冒険の予感
「リュカス様。リンネ様がお会いしたいそうです」
かまくらから出て来た、赤い髪をした爽やかな青年が告げる。
「……ああ、行こう」
一瞬視線が外れて、ほっとするも、彼が離れる瞬間……酷く睨まれた。
かまくらに入って行くリュカスを見送り、詰めてた息を吐き、膝を抱えた。
怖かった。何、あの人、怖い……祖父の様よ。
『ごめんなさい……』
謝る事は何も無いのよ。私が決めたんだもの。
それに、大丈夫。慣れてるの。えっと……アイリスちゃん?
『アイリスって呼んで欲しいのですわ。リンネ様みたいに』
じゃあ、アイリス。私、莉々。不束者ですがよろしくお願いします。
『リリ様。素敵なお名前ですわね』
ええ。お父さんの付けてくれた、素敵な名前なの。だから、リリって呼んでちょうだい。
『わかりましたわ!リリ』
私、脳内で会話してるけど、大丈夫かしら……。
でも、返事あるから平気よね!
それで? 私は何をお手伝いしたらいいの?
『私の代わりに、お父様から預かった大事なものを、オルフェウス様に届けて欲しいのですわ』
配達ね。分かったわ。
こっそり、こくんと頷く。
でも、どうしてアイリスは自分で届けないの?
『それは、レジス様に見つかってしまったから……。レジス様はお父様も認める、優秀なテム使いですの。たとえお父様の創ったこの体でも、触れられれば、ねじ伏せられ、アンクを取られてしまう可能性があるのですわ』
首を傾げる。
……よく分からないけれど、レジスって人に、アンクってのを取られると、ダメなのね?
『はい。私の魂は、リリが、ターコイズって呼んでたアンクの中にありますので』
それは取られたら大変ね。――はっ!! それ、飲んじゃったけど大丈夫かしら?
『はい。私はテムなので大丈夫だとは思うのですが……あの……』
どうしたの?
『私、夢見る魂を呼ぼうと、泉に入ったのですのが……』
何? 召喚に失敗しちゃったの?
……よくある話よ。諦めて。
『いえ、違うのです。その……リリは、御自身の身体を望まれなかったのでしょうか?』
私の身体?ないわ。死んだから。
『望めば現れるはずなのです……けど?』
そうなの?
私、昔から物欲が無くて。
でも困ったわね。体のない私じゃアイリスの力になれない?
眉をひそめる。
『大丈夫ですわ! 私、リリに出会って、ビビっときましたの!』
ビビっと?
『はい。お父様は仰られました。誰かを……いっしょにいたい、と思う誰かを見つける事が大事だと。例え身体がなくなっても、その誰かの中にヌースは残るからと』
ヌース?
『はい。ヌースですわ。……本当は、ちゃんと全部お伝えしたいのですが、上手く言えないの。ごめんなさい』
いいのよ。いつか教えてちょうだい。興味が湧いたらでいいわ……私の。
『ふふっ。私、リリと一緒にいたいと思ったのですわ。ですから……迷惑でしょうか?』
いいえ。そんな事ないわ。とても嬉しい……。
そう、とてもよ!
だって、こんなに誰かと話をしたのって、初めてなの。
何だかふわふわと心が浮き立つ気がしてきて……。
ありがとう、アイリス。私も一緒にいたいわ。
「アイリス様。ご準備を。すぐ発つことになりそうですよ」
赤い髪の青年が、かまくらからチラリと顔を出す。
アイリスになった私は顔を上げ頷いた。
……どこに? あ、逃げるのね。りょ!
『逃亡の旅の始まりですわ。ちょっとワクワクしますわね!』
そうね。冒険の始まりよ!
『あ……でも、残念ですわ。私、リンネ様とニックス様に、お別れを言いたかったですわ』
リンネ様、さっき聞いた名前。
あのかまくらの中にいる人ね、会えないの?
『はい。ニックス様が怪我をされて、リンネ様は、ずっと付きっきりで治療をされているのですわ。無事だといいのですが……』
心から心配しているのか、私まで悲しくなってくる。本当にいい子。
そうね……二人とお別れがしたいのなら、お手紙を書くってのはどう?
