小鳥
朝日が眩しい。この世界にはカーテンという物は存在しないのか? と、俺は豪華なソファーの上、目を擦りながら、体を起こした。
「やたら散らかってんな……何があったんだ……」
確か、昨日はもっと高級感漂う部屋だったはずだ。
だが、今、ズタズタのカーテンにビリビリの絨毯、酒のビンが転がる部屋は、どう見てもパーティー後のそれだった。
「まあ、よくある事だ。オッサ――ン?じゃなくて、ダヴィド――って呼びにくっ」
呼んでみるも、昨日陽気に喋りまくってたダヴィドはどこにも見当たらない。隣の部屋にもいないようで俺は眉間に手をやり、記憶を辿った。
「そういやダヴィド、王妃の所に行くって言ってたな」
王妃は何かの病気を患っているらしく、城の敷地内の離宮で療養しているらしい。
「まあ、後で見に行くか」
ちなみに昨日、俺はこの部屋の居間を自室にしていいとダヴィドに言われた。セキュリティの問題らしいが、オッサンと同室なんて嫌だから、ダヴィドが居ないのは有難い。
着替えを持たない俺は、寝癖のついた頭をなでつけ、腕まくりをすると、自分の仕事を始める事にした。
寝室の天蓋付きベッドの横に何気なく置かれてある素焼きっぽい壺。その中には、現生と、この夢の世界をつなぐ『ステュクスの水』が入っている。
昨夜、酔っ払ってはいたが、俺は今の自分の唯一の仕事をしっかりと覚えていた。
チェストの上に置かれた、水差しを手に取り、『ステュクスの水』を少しだけ汲む。これを薔薇の中庭に持って行き、アンクを浸してただ待つ。
宰相の仕事ってこれだけ?しかも、水は残り少ないし。
「これ、どこで補充するんだよ……」
唯一の仕事がなくなるのは困るんだよな。と思いながら、俺は薔薇の中庭を目指し重厚な扉に手をかけた。
「よく眠れたか?」
王の自室から出ると、扉の前に立つ古参の近衛兵から声がかった。
白くなったものの混じる金色の髪に緑の瞳を持つナイスミドル。近衛隊長のミロンさんだ。
重そうな格式ばった鎧装備を着け、長い剣を床に突き立て真っ直ぐに立つ彼は、お仕事モードのようで、俺を見て動く事は無い。まるでイギリスの近衛兵のようだ。
「ああ、よく覚えてないけど、よく寝たと思う。なあ、ミロンさん。この部屋の掃除ってどうしてる?」
「掃除? 昨日はかなりはしゃいでいた様だが……」
ミロンさんは目だけで辺りを見回してから、そっと部屋を覗くと、すぐに直立に戻った。その顔、眉間にはくっきりと皺が寄っていた。
「キマイラでも創ったのか?」
「記憶にないんだよなぁ……俺、酒に弱くて」
「……陛下の許可を取ってこい。あ、待て。ニックスが護衛をよこすらしい」
ミロンさんは駆け出そうとした俺の腕を取り、ため息をつく。
「一人で動くな。城とはいえ、油断はするな」
「そういえばダヴィドも言ってたな」
昨晩、酒の匂いだけで酔ってしまった俺を肴に、ダヴィドはこの国の事を喋りまくった。
簡単にまとめると……。
この城には国の執務を行う大臣らの他に、近衛隊と騎士団が陣取ってるらしい。
ミロン率いる近衛兵達は、その先祖のほとんどが、夢見る魂だった頃に、王、自らスカウトした者たちらしい。現在、その子孫に引き継がれているけど、基本真面目で忠誠心が厚いという事だ。
これはこの国の執務を行う大臣も同様で、ダヴィドは、基本自分の気に入った者しか傍に置かないらしいから、ナイスミドルが多くなってるのはそのせいだという。
だが、騎士団は違う。選出方法は試験。誰でもなれるのだ。
この国は極寒の地にあるが故に、箱庭の外を守ってくれる自然の脅威にも負けない、屈強な騎士が必要だったから。
実際国の外には恐ろしいモンスターも出るらしいから、採掘場に行くにも交易をするにも命懸けとなる為、国は申請さえすれば、騎士を付ける事を国民に約束していた。まるでギルドのようだなと思う。
それを率いてるのが、俺的にはちょっとヘタレなニックスなのが若干納得いかないが、そのニックスを倒したお陰で、俺への風当たりが強くなりそうだという。
カチャ……。
ちょっと考え事をしていると、ミロンさんがほんの少しだけ動いた。と、その視線を追うと……。
「そこのお前ぇぇぇぇぇぇ――!」
朝日差し込むガラス窓の並ぶ廊下の端から、金髪の麗しい青年が走ってくるのが見えた。
腰の剣に手が掛かってるが、かなりのスピードだ。
「あれが護衛? 攻撃される気しかしないんだけど」
ミロンさんを見ると、彼は直立不動の人形に戻っていた。でもよく見ると、細かく震えてる? まさか笑ってないよね?
