リュカス
私の体力の無さ故に、今日は野宿となりました。
田舎道を何キロも歩いて通学してたから、体力には自信があったのだけど、この身体はアイリスのだからかしら?
マチュー様が敷いてくれた毛布の上に横たわる私。
アイリスはまだ寝てるし、マチュー様は何処かに行ってしまい、私はリュカスが火をおこすのを、ぼんやり見ていた。
ブツブツと自分の指先を見詰め、何かを唱えるリュカス。何となくアテレコを付けたくなる……ニンニン。
楽しんでる間に、リュカスの立てたその指先にポウと火が灯る。その回りに小さい羽虫が数匹飛んでるような気がするけど……疲れてるのね。
目を擦る。
リュカスが指に灯った火を薪に投げ付けると、ボウッと薪が不自然に燃え上がる。
キャッキャッ……
今、何か……子供の笑い声が聞こえた気が?
ホラーね、いやだわ。
起き上がってキョロキョロしてると、飲むか?とバックパックから皮っぽいの袋を取って振ってみせられた。知ってるわ。それ、水筒でしょ?
「リリ……今晩が最後のチャンスだ。明日にはティルクアーズに入るからな」
リュカスはそう言いながら隣に座り、透明なコップに水を入れて私に差し出した。
あれ?そのコップ、どこから出したの?
「ああ、このままじゃダメか……面倒だな……ちょっと待て」
次の瞬間には手品みたいに、もう片方の手からターコイズの欠片を出す。それをコップの底に差し込むと、ふわりと光り、もやもやとした白いカップに変わる。
この世界では、このもやもやが流行ってるのかしら。かまくらもこんな感じの材質だったわ。
「温めるか?」
日が陰った森の中は寒い。頷くと、近くを飛んでいた羽虫を一匹捕まえて、カップに入れて差し出された。
……飲めるの?
首を傾げる。
「それはステュクスの水だ。これが呼び水となって消えてくれるいいんだが……。ああ、大丈夫、美味しいよ」
そう、私に帰れと言っているのね。って違うわよ、その羽虫よ。本当にブレないわね。
カップを引く気がなさそうなので一応受け取ってみるけど……。
ねぇ、この羽虫、顔付いてない?人型してるし。
あ、手をふったわ。
「お前が戻りたくないのは分かる。稀にあると聞いているからな、身体を形成しない夢見る魂があると。そのほとんどは死した者の魂……だろ?」
え? ええ、そうよ。
私は頷く。
あ、羽虫がこっちに飛んで来たわ!
「飲めよ……アイリスは十四歳なんだ。まだ消えるには早い」
なんてこと! 私、十四歳の身体にシンデレラフィットしてたの?
「しかも彼女はオブシディアンの王、ダヴィドの唯一の子なんだ。お前ごときが乗っ取っていいはずがない」
アイリスってお姫様だったのね!道理で話し方が上品だと……。
は! 驚いてる間に羽虫が私の鼻の頭にキスしたわ。
「おい、聞いてるのか?……飲め!ここまで言って飲まないとかねーだろ……」
え……だって、羽虫のエキスとか出てるかもだし……。
じ――っとコップの中を覗く。特には何もないようだけど……。
「……おい!」
どんどん不機嫌になるリュカスに、とうとう覚悟を決めたわ。
どんな手品なのか、程よく温まった水を一気にごくごくと飲む。すかさずコップを取り上げられ、さらに次いで押し付けられる。
その技術、まるで酔っ払った親戚のおじさんのよう。そのうち昔の武勇伝とか話し始めるわよ。って冷たいわ。すでに温める気もないようね。
あ……羽虫がまた来て、コップに手を突っ込んでる。すごっ……温かくなったわ。
ありがとう、あなたが温めてくれてたのね。
二杯目を飲み干し、カップを返すと、満足したのか、リュカスは薪をつつき始めた。
「昔……アイリスに会った事があるんだ」
へ?
