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始まりの宿

 町で一番大きな建物にはいると、そこは宿屋でした。

 一階はガヤガヤと騒がしいレストランになってて、私たちは一番端のテーブルに座ってカウンターに向かったマチュー様を待つ。十席に満たないテーブルは全て埋まっていて、ガタイのいい男達が食事を取りながら飲みまくっていた。様々な種族がいるみたいで肌、髪の色はともかく、耳の形も違うし、身長もバラバラ。流石に猫耳やうさ耳はないけど、ファンタジー世界っぽい感じね。この方たちは冒険者かしら。ワクワクする。


「三人だ。おすすめと、アルコール。あと、こいつに何か飲み物を」

 スっとやって来た綺麗系の無愛想な女店員さんにリュカスがオーダーを入れ、テーブルにコインを数枚置く。店員さんは何枚か受け取り、また音もなくさっていった。シンプルな取引方法ね。

「上に二部屋取った」

 マチュー様が横の椅子に座る。同時にテーブルに木製のジョッキが二つ、先程の店員さんによって運ばれてきた。私の前には甘い匂いのする透明なコップが置かれる。

 これ、飲んでいいの……?

 キョロキョロしているうちに食べ物が運ばれてくる。

 わお!ちゃんとしたビーフシチューっぽいものが!

 何も言わずに食べ始める二人を眺める。

 どうしよう。アイリスの体には養分が必要なのかしら?

 返事がない。寝ちゃったの?

「アイリス、食べていいんだよ?」

 いつの間にか真剣な顔をしたマチュー様とリュカスに見つめられてたわ。こくんと頷きグラスに手をかける。

 凄いわ!この世界のグラスの透明度!まるで見えないわ!

 思ってたよりグラスが大きくて、両手で持って口に持っていく。ちょっとだけ舐めて見ると……アップルジュースっぽい感じね。美味しいわ。

 でも私、そっちの方を飲んで見たいかも。

「この後仲間が来るんだが、一部屋借りてもいいか?」

 話し始めたリュカスが手を離した隙に、そっと彼のジョッキに手を伸ばして……ペチンと払われた。

 チッ!

「ああ、アイリスは俺が見とくからいいが、仲間って珍しいな。番人は群れないと聞いていたが?」

「ああ、その通りだ。でも、仕方ない。事情が変わった」

「事情? まあ、聞いても答えないんだろ? あんたらがそう判断したのなら、それでいい。ただ、誓って、約束を違わないなら」

「ああ、オルフェウスの気が変わらぬ限り、お前達が望む結果になるよう努力すると誓うよ」

「気が変わらぬ事を祈るよ……ん?……アイリス?」

「こいつ……飲みやがった」

 テーブルが冷たくて気持ちいい……。

 ……クラクラしてとても……眠いの。


 おかしい。いつの間にかベッドの上にいるわ。

『リリ!良かった……大丈夫?』

 起き上がってみるけど……何ともないわ!私、誰にやられたの?――くっ!記憶さえあれば!

 室内は暗くてあまり見えないけど、カーテンのない窓からの月明かりで、隣のベッドに腰掛けたまま倒れて寝てるマチュー様がぼんやり見えた。

 喉……乾いた。

 マチュー様を起こさないよう、そっと扉を開けて廊下に出る。……真っ暗ね。

『リリ!危ないですわ』

 フワッと小さな光が舞い降りる。

 あら、あなた…………名前、忘れたわ。

『ランパスですの!』

 そう、体が光ってて素敵ね、ホタルみたいよ。

 さあ、ふんわりぼんやり照らしてちょうだい、ホタル!私、お水飲みたいの。

 くるくる……喜んでるみたいでなによりだわ。

『リリ、本当に大丈夫?』

 大丈夫!水を貰ってすぐに戻るから。


 廊下の突き当たりに階下に降りる階段を見つけ、静かに降りていく。明るい店内をそっと覗くと、そんなに時間は経ってなかったみたいで、店の中は飲み明かす冒険者風の人達でいっぱいだった。

 ホタルを耳にくっ付けてっと……。イヤリングね。可愛いでしょ?

