〈105〉やんごとなき日々の再開なのです
演習も終わって、お休みの日。
明日からの学院再開に備えて、レオナは自室で本を読みながらゆっくりと過ごしていた。
「レオナ様、お手紙が届いております」
マリーが颯爽と持ってきた封筒には、マーカム王国の紋章が封蝋してある。――開けるだけで緊張する。
「相変わらず殿下は、行動が早くていらっしゃるわ」
苦笑しながら中身を読むと、第一王子のアリスターから、お茶会のお誘いだった。昨日の今日である。次のお休み、つまり六日後に王宮のガーデンで、とのこと。フィリベルト次第だが、ほぼ決定事項だろう。
「それからこちらも」
ブルザーク帝国の封蝋である。
「うっ……」
「何か嫌なことでも?」
マリーが心配そうに言うので、
「違うの、ただね、学院を見学したいと仰っていて……」
「まあ! それはそれは、なんと申しますか」
ペーパーナイフで上側を切ってから丁寧に中身を取り出し、かさり、と開けると、やはり学院見学の件だった。国王と近衛筆頭に直接話をした、恐らく三日後には行くだろう、と書いてある。
「うっ、相変わらずこちらも早い……はぁ……」
三日後、というと……と学院の講義予定を思い返す。
「国際政治学、経済学――剣術……剣術かあー」
何事も無いと良いけど、とレオナは溜息をつきながら、返事をすべく机に座り、ペンと手紙を取り出した。
「ハーブティーをお持ちしますわね」
「ありがとう、マリー」
「はい。後でお茶会のお洋服を一緒に選びましょう」
「……分かったわ」
レオナは集中してペンを走らせる。
時候の挨拶、お誘いへの感謝、フォーマットは大体決まっているものの、失礼にあたらないようオリジナリティも出さなければならない。
誤字脱字にも気をつけつつ、となるとなかなか手書きというものは気を遣うし、肩も凝る。相手がロイヤルなら尚更だ。
「ふう……こんなものかしらね」
お茶会招待への返事は、なるべく簡素に。
皇帝には、無難に返すと「つまらん」と言われるので、学院の特色を少しアピールした。
――うん、なかなか疲れたわ!
こんな時はやっぱり。
「シャルに会いたいわー」
思わず独り言が漏れた。
元気な親友と、お茶したい。でも呼びつけるのもな、と思っていると。
「だと思ったわよ」
ハーブティーを持ったマリーとともに、やって来たのは
「へっ!?」
「来ちゃった」
なんとシャルリーヌ。
マリーがクスクス笑っている。
どうやらノックに気づかないぐらい集中していたようだ。
「以心伝心、ですわね!」
「シャルー!」
思わず立ち上がって、ハグしにいく。
「はいはい」
「さすがシャル! 大好き!」
「私もよー。色々大変だったんでしょう? 全部聞かせてもらいますからね」
……う。刺されたとか知ったら絶対怒られるやーつー……
「全部よ?」
「うっ、はい……」
マリーが苦笑しながら、美味しいハーブティーを淹れてくれた。
※ ※ ※
「レオナ、これ助かった。返す」
学院のハイクラスルームで会ったゼルが、貸していた街歩き用眼鏡(瞳の色を隠す魔道具)を手渡して笑う。
朝の柔らかな日光をきらきらと反射する、黄金の瞳がそこにはあった。
すれ違う学生達が息を飲み、拝む者まで居たらしく、朝から疲れたぞ! と愚痴りつつも、ゼルの顔はスッキリしている。
「どういたしまして。ふふ、『ねー、すごいわね、その黄金の目』」
「ん?」
「初めて見たわ!」
「レオナ……」
途端に恥ずかしがるゼルは、彼がレオナに初めて声を掛けた時のことを思い出したに違いない。
「そうだな……そうだったな」
「懐かしいわ。最初はすごいグイグイ来るなって思ったのよ?」
横からシャルリーヌ。
「いやその、同じような境遇だから、仲良くしたいと思ってだな」
「公爵令嬢相手に、やるわねえー」
「そういうシャルの警戒心もすごかったよな、子犬がキャンキャン吼えてるみたいだった」
「ちょっと!?」
――いやだから、喧嘩ップルかな?
