追い詰められる
リュカスと娘がギンヌンガガプで見つかったとの知らせを受けたのは、中空の回路を抜けてすぐの事だった。
「ふん! 腰抜け共が手を出すから、不死の兵が使えなくなってしまったではないか!」
中空の回路。出口を難なく開けた閣下の前。
その扉が閉まらぬよう、心身ともに疲れ果てた兵を叱咤し、絶やさず歩かせる。
その、私の腕を掴み、閣下は喚き立てていた。
目の前を、分断され、動かなくなった不死の兵の入った袋が通り過ぎたのだ。
我が隊の兵の死体と共に。
「閣下、こちらへ」
今ここでそれを言うのは危険だ。
兵達の鋭い目から逃れるように、私は野営を張る予定地、サティロスの森の中へとひとまず閣下を連れて行く事にした。
「エンキ様!」
その途中、顔色の悪い部下から声がかかった。
嫌な予感がした。
私は不服そうに毒づいている閣下を馬に乗せると、膝を折るその部下に向き直る。
ギンヌンガガプに放った捜索隊の一人だった。
リュカスと娘は、やはりギンヌンガガプに入っていた。
しかし発見されたのは町中。よくもまあ、堂々と動けたものだ。完全に舐められているようだ。
「何? サティロスのワイン店に入って行っただと?」
神を味方に付けたとでも言うのか?
数年に一度降臨する神はとても気まぐれだ。以前はティルクアーズに降り、その民にワインを振舞っていたと聞く。
その時、神をもてなしたのはイーリアス。
今回、神がこのギンヌンガガプに降りたのには、何か意味があるのだろか。……考えたくもないが。
「目を離すなよ」
私がそう言うと、部下は片膝をついた地面に頭を擦り付けんばかりに項垂れる。
「申し訳ありません! 奴らに見つかったようで、私を除く全ての者が消息不明となっております。人員の補給をお願いします!」
「どういう事だ?」
「暗殺に長けた者がいるようだ、と最後の一人が申しておりました。その者ともまた、今は連絡が取れておりません」
「暗殺だと?」
リュカスとフィービがそんな面倒な事をするか? 奴らは正面から突っ込んで、相手をなぶり殺すタイプだ。
これは奴らでない誰かの支援が入ったと見ていいだろう。
「分かった。直ちに人員を補充し、見張らせろ。我々はこの森に陣を張る。動きがあれば至急連絡をよこせ」
「はっ!」
補給したところで、また消されてしまうかもしれない。
暗殺……まさかレテの傭兵を雇ったりはしてないだろうな。
まあ、どちらにせよ、こちらも慎重に動かねばなるまい。
俺は腕を上げ、自分のテムを呼び戻す。
空を悠々と翔ける私のテムは鷹。
小回りは効かないが、奴らの居場所は分かっているのだ。入口の見張りくらいなら問題はないだろう。
私は鷹を撫で、ヌースを込めると、ギンヌンガガプへと放った。
しかし悪い事は続くものだ。
少し馬を走らせれば、また部下に呼び止められた。
獣が多すぎるとの報告が来ていたが、その原因が分かったという。
部下に連れられ行ってみれば、大量の狼の死体と、それに紛れるように横たわる大きな獣の姿があった。
信じられない事に、この森の生態系の頂点に君臨する獣、キマイラの死体だった。
「キマイラが倒されている、だと?」
この獣は高峰ヴラヒでも高い地域に生息している。この辺に出没するのも珍しく、戦い方も分からない獣だ。それを……。
「先日、この辺りにはキュクロープスがうろついていた様です。彼らが殺ったのではないかと」
キュクロープスに驚き、下りてきたか。……しかし。
「殺ったのは別の者だな。見ろ、これは剣傷だ」
キマイラの後ろ足の付け根にあまり深くはないが、細い傷がある。私の見立てに閣下も頷く。
「キュクロープスは槌しか使わぬからな。なるほど、これは毒だな。余程強力な物を使ったと見える」
興味を持ったようで、馬から降りてきた。
毒……。専門という訳だ。
「弓を使った様には見えないが?」
死体にはただ一つ、この剣傷しかない。
「この傷に塗りこんだらしいな。命知らずもいたものだ」
直接塗りこんだとしても、どうやって……。
まだ死体は新しい。我々以外の軍がここを通った可能性がある。
私は日も陰り、薄暗くなった辺りを見渡す。
キマイラに加えてこの狼の死体の数だ。
相手の数は二十……いや、三十は下らないだろう。暗殺部隊も抱えているやもしれない。
「リュカス……なのか?」
群れるのを嫌う奴らしくない。
しかし、否定も出来ない。
不気味だ。嫌な感じしかしない。
「リュカオーンの逆鱗に触れたくはないな」
閣下が呟く。
この森の王とも言われるリュカオーン。
狼の姿をするとも云われる、その姿を見たものはいない。
なぜなら、森を荒らした者の命は必ず狩られるから。
「離れましょう」
その胸騒ぎが現実とならない事を祈ろう。
次から次へと湧いてくる狼をなぎ払いながら、ギンヌンガガプの裂け目まで兵を進めた私は、森の中に簡易的な陣を張っていた。
リュカスが動く事を想定し、いつくかの部隊に待機を命じ、残りは少し休ませる事にする。
閣下は疲れたのか、食事を摂るとテントの中で居眠りを始めた。都合がいい。
私は喚かれる前に、とそっとテントを抜け出した。
