舞い降りる
リュカスが絡んでくるわ。何故かしら。
今まで文句しか言わなかったリュカスの態度が変わった事に、リリは驚きを隠せなかった。
『きっとリンネ様と出会ったからですわ!』
なのにアイリスのリンネ推しは止まらない。
そして時折、ふふふ、と不気味に笑う。
『リリはリュカス様の事、どう思ってらっしゃるの?』
どうって……。
隣でゴロリと横になってるリュカスをチラリと見る。
イケメン。
『……それだけですの?』
それだけ……かしら?
リリは何となくその柔らかそうな髪に触れたくて、目を閉じたリュカスの方へと手を伸ばした。
その時、ダイフクがいきなりぷよんと動き、リリの頭は振り落とされた。
「リュカス!エンキが暴走した!逃げろ!」
声がした!?
ダイフクが喋ったわ!!
私が頭を押さえると同時に、ガバッと起き上がるリュカス。
リュカスは繋いでいた馬に駆け寄り、私の方へと手を伸ばした。
「リリ!来いっ!」
『リリ!リンネ様の警告よ!急いで!』
私はいつの間にか見えるようになった枕のダイフクを掴み、急いで馬へと駆け寄る。
リュカスは私を直ぐに引っ張りあげ、乱暴に馬を走らせた。
その腕はしっかりと私のお腹に回ってて、怖くはない。でも、心臓はバクバク言い始めてた。
これは……恋?
『リリ、違うと思いますわ。驚いたのよ……』
「ごめん、エンキを怒らせた!俺のミスだ。頭に血がのぼってて話が通じないかも知れない。鷹にぶら下がって飛んでそちらに向かってるから、警戒をしてくれ」
ダイフクが必死に状況を説明してくれる。
「鷹にぶら下がってだと?」
「ああ、いっきに距離を縮めてくるだろう。リリ、聞いてくれ。命の危険を感じたら、守れる物を望むんだ。きっとそれがお前を護ってくれるから」
守れる物?
「リンネ、あまり怖がらせるなよ……リリ、俺がいるから大丈夫だ。けど、もしもって事もある。だから……」
「うん、分かったわ。リュカスがいるから平気。私、怖くないわ」
言葉は未だかつて無いほど、すんなり出てきた。
リュカスの腕に力が入る。それが嬉しい。
私はなるべく邪魔にならないよう、ダイフクをクッションにして馬にくっついた。
リュカスが私を覆いスピードをあげる。
リュカスが私を……アイリスを護ってくれる。
それは、フィービがいつか言ってたみたいに、仕事だから、かもしれない。
それでも、リュカスはいつだって、必死に私を護ってくれるの。
その事が、嬉しいと思う自分に気が付いた。
リュカスを背中に感じながら、私は何故か、喉の奥から迫り上がる様な涙に支配されていた。
その涙はすぐに目へと到達し、溢れそうになる。
涙は風のせい?
胸が苦しいのは怖いから?
『それはきっと恋ですわ!』
「リュカス!マチューがそっちに向かった!だから……ゴメン、俺……」
そこでダイフクはリタイアしたように、ちょっとデロ――ンとなった。
「おい!こらっ!……マジか」
リュカスは方向を変え、木々の生える方へと、馬を走らせる。
キィ――――ッ!
馬の蹄の音に混じり、甲高い鳥の鳴き声が聞こえた気がした。
リュカスが少しスピードを落とし、林へと突っ込んだ、その時だった。
大きな黒い鷹が、空から物凄い速さで降り立ち、リュカスの背中を襲った。
バサバサと羽音がし、リュカスが私から手を離す。そして振り向きざまに光の矢を投げた。
馬が怯え、前足をあげる。
バランスを崩したリュカスは、それでも必死に私を抱え込んだ。
宙を舞ったのは二回目だった。
前回はここに来る前、車に跳ねられた時。
そして今回は落馬。
……けれど、襲ってくるべき衝撃が前回とは全く違った。
何故ならそこに、リュカスがいたから。
私を抱え込んだまま、地面に叩きつけられたリュカスはちょっと呻いた。その苦しげな声に振り向こうとするも、リュカスは腕を緩めない。
そのまま地面を転がり、私は枯葉に押し付けられた。
キィ――ッ!キッキッ!
鳴き声と共にバサバサと羽音が襲ってくる。
リュカスがその鷹の、強靭な嘴の、鉤爪の餌食になる。
「ッ……クソッ!」
リュカスの苦しそうな舌打ちが耳にかかる。
迫り上がってくるのは涙だけじゃない。
リュカスの重みに押し潰されながら、自分が何も出来ない事。それがどうしようもなく耐え難かった。
「リュカス、その娘を離せ」
羽音と共に聞こえる暗い声。
枯れ草を踏む音がし、地面に顔をつけた私のすぐ近くに大きなブーツが見えた。
「私は殺してでも奪うぞ」
「させるかよ……!」
その脅迫にリュカスは答え、また呻く。
バサバサと音を立て、啄まれる。
やだ、やめて……。嫌よ……。
恐ろしかった。
リュカスがいなくなる未来が、怖くて仕方なかった。
『リリ、望んで!』
何を?思いつかないわ。
『守る物、よ! リリ、今までリリを護ってくれた物はない? それを強く望むの』
私はいつも一人で……誰も私を護ってくれなかったの。
『声をあげなきゃダメ! リリが望めば、きっと助けてくれるから!』
声をあげる事。望む事。
怖かった。
だって、誰も何も応えてはくれなかったから。
でも……きっと、お父さんなら!