どんな武勇伝?
「オブシディアンの城に、数日滞在した事があったんだ。彼女、城の庭でずっと遊んでて、俺は城の中から見てたんだけど、気になって会いに行ってみたんだ」
あ、何だか目が優しくなった。瞳がシルバーだから分かりにくいけど……きっとアイリスを見てるのね。私じゃなくて。
「しばらく一緒に遊んで、帰ろうとしたら、あの母親が出てきて、アイリスをひっぱたいて連れて行った」
「酷い親……」
思わず呟く。
「だろ?他の奴に聞くと、アイリスは城は愚か、庭から出ることも許されてないって言うんだ。信じられないだろ? だから、外に出してあげたいんだ。今までの分もまとめて……分かれよ」
私は目を閉じ考えた。
アイリスにとってどうするのが一番なのか……。
『一緒に旅がしたいですわ』
起きてたのね。
ねぇアイリス、あなたはこの体に戻れるの? 私が消えた後に。
『それは分からないのですわ。リリ、そもそも私の体は、生まれた時に死んでしまってるの』
え?生きてるじゃない?
『これは本当にナイショの話なのですけど……私はあのアンク……リリがターコイズって言っている石に込められたヌース。魂の欠片みたいな物なの。お母様はこちらにやって来た時、自身のアンクだけでなく、私のアンクも身体に宿しておられたのですって。お父様は身体のない私のアンクを不憫におもわれて、私に身体を創って下さったの。私の身体はお父様のテム。アンクを取られてしまえば消えるし、お父様が力を無くしてしまったら私は動く事が出来なくなりますの』
分からない単語が多くて、詳しくは分からないけど、お父様が、凄い魔法使いって事は分かったわ。……でもそれならお父様が元気ならば大丈夫なんじゃない?
『お父様は最近、力をお譲りになられたのですわ。もう充分生きたから、と仰って……。でも、オルフェウス様なら、どうにか出来るかもって』
なるほど。だから会いに行くのね。
『ええ。それだけではないのだけど……』
はぁ、とリュカスかため息をつく。
「何か言えよ……俺にここまで喋らせておいて黙りとか……」
『リュカス様はお優しいのね。お礼を伝えられたらいいのですが……』
アイリスが悲しそうに呟く。でも、その声は私にしか聞こえない。
私はくっと拳を握りしめた。
アイリスが出せないのなら、私が声をあげるしかないじゃない?自分から喋りかけるのは怖いけど……。
何て伝えたいの?協力するわ。
『いいの? 私の事、心配してくれてありがとうって、お伝えしたいのですわ』
任せて……頑張る。
「アイリスがお礼を言ってるわ」
「……は?」
思い切り眉を寄せるリュカス。
『頑張って、リリ』
私は心を込めるべく両手を前に組んだ。
「心配してくれてありがとう……って」
「……え?」
リュカスは何故か、凄い勢いで私から目を逸らし片手で目を覆ってる。
「……有り得ない……」
え?
「いや、いい……って、おいっ! アイリスと話せるなら何故先に言わない!」
「!」
「あ……悪い」
私がビクッてしたのを見て、今度はすかさず謝ってきたわ。学習したのね。
「もしかしてお前……最初からアイリスと話が出来たのか?」
恐る恐る、こくんと頷く。
「なぁ、ならアイリスはなんで出てこないんだ?」
疑いの目よ。
……どうしよう。説明を迫られてる気がするわ。アイリス、さっき言ってた事は内緒なのでしょ?
『はい……内緒でお願いします。でも困りましたわね……』
どの道、説明出来る気が全くしないし……ここは一つ、お姉さんに任せて。私がどうにか切り抜けてみせるわ。
『リリ! 頑張って!』
「……これには事情がありまし……」
「どんな事情だ?お前が乗っ取ったからじゃないのか?」
最後まで言わせてもくれないの?せっかちね。
「えっと……そうですけど……も」
「アイリスがいるなら、お前はいらない。今すぐそれを飲んで、き、え、ろ! 分かるか?」
泣きそう。
『リリ……』
「おい! 何やってる?」
私たちのただならぬ様子に、焦った様に森の中からマチュー様がかけてきた。ぶらーんとうさぎをぶら下げて。
いやぁぁぁぁぁぁ!
