詠まれる
ポロン……。ポロロン……。
竪琴の音が酒場に響く。
夜の帳が下り、酒や食事、ひと時の安らぎを求め人が集う酒場。喧騒に疲れテーブルに頬杖を付き微睡んでいたリリは、美しい音色に目を開け耳を傾けた。
サティロスに惑わされし者、五人の従者に連れられ忘却の地レテに逃れ来る。
艶やかなる淡紅の髪。淡く薫る象牙色の肌。
美しさあまねく人々魅了するも、その漆黒の瞳見る事叶わず。
その呪い解くは愛する者の接吻のみ。
解きたるは翡翠の髪持つ、麗しき首領の息子。
二人恋におちるも美しき者、留まる事はできぬと、頭を垂れる。
「我を連れて行ってください」
首領の息子、手を取り哀願する。
「いけません。貴方はこの地を護るもの」
美しき者、涙を流し答える。
二人の愛を阻むは神竜との誓約。
首領の息子、この地離れる事叶わぬ身。
嘆き悲しむ二人の元に降り立つ白き神竜。
「太陽が西の空に落ちるまで我、しばし姿を隠す。その間に門を超えるがいい」
愛する二人、従者らと共に門を目指しひた走る。
しかし時は無情にも閉門を告げる。
二人、絶望に打ちひしがれ闇に身を投じようとしたその時。
目の前に現れるは古の橋。
「行きなさい」
聞こえるは古の者達の声。
慈愛の心に押され、渡る橋は慈しみに溢れ揺れる。ゆらゆらと。
レテに愛されし者たち。
夜の帳の降りし森に消える。
永遠の愛と共に。
『なんて素敵な歌なのでしょう!』
そう?ハッピーエンドね。つまらないわ。
「淡紅の髪……五人の従者って……」
リュカスが額に手をやり苦悩してるわ。……あら、マチュー様も頭を抱えてどうしたの?
「あいつら……何やってるんだ?」
「え?何?知り合い?マチュー、その子、そんな美人?」
まあ、がっついて。フィービ、普通に引くわ。はっ!アイリスにはちょっと早いわね。耳を閉じる。
「まあ……悪くないな」
「ほぉ――」
「そこは否定してやれよ……まあ、居場所は把握できたな。しかしレテって。俺らが避けて通ってる所に突っ込んで行くとは……。しかも首領の息子って、襲ってた奴じゃん。どうやったらこんな事に?」
「……接吻って……何させてんだよ、あいつら……」
「気にするところ、そこ?」
「お手つきかよ……」
「いや、それは無い。安心しろ」
「あいつも、ニックス様というものがありながら!」
「いや、そいつも男だろ?」
「二股かよ。やるなぁ……」
「……はぁ……めんどくせぇ。ん?」
フィービが突然、髪を耳にかける素振りと共に指を三本立てる。同時にマチューが立ち上がり身支度を始めた。
「さて、そろそろ寝るか。アイリス、行くよ?」
なにか楽しい事が始まる予感もしたけど、ここは大人しく立ち上がり、ついて行く。
「俺たちはもう少し飲むよ。先に寝といていいぜ」
「ああ、程々にな」
この世界の宿屋の造りはどれも一緒。階段を上がり、今日は突き当たりの部屋に入る。マチュー様は鍵をかけ扉に耳を付ける。何かを確認した後、さらに窓に素早く寄ると、鎧戸を閉めた。
「靴は脱がずに休んでくれ」
頷く。ベッドはどっちでもいい?私、壁に近い方がいいの。ギュッと枕を抱きしめぽふっと座る。直ぐにマチュー様が横に座り、髪を撫でてくれた。
――途端、手を引く。
ベッドから飛び降り部屋の端に逃げる。
シャ――ッ。
もうこれは確実に毒蛇ねって、分かる模様のついた蛇が私のベッドにとぐろを巻いてた。
「しくった……っつ――」
「!!」
『マチュー様!』
マチュー様はそれでも腰の辺りから何かを手に取り蛇に突き立てた。蛇が動かなくなったところで駆け寄る。
まあ大変!
