に怖いのはマリーなのである。
頼むから手加減してくれぇ! と泣きつくヒューゴーの顔が、思い浮かんでしまった。
そうしてマリーが周りの意識をそらしてくれている間に、レオナとジンライは、なるべく最小限かつ迅速に魔法を使って、テーブル周辺を綺麗にした。レオナがテーブル表面を風魔法で削り、ジンライのゴーレムの手で、食べかすも木くずも一気に、テーブルと床を拭き掃除。この一角だけ、見事にピカピカである。
「ジンライ、すごいわね!」
「ういっす。……ゼルさんのお陰っすね」
今度はジンライが、すん、となった。
「あー」
ゼルの部屋も、汚かったもんなー……
「あれを今はテオ一人でと思うと、ちと可哀想っすね」
「ふふ、今はマシなんじゃない?」
「だといいすけどねー」
そうこうしている間に、
「レオナ様……メニューにも問題が」
バケツを返してきたマリーが、テーブルにお皿を置きながら溜息をつく。
「えっ」
「問題ってなんすか!?」
「肉しかないんです」
「「肉しかない!?」」
「はい。肉だけです」
「サラダは?」
「ありません」
「パンぐらいありますよね!?」
「ありません」
「「マジ」」
「マジです。とりあえず、一番マシなチキンをもらってきたんですが」
お皿の上には、骨付きの、そのままかぶりつきスタイルな、ももの部分が鎮座している。
「こ、これ」
「わー! 野宿飯っすねー」
――おいジンライ、誰がうまいこと言えと!
「あとは塩漬け肉、ごてごてステーキ、よく分からない煮た肉、しかないです」
「「よく分からない肉」」
「はい、よく分かりませんでした」
「……やっぱり明日から、ランチ持参しましょう」
「っすね。レオナさん、作り方教えてください。俺も作るんで」
「そうですね、三人で手分けして作りましょう」
「ていうか、まさか……」
「はい、そのまさか。お茶もありません」
「……まーじすかー」
「え、待って。泣きそうなんだけど」
「レオナ様。今日だけ耐えましょう」
「レオナさんっ、今日だけなんで!」
「ううう。今日だけ。今日だけ。ううう」
マリーとジンライが、ナイフとフォークで四苦八苦して切り分けてくれた肉を、レオナはかろうじて食べたわけだが。
「しょっぱ!」
「塩の味しかしねえー! なんすかこれ? 笑えないぐらいヤバいすね。え? てか、みんなこれ食ってるんすか?」
「……犬の餌?」
食事って、ある意味一番大事なのに!
これじゃあ、学校で暴れたくなる気持ちも、分かっちゃうよ!
「……レオナさん、こうなったら、前向きに考えませんか」
ジンライが、真剣な顔で言う。
「料理魔道具の、研究の一環になりますよね! まず食堂飯を改革って、どうすか!? 俺も手伝うんで」
「……これは、さすがに皆体壊しますね。私もそれが良いかと」
「うう、早速ホンザ先生に相談を……」
「それに、マクシム様にも聞いてみましょう。前からこうなのか」
「っすね……だって、屋敷の食事は普通ですもんね」
そうなのだ。
ブルザークの食文化が肉だけなのなら、まだ分かる。
しかし、海からの塩害で作物が育ちにくい土地柄とはいえ、野菜は数種類は育てられて流通しているし、それこそマーカムからの輸入も盛んなはずだ。
「初日から、試練多すぎない!?」
レオナが思わず言うと
「レオナ様ですから」
マリーが眉を下げ
「レオナさんですもんねー」
ジンライが同調した。
「どういう意味!?」
「なんか、引き寄せる体質なんすかね?」
ジンライが真剣な顔で悩むと
「ややこしいことを解決する宿命を、負っているのでは?」
マリーもそんなことを言ってのけるので、レオナは困惑するばかりである。
「……真実は、いつも一つだと良いんだけど……」
「「?」」
脳内を小学生探偵が走り回ってしまったレオナは、それを振り払うかのように一度頭を振ってから、カトラリーを置いて二人に向き直った。
「んん、とりあえず、まずはホンザ先生に相談。帰りにマクシム様達に武器魔道具の件と、この件を聞く。タウンハウスでシモンに、ブルザークの軍人のマナーについて確認」
「軍人のマナー?」
ジンライが、首を傾げる。
「マーカムでは、騎士団も貴族の振る舞いに準じてマナーを身につけていたけれど、ブルザークにはその文化はないのかもしれないわ」
「なるほど、粗野のままで良いのなら、これらは『普通』のこと、ですわね」
「ええ。私達はあくまでも、上の地位の方々としか接してこなかったもの」
ブルザークの庶民文化を知ることが、解決策に繋がる、とレオナは考える。
「とはいえ、これは酷すぎません?」
鍛治ギルドで男社会に揉まれているジンライですら、この苦言。
「そうよね……」
「あとは、女子学生の意見も聞ければ良いですね」
「うん、そうね」
身の危険があって隠れているのか? というくらい、姿を見かけない。
「私達の感覚を信じて、やるしかないわね」
一人で来なくて、本当に良かった、とレオナは深く息を吐いた。
※ ※ ※
「ディート様、どうするんです?」
「やつら、調子に乗りますよ」
「でも、あの魔法は……」
「うるせえ! あのジンライとかいう奴が、側にいない時を狙うぞ!」
「でも。あの赤い目の女、皇帝のお気に入りって噂っすよ」
「は! 噂だろ? 俺ですら皇帝には会えねえ。嘘に決まってる」
「そっすよねえ」
「とにかく、舐められたままにはしねえ! しばらく観察するぞ。隙を狙うんだ」
「さすがディート様!」
「この俺をバカにしやがって……」
「ふふ。当たってるじゃん、ボス猿」
「あ゛!?」
「ミハル様……」
「本日もお綺麗で……」
ディートヘルムの仲間達は、気だるそうな青年が背後にいるのを見て、咄嗟に床に膝を着き、イゾラの祈りのポーズをして迎えた。
ミハルと呼ばれる線の細いその色白で白銀髪の男は、手のひらで彼らの頭を一撫でずつしながらディートヘルムに近づくと、潤んだ碧眼で見上げ、妖艶に微笑んだ。
「噂の薔薇魔女を見に来たんだよ。ディートにしては、頭使ってるね。偉い」
「……うるせえ」
「なーにー? もう助けてあげないよ?」
ミハルは、ディートヘルムの顎を人差し指で撫でる。
「うぐ……薔薇魔女って、あの田舎王国のおとぎ話か?」
「お、いがーい! 知ってるんだねディート。いいこいいこ」
「……」
ミハルに頭を撫でられるのを、なぜかディートヘルムは甘んじて受け入れている。仲間達はむしろそれを、羨ましそうに見ていた。
「どんな子か、楽しみだなー!」
ふふ、と微笑むミハルの目は、笑っていなかった。
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