『お手紙……いい考えですわね!書くものなら持ってきましたのよ!バックのなかに』
バッグね。濡れてないといいのだけど。
たすき掛けにしている、素朴な皮のバッグを膝に抱える。キュッと結んだ口を広げると、油が塗ってあるようで中は濡れてなかった。
覗くと、ごちゃごちゃとおもちゃの様な物で埋まっていて……。
あったわ。でもこれ紙ではなく……。これはパピルスという物ではないかしら?
博物館とかで飾ってあるタイプの紙よ。
で、この炭で書くのかしら?
……まあいいわ。やってみる。
なんて書いたらいいの?
『良くして頂いたお礼と……』
あ……これ書きにくいわ。字が潰れちゃう。
端的に書く。
ありがとう。
日本語でよかったかしら? でも、こういうのって、気持ちよね。
『リンネ様とニックス様はとても仲が良いのですわ。だから、お二人が喧嘩などされないよう……』
すえながくおしあわせに。
書き終えた所で、リュカスがかまくらから出てきた。
慌てて紙もどきを二つに折り曲げる。
「おい、そろそろ発つぞ、急げ」
うわぁ――オレ様。
これと一緒に行くの?
『ですわ』
……最悪。
「アイリス様。どうかお気を付けて」
赤い髪の青年が、丁寧な言葉をかけてくれる。
素敵。私、こっちがよかった……。涙を飲む。
「はい。そちらもお気を付けて」
立ち上がりアイリスの代わりに頭を下げ、手紙を渡した。
「リンネ様に……?」
「はい、よろしく伝えて……お伝えくださいまし」
「承知致しました」
「おい!番人!」
少し離れた所から、マ虫の声がとんでくる。
芋虫になったのね。這ってきてるわ……。
隣に並ぶリュカスがピクリと反応した。
あからさまに嫌な顔をしているから、リュカスが番人という事なのね?何の番人なのかしら?
「頼む……俺を連れて行ってくれ」
「は?裏切り者を連れて行く事に、なにか意味があるのか?」
冷たっ。
「レジス閣下……いや、レジスは先程の衝突の際、あいつではなく、アイリスを殺せと仰って……言っていたんだ。あの人は執念深い。すぐ体制を整えて……」
「そんな事は分かってる。俺が言いたいのはお前が何の役に立つのか?って事だ」
マ虫頑張れ。
「護りながら戦うのは面倒だろ?俺ならアイリスの盾ぐらいにはなれる。俺は決めたんだ……護る側になると」
「マ虫様……」
アイリスの盾ですって! 芋虫なのに……頑張り屋さん。
思わず両手を組んで尊んでしまった。
リュカスがそんな私をチラリと見る。
「……わかった、いいだろう。リンネに聞いて貰っていいか?キリル殿」
「はい、お待ちを」
『リリ!ありがとう!』
よかったわね!
……ん?私がアイリスだった。
もしかしてこの流れで行くと、マ虫も同行する事に?
――微妙……。
かまくらに消えたキリル様が戻ってくる。
「よろしく頼むとの事です。あと、マチューさん。リンネ様はダイフクを連れて行けと仰ってます」
大福?
「……分かった」
微妙な顔をしてるマ虫。
「くれぐれもアイリスを裏切り、敵に渡す様な事がないよう、誓ってくださいますか?」
「ああ! 命に変えても」
キリッとマ虫が頷いた……ような仕草を見せた。
だってこれ芋虫だし……移動には時間かかりそうよ? 大丈夫?
……はっ!羽化したわ!
シュルっと、マ虫を包んでいた繭が解ける。
姿を表したのは、それはそれは潤しい同年代の男子で。
リュカスと並ぶと、素晴らしいユニットが出来上がりそうよ。
「急いで用意しろよ……お前も。もう乾いたろ?いつまで薪にくっ付いてるんだ。行くぞ」
名残惜しくて薪に吸い寄せられる私を、睨むリュカス……中身は最悪ね。
羽化したマ虫は、軽く体をほぐし、私に右手を差し伸べた。
私は手を握りながらも、そのマ虫の左肩に乗る物から目が離せなかった。




