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クレタス

 サテュロスの住処に篭もってどの位経ったか……。俺の隣で先生は蹲ったまま、動かない。

 キリルとラビスは無事、逃げ切れたのだろうか。様子を見に行ったテオはまだ戻らないし……。

 地下では時の経過が分からず、不安だけが募る。


 従兄弟のキリルはともかく、親友のラビスはめっぽう強い。二人なら大抵の事なら切り抜けられると信じてはいるが……。

 隊長も心配なのか、入って来た扉の横に背をつけ、マルシュに怪しまれない程度にワインに口をつけている様子。

 俺は部屋の隅で蹲る先生の横に座り、もらった酒を飲むフリをしながら、サティロスのマルシュと陽気に飲み交わすテランスを睨んだ。

「美味いな!こんな所でデオニュソスワインに出会えるとは、なんたる幸運!」

「流石カシア様のご令息!分かるわねぇ。で?今日はどんなご用向きでこちらに?」

「いつもの護衛、家業だよ。分かるだろ?」

「ええ、プンプン匂うものね、あの子。ダヴィド陛下のお稚児さん?」

「まぁ、そんなところだ」

 時折マルシュがこちらを伺っているのには気付いていた。サテュロスの好物は美少年だ。ど真ん中の先生を俺ひとりに任せて、テランスはいったい何をやってるんだか……不用心にも程があると思う。俺はそんなに剣がたつ方ではないというのに。


「先生、大丈夫ッスか?」

 先生は酒が飲めないらしく、ずっと顔を伏せたままじっとしている。忙しく動く表情が見えないだけで、心配になってつい声をかける。

「……うふっ」

「うふ?」

 様子がおかしい。

 フードからチラリと覗かせた瞳は、若干潤んでいる。上目遣いに見つめられて、たじろぐ。

「先生……飲んでないっスよね?」

「あはっ!イケメンクレタス、聞いてくれっ!」

 そう言うと先生は、いきなりバサッと掛けてたマントを跳ね除け、立ち上がった。

「せ……先生!?」

「俺は行かねばならんのだっ」

 慌ててマントを拾い、被せようとするも、スタスタとどこかに歩いて行く。

 これは想定外だ。

 驚いたのは俺だけじゃない。隊長とテランスも慌ててこちらに走り寄る。……が、足をもつれさせ、膝をついている。何か盛られてたらしい。

 先生の腕に、一番にたどり着いたのは、マルシュだった。

「あらぁ――。チョー好みっ」

 先生の肩を抱き、嬉しそうに柔らかなピンクの頭を撫でるマルシュ。慌てて走り寄り、引き離そうとするも、マルシュの体はまるで鋼でできたように全く動かない。

「クレタス!何をしてる!」

「無理っすよ――!隊長――!」

 人の姿をしているが、サテュロスは獣。魔物だと噂される程の怪力の持ち主なんだと思い知る。こんな時、自分の知識が何の役にも立たない事が腹立たしくてならない。

「あなた、飲まなかったのね、イケない子」

 ガンッと、肘鉄が入る。

「――っ」

 手を離してしまった。出てくる言葉は優しいが、やる事はかなり乱暴だ。

 呻く俺に、更に蹴りが入る。

「でも可愛いから許してあげる。って……ちょっと!」

 マルシュの腕が緩み、自由になった先生がズンズン歩み始めていた。目的地は入って来た扉とは逆の扉のようだ。慌てて駆け寄るマルシュも、先生の勢いにズリズリと引き摺られていく。