これまで幾度も鷹へと意識を飛ばしたが、リュカスらが動いた様子はない。
だが先程、気になる人物がテラスに姿を見せたのだ。
騎士団長ニックス。亡霊ではなく生身で、しかもどう見てもあの戦いの前と同じ姿だった。
殺すつもりはなかったが、思いの外強く、手加減が出来なかった事を後悔していたが、要らぬ世話だったようだ。
なるほどこれで合点がいった。
リュカスはオブシディアンに助けを求めたのだ。
私は中空の回路で回収した『彼ら』のピースを集めた場所へと急ぐ。
オブシディアンの騎士団長がどれだけの人数を率いてきたかは分からないが、アンク持ちである事は間違いない。
こちらも対抗せねば、殺られかねない。
フィービどころの話ではなくなったのだ。
野営地からは少し離れた場所。
アンクを取り出しておくよう命じた部下が、死人のような顔をして作業を進める兵を叱咤していた。
「よく見ろ! アンクは小さい。見逃しているのではないか?」
動き出す事を恐れたか、あるいは罪悪感から逃れるためか。
そこには『彼ら』の胴体のみが転がっていた。
しかしアンクが見つかったという報告は受けてない。
「頭に埋まっているのでは無いか?」
私が口を出すと、作業していた兵が縋るような目を向けてくる。
「そちらに用意はしております。この後、手を付ける予定です。それでよろしいですか?」
確かに詰められた袋は置いてある。だが、手付かずといった様子。
部下も相当イラついているようだ。
仕方ない、と首を縦に振ると、あ、と声をあげる者がいた。
「どうした!?」
見れば、ナイフを握り固まる兵の前、先程まであったはずの胴体がない。
辺りを見回す。
「誰かアンクを取り出せた奴は!」
私の問いに、誰一人声をあげる者はいない。
その時、今度はすぐ近くで、ピンッと空気が弾ける様な音がした。
光の粒と共に消える『彼ら』の体。
これはもう、誰かがアンクを取り出しているに違いない。
アンクの埋まった場所だけをどうやって確実に……!
「ここにあるのが全てか!?」
部下に詰め寄り、首根っこを掴む。
コクコクと頷く部下の横でまたひとつ、体が消える。
「馬鹿な! 四肢は全て集めたはずだ、探せ! 奪った者がいるはずだ!」
叫ぶ私の足下で、また光が爆ぜる。
「急げ!!」
立ち上がり、慌てて散って行く兵たち。
その喧騒の中。
助かった……。
誰かの呟きが聞こえた気がした。
その声は果たして兵のものだったのか……。
舞い散る光の粒は空気に溶けてゆく。
次々と彼らは弾け、私は膝をつく。
彼らは跡形もなく消えた。
そこに残るものは何もなかった。
私は失敗した。
喚き立てる閣下を殺したいと思ったのは今が初めてじゃない。もう限界だった。
私は閣下をテントに置き去り、鬱々と森を歩き、気を紛らわしていた。
辺りはもう暗くなり、招集した領主の小さなテントを囲む様に、いくつかの薪が炊かれていた。
それを囲む兵らは、先の戦闘を肴に、仲間同士、遅くまで語らうのであろう。楽しげな笑い声が時折森に響く。
それを聞き、胸を痛める自分がいた。
この者らは明日も笑っているだろうか、と。
弱気になっているという自覚はあった。
番人は一人で動く。
こんな時、共にすごせる仲間がいる事が羨ましい。
そんな感情など、とうに無くしてしまったと思っていたのに。
私は目を閉じ、鷹の眼と同調した。
サティロスの店はひっそりとしていた。
ギンヌンガガプの門は重い。今日はもう動けないだろう。
そう思っていた、夜半の事だった。
「出てきました! 女です! あの男も一緒です!」
暗闇の中。松明を掲げ、馬を馳せてきた兵の声で、辺りは騒然とした。
簡易テントから這い出た俺は、誰彼構わず掴み、怒鳴り、みなを起こせと急かす。編成する間はない。
真夜中。ギンヌンガガプの重い鉄の門を、どうやって開けさせたか!
「急げ! 足止めさせるぞ!」
人数ではこちらに分がある。逆に言えば数でしか対抗出来ないのだ。
私は部下の用意した馬に乗り、馬上に閣下を引き上げる。
奴らの元に駆けようとするも、森の中、松明をかかげ、縦横無尽に走る兵たちに邪魔をされ、馬が言うことを聞かない。
「っくそ!何が!」
「ギャッ」
その時、すぐ近くにいる兵の体が、悲鳴と共に吹き飛んだ。
大狼の残像。フィービだ。
森の中で、彼に敵う者などいないぞ!
「森から出ろ!急げ!」
これでは奴らの顔を見る前に殲滅されてしまう。
「森から出て軍を編成しろ! 固まれ!」
「ぎゃぁぁ!」
まるで俺と閣下を嬲っているように、周りの兵たちが狼の餌食となっていく。
フィービはこのテムを二頭同時に扱うのだ。自身も戦いながら。
「な……なんだこの狼は!」
閣下の怯えに答える暇はない。
逃げ惑う兵に足を取られているうちに、気付けば、まるでそこにしか逃げ道がないかのように、道が開けていた。
兵たちは皆、森から炙り出され、奔走していた。
そして、馬を駆り森を抜けた俺は、そこに有り得ないものを見た。
ギンヌンガガプの門の前。
何も無かったはずの場所に。
城が建っていたのだ。




