夢
作者にとっても、はじめての冒険です。
共に冒険を楽しんで下さると幸いです。
家族が寝静まった夜。
家業を継ぐべく育てられた俺の、唯一自由に出来る時間だ。
いつものように、俺は遅くまでハマったゲームを楽しみ、明け方、死んだように布団に転がった……はずだった。
でも、目を開ければ、見知らぬ風景がそこに広がっていた。
風はなかった。
ただ、青く広い空間に、光の粒が舞う世界。
歩く度に当たるのは冷たい水と無数の宝石。
俺は……俺の魂は知っていた。
この宝石が俺を夢の世界へと連れて行ってくれる事を。
その宝石の中から、今から見る夢を選ぶんだ、と。
手を伸ばし、水に手を浸す。
真っ黒な石がいい。
見渡しても、たったひとつしかないその黒曜石は、俺を待っていたかのようにそこにあった。
俺はそれを拾い上げ、胸に抱いた。
いつもは夢なんて見なかった。
いや、見ていたのかもしれないが、記憶に残るほど鮮明な夢など見た事はなかった。
この夢もまた、目覚めれば忘れてしまうのだと、そう思ってた。
夢の中――。
心が自由を欲していたのだろうか、俺は背中に生えた大きな羽根を羽ばたかせ、美しいテラリウムの中を悠々と飛び回っていた。
体に感じる風が、その疾走感が、心を満たしてくれる。
俺は中世ヨーロッパのような街並みを見下ろしながら大きく旋回し、小高い丘に建った石造りの城を目差した。そこに 引き寄せられるように。
幾つもの尖塔を持つ立派な城は、優雅なタイプではなく、護るための城塞だ。まだ新しいのか、降り注ぐ優しい光を受け、白く輝いて見えた。
そのほぼ中央、立派な尖塔を繋ぐ通路から、ほんの少し張り出した中空の庭。薔薇が咲き乱れる小さな庭園に、俺は降り立った。
そこはまるでおとぎ話の中に迷い込んでしまったような場所だった。色とりどりの薔薇に囲まれ、見えるてくるのは白いガゼボ。
俺は何かに誘われるように、そのガゼボに足を進めた。
「ああ、これにどうしようもなく惹かれるのか」
ガゼボの中央には、ただ一つ、うっすらと水の貼られた浅い水盤が置かれある。
俺が吸い寄せられるように水盤に近づくと、それを遮るように、この美しい場所におおよそ似合わない、渋いオッサンが目の前に立った。
歳は四十歳位か。アッシュグレーの髪にサファイアのような青い眼。素朴な素材のシャツにパンツといったラフな格好をしているが、メジャーリーガーのようなアスリートな見事な体型をしているのが見て取れた。
腰には、使い込まれた剣をしっかり二本も携えていて、その柄には、しっかりと左手がかかっている。
まるでゲームの世界に入り込んだような緊張感に俺は鳥肌が立つのを感じた。
「ようやく降りてきたか……。お前、名は?」
オッサンは俺に警戒してるのか、見極めるように厳しい表情で、俺の顔をまっすぐに見ている。
「俺? 瀬戸……璃音だ」
俺はニヤつきながら答えた。
楽しすぎる。俺は冒険の始まりの予感にワクワクしていた。
「リンネ、か……」
俺は頷いた。苗字のいらない世界は俺の理想だ。
オッサンはそんな俺を見ても警戒を崩さない。
「何処から来たかは聞かない。だが、ここに来たという事は、何らかの苦境に立たされているのであろう?」
「どういう事だ?」
「この世界に来る者は大抵、逃れられない問題を抱えておるからな。お前もそうではないのか?」
確かに、問題は抱えているかも知れないが、許容範囲内だと思う。
俺が首を傾げると、オッサンは更に言葉を続けた。
「この世界は、神が我々を癒すために創った世界だ、と言えば思い当たるのでは?」
「ああ、それなら分かるな。ストレスマックスだわ、俺」
俺は産まれた時から、将来を決められていた。
だから、父の跡を継ぐ為の努力は強いられたし、負けず嫌いな性格もあり、実際俺は、ずっと頑張り続けた。
多少ヤンチャな時期もあったが、努力の甲斐あってか、親の望むものには近づけたと自負している。
ただ、その為に費やした時間は計り知れず、無事、目標である、親の病院に就職した今、自由を求めるかのように、好きな事をやろうとしてはいるのだが……仕事に追われる毎日で時間がない。
おかげでストレスは溜まる一方だ。
「ああ、だから俺は飛んでいたんだな」
俺は相当、癒されたかったらしい。
「なかなか降りてこないから、どこぞに行ってしまうのではないかと心配したぞ」
「心配? オッサンが、か?」
初対面のオッサンに心配されるいわれはない。
訝しげに眉を寄せる俺を見て、オッサンはふっと笑う。
「飛ぶ事の出来るほどの『夢見る魂』は貴重だからな」
「何? 俺、ストレスがチートなの?……最悪」
肩を落とす俺に、ようやく警戒を解いたか、オッサンはハハッと笑った。
「まあ、そう言うな、リンネ。おかげでここに来れたんだ。さぁ、こっちに来い。この世界の説明しよう。ああ、その前に自己紹介をしよう。儂はダヴィド。オッサンではないぞ」