「どこに行くのよ!」

「こっちから空気が流れ込んでいる。すなわち、出口が、あるっ!!」

 ガッと先生が扉を開けた。


 開けた扉からは、暖気と共に何やら鉄を打つような音が流れ出てきた。


「きゃ――!違っうわよぉ!何すんのよぉ!そこ、プライベートなの!開けないで!」

 バン!とマルシュが慌てて扉を押さえる。隙ができた!今だ!と、俺はマルシュに飛びかかり首筋に剣を突き立てた。

「大人しくしろ!」

「きゃ――!野蛮!」

 しかし、大人しくしたのはマルシュだけだった。

「クレタス! バカっ、違うだろ!リンネさんだ!」

「へ?」

 後ろから叱咤が飛び、先生の方をみる。

 先生は緊迫した俺たちを無視し、扉を開けると中を覗き込んでいて。

 ……そして……。

 俺は押さえる相手を間違えた事を悟った。

「ヒャッハー!いい感じの階段!」

 何やら小さな車輪のついた板を創り、上に乗ると……。

「とうっ!!」

 と、薄暗い扉の中にそのまま突っ込んで行った。


 ガタガタガタガタ……。

「せんせ――!!マジか!ヤバっ!」

 マルシュを突き飛ばし、開け放たれた扉の中。急いで先生を追おうとするも、もう見えない。


 ヒャッハー!


 謎の奇声と、板の擦れるガタガタという音が、狭い壁に反響し、遠のいて行く。

 扉の先はゆるい階段の続く長い直線通路。

 所々に下げられたランタンだけが、グラグラ揺れているのを見て、思わずしゃがみ込んでしまった。

 だから言ったんだ、自信ないって……。キリルでも抑えられない人を俺がどうにか出来る訳ない。

「無理っす……」

 後ろに感じる威圧感。振り向けば、頬を腫らせた隊長が立っていた。意識をはっきりさせるため、殴ったのだろう。

「追うぞ!」

 俺を押しのけ、狭い通路を駆け下りる。

「ほら立て!行くぞ!」

 同じく頬を腫らせたテランスに尻を蹴られる。

「うぅ……先生……」

 泣きそう。

「に……逃げなきゃ――」

 頭を抱え、呟くマルシュを置いて、俺達は細い階段を降りて行った。



 カ――ン! カ――ン!


 緩く下る階段を駆け下りる。

 断続的に聞こえるのは鉄を打つ音。

 思い当たるのはワイン樽の鉄のタガ。樽を作る上で必要不可欠な物だ。下は工房で間違いないだろう。流れ出る暖気は蒸気を含み、焼けた鉄、独特の香りがした。


 カ――ン……。

 絶えず聞こえていた音が止まる。何か、があったのか……身震いがした。

 階段の先に見える光か大きくなる。

 入口に扉はなかった。

 先に着いた隊長が、突き当たりの部屋を覗き込む様に壁に張り付いていた。

 中から複数人の『男』の話し声が聞こえてくる。


「この子、浮いてるわ! 天使よ。天使が舞い降りたのよ!」

「贈り物かしら。ディオニソス様から?」

「有り得ないわ。彼、私たちには冷たいもの」

「じゃ、なに?マルシュからの差し入れ?」

「粋な差し入れね! 素敵ぃ――!」


「着地に失敗したようです」

 隊長が横に張り付いた俺たちに囁く。

 地下で着地というのもおかしいが、まさにその通りの状況。隊長越しに覗いた先に見えたのは、複数人の逞しいサテュロスと、その真ん中で倒れている先生。両手を大きく広げ、仰向けの状態だが、その体はしっかりとダイフクによって守られていた。

「浮いている、か……」

 人間以外にテムははっきりと認識出来ない。サテュロスには、先生が浮いているように見えるのだろう。

「角が生えているな。成人した個体だ」

 サテュロスは人と同じようだが歳を重ねると頭に二本の角が生えると言われている。実際その姿を見た者は少ないし、彼らに連れ去られた者は戻らないので、真意のほどは分からないが。