俺は咄嗟に手に持ってた、大事な水差しをミロンさんに押し付けた。
その間にも青年は俺の前まで来ると、剣を構え、ジリッと距離を詰めてきた。
「お前、護衛か?」
剣を向ける相手に聞く質問ではない気がするが、他に聞く相手はいない。
「ああ、そうだが。その前に、食事前の軽い運動はどうだ?」
まだ若いな。やんちゃそうに緑の目を細める。
「ここでかよ……」
「ああ。すぐ終わらせてやる」
この世界では運動って、廊下でやるものなのか?しかも真剣。当たれば痛いじゃ済まされないじゃないか。
でもさ、今にも飛びかかってきそうな若造を前に断るなんて、そんなかっこ悪い事、出来ないじゃん。ミロンさん見てるし。
「……分かったよ、付き合うよ」
俺は窓を背にすると、深呼吸して片目を閉じた。
実はちょっとやってみたかったんだよな。
ゲームの延長で剣術に興味を持った俺は、西洋剣術の記事を読み漁っては、授業で使う竹刀を使って、教室で披露していたものだ。
「そうだな……剣は」
頭に浮かぶのは長めのグリップの細身の剣。少し重めに創り、両手で握り構えた。
「聞いてたのとは違うな……」
青年が呟く。
対ニックス戦、やはり誰からか聞いて来たらしい。
こんなのがどんどん来たら嫌だなと思いながら、俺は宗教画の天使のような青年が動くのをじっと待った。
廊下は広くはない。一撃目は突いてくるとみた。
「お前どこ中だよ……」
とりあえず煽る。
「王宮第一騎士団副隊長、マチューだ」
「マジか……」
色々ツッコミたいが今は飲み込む。
「俺は納得できん! ニックス様が貴様に劣るなど、有り得ん!」
テヤッ! とマチューが踏み込み突いて来る。
俺は脇に避け、剣の重みに任せて回転させた剣先でマチューの剣を叩き落とした。
「!!」
そのまま遠心力で回しながら、懐に入るとグリップを逆手に握り変え、肘で顎を打つ。
「ぐっ……」
意外と丈夫だな。よろめきもしない。
ならば、と護身術の要領で軸足のくるぶしを内側から蹴り、よろめかせ……。
「え……」
ふらついた奴に、全体重と剣の重さをグリップにかけ、腹に乗せて転ばせれば。
「グェ……」
狭い廊下に大の字マチューが出来上がった。
血を流すことはないが、俺の重みで腹に刺さるグリップはなかなか痛そうだ。
「さて」
俺は立ち上がると手をはたき、不動のまま若干哀れんだ顔で、マチューに視線を落とすミロンさんから水差しを受け取り、軽い足取りで駆け出す。
「うぇ――い!ニックスに報告しよっと!」
「お、お前……待てぇ――!」
「あ、こらっ! 一人でうろつくなと!」
焦って這い蹲るマチューの声を後ろ手に聞きながら、俺は昨晩見せてもらった城の見取り図を頭の中に描き、駆け出した。
薔薇の中庭は城壁の上の回廊にある。
そこに通じる尖塔は二つ。その扉もダヴィドが創った、いわゆるテムらしいが、俺が手をかけると……普通に開く。
「セキュリティが不安」
これ、誰でもあけられるんじゃないだろうか?
