ハリアロス
「誰にも話してないだろうな」
領館の中、官僚の部屋を覗き、ギンヌンガガプにいる文官の中からようやく目当ての一人を見つけたハリアロスは、大きく屈み、その男の肩に腕を回すと小声で話しかけた。
ドワーフはどれも同じ見にえるが、この男は比較的細身で小さく、髭もない。綺麗なドワーフに思えた。
「ひゃっ、はい!」
男はインク瓶をひっくり返し、立ち上がった。
あの日の醜態を知るのは……いや、共有できるのはこの男だけだ。
そう思うと少し興味がわき、名を聞く。
「お前、名は何という?」
「ボエです。ハリアロス様」
「ボエか。今から外に行く。お前も着いてこい」
何か他に仕事があったのか、嫌そうな顔をするも、上司である官僚から手を振られ、半泣きのボエを連れ、俺は館を出た。
ここから門は遠くない。昇降機に乗り、屈強な門番に滑車を回してもらい、最下層の市場まで降ろして貰うと、領民の拝むような視線を感じながら門を目指す。
いつもは領主の共である私が、一人で出歩くのが珍しいのかもしれない。
先程この領館を出た奴らが領主からもぎ取ったのは、この街の中だけではなく、出入りも自由にできる証書だ。むしろ、それが目的の様だった。
だから門で監視した方が得策の様に思えたのだ。
テランスと一緒にいた男、フィービが何をしようとしてるのか……考えるだけで恐ろしかった。
戦いが起きると聞けば一人で飛び出して行き、敵味方関係なく蹴散らすフィービが、誰かと行動するのは珍しい。それがレテ絡みなのが一番の気掛かりだった。
勿論、私は部下に奴らを追わせた。驚く事に彼等が入って行ったのはデオニュソス様の館だった。
「何が起きようとしてるのだ?あの少年といい、幽霊といい……。まあ、私は見る前に眠らされたが」
「あの少年、なんだったんでしょうね……」
ボエが呟く。いや、普通に喋ったのだろうが、身長差で聞き取り辛いだけか。
「確か……リンネと言ったな。アレがレテの護衛対象だとは思えん。目的は別だろう。いったい何に使うつもりなのか……。いいか、お前は門に待機し、領主直々サイン入りの特例書を使用する者がいないか監視しろ。特にあの子どもには気を付けろ。見つけ次第、人を呼び、私に使いを寄越すのだ」
雷鳴轟くあの日の混乱の中、あの子どもの顔を一番近くで見ているのはこの男だ。
「ハリアロス様は何方へ?」
「サティロスのワイン店に行く」
「ワイン?昼間から飲むのですか?」
ボエを睨みつける。
「そんな訳なかろう。まあ、出されれば飲むがな。これも仕事だ」
「はあ。分かりました。では、私は門へと行きますので」
「逃すなよ」
俺はサティロスの店の前に張り付き、様子を伺う。
店は繁盛しているようで、人間だけでなくドワーフも長蛇の列を作っていた。
酒に目がないドワーフが並ぶのは分かる。だが、女性が多く見受けられるのは何故だろうか。
俺もこの中に並ぶのか?と足を進めようとして、立ち止まる。目の前を黒猫が横断したのだ。
腹の大きな猫だ。臨月が近いのか、歩き方もおかしい。
猫も踏まれたくなかったのか、立ち止まり、頭を上げた。
……眼が合う。そして、一瞬目を細めた。
その視線が気になり、スっと去って行く猫を目で追うも、バカバカしくなり、頭を振る。
「不吉な事が起こらなければいいが……」
そう言えばギンヌンガガプで初めて猫を見たもしれない。
まあ、これだけ人間がいるんだ。誰かが持ち込んだのかもしれない。ネズミ対策になってくれないだろうか。
いや、今はそれよりも……。
これも仕事。と、俺は並ぶ人を押しのけ、ワインの列を割った。
「あら、番人様が何の用?出ていって」
店に入るなり男児に怒られた。
しかし、よく見ればデオニュソス様ではないか。
私のような番人でないと彼の偽装には気付かぬだろう。どうやらからかわれた様だ。
「からかってなんてないわ。失礼ね。あなた馬鹿なの?並びなさい」
店内は明るく、ワインのフルーティーな香りで満ちていた。
ああ、これがご婦人たちの目的か、と分かる美しい人間の男が接客しているのが見える。
「列を割ったのは、すいません。ここに不審な人物が入って行くのを見ましたので、心配で立ち寄ったまででして……。確認させて頂きたいのですが」
「あなた以上に不審な者なんていないわ」
「またご冗談を。館を少し見させていただいたら、すぐに出ていきますので」
「はぁ……分かったわ。案内はしないわよ。勝手に見て出ていってちょうだい」
「え?」
「見て分からない?忙しいの」
「あ、申し訳ない。では……」
さっさと消えるデオニュソス様。こんなにぞんざいに扱われたのは初めてだ。
客で溢れる店内に取り残され戸惑うも、奥の部屋へと続く扉を見つけ、一人向かう。
覗けばギンヌンガガプによくある、横穴を連ねただけの住居の様だ。
「すいません……お邪魔致しまーす」
誰ともなしにかける声は自然と小さくなった。
いや、ちゃんと承諾は得たのだから、堂々と入っていいはずだ、と思い直すも、部屋を仕切る布をめくる手は遠慮がち。
部屋数は多いようなので手前の部屋から順に覗いていく。
「お邪魔致します、サティロスさん。すいません、サティロスさん。お構いなく、サティロスさん。あ、ども……サティロス……どれだけいるんだ」