「お父さん……リュカスを助けて!!お願い!!」
その時、風に乗り、運ばれて来たのは……。
リリの父親は、動かなくなったリリの棺の中に、沢山の手紙を入れていた。
「それは?」
志保が聞くと、父親は声を詰まらせながら答えた。
「リリは私に沢山の手紙をくれた。私はそれに返事を書いて送っていたんだ。でも……先日、それが私の元に帰って来た。送り主は、あの家の今の主、リリの祖母だった」
「未開封なのね」
「ああ、リリには届いていなかったんだ。だから……」
あなたの願いを叶えるわ。
これはご褒美よ。
デオ兄様の声と共に、風に乗り、どこからともなく吹かれて来るのは、沢山の手紙。
それらはパサパサと音を立て舞い踊る。
リリとリュカスの周りを……守るように。
「な……っ何だ、これは!!」
足踏みをし、後退する男。
鷹は手紙に絡まれ、羽をばたつかせる。
リュカスは、すぐさま身体を起こすと、光の矢を放ち、鷲を地面に射止めた。
風が止まり、力を無くした手紙がフワフワと舞い降りる。
ピィッ――!キッキッ!
「この野郎ッ!!」
鷹が狂った様に鳴き、男が吼える。
剣を抜く、鋼の擦れる音がすぐ近くで聞こえた。
「伏せてろ!」
リュカスが私から体を離し、ヨロリと立ち上がった。
心配で、私は伏せたまま、顔を向ける。
リュカスの赤い血塗れの背中が見えた。
そして、それを取り巻く光の矢が。
矢はリュカスの身体から光の線でつなかり、ふわりと浮いていた。
それが幾本も、まるで生きているかのように揺らめく。そして真っ直ぐに、黒髪の大男に向かっていった。
男は身体を身体を捻らせ、それを避けると、鞭のようなものを、こちらに飛ばす。
私は急いで頭を引っ込めた。
力を入れ、痛みを覚悟する。
でもそれは、突然滑り込んで来た何かに阻まれた。
「アイリス!!」
この声は……。
『マチュー様ですわ!!』
盗塁成功。
そんな格好よ。
嬉しくて嬉しくて、気分はスタンディングオベーションだった。
『リリったら……』
盾を構え、鞭を阻んだマチュー様はすぐに私を背に庇い、戦う二人から身を離していく。
それをチラリとリュカスは見て。
ニヤリと笑った。
リュカスが舞う。
矢が舞い、遠心力により力を得てゆく。
その光の糸は光の矢を操る糸であると同時に、鋭い刃でもあった。
リュカスはクルリと舞いながら矢を繰り出し、男に攻め入る。
次々と男に光の矢を浴びせかけ、反撃を許さない。
光の糸は、男を絡める様に手足を拘束していった。
刃のような糸に引きちぎられるような痛みを感じたか、男は次第に動きを緩めてゆき……。
あっという間に、男は力をなくす。
傷だらけになり、とうとう膝を着いた男の前にリュカスが立ち塞がり、侮蔑のこもった瞳で見下ろした。
男の首には光の糸が巻かれていた。
「エンキ、お前は何故俺たちを阻む」
「お前こそ……何故気付かない!!レジスにパンドラの箱を開けさせるには、それを使う機会をレジスに与えるしかないのだぞ!!」
「何故、開ける必要がある」
「何故って……箱の中身は……この世界のアンクは、全て、オルフェウス様が使うべきだか……ら」
最後の言葉は、飲み込まれた息と共に消えた。
男は赤い瞳を見開き、リュカスの後ろを私たちの方を凝視していた。
「私がそれを望んだと?」
その声の主は私たちの後ろから現れ、チラリとこちらに親しげな目を送ると、長く透き通るような白いローブを揺らし、優しい足取りでリュカスの横に並んだ。
銀糸の髪の色、スッとした立ち姿。
『そっくりですわね』
大人になったリュカスがそこに立っているようだった。
「オルフェウス様……」
マチューが呟き、姿勢を正し、片膝を付き頭を下げた。
オルフェウス……この人が?
誰……だっけ?
『リリ、私たちの目的!』
あ……。
「私は確かにティルクアーズのアンクの在処について憂いていた。何故なら、誰かがそれをこっそり動かしたからだ」
そう言い、オルフェウス様はマチュー様にウィンクをした。
大人の色気にクラクラしそうだった。
「私は争いの種が、人の目に触れる事を恐れた。だがエンキ、お前は事もあろうに自分から争いの種をまいた」
「オルフェウス様!それはこいつらが邪魔をするからであって……!!」
エンキと呼ばれた男は半泣きで叫んだ。
「だからといって、人の命までも利用するのか、お前は!」
オルフェウス様の強い口調に、エンキは口を噤むぎ、目を逸らした。
「犠牲はやむを得ませんでした。しかしそれは、大義を成す為……」
「大義を成す為の犠牲。命の価値を知らぬ者に、それを語る資格はない。エンキ、頭を冷やすがいい。アンクを出せ」
「しかし!」
上げられた顔には絶望の色が浮かんでいた。
だが、オルフェウス様を見、すぐにガックリと項垂れる。
オルフェウス様はとても悲しげな顔をしていた。
「リュカス、拘束を解きなさい」
リュカスが頷き、光の糸を消す。
光の糸から解放されたエンキは力をなくし、震える手を懐に入れた。そして、透き通る琥珀色のアンクを取り出し、オルフェウス様へと差し出した。
「里から追い出しはしない。だが、アンクの名前は消させて貰うぞ」
そう言い、オルフェウス様が手を伸ばす。
だが、その背後から鷹が飛び立ち、エンキは手を伸ばす。
オルフェウス様の手はアンクに届かず。
エンキは大きく羽ばたいた鷹により、空へと運ばれて行った。