オッサン……改めダヴィドはそう言うと、体を引き、ジャーンと大仰に水盤を指した。
華奢な銀の猫脚に乗った浅い水盤の中は、透明な水で満たされていた。
「人の魂は夜、眠りにつくと『ステュクスの泉』を通り、夢の世界へと降り立つのだ。この盆の中の水は『ステュクスの泉』より汲み出されたもの。よってこの水盤は、肉体のある現世と夢の世界を繋ぐものだと言えよう」
「なるほど、俺はここを通って来たんだな?」
確かにこの世界に来る前、俺は宝石の沈む泉を通った気がする。
「ああ、そうだ。ただし、ここを通るには通行証がいる。水盤の中を覗いてみろ」
水盤を覗き込む。
底に、親指ほどの大きさの丸く真っ黒な石が、三つ沈んでいるのが見えた。
「この貴石は『アンク』といってな、肉体のある現生世界から、この夢の世界へと渡って来る際に、神より授かる通行証のようなものだ。『ステュクスの水』に『アンク』を沈めると、貴石に夢見る魂が宿り、ごく稀に、お前の様な『夢見る魂』がこの世界に降り立つのだ」
俺の頭の中に浮かぶのは、ダヴィドが泉に釣竿を垂らしているイメージ。
「俺はアンクで釣られた訳だな」
「そうだ。釣れたのが物分りのいい魚で助かる」
ノリのいいオッサンは、笑いながらそう言うと、水盤の中に手を浸し、真っ黒な石……彼曰く『アンク』とやらを取り出して見せた。
よく見れば、その三つの黒い石には、それぞれ違う文字のような、金の紋様が浮かび上がっていた。
「アレス、ディオン、エドガール……オブシディアンの完全なるアンクはもう、これだけになってしまった」
ダヴィドが愛おしそうになぞると、その石に刻まれた文字のようなものは、悦ぶようにふわりと光を発した気がした。
「これはかつて儂とともに国を創った、大切な部下の『アンク』だ。もう三年経つが、これらに新たな魂が宿る事は、今まで一度もなかった」
「ん?国を創った?」
眉を寄せる俺に、ダヴィドはニヤリと笑いかけ、先を続ける。
「だが、その『アンク』……レジスのアンクにお前の魂は宿った」
ダヴィドはそう言い、俺の方……俺の胸の真ん中を指さした。
「その、お前の持つアンクの以前の持ち主は、レジス。この国を誰より欲していた者だ」
俺はダヴィドの指指す先を辿り、唖然とした。
あ……。俺、今、アンデッド属性だったわ。
視線の先には、霧のようにふわふわと頼りなく形造られた俺の身体があった。
まるで白いモヤで出来た身体は、正に幽霊そのもの。
本来心臓のある辺りに浮かぶ黒い石だけが、やけにはっきりして見えた。
その『アンク』に手を伸ばすも、幽体はしっかりと身体を形成しているらしく、心臓部分にある真っ黒な石に触れる事は出来ない。
そう言えば俺、夢の中で自分自身の体を確認した事あったっけ? ……なにか引っかかる。
ここは夢の中に違いない。
だが、いつもの夢とは何かが違う、と俺は感じ始めていた。
俺の戸惑いを他所に、ダヴィドはしゃべり続ける。
「レジスはな、この国一番の優秀なテム使いで……。まあ、魔法の様に物を創るのが上手い奴だった、と言った方がわかりやすいか?……奴には宰相を任せておったんだが、完全なるアンクに並々ならぬ執着があってな。故に儂とは意見が合わなくてな」
「魔法だって!?」
一気にテンションが上がる。
剣と魔法の世界かよ! いいな! と、キラキラした顔を向けると、俺の反応とは逆に、ダヴィドの眉間に皺が深くきざまれた。
不穏な空気が漂ってきて、俺はブレまくる幽体を震わせた。
「奴は儂を裏切り、この国を我がものにしようと目論んでおったのだ。儂と部下達は、必至に抗っていたのだが、次々と奴に暗殺されてしまっての。なかなかしっぽを出さぬ奴に手間取り、それでもようやく儂がレジスを追い詰めた、その時には……儂の部下たちのほとんどは、既に亡き者になっておった」
ダヴィドの顔に悲しみと怒気が宿り、ビリビリと周りの空気が震えたようだった。
「ごめん……」
俺にとっては夢だけど、この世界の人達には現実だ。
俺は素直に謝った。
ダヴィドは俺の同情に嫌な顔はせず微笑むと、ゆっくり空を仰いだ。
「儂は奴からアンクを剥奪し、死罪を申し渡した。そして、いざ死刑執行というその日……奴は姿を消したのだ」
「え!? 逃げられたの? レジス、生きてんの?」
「ああ……」
肩を落とすオッサン。まさかの展開。
「まじかよ。ヤバい奴なんだよな、そいつ。大丈夫なのか?」
聞いた感じ、ダヴィドはこの国の重要人物だろう。その直属の部下が相当数殺られたというなら、かなりできる奴に違いない。
「どうかな? あれから三年。体制を整えるには十分だろう。レジスはこの国に強い執着を持っておるし、そろそろ攻めて来てもおかしくは無い」
ヤバい! この国危機じゃん。
「何より自分のアンクがここにあると分かっている以上、取り戻そうとするだろうしな……」
…………ん?
