対価
兵たちの悲鳴が突如、夜の冷たい空気を震わせた。
「何が起こっているんだ!」
拠点として貼った簡易テントから飛び出したレジスは、目の前の城の変化を、驚愕の想いで仰ぎ見た。
先程まで高くそびえ立っていた城壁が、見る間に縮み、元の高さへと戻ってゆく。その上に登ろうとした兵諸共。
急に消えた足元に、兵達があげる悲鳴で当たりは騒然とし、待機していた者どもがすくみ上がった。
「あの城は生きておる……我々を呑み込もうとしているかのようだ」
唸るように呟くのは、ティルクアーズの諸侯らが出した代表。私のアンク欲しさに集まった諸侯らは、横柄にも自ら統治する領土から出ることなく、兵だけを送り込んで来たのだ。
「レジス閣下。これでアンク一つじゃ割に合いませんな」
どいつが言ったのか……他の代表らも物言いたげに私の周りに集まって来る。
ただ兵を動かす権利を任されただけの雑魚が、私にふざけ事を言いおる!
私は拳をギュッと握りしめた。
「閣下、あれをお見せするべきです」
私の拳にテムが宿るのを見たエンキが、すぐに部下に指示を出す。
「まあ……いいだろう」
私は部下がテントへと潜り、あの美しい箱を持って来るのを、奴らを睨みつけながら待った。
部下二人で抱えて持って来たのは、私がテムで創った箱だ。
パンドラの箱と言われる小さなチェスト型のそれは、豪華な装飾で飾られた芸術品。私の最高傑作だった。
部下が掲げる松明の元、代表らが頭を付き合わせ、地面に置かれた箱を覗き込む。
「どうやって開けるのだ?」
「鍵はない。箱を開けるには、閣下の力が必要なのだ」
エンキが答え、代表らの視線が私へと移る。
しかし、テムを知らぬ奴らは、意味が分からぬ様で、箱に手を掛けるとツルリとしたその表面をなぞった。
「叩き割ればいいのでは?」
開かないと判断したのか、コツコツと表面を叩く。
「ふっ。やってみれば良い」
私の言葉に、騎士はニヤリと口角を上げ、大きな剣を逆手に持つと、上から体重を掛け突き刺した。
ガン!
「うっ……」
当然。弾き返され呻く騎士。
「ふん。傷一つ付かぬだろ?」
私の言葉に騎士は痺れる手を振り、頷いた。
「ではどうやって……?」
「石を封じた、あの時を再現するのだ」
あの時……私はまだ若く、ただ、がむしゃらに封じる事だけを望んだのだ。
その封印された箱が、その後、誰かに開けられたと言う話は一度も聞いた事がない。
あのダヴィドでさえも開けることが出来なかったのだろう。私が、私を愚弄する馬鹿者共を始末し、処罰が決まった折には、保管しておいた箱をわざわざ引っ張り出し、私に開けろと命じた程だ。
まあ、開けることは叶わなかったがな。
あの時、私は拘束され、陛下の足元に転がされていた。陛下は私にこれを開けろと命じ、開けなければ殺すとも言った。
そんな状況下で、私が自身の力を発揮する事が出来るとでも思ったか!? 甚だおかしな話だ。
だが、今なら問題ない。アンクさえあれば可能だろう。
有り得ない数のティルクアーズのアンクの管理を陛下より任された時、私自身が何を考え何を望んだのか……。
これはあの時を知る、私にしか出来ない事だろう。
「これを開けられるのは、これを創った私のみだ」
横にいるエンキが私の言葉に頷き、そのずしりとした箱を、転がすように左右に少しだけ振って見せる。
ガラガラと詰め込まれたアンクが音を奏でた。
「この中にはおおよそ五十余りの、完全なるアンクが入っていると考えられる。だが、これはごく一部。ヘスペリデスにほど近い、とある場所にはこの何十倍ものアンクが隠されているのだ。今、その場所を開ける事が出来るのは閣下のみ。鍵となるアンク手に入れろ!分かったな!」
エンキの静かな威嚇に頷く代表ら。
膨大な対価に目の眩んだ奴らの顔の醜い事よ。
代表らが舌なめずりをした、その時、地面が揺れたように感じられた。
「エンキ様――! キュクロープスです!」
駆けつけた馬から飛び降り、私の前に膝をついた部下の報告は予想外のものだった。
「あの大人しいキュクロープスがか?」
私の戸惑いに部下が応える。
「はい!それと狼が多数。どちらも森から出現ましした!」
それを聞いたエンキが舌打ちをした。
「チッ! またフィービか……いや、待て。多数とは? 狼は何頭いた?」
エンキがそう言い、部下が口を開いた時には、既に轟を体に感じ初めていた。
「数え切れない程の数です! 森付近に待機していた部隊が対応……来ます!!」
「密集陣形!!」
誰かが叫び、すぐさま集まり、体制を整える。
ドドドと列を為して駆け寄るのは狼の大群。
私を庇うように部下たちが私をテントに押し付け取り巻く。エンキが剣を構え、諸侯の代表らが周りの兵から盾を引ったくり、地面に突き立て、その周りを固めた。
部下の乗って来た馬が泡を吹き、周囲をかき混ぜる中、大群は我々の元に到達し、盾を持たぬ者を牙で捉え、なぎ倒してゆく。嵐の如き勢いで我々の上を、横を通り過ぎると、更なる獲物を探し、向きを変える。
「リュカオーンの仕業だ!」
「エンキ殿!!このままでは……!」
ふんっ……皆、エンキばかり頼りおって!
私は両手の平を上に向け、大きく息を吐き心を落ち着けると、創造を開始する。
否応なしに頭に浮かぶのは、陛下の創ったオブシディアンを囲むシールドだ。悔しいが、今はそれ以上の物は浮かばなかった。
私の両手から放出されたのは、水のように透明な柱。
柱は天へと伸び、噴水の様に我々の周りに降り注ぐ。
これはダヴィドの物を遥かに凌駕する芸術的なシールドだ。
「美しい……」
誰かの呟きに心が高揚する。
だが、すぐにそれをぶち壊すかのようにエンキが叫ぶ。
「来るぞ!!」
我々を捉えた群れが、方向を変えるのが目の端にうつる。
私は天に向かい、この制裁に許しを請う様に両手を震わせ、腕ごと大きく回転させた。
「刃となるがいい!」
命じればその水流は我々を中心に回り始め、回転を速めながら鋭い刃の様に変容してゆく。
ギャン!! ギャン!!
速度を落とすことなく向かってきた狼たちが、その刃に触れ、散り散りに吹き飛んだ。
「はっ!これは愉快!見ろ、ゴミのようだ」
先程までの慌てようは何だったのか……代表らの喜び様に笑いが出てくる。
「犬らに閣下のこのテムは見えんからな。これで終わるといいのだが……」
だが、エンキは不安げにあたりの様子を伺っているようだ。しかし。
決着はすぐについた。
狼らはしっぽを巻いて逃げ出し、シールドを解いた先には、囚われ、縄を巻かれた大きなキュクロープスが一匹見えたのだった。
更に、追い風は吹く。
私が息を整える間もなく、待ち望んでいた知らせが、私の元に届いた。
「閣下!! アンクを手に入れました!!」
「なんと!!」
「おお!!」
代表らが道を開ける中、すぐに運ばれて来る念願のアンク。
私の前で膝を折り、アンクを掲げ持つ部下。
私は震える手でそれを受け取った。
その空色のアンクの美しい事よ!
「はっ!はっは――!!我らの勝利だ!!」
私は空を仰ぎ両手を広げ、喜びに声をあげた。