「あ……アイリス?」
処置は分かってるわ。田舎では普通にやってる事よ。髪を束ねるリボンを取り、噛まれた指の根元に巻き、かぶりつく。毒を吸い出すつもりで何度も。ペっと吐き出しながら。……どうしてか涙が出てくる。
「もういい……ありがとう」
どのくらいそうしてたのか……よしよしってされて、顔を上げる。マチュー様が微笑んでた。
ドン!
「どうした?」
外でくぐもったリュカスの声がする。
「開けてやってくれ」
ベッドからピョンと飛び降り、扉の鍵を開ける。
入ってきた二人からは血の匂いがした。眉を顰めながら、リュカスの手を引き招き入れる。
早く!早く!
「ん?……蛇か。やられたな。飲め」
リュカスが例の水の入った袋をマチュー様に渡す。マチュー様はちょっと飲んでそれを私に押し付けてきた。首を傾げると引き寄せられ、膝に載せられる。
「口を濯いで。……具合は悪くないか?」
「それ、そいつが?」
「ああ……」
リュカスの問いにマチュー様はリボンを巻いたままの指を掲げる。指は変な色に変わりつつあった。
「こっちにもいたぞ」
もうひとつのベッドから声がして目をやると、同じ模様の蛇にフィービがじゃれていた。
「出よう。危険かも知れないが、ここよりマシだろう。マチュー、その水を指にもかけろ」
「ああ、すまない。さ、アイリス水を口に……」
あら?……手が震えて……。
「かせ!」
リュカスに袋をひったくられて、あっという間に引き寄せられ、口移しで飲まされた。
ゴクリ……。
「飲んどけばどうにかなる。マチュー、手を出せ」
「……ああ」
「腫れてるな……。だが多少は免疫があると言ったところか。動けるなら着いてこい。左で剣は握れるか?」
「問題ない」
「こいつは俺が抱える。フィービ、遊んでないで行くぞ」
「いや、この蛇、テムかなぁって」
「ここはティルクアーズだぞ。貴重なテムを簡単にくれてやるものか。急ごう、また湧いて来たぞ」
何が?って……リュカスに抱えられ、廊下に出て分かったわ。
どこから湧いて出たのか、数人のガラの悪い男が剣を片手に階段を登って来てた。
「しっかり捕まってろ」
まるで神楽を舞っているみたいだ、と思った。私の地方だと、ひょっとこの面だったけど。
体を軸に片手で何かを操っているみたいで、くるりとリュカスが舞うと、面白いように大きな男がドスッと倒れてゆく。その後に続く鮮血の飛沫。目を閉じる。
「リュカ!剣傷に見える様にしろ!また怒られるぞ」
フィービが叫んでる。
「……はぁ……めんどくせぇ……」
すぐ横でする声はいつも通りで。違和感を感じる。
「手伝いはいらないようだな」
「いや、手伝ってくれ。加減が難しいんだ。そのうちリュカがキレて宿屋ごと吹っ飛ばしかねん」
階段を降り、大混乱となってる食堂を抜け、扉を開ける。屋外に出ると目の前には野球チームの遠征並の人たちがバットじゃなくて、剣を構えて立ってた。
リュカスが脇に避けた瞬間、フィービが刺す。崩れた敵の背にシュッと矢が刺さるのが見えたと思えば、くるりと舞って遠くの誰かが引き倒される。
ギャッ!