 俺の呟きにテランスが唸る。

「剣を持っているとはいえ、三人で挑むにはいささか心細いな」


 ブォォォォォ――。

 ドォーン……ドォーン。


「ヒッ……」

 揺れる。

 空気を震わす声と地響きに驚き、あげそうになった悲鳴はテランスの手で塞がれた。

「奥にキュクロープスの子供がいる」

 隊長が更に恐ろしい事を言う。

「とにかく、リンネを返して貰おう。……あ、リンネが起きたな」

 隊長の手が剣の柄にかかり、緊張に震える。

「話の分かる相手だといいのだが……」

 光の中に出た隊長に続き、俺たちも明るみに足を踏み出した。


「ん?お前ら誰だ?」

 ベッドになったダイフクの上。起き上がる先生の前にいるのは、裸にベスト、短パン姿の角の生えたサテュロス。数えれば七人いた。

「お前ら七人の小人?俺、魔女に毒リンゴ食わされたの?……ってか、俺、まさかのお姫さま枠?」

 角の生えた筋肉質な大男を捕まえて小人はないだろうに。

 案の定、一気に空気が重苦しくなり、隊長が足を止めた。そんな空気などお構い無しに、先生は、巣穴から顔を出したうさぎの様に、キョロキョロと辺りを伺っている。

「あらぁ――起きたら可愛くないわねぇ。あなたこそ、何者?」

「ん――?俺、リンネ。なあ、あれ何?」

 そこらへんに散らばるのは鉄くずやハンマーに、鋳型。タガの材料だ。先生の指さす先を見れば、火の入った大きな釜……そしてその前に据え付けられた金床の横に、半裸の巨体が蹲っていた。

 腰布だけを纏った巨体は人間五人分って所だろうか。それでも小さいキュクロープスの子供だ。よく見れば両足首を鎖でしっかり拘束されていて、奥の壁と繋がっている。

 キュクロープスは話も分かるし、穏和な種族と聞いている。まるで罪人のような扱いに眉が寄る。しかし、大きさゆえに、動けない事に安心したのも確かだ。

「なあ、なんで繋がれてんだ?」

 先生はそう言いながらダイフクから降り、散らかった石の床に足を付けると歩き出した。ぷよんと、ダイフクが縮み先生の肩に乗る。

「彼、暴れちゃうのよ、仕事しないで。困っちゃて、仕方なく繋いだって訳。ねえ、私たち、丁度休憩したい気分なの、あなたも一緒にどぉ?」

 サテュロスはそう言うと、先生を後ろから抱きしめようと両腕を伸ばす。しかし、先生にしゃがまれて、宙を抱く。

「あらぁ?」

 七人いるサテュロスが次々に手を伸ばすも、軽く体を捻り、体術だけであっさりかわす先生。

「何よこの子。変な技を使うわ」

「ムカつくわねぇ……」

 この人、護衛要らないんじゃね?って思うのは俺だけか?

 しかし先生は真っ直ぐにキュクロープスの子供の方へと向かって行く。流石の先生もこの巨体に挑むなんて事、しないだろうが……止まらない。

「仕事?ああ、樽の部品制作か。嫌がるって事は労働条件が悪いんだろ?強制労働はダメだと思うぞ。な、お前もそう思うだろ?」

 そう言い、ポンとキュクロープスの膝を叩いた。

 ああ……もうダメだ。

「リンネ!!下がれっ!」

 たまらず隊長が声を上げ、駆け寄る。

「侵入者よぉぉぉ――!」

 隊長に気付いたサテュロスが叫ぶ。

「うぉぉぉ!よく見るとお前、大きいなっ!羨ましい!」

 先生の羨望が伝わる。

 そんなに気にしてたのか、小さいの。

 でもこれはデカすぎだろ……と思いながら、俺は剣を抜き、暗がりから飛び出した。


「クレタスはリンネを!」

「うい!」

 そう言われて、先生の前に出ようとした俺だが……。

「あ、クレタス、ちょっと手伝ってくれよ」

 近づく俺に、先生はそう言うと、落ちていたハンマーを渡してきた。

 見ればキュクロープスの子供は、虚をつかれた様で唖然と先生を見ている。

 同じく唖然とする俺に先生はハンマーを持たせると、キュクロープスの脚を撫で始めた。

「ごめんよ――。痛くしないように注意するけど、じっとしててね――」

 先生はそう言いながらキュクロープスのひとつしかない目を覗き込み、更に言葉を続ける。

 大丈夫だからねっ。いいか?触って。どっか痛いとこないか?とか……。微笑みながら、ガンガン話かけるから……とうとうキュクロープスも頷いた。

「クレタス。足枷の釘を抜いてくれ」

「え?マジ?」

 チラッと隊長を見るも、サテュロスに色々投げつけられてて、大変そうだし……。

 いいのか?本当に?暴れちゃうかも?でも、先生が……。やだ……いい笑顔……じゃない。

 俺は腹を括ってキュクロープスの足枷の釘にハンマーを奮った。


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