 とりあえずカウンターに近づいて、一番端の席によじ登る。

「おぉ?嬢ちゃん、どうしたんだい?こんなとこにいちゃ悪い人に攫われちまうぞ?」

 カウンターに座るクマみたいにデカいおじさんに気付かれたわ。

「ハハハッ!キイつけろよ!こいつが一番危ないんだァから!」

 ずんぐりとした、髭ずらなおじさんに不躾に笑われる。

「ハハハハ!そりゃちげーねぇ」

 認めたわね。その潔さは嫌いじゃないわ。

 知ってる……酔っ払いってみんなこんな感じよ。そのうち肩を組んで歌い始めるに違いないわ。

 あ……。

 綺麗系店員さんを見つけて、目で追う。一人で給仕をやってるみたいで、とても忙しそうに店内を回ってて……あ、すいません。お水……。

「お嬢ちゃん、喉乾いたのか?」

 カウンター越しに声がかかって振り返る。あら、素敵マッチョ!そっちは厨房だから、シェフね、あなた。水ちょうだい。

 こくんと頷くと、木のジョッキを渡された。

『お水ですわよね?』

「水だよ、安心して飲みな」

「ありがとう」

『良かった……』

 ゆっくり水を飲みながら店内を観察する。談笑するオッサンは見飽きたわ。見るなら……本当に綺麗な店員さんね。耳がちょっと尖ってるから、人間じゃないのかも。髪はサラサラの銀髪でリュカスにちょっと似てるわ。そういえばリュカスの耳は見た事がないわね。今度引っ張ってみよう。

 綺麗な店員さんは、オーダーを取るとカウンターの中に書かれた数字の場所にチョークで何やら書き込む。マッチョシェフがそれを見て食事を作り、出来上がった料理をその場所に置く。店員さんが運ぶ。

 面白いわ、見ててやってみたくなる。数字とテーブルを覚えて……。

 あ、店員さんがカウンターの向こうからこちらをじっと見てるわ……ええ!いいの?やらせて!

『リリ!すぐに戻るって……』

 高いカウンター椅子から飛び降りて、店員さんの方に行くと、三番の上に置かれたビールを渡された。三番は……あっちね!

 三番のテーブルに持っていくと、髭と頭の毛を入れ替えたみたいな客に頭をぐりぐりされて、戻ってくる。やだわ……その呪い、移ったりしないわよね。

 カウンターに戻って見ると、八番に冒険者の憧れ、あの骨付き肉がデーンと置いてある。これは重そうだからやめて……五番ね。私、ビール運ぶわ。

「うおっ!?サーバ?この子……いいのか?」

 奥から出てきたマッチョシェフに驚かれた。

 店員さんの名前はサーバって言うのね。目を合わせると頷いてくれる。ついでに頭を撫でられる。

「お前がいいならいいが……ったくアイツらは何してるんだか……」

 シェフもサーバも厳しい顔をしてるわ。どうしたのかしら?あ!お客さんが呼んでるわよ。

「嬢ちゃん、寝る時間までだぞ」

 りょ!

 さっ、次は……と、えっと……七番は……。

『右奥ですわ!』

 りょ!

「お可愛い嬢ちゃんが運んでくれるのかぁ?!こっちにもエール頼む!」

「おいっ!こっちにもなっ!」

「こっちも!」

 あちこちから声がかかる。

 ふふふっ!何だか繁盛してきたわ。アイリスが可愛いからね。

『楽しいですわね!』

 ね!


 しかし楽しい時はそう長くはつづかなかった……。

『リリ?突然どうしたの?』

 もの凄く不機嫌なオーラを纏った魔王が階段の上にいるのをみつけてしまった。

『魔王?』

 ドタドタと階段を下りると真っ直ぐにこっちにやって来る。彼が横を通るとテーブルの酔っ払い達が振り向き息を飲み黙る。

 やばいわ……。完全に怒ってる。

 リュカスは私の目の前に来ると、手に持ったままだったビールを取り上げ、渡すべきテーブルにドンッと置く。盛大に溢れるビール。

「お待たせしました」

 地を這うような声ってこういう感じなのね。

 嫌だわ、こんなウェイター。

「お……おうっ……」

 テーブルの大男がその顔を見て目を剥いてる。

「リリ、そろそろ寝る時間だ」

 腕を取られる。

 い……痛いですわ。そんなに強く握らないで。

 イヤイヤともがくと抱えられて、二階の部屋へと強制連行されてしまった。


 部屋の一つに連れ込まれ、ベッドに下ろされる。すぐにリュカスは灯篭の火を吹き消すと、窓辺に行き外を伺う。

「リュカ?何かあったのか?……こいつが?」

 部屋の奥のベッドには男の人が一人寝てたみたいで、私達が入ってくるとのっそりと起き上がった。まるで女の人見たいにサラサラの金髪。肩はしっかりしてるけど、どことなく線の細い、男の人よね?顔もリュカスほどじゃないけど、とても綺麗よ。