銃で撃たれたようにあちこちで呻き声があがり、どんどん敵が倒れていって……。
宿屋が囲まれているように見えたのはほんの一瞬だった。マチュー様とフィービが走り出した時には、包囲網はくずれてた。
私はリュカスの肩に目を押し付け、二人がトドメを刺すのを……ただそれが終わるのを待った。
森の香りはとても落ち着く。夜空が見えないのは寂しいけど……目を瞑り深く息を吸い込んだ。マチュー様ほどではないけど、リュカスもなかなか高級枕ね。
「寝たか?」
フィービが横に座る。
「ああ、そっちもか?マチューの方は意識がないと言った方が正しいがな。熱はかなりあるし、医者に見せるべきだろうか?」
「そうだな。今はステュクスの水でどうにかなってるが……。ドワーフの工房に寄るか」
「……はあ……仕方ねぇな。……なあ、リュカ。そいつ、一言の悲鳴も漏らさなかったよな。声が出ない訳じゃないんだろ?」
「お前もこの前、こいつの声、聞いただろ?」
「一言だがな。無口にも程があるだろ?おかしくないか?」
「飯は食ってるし、普通に歩くから問題ないだろう」
「そういう問題かよ……。まあ、いいが……やっぱり帰る気はないんだろうな、そいつ」
「この世界の物を億さず食ってるって事はそういう事だ。もう向こうに身体が無いって分かってるのかも知れない。泉が現れないしな」
「だからって人の身体、乗っ取っていい訳ないだろ?……てか、そもそもさ、一つの身体に二つの魂が宿ることってあるのか?」
「二人の魂の存在が薄ければ、有り得るのかもしれない。もし違ったとしてもこのまま連れて行くしかないし。お前も見たろ?リリがいなければこの体、生きているかも怪しい状態になるようだから」
「ムカつくけど……仕方ないな」
「死にたくない、の一言でも言えば、可愛げもあるものを……」
『もうしわけないですわ……』
大丈夫よアイリス。彼らはプロよ。護衛するのが気に食わない相手でもちゃんと仕事はするわ。
『違うのよ……。リリは大丈夫?』
ええ、私は慣れてるから平気よ。Z指定やっといて良かったわ。アイリスこそ怖かったんじゃない?かなりショッキングな場面だったわ。
『怖かったわ……』
アイリスには刺激が強すぎたわね。でももう大丈夫。振り切った見たいで、また森の中よ。私、森が大好きになったわ。これ程安心な場所はないわね。
『ふふっ、そうね。ねぇ、リリ、マチュー様、大丈夫でしょうか……』
大丈夫よ、リュカスがそう言ってるから。
『そう……そうよね!……ねぇ、リリは私には沢山話してくれるのに、どうして声に出さないの?話せばリリはいい子だって、分かってもらえると思うのですの』
そうかしら?でも私、言葉が迷子だから無理ね。
『言葉が迷子?』
うん。昔ね、家のお手伝いさんか話しているのを聞いちゃったの。子供は本当に邪魔だって。だから私、邪魔にならないように大人しくしてたわ。そしたら今度はおじい様に、黙ってないでしっかり言いたい事は言いなさい、って怒られるようになってしまったのよ。でも、何か話そうとしても、それは違う、こう言うべきだ!っていつも怒られてばかり。私は何が正しい言葉なのかずっと分からなくて……答えを探すうちに言葉はどんどん迷子になっちゃって……。
『それで、迷子なのですわね。それで?答えはみつかりましたの?』
いいえ。結局見つからないまま、おじい様は亡くなってしまったわ。
『それは残念ですわ……』
そうでもないのよ。だって少なくとも、もう答えを探なくていいのだから。
『そうね……でも、なんだか寂しいですわ』
アイリスは優しいのね。私はアイリスに分かってもらえればそれでいいのよ。
「ん?起きてんのかよ、お前……って、聞いてたのか?さっきの……」
しっかり聞いてたけど、別にいいのよ。その通りだから。でもちょっと傷ついたからこの呪い、あげるわね。髭と頭髪が入れ替わる呪いよ。
すぐ近くにあるサラサラの銀髪に手を伸ばす。
『りり?髭……』
……はっ!生えてないじゃない!
「っ何!?頭撫でるなよ、気持ちわりぃな」
このままだと、リュカスはハゲ……。
ま、いっか!
『ぷっ……』
「はぁ――何考えてんだか……。まあ、喋りたくなきゃそれでもいいけど、危なくなった時ぐらいは声を上げろよ」
頷く。
もちろんよ。アイリスの為なら頑張るわ。
『リリ、ありがとう』
どういたしまして!
使われる事のない言葉たちが私の周りを漂っては消えてゆく……雪のように。
でも……。
今はそれを拾い上げてくれる人がいるの。
それは奇跡よ。
アイリスに会えて本当によかった。