突然、部屋のカーテンを開けられ、キョトンと振り向くのは、デオニュソス様の眷属といわれる森の民、サティロスたちだ。小柄だが怪力、と聞くだけあって、なかなかの筋肉だ。
「いやぁん」
「何よぉ。今から着替えるの。見たいの?」
どう見ても、雄だ。筋肉鑑賞は趣味だが、今の目的ではない。
「あ、失礼。先を急ぎますので」
「ざんね――ん」
何が残念なのか……。
よく分からないまま、荷物とサティロスだらけの部屋をぐるっと見てまわると、自然に入口の方に戻ってきていた。
これだけか?と見回すと、影になった場所に階段があるのに気付く。
「二階があるのか……」
岩を削った階段を上がる。広い部屋に出た。
食堂のようで、テーブルと椅子が沢山ある。と、いうかそれしかない。店の真上なのか、窓もあり明るい。
その開け放った窓の外、バルコニーに人の影がある。
近づく私に気付き、振り向いた男に俺は見覚えがあった。
「ニックス殿……」
オブシディアンの騎士団長。
面識はないがその顔は遠くからだが見知っていた。
「どなたかな?すいません、記憶にありませんで」
振り向く彼は息を飲むほどのいい男だ。
「あ、いえ、こちらこそ失礼した。私はギンヌンガガプ担当の番人、ハリアロスと申します。オブシディアンの騎士団長様とお見受けしますが、どうしてこちらに?」
彼が困った顔をする。
「あ――部下が蛇にやられまして……療養してまして……」
歯切れの悪い返事に眉をひそめるも、疑う余地もない事に気付く。彼は騎士団長様なのだから。
「大丈夫ですか?医師を紹介しましょうか?」
「いえ、もう診て貰ったので、大丈夫です。専門ではないそうですが……。そちらこそ、どうしてこちらに?」
「ああ、不審者がいないかみてまわっているのですよ。これも領民の安全の為ですよ」
「ああ、そうでしたか。ご苦労さまです。では私はこの辺で……」
ニックス殿が奥の部屋に入ろうとカーテンをめくった。
「あ、その奥は何の部屋でしょうか?」
「ああ、デオニュソス様の部屋ですよ。何部屋か我々がお借りしてまして」
「そうでしたか。見せて頂いても?」
ニックス殿は一瞬固まり、逡巡する。
「……何か?」
俺が聞くと、はっと我に返り彼は苦笑いをした。
「すいません。中の者に聞いてきても構いませんか?……その、女性がいまして」
怪しい。俺が訝しんでいる事に気付き、ニックス殿はさらに苦笑いを深め、そのまま奥に声をかけた。
「アイリス。今から男性が入るが構いませんか?」
「はい」
少しの後、女の子だろうか。高い声の返事があった。ニックス殿がカーテンを開け、俺を促した。
中は寝室の様で、ベッドがいくつか並んでいた。
「人見知りでして、挨拶は勘弁してあげてください。奥の者は先程話した部下です。今は寝ているようですね」
ベッドが二つ膨らんでいた。
「ああ、具合が悪いのに騒がせて申し訳ない。奥まで見たらすぐに出て行きますので」
俺は奥へ続くカーテンを引き、ひとつづつ部屋を見ながら進む。
空のベッドが並んだ部屋がいくつかあり、物置に使われている部屋も……。怪しい所など見当たらないし、フィービもテランスもいない。
何処に隠れているんだ。そろそろ最奥か?と、薄暗い部屋の布を引こうとし、手を止めた。
中から声がしたのだ。
「あ、照らしてくれるのか? お前、ホタルだろ?……ん?違う?仲間か。可愛いな。あ、ちょっと待って。大きな木が見えてきた。……うん、これを右ね」
この声は間違いない。あのリンネという子どもの声だ。
俺はカーテンの隙間からそっと覗く。
ランプの弱い明かりに照らされた部屋。そこに見えるものに俺は目を疑った。
広がるのは恐ろしい光景。
まず目に入ったのは分断された死体の数々。ばらまかれた手足だ。
いったい何人分の死体があるのだろうか。
その頭部を集め、真ん中に座るのはあの子ども、リンネだった。
彼はその人間の頭部に話しかけていたのだ。
こんなおぞましい風景を見たのは初めての事。
これまで数々の戦場を渡り歩いてきた俺でさえ、この風景に心臓が縮みあがってしまう。
呼吸を整え、俺は奴を捉えるため、薄暗い部屋に踏み込んだ。
「侵入者です!!」
途端、足元で声がした。
驚き下を見て、そのゴロンと転がった頭部と目が合う。
目……目が明らかに俺を見ていたのだ。
「っ!!」
辛うじて叫び声を抑え、頭を蹴りあげようと足を引く。
だが、軸足に何かが絡まり、引き倒された。
後頭部に衝撃がはしる。
目の中に星が散った。
気が付けば天井を見ていた。
「ちょ、リンネさん反応早すぎ。俺たち出る幕なかったじゃん」
聞いた声だ。テランスと思われる。
「だって彼らが蹴られそうだったから。やべぇ――って思わず、手から蜘蛛の糸、出てきちゃったよ」
「……なんだよ、それ」
テランスと話すのはリンネか。
そして俺の顔の上に、にゅっと出てきたのはフィービの顔だった。
「いらっしゃ――い。見たわねぇ――」
サティロスの口真似をするその声は、ものすごく楽しそう。
俺は腹筋をフル活動させ、体を起こした。
「ふざけるな!」
頭突きを回避したフィービが可笑しそうに笑う。
「ハハッ!さすが脳筋。これくらいじゃ、やられないか」
「素敵な筋肉をお持ちですね」
「うぎゃっ!」
右手にかかる頭部の息と声。
不意をつかれて叫んでしまった。
何故、頭が喋ってる!?