俺は思わず自分の胸に手をやる。
え? レジスさん自身のアンク? それ今俺にハマってるやつよね!?
ダヴィドを見上げると、何だか微妙に口角が上がってる気がするが……気のせいだよな?
「儂はあの時、レジスは罰したが、奴の協力者達までもは罰しなかった。レジスについていた者の数は少なからずいて、それは儂の未熟さが招いた事に他ならない。儂はレジスがいなくなれば奴らも目を覚ますだろうと思っていたが……それもままならないだろうと薄々気づいてはいた。実は、そ奴らが儂を陥れんと動いているのが最近分かってな……」
やばいな。なんかフラグ立った気がする。
「完全なるアンクを持つ者よ……」
ダヴィドは顔をキッと引締め、俺をまっすぐ見つめる。
「儂はこの三年間、毎日アンクを沈め、お前のようにこの世界に渡ってくる者を待っておった。ようやく渡ってきた男児がそのアンクに宿ったのは、些か驚きだったが、これも何かの因縁だと思いもする。お前の豪胆さ、真っ直ぐで恐れを知らない瞳を、儂は好ましく思う。儂はお前を信じ、この国の行く末を託してみるのも面白いのではないかと思うのだ。……リンネよ、儂に力を貸してはくれないか?」
今、オッサン、面白いって言った?
ダヴィドって、俺と同じ人種? 状況が厳しければ厳しいほど、萌えるタイプ?
まあ確かに、面白そうだけど……。
しかし俺はすぐに返事をかえせなかった。俺の中の違和感の正体に気づいてしまったのだ。
「なあ。それ、おかしくない? 俺が夢から覚めないの、前提だろ?」
ここは夢の中。
だから、目が覚めればどんなにここが楽しい場所でも、覚めてしまうものだ。
なのにダヴィドは俺がここに残れる事を確信しているのだ。
それはその水盤に沈むアンクの持ち主にも同じ事が言える。
彼らが俺のようにこの夢を見てたとして、夢の中で何年生きてんの?
そして、夢の中で死んじゃうってどういうこと?
『リリリリリ……』
その時、耳元で聞きなれた音が鳴り響いた。
あ、朝だな。
そんな当たり前の事を考えた瞬間、俺は無性にあの水盤にダイブしたい気分になり、ふわりと身体が浮くのを感じた。
「残ってはくれないのか?」
ダヴィドが静かに問う。
「残れるものなら残りたいけどな」
けど無理だろ?
ずっとこの夢を見ていたい。俺は心の底からそう思う。
ようやく出来た就職だが、職場と家を往復するだけ日々。
本当に自分のやりたかった事はこれだったのか? と、考える時間も与えられず、ただ毎日を過ごしていた。
自分の時間は夜中だけ、という窮屈な日常だ。
解放されたいといつも願ってたから……。
まるでゲームの中のようなこの世界に居られるなら、そんな面白い事は他にない。
でも、これは夢なのだ。
諦めるしかないんだ、と視線を向けると……。
「それは残る事を了承したということで間違いないな?」
ダヴィドが俺の常識なんて、なんてことないって風に、軽く確認してきた。
できるの?と思ったが、聞く余裕なんてもうなかった。
俺の手は水盆の中に溶けて……。
それでも俺はダヴィドの方を向き、必死にこくこくと頷いた。
するとダヴィドは了解した、とばかりにゆっくりと瞬きをし、どこから出したのか、クリスタルで出来たような透明なナイフを握り……。
その、でかい針のようなナイフを、俺に向け。
俺の胸に刺した。
「かっ……はっ!!」
空気がいきなり、肺に満たされた。
途端、今までは感じなかった重力を体に感じ、俺は膝を着く。
地面に手を付き、必死に息を整えてる俺の目の前に、コロリ、と小さな石が転がった。
その真っ黒な『アンク』に刻まれた名前……読めないけど、多分レジスと書いているであろうカッコイイ文字が、一瞬輝き、ふわりと消える。
そして……。
金色に輝き、刻まれる俺の名前。
リンネ。
神様も困ったのか、落書きのように書かれたそれは、漢字ではなく。
「カタカナかよ。……せめて英語にして欲しかった」
これが、ちょっと残念な俺の、冒険の始まりだった。
分かりにくい所の修正と、加筆をさせて頂きました。初心者故、優しく見守って頂けると嬉しいです。