ニックス
――少し前の事。
あの恐ろしい夜が明け、太陽が出て来ると見えてきた裂け山。俺たちは、ギンヌンガガプへの入口のすぐ側まできている事に愕然とした。
ならば、とアイリスと入れ違いになる事を恐れ、俺はすぐに行動を開始した。
「隊長――!大丈夫ですか?先生についてなくて」
森の中。俺の後をついてくるのはクレタスだ。俺は一人で行くと言ったのに、テランスに言われて来たのだろう。あの男の判断力がバカに出来ない事はこれまでのやり取りで分かっているだけに、なんとも言えない気分になる。
「ああ、テランスとキリルがいれば問題ないだろう。リンネは自分で自分を守れるからな」
「確かに、あの人の強さは底がしれないっスしね」
底がしれない。まさにその通りだ。最初に彼がダヴィド王のアンクを持っているのを見た時は、なぜこのような者に引き継がせたか、と神を疑いもしたが、今では自分がいかに間違っていたかを思い知らされてばかりだ。
昨夜も私の甘い考えで部下二人を失う所だったのを、リンネに助けられた。俺はリンネの行動を疑い、剣を向けたというのに。
「私はリンネの足元にも及ばない。せめて少しでも役に立たねば顔向けも出来ない」
「だから逃げて来たっすか?」
「逃げて……」
ストレートな言葉に立ち止まり振り向けば、クレタスがニヤニヤと笑っていた。確かにその通りだな。情けない。
「お前たちは本当に良くやってくれているよ。なのに俺と来たら、失態続きだ。幻滅しただろう?」
俺がこう言うと、クレタスは少し驚いた顔をする。
「いや、幻滅だなんて! 隊長は優しすぎるだけなんっすよ。そのおかげで先生も、俺らも自由に動けてるっす。まあ、結果は結構やばかったけど、なんていうんだろうか……。俺、ここに来てから自分の力で生きてるって感じがするんっす。大変だけど、今まで一番楽しい遠征ですわ」
クレタスが本当に嬉しそうに話す。その顔を見れただけで何か救われた気がした。
「ふっ。優しすぎるか」
「ですよ。メシにウサギ肉入れさせない時点でやばいっしょ」
「あれは、あんな可愛い生き物を食おうとするお前達の方がおかしい」
「いやいやいや」
話している間に森を抜けてしまう。間近に見える裂け山を仰ぎ見る。その裂け目の前には、いつもより大勢の者が押しかけているようだ。俺は気合いを入れ、少し逞しくなったクレタスと共に、小さなアイリスの姿を探し始めた。
――同時刻。
幾本もの橋を渡り、まるでジャングルの様な森を抜けると、そそり立つ岩山の山肌が見えてきた。その岩山の大きな裂け目。やや開けた場所を臨む位置でリリ達は足を停めた。
『この裂け目の中がドワーフの工房、ギンヌンガガプですのね』
アイリス、よく言えるわね。私、舌を噛むわ。
「人混みに紛れて入ろうかと思ってはいたが……ここまで人が多いとは」
リュカスの言う通り、裂け目の前には長蛇の列が出来ていた。
「何があったんだ?こんなに人が並んでるのを見るのは初めてだ」
そう言うフィービに続き、フードを目深に被ると、五十人以上は並んでるであろう最後尾に着く。並んでるのは馬車や、たくさんの荷物を馬に乗せた人たち。きっと商人ね。私たちみたいな冒険者風の人もチラホラ見える。
「聞いてくるよ。フィービ、二人のお守りを頼む」
リュカスが言い、私をフィービに押しやる。フィービが慌てる。
「いや、俺が行くからリュカが見てろ!」
言いながら逃げるように離脱するフィービ。その行動力、掃除をサボる男子の様よ。
「はぁ……めんどくせ――」
ため息をつくリュカスに、マチュー様が辛そうな声をあげる。
「座ってていいか?」
「ああ、大丈夫か?要らぬ遠回りをしいられたからな」
「すまない」
すぐに座り込むマチュー様。工房に入る列はまだまだ長い。私は心配でその横に座ると目の前にあるリュカスのベルトにつけた水筒に手を伸ばした。
「サテュロスの森にキュクロープスが出たから仕方ないが……大人しい種族なんだろ?何があったんだろうか」
マチュー様が弱い眼差しをリュカスに向ける。私はリュカスからもぎ取った水筒を、そのままマチュー様に渡した。
リュカスが目を細める。
「キュクロープスは巨人というより神に近い。大人なら人に化ける位、簡単に出来る筈なんだが。まあ、奴らの考える事なんか分かるはずもないがな。それより、おい、リリ!お前も飲んどけよ。アイリスが倒れたら困る」
言われなくても分かってますわ!ふん!