「ん? リンネ、一人ですか?」
ほらここにも侵入者が……ニックスだ。
薔薇のアーチの向こうから、柔らかい微笑みを浮かべたニックスが顔を出した。
アイスブルーの瞳は今日も澄んでいる。……尊い。ここは乙女ゲームの中でしようか?うっかり新しい扉を開けそう。
「ああ、ニックスおはよう。さっき寄越した護衛に襲われたから、一人で来たんだ。マチューって奴」
「おはようございます、リンネ。マチューですか? うちの副隊長の。どうしたのでしょうか……。まあ、リンネならなんの問題もなかったでしょう?」
当たり前の様に言われてしまっては、何も言い返せない。
「ま……まあな」
「ふっ。それはリンネが可愛いらしいだけでは無いという事を、思い知ったでしょうね」
「可愛いって……」
ニックスの評価がイタイ……。
「まあ、彼の事は置いといて、先にそれを済ませましょうか」
置いといていいのかよ……騎士団長。
ガゼボに入り、例の水盤に『ステュクスの水』を注ぐ。そして、ダヴィドから預かっている大切な部下たちのアンクをバングルから取りだし静かに沈める。
しばらく石の様子を見るものの……夢見る魂がやってくる様子はない。
「こんな方法で釣れる魂がいたら、見てみたいもんだ」
「そ……そうですね」
ニックスに苦笑いされた。
空を見上げると、透明なブロックで造られた王の結界越しに見えるのは、厚い灰色の雲。太陽の出ない日の箱庭の中はとても寒い。
俺は手を擦りつつ儀式を切り上げ、水の中からアンクを取り出すと、濡れたままバングルにうにゅーっと押し込み、しまった。
いそいそとガゼボから出て、張り出した中庭の端にいく。
「うぉ――中々の景色だな」
そこは国全体が見える、絶好の場所のようだ。オブシディアンって国がいかに小さな箱庭だと分かる。
城の後ろは峰を連ねた山々だが、正面はまるでスキー場のゲレンデから見下ろした様に、ただただ手付かずの森が続いていた。その遠く向こう側に、平らな平原も見え、この世界が地球と変わらない様だと感じる。
目を細める俺にニックスが微笑む。
「あちら側はティルクアーズ。大国ですね。人間の国は今のところ、我が国オブシディアンとティルクアーズ、この二つしかありません」
「二つだけ? まじか……。ん? ってことは、他の種族がいるって事?」
「ええ、いますよ。ドワーフなど、割と頻繁に見かけますね」
「ファンタジーだな。で?ニックスはここで何してたんだ?景色眺めてた訳じゃないだろ?」
「ええ、少々練習をしてまして」
彼はそう言うと、ニヤリと口角を上げ、右手を掲げた。
「見ててくださいよ」
その手には可愛い手のひらサイズのピンクの小鳥が乗っていた。
ぬいぐるみの様なそれに、ニックスが祈るようにそっと小さなアンクの欠片を差し込む。
すると小鳥は命を吹き込まれたかのように羽ばたき、ニックスの手から飛び立った。
「す、すげ――!」
何か神聖な儀式のようだった。
「昔、親鳥からはぐれた鳥を保護した事がありまして……。思い出せばすぐに現れました」
嬉しそうにニックスの周りを飛び回る小鳥を見ながら、彼は少し寂しげに笑った。
聖女かよ!
「なるほどな、確かにペットなら、かなり正確に記憶しているから、創りやすいかも! 俺も飼っていたぜ、ワンコなら!」
思い出すのは俺にのしかかり腰を振る大型犬。
毎日追いかけられ押し倒されてたから、嫌われてはなかっただろうけど、完全に舐められてたポチに良い記憶はない。それでも……。
ポチは生きてたんだ。簡単に創れていいはずがない。
「ペットはダメだ。他に何か……」
そういえば、昨晩、酔っ払ったダヴィドに散々笑われながら何か創った気もする。
何だっけなと思いながら、両手を地面にかざし、目を閉じる。
どうせなら、みんなも驚くかっこいいやつがいいよな。そう、ゲームに出てくるラスボス的な奴とか?