 ベッドに座る私に気付くと、髪を三つ編みにしながら近づいて来て目の前で膝まづく。

 誰なの?この人。そのニヤけた顔をアイリスに近づけないで。

「ああ、こいつがアイリス……リリだ。下で遊んでやがった」

「へぇ――」

 遊んでなんかないわ! それより私、マチュー様の部屋の方がいいの。確か隣よね?

「話が終わってからだ。お前のふざけた行動でその余裕もなくなりそうだがな」

 リュカスが体を窓に貼り付かせたまま、チラッとこっちを見て言う。

 ふざけてなんかなくてよ?お手伝いしてただけですの。プンプン!

「お前なあ、こっちはなるべく姿見られたくないの!逃げてるって、分かってんの?」

 はっ!そうでした。

「なんで忘れんだよ……バカなのか?」

 馬鹿ですって!失礼な!


「ははっ、何?お前、こいつの考えてる事分かるの?おもしれぇ」

 パッキンの美人が言う。声はちゃんと男の人なのよね。違和感。

「見てりゃ分かるだろ。こんな分かりやすい奴、いねーぞ?」

「そうか?えーっと、アイリスちゃん?じゃなくて今はリリちゃんか。あんた、俺らが何のためにここにいるか分かってるかな?って、そもそもこいつ、分かる歳なのか?」

「……そういや、聞いてなかったな」

「はぁ?……まあ、お前らしいっちゃらしいけど」

 リュカスが窓辺から離れこっちに来る。代わりに目の前の男が窓辺に行き、少しだけ窓を開けた。

 風が歩いて来るリュカスの銀髪を揺らす。あ、耳尖ってる。

「リリ、お前いくつだ?」

「十八ですの!」

 フンっ!と胸を張る。私、こう見えても大人なのよ!

「嘘だろ……」

 なんで驚いてるのよ?

 あ、喋った。って言いながら、男も窓を閉めこっちに来る。

 失礼ね!私、普通に話せるわよ?

『リリは話してるつもりでしたのね……』

 ん?つもり?

「二つ下か。あ、お前より上だよな、リュカ? 何、軽くショック受けてんだよ」

 男は私の前にしゃがみ込んだリュカスの頭をガシガシ掻き回すと、ペちゃんと座る私の横に腰掛けた。

「なあ、リリちゃん」

 ん?

「俺らさ、アイリスをオルフェウス様に届けなきゃいけない訳だけど?」

 ええ、知ってるわ。頷く。

「――邪魔しないでくれる?俺らこの仕事に命懸けてんのよ? 分かる?」

 ――そう。

「あんた、アイリスの命、危険にさらさせてんの、分かってて邪魔してんの?――最悪だね」

 確かに邪魔してたわね、分かるわ……。

『リリ!私は邪魔だなんて!』

 いいのよ、アイリス。慣れてるから気にしないで。

『慣れてるの?』

 私、どこにいても邪魔者よ。と言うか邪魔者じゃなかった事がないわ。そんなつもりはないのに、不思議ね。

『リリ?』

 でも、そうね。ちょっと調子に乗ってた事は認めるわ。

「……ごめんなさい」

「ん?なんか言ったか?」

 あなたのお仕事にかける情熱は伝わったから。これからも頑張ってアイリスを守ってちょうだい。


 私はホント、どこにいても……。

 私は……どこにいればいいの?

 私の居場所は?……何処かにあるの?


「大丈夫か?コイツ。まるで反応がねぇぞ」

『リリ?……リリ!』

「え?リリっ?」


 消えてしまいたいって思う事だってあるの。

 だって、またひとりぼっちになってしまった気がしたから。

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