思わず横の元祖喧嘩ップルの片割れを見てしまう。
「……なんすか。俺は止めませんよ」
苦笑を返された。
「あれに巻き込まれると、俺も死ぬんすよ」
「ヒューゴー? どういう意味?」
シャルリーヌの目が据わっている。
「えーあー、ほらそのー、あ、そろそろ講義始まりますよ」
またしてもカミロに救われたのだった。
昨日のシャルリーヌは、本当に大変だった。
ハーリドの襲撃については、国家の機密事項(ザウバアの謀略や宰相暗殺未遂)も関連していたため、あえて詳細は伏せていたし、彼女もそれには納得していた。
が、公爵邸に侵入者があり、かつレオナが刺され毒で死線をさまよったことは――マリーが隠すべきではない、とはっきり伝えたのだった。
だが逆に良い機会でもあり。
「シャル、私の魔力ね、やっぱりその、すごいみたい。だから時々、暴走しちゃうかもしれないの」
思い切って言えたことは、レオナにとっての大きな第一歩になった。
口に出すことで、自覚が強まったとも言えるのだ。
「そう、そうなのね……私は魔力が少ないから分かってあげられないけど、でも! レオナはレオナだからね?」
「うん、ありがとう、シャル」
ヒューゴーと同じことを言うんだな、とまた感謝した。
――と。ある休み時間。次の講義に備えて準備をしていると
「ブルザーク帝国皇帝陛下が、見学にいらっしゃるようなのだ!」
ハイクラスルームにその声が響き渡り、途端にどよめきも広まった。
だーかーらー、エドガーのコンプラどうなってんの?
ガバガバなんだけど!
「うわ」
「あーあ」
ゼルとシャルリーヌが呆れる。
「どうせまたどこかで聞きかじっただけっすよ」
ヒューゴーが、淡々と言う。
「あの口の軽さ、王宮内で相当問題になっているようで」
「「「えっ」」」
三人同時にヒューゴーを見やる。
「今回起きた色々なことは――残念すけど、外部へ漏れた情報が起因である可能性も高いとみて、調査が入ってる。それは今朝王宮で通達済のはずが……あれとは、ねえ?」
エドガーが度々ザウバアとお茶をしていたことは、周知の事実となっている。が、あの通り裏も表もない様子に、外でみだりに話さないこと、と口頭注意に終わったそうだが、全く響いていない。本当に残念としか言い様がないな、と全員で溜息をつく。
「さすが! そんなことまで知っているなんてっ。エドガーってやっぱりすごい人なのね! 素敵!」
キャピキャピ声も響いてきた。
いつの間にか呼び捨てでタメ語……頑張ったんだなあ、ユリエよ、と思わず遠い目になってしまうレオナである。
「うわぁ……」
漏れ出たシャルリーヌに思わず
「まるで娼館だな」
とこちらも漏れ出た。
「えっ、ゼル?」
「……今……なんて?」
シャルリーヌが半目になっている。
レオナは白目を必死に我慢している。
行ったことあるってことー!?
しょしょしょ、衝撃なんだけど!
「えっいやその、ない! ないぞ! なあヒューゴー!」
「は!? なんで俺!?」
「助けろ!」
レオナとシャルリーヌのそれはそれは冷たい視線に、瀕死のゼル。
「……しらん、あきらめろ」
「だあああ! アイツのせいだ、くそ!」
――あー、やけに女性の扱いに慣れてるなあって思ったのは、それでかー……へー……
「レオナ! やめてくれ、そんな目で見るな! 違うんだ!」
「……べつにふつうだけど?」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」
ゼルが自分の机にがばりと伏せた。
「はあ、やれやれ。一応言っとくけど……貴族男性、特に王族の教育の中には、そういうのもある」
ヒューゴーが致し方ない、と補足する。
「マナーの講義もたまに男女別でしょ。そういうことなんで。だからまあ、ある意味義務っす」
「「……」」
――ちょっと刺激が強いですー!
「そ、そう」
「わ、わかっ……」
まだ動揺している二人の令嬢に、意地悪な笑みでヒューゴーは続けた。
「まーゼルは正当な教育だけでしょ。真面目っすよ。ジョエル様なんて……てもっと詳しく言おうか?」
「……ごめんわかった。もういいから。ゼルごめん」
シャルリーヌが頬をふくらませて真っ赤になり、プルプルしている。
――だから! し、刺激が! 強すぎるよー!
「ほんとか? 嫌ってないか?」
ゼルが涙目だ。いつもなら獅子のように獰猛なのに、今は完全に子猫である。
「大丈夫よ」
「うう……ていうか、なぜヒューゴーは責められんのだ?」
「へ?」
――だって既婚だし、とは……言えねえってばよ!