いや、喋るのは問題ないのだが……いや、あるっ!
ランプの明かりが陰り、その頭部が持ち上げられる。
見あげればリンネが目の前にいた。
頭部を抱え、俺の前に膝を着く。いや、それ、こっち向けないで。
「ハリアロスさん。彼らは何もしません。驚かず聞いて頂きたい。その前にまず、この場所まで誘き出すような真似をした事をお詫びしたい」
私は誘き出されたのか?と、思うも、リンネが丁寧な謝罪を言うので、落ち着こうと息を吐いた。
私にも男としてのプライドがある。頭が喋ったくらいで、取り乱しては……無理。
秒で結論はでた。
なんだこの状態は。悪魔召喚か?
俺はバッと立ち上がった。
「悪霊たいさ――ん!!」
この部屋の妖しき空気を浄化すべく、両手を挙げ叫ぶ。
リンネが後ずさっていく。逃がすものか!
俺は体にテムを纏わせ硬化し、次の技を繰り出す準備をする。
この技は全方向に刃を突き出すという、最も殺傷力の高い技。
ギンヌンガガプに悪魔を放つ訳にはいかない。
同僚であるフィービには悪いが、この部屋にあるもの全てを貫く覚悟だ。
「全方向殺傷攻撃!!」
身体に力を入れる。
「ヤバっ」
フィービの声がする。上手く逃げてくれ。
「え?物理攻撃?」
戸惑う子供の声。リンネには悪いが消えてもらおう。
「開始っ!!ふんっ!!」
ぷに
「ん?」
刃が出ない!ってか、何かに包まれた!
なに、この感触。
まるで母のお腹の中にいるような……。
「あははははははっ! 何これ!」
癒されている場合ではなかった。フィービが笑い転げているではないか!
「キングダイフクだな」
リンネが笑いを堪えている。
「なんだそれは――うぐ……」
息が続かない。苦しく……。
「あ、ごめん」
リンネがそう言い……。
「ぷはぁ――っ!」
包まれたものからトプンと、顔だけ出た。
「ぎゃははははは」
「「ふふふ、はははっ」」
更に笑い転げるフィービ。
その辺に転がる頭部も笑っている。しかもひとつじゃない。
「笑うなぁぁ!」
刃を向けたいが、柔らかい水のようなものに丸く包まれていて上手く動けない。もがいても顔しか出せてない。
「フィービめ!私に何をした!」
俺は体を包むキングダイフクとやらをぷよんぷよんと動かしながら、方向を変える。
「それ、そこの人のテム」
フィービが指差すのはリンネ。
「なにぃぃぃ!?これがテムだと!?」
「すまない。危ないから拘束させてもらった。話を聞いてくれ」
リンネが言うが……。
「こんな拘束の仕方があるかぁぁぁぁ!」
力の限り叫ぶ。
ゴツン!
殴られた。
誰だ。俺を殴るのは!
「うるさい。あなた、馬鹿でしょ。これ以上騒いだら追い出すわよ」
振り向けばデオニュソス様が、腰に手をやり立っていた。
「デオニュソス様!?あなたは騙されているのではないでしょうか!このリンネという男は……!」
あなたはこの悪魔的召喚をご存知なのですか!と眉を顰めるデオニュソス様にぷにっと詰め寄る。
「オブシディアンの宰相よ。それがなにか?」
「へ?……宰相?」
リンネを探す。
騎士団長とテランスに護られる様に、彼は部屋の隅に押しやられていた。
何より神の言葉だ。嘘なわけない。
「……ごめんなさい」
ここは素直に謝ろう。
ボエよ。
今、俺は、猛烈にお前に会いたい。
この驚きを共感できるのはお前だけだ。