うさぎを見つめ息を飲む私を肘でつつき、リュカスが小声で話す。
「いいか……お前はアイリスだ。アイツにはバラすなよ。ここで離れられたら面倒だ」
うんうんと頷く。分かってるわ。マチュー様はアイリスの盾だからよね。私が乗っ取ったってバレたら……。
え!? ぽいって。ああ、うさぎさんが……。
『リリ、しっかりして!』
だ……大丈夫よ。うさぎはないけど、イノシシなら捌くの見た事あるから。
『違うの、リリ。私、喧嘩は嫌ですの』
あ、そっか、私はアイリス。任せて! 演じきってみせるわ。
マチュー様が心配そうな顔で屈む。射程内に入った所で、その腕を掴み、薄緑の瞳をロックオンをし、見上げれば……。
チッ!
リュカスの舌打ちがきこえた。
「リュカス、アイリスと何を話してた?」
「……別に。水を飲ませてただけだ」
「本当か?お前、最初からアイリスに冷た過ぎる気がするんだが」
「俺は子供が苦手なんだよ。……悪かった、気をつける」
「怖がらせるなよ。アイリスはあまり他人に慣れてない」
「……分かった」
『リュカス様……ごめんなさい』
大丈夫よ、彼きっと心の中で、私をぶちのめしてるでしょうから。
ふっふっふっ。……勝った。
『リリって……』
え?
『ふふっ……なんでもないですの』
食欲を何処かに忘れてきた私だけど、無理やりマチュー様にスープ食べさせられたわ。……ごめんなさい、うさぎさん。
食事を終えた私は、最高級枕に頭を乗せぼんやり薪をみてた。
薪の向こうに見えるリュカスは、陰影を帯びて、見ている分には芸術作品のように美しい。今は銀のサラサラの髪は、薪の明かりで肩のあたりで金色に輝いて見えるけど、昼間は青みを帯びた銀糸の様でそれはそれで綺麗。背が高くスタイルが良いから幼くは見えないけど、おそらく年下ね。生意気だもの。
視線を感じたのか、リュカスがこっちを見てため息をつく。
「こうやって見るとお前ら兄妹みたいだな」
気付いてたわ。アイリスの髪は緩やかにうねるプラチナブロンド。きっと瞳の色もマチュー様のように薄い色に違いない。
「妹がいたんだ。もっと小さかったがな」
そうなの?マチュー様。でも何故過去形?
「そいつは妹じゃないぞ」
「分かってる。でも……少しくらい、いいだろ?」
マチュー様の方を見上げると、愛しそうに微笑まれる。
覚えのある眼差しに、胸がキュッとなる。お父さんが朱莉ちゃんを見つめる目よ。結局、私に向けられる事はなかったけど。
アイリス、よかったわね。妹ですって。
『はい!嬉しいですの!』
マチュー様の微笑みを見ていると、まるで私に向けられているようで……勘違いしそうよ。
だめね。私じゃなく、アイリスに微笑んでるのに。
髪を優しく撫でられる。
マチュー様も、心ゆくまでアイリスを堪能するといいわ。……私は……寝る事にするから。
アイリス、あとは頼んだわね。ほんのちょっとだけ疲れたの。
『リリ、大丈夫?』
心配そうな声。
ほんとにちょっとよ、明日には元気になるわ。
髪を梳く手が心地よい。
おやすみ、アイリス。
『おやすみなさい。リリ、ありがとう』
ピッ……ピッ……ピッ……ピッ……。
聞いた事のある電子音。
心臓と同じリズムで……絶え間なく……聞こえる。