想像すれば、骨格が、脈打つ心臓が、それを覆う脂肪が……どんどん膨らんでくる。凝り性の俺は、深く考えちゃうんだよな。心臓はこう動いて血管はこう走って、筋肉はこうとか……。
「リンネ!!」
ニックスの焦った声に目を開ければ、俺を庇うように彼は立っていて、目の前には獣のももがあった。ピーチではない。クリスマスにものすごい売上を叩き出す、あの、もも肉の方だ。
その、消費するのに百人はいりそうなサイズのが、デン、と目の前にあり、さらに、その先を白い霧がゆらゆらと走り、完全なる生き物を形成しようとしていた。
やばいな……このままだと、庭が潰れちまう。
「あ――!ナシナシ!これはナシで!」
俺は慌てて両手を振った。
すると、まるでランプの精霊が消えるように、俺の手の中に、出来かけのチキンがスっと白い煙となって吸い込まれた。
「危なっ」
俺はペタンと座り込み息を吐いた。
「生き物創造するのは、注意が必要だな」
「ええ、周りを考慮して創って頂けると助かります」
ニックスも冷や汗を拭っていた。
「でもさ、ニックス。あれにアンクの欠片を埋め込んで動かせたら最強だとは思わない?」
ギョッとニックスが俺を見る。
「いや、さすがにあれは保存しないけどさ、それ出来たらすごくね?」
「確かにそうかもしれませんが、動きまで制御するのは大変難しいと聞きます。鳥など、近くにいる動物なら、その動きを細かく記憶している場合に限り、このように動かせますが、想像上の生き物の動きなど、分かりかねますので」
「そうか――ってお前、どんだけその鳥、可愛がったんだよ……飛ばせるくらい観察してたって事だろ?」
「はい。非常に可愛らしかったので、ずっと見てても飽きることはありませんでしたね」
「なるほど」
なら、ゲーマーの俺なら、さっきのやつ動かせる可能性はあるな。攻略過程で研究しつくしてるから。
でも、それやっちゃうと、多分この世界では大騒ぎになるだろう。
想像力が何より必要なこの力は、意外にシバリが多い事に、気付いてしまった。
「ん――でも、アンクの欠片はその内必要になるかもしれませんね。市場にも出回ってますが、非常に高価ですし……陛下に相談してみては?」
ニックスが文無しの俺に気を使ってくれる。
「いや、いいって。だいたい何に使うんだよ」
安全な物を想像出来る自信が無い俺はその有り難い申し出に両手を振る。それにこれ以上石が増えた腕が重くて上がらなくなりそうだ。
「そうですね……例えばこの鳥、偵察にはうってつけかと。名入りのアンクを持つものはテム使いと呼ばれ、テムに意識を乗せて動かすことも可能らしいですので。まだ俺には出来ませんが」
「テム使い!召喚士かよ。マジか……それは頑張ってマスターしたいな」
いざとなったら、まるいアンクを使おう。
「あ、ついでに聞くけど、創ったテムを解除する事って出来るの?」
さっきから俺の周りをクルクルと飛ぶピンクの鳥を見てると、叩き落としたくてしょうがなくてさ。
「え?」
咄嗟に小鳥を呼び戻し隠すニックス。俺、殺気とか出てた?
「そいつの事じゃなくて、使った後のテムってどうしてるのかなぁって思っただけ」
「ああ、そういう事なら、アンクを取り出せばいいだけですよ。自分の創ったものなら正確に場所が分かりますし、こう……指を突っ込んで……グリグリと」
いやいや、ちょっと怖いな、それ。
「他人の創ったものは無理なのか?」
「んーそれは……テムに込められたヌース次第でしょうか。柔らかい物なら問題ないでしょうが、硬いものは、創った者の意志を上回らないと取れませんね。強い意思でテムを歪ませるイメージでしょうか。しかし、さらに埋め込まれたアンクの正確な場所を探し出し、取り出す作業は大変だと聞きますね」
作業になってるところを見ると、迷惑な建造物とか創造した奴がいそうだな。
「なるほど。ちなみに王の結界が壊された事はある?」
「ありませんね。過去一度も」
さすがに結界からアンクを取る奴はいないだろうが、そう言われると色々試したくなるな。
「なるほど、じゃ相手の意志を超える圧をかけたら壊れるって訳だ?」
見せびらかすようにニックスの肩に乗る小鳥を、チラッっと見てしまう。試したいなぁとか考えちゃいないよ?
「リンネ? ……あ、そういえば陛下が呼んでましたよ。朝飯食ってから行きましょうか」
逃げるかニックス。
でも、国王の謁見はついでのように言うもんじゃありません。