「何その態度。本当にムカつくな」
「お――い!聞いて来たぞ」
数分後、フィービがご機嫌に戻ってきた。片手には何やらぶどうの様な果物を持っている。そして後ろにはいつか見たチャラ王子と、桁外れのイケメンを伴っていた。
水色の瞳に甘いマスク。くたびれた皮の装備を付けてるけど、足元に赤いカーペットが見えそう。
「なんでも、街道の解禁と同時にデオニュソスワインが店に出たらしいんだ。みんなそれ目当てだってよ」
まあ、ボジョレーなの?飲んでみたいわ。
『リリ、もうお酒はダメですわよ』
それよりも何?このイケメン。
「あ、これ、みんなで食えってさ。あっちのおばちゃんがくれたぜ」
あっちと言われた方を見ると、荷物をいっぱい手押し車に盛った、恰幅のいいおばちゃんが手を降っていた。イケメンは得ね。手をふり返し、渡されたぶどうの様な果物を無意識に口に入れる。うーん、幸せ。でも……イケメンが見てるわ。ゴクリ。
ザッと音がし、ギョッとする。
「アイリス様。ご無事でなによりです!」
イケメンが片膝をつき、頭を下げていた。ポロリとぶどうが手から落ちる。モテ期?モテ期が来たの?
はっ!驚いて、勘違いする所だったわ。
「ニックス殿。目立つことはやめて頂きたい」
すぐにリュカスがイケメンの腕に手をやり、立たせた。ニックス?何処かで聞いた名前。
『リリ、このお方がオブシディアンの騎士団長のニックス様ですわ』
騎士団長! やばい! ここに来てようやく乙女ゲー転生発覚?
「あ、コイツらオブシディアンの奴らだろ?お前ら探してたみたいだから連れて来たけど、ドンピシャだったみたいだな」
フィービがそう言い、私の隣に座ると、ぶどうを食べ始めた。
「ああ、フィービ殿、ありがとう。リュカス様、姫君とマチューを守って下さりありがとうございます」
ニックス様、とても礼儀正しい方なのね。リュカスにも頭を下げてる。
「いや、礼などいらない。しかし、どうしたんだ?こんな所まで追って来るとは」
リュカスが腕を組み、偉そうに対応する。
「はい、それが……」
『リリ、リンネ様がいないですわね』
そうね……あ!リンネ様とニックス様。確か仲良しって……!
「リンネ!……様はどちらに?」
思わず声が漏れた。リュカスに睨まれる。
ニックス様は私の声に気付き、また片膝をついて視線を合わせ、微笑んでくれた。
「はい。リンネも会いたがっておりましたよ、アイリス様。それで、急ぎ追いかけて来た次第でして。ですが、リンネの方はちょっと休ませたかったので代わりに私が先にお会いし、待って頂こうかと。しかし、抱えてでも連れてくるべきでしたね。まあ、キューちゃんが離せば、ですが」
キューちゃん?気になるワードを言い残し、ニックス様はマチュー様の前に屈むと、眉をひそめた。
「マチュー、大丈夫か?」
マチュー様が顔を背ける。
「休めばすぐに治る」
「そうは見えませんが?」
「問題ない」
「蛇だよ。噛まれたんだ」
素直じゃないマチュー様の代わりにリュカスが答える。
「そうですか。すぐにリンネを呼びましょう。クレタス、頼めるか?」
「はっ!」
サッと敬礼し、すぐに踵を返し走り去るチャラ王子。ちゃんとした方だったのね。
『人は見かけ寄らないものですわよ』
そうね。反省する。
「近くにいるのか? その、リンネって娘」
フィービの問いに優しい笑みを送るニックス様。
「ええ。かなり近くにいるのですが、疲れている様子でしたので、手を出せずに置いて来てしまいました」
「手を出せず?」
「はい。我々は合流する為、強行手段をとってしまいまして、サテュロスの森で……ちょっと……ありまして……」
その時、誰かが遠くで叫んだ。
「キュクロープスだ!キュクロープスが出たぞ――!」
「!!」
「リンネ!また……!」
ニックス様がただならぬ様子で、声のした方に駆け出した。私は両手を組みワクワクと見送る。
愛ね。愛を感じるわ。
でも……またって?