「だってヒューゴーは、一途だもん。……きっと」
レオナが答えると、ゼルの何かのスイッチを押してしまったらしい。
「くそ、レオナ。デートだ、デートするぞ。いつだ、いつが良いんだ!」
「へっ!?」
「約束したろう!」
獅子復活!
「あー、とりあえずゼル落ち着け。ほら、次の講義始まるぞ。な」
なだめるヒューゴーに、厳しい視線のシャルリーヌ。
学院再開早々、厄介事が起きすぎじゃないかなー? とレオナはこっそり白目になった。
※ ※ ※
「クックック、学院長とやら、あからさまにすごいな」
王宮の豪奢な客室で、受け取った手紙を読みながら、ブルザーク帝国皇帝ラドスラフは笑いが止まらなかった。
「げげげ下品ですう」
サシャは汚いものを見るかのような目をして、テーブルの上の焼き菓子を、リスのようにポリポリ頬張っていた。
「分かりやすくて良かろう」
マーカム国王ゴドフリーには、公開演習での闘神の発言で学院に興味を持った、是非見たい、と言うと一も二もなく「見てやってくれ!」と言われた。
近衛筆頭にはさすがに渋い顔をされたが「余の警護はいらんぞ。最低限の人員で良い」と言うと苦笑の上、「私自身がお側に侍らせて頂く」と言われた。剣術講師もしているらしく、その日ではどうか、と。
そうして学院長に一筆書くと「急すぎる」「受け入れ体制が整わない」などとウダウダした返事が来たので「タダとは言わん」と金貨袋を付けて送ったら、先程サシャ曰く、下品な「大歓迎」が返ってきた、というわけだ。
「たんたん狸と、なな仲良しらしいですよ」
「マーカムは、分かりやすいなあ」
矜恃や誇りを持って王国を盛り立てたい、身分に拘わらず優秀な人間が集まる宰相派。
一方で、既定路線、忖度、既得権益が好きな連中が集まるのがピオジェ公爵派。
ラドスラフからすると、どちらも正しい。
誰もが優秀なわけはない。
持って産まれた血筋にすがることしかできない者もいれば、保持している財産でしか守れないものもある。何も持たずに産まれたが、努力で知識という財産を手に入れる者もいる。
清濁併せ呑むその器こそ、皇帝たる自身が持つべきもの、と思っている。
「ま、まままあ、れれレオナちゃんにまた会えそうですね」
「……ああ」
サシャはいつの間にか「サシャ君」「レオナちゃん」と呼び合う仲になったそうだ。
一日で一体何が? と皇帝にも分からないこともある。
「ま、楽しみだな」
ラドスラフは適当に感謝の返事をするようサシャに指示をすると、そのままソファに横になり、昼寝することにした。
※ ※ ※
「うえ、やっぱりかあ。めんどっちー」
マーカム王国第一王子アリスターからの、茶会の招待状を目にするや否や、ガルアダ王太子のカミーユはそれを机に放り投げた。
自身の母親を救うためとはいえ、危ない橋を渡ってしまったな、と彼は今更ながら思うが、致し方ない。
取引を持ち掛けられたのは、マーカムに公開演習のため入国する前からだった。具合の悪いガルアダ王妃を救う薬と引き換えに、いくつか言うことを聞け、と。
カミーユはバカではない。
初めは相手にしていなかった。
だが、王宮で抱えている、冒険者ギルド所属の身元も確かな薬師が「試せ」ともらった薬を鑑定し、安全を確かめてから与えてみると、症状が改善したのだ。
「闇の里に伝わる秘薬だよ」
宿主、と名乗る人物は言った。
「もっと欲しければ……」
母親の命に勝るものは、ないだろう。
卑怯なやつだが、興味を持った。
幸い本当に王妃の症状は改善し、少しずつ歩けるようにもなってきている。
自身の行動で、アザリーとマーカムにいくつか危機が起こったであろうこともまた、宿主から聞いて知っている。
「探られたくは、ないなあ」
あわよくば、はあった。
年々増えるアザリーとの小競り合い。
治安の悪化、人材の枯渇、国庫の圧迫。
あの国さえなければなあ、と何度も思っていた。
なにせ、国王のラブトは話が通じないのだ。
「摂政のクーデターを助ける気は、これっぽっちもなかったんだけど、信じてはもらえないよね」
ぽやぽやした、お花畑のような妹は、何も知らず強引にお茶会に誘って来るだろう。
「氷の貴公子と薔薇魔女かあ……」
カミーユは大きく息を吐いて、のらーりくらーりー、と鼻歌を歌いながら……昼寝をした。
もう少しだけ第二章に、お付き合いくださいm(_ _)m




