衝突
大きな戦闘を終えて訪れた静けさは、恐怖でしかなかった。
ニックスの声がしない……。
戦闘の音すらないのは何故だ。
森の中、耳がおかしくなったのか?と、周囲に目を走らせていると、近づく声があった。
「誰か来るぞ……」
ポケットの中、アンクの欠片を握る。
「先生!!」
クレタスに呼ばれて、彼の視線の先を追った。
暗闇に紛れる黒ローブの男が、森の中から出てくるのが見えた。
横に連れているのは、さっき逃げていった奴だろう。しきりに俺を指さし、何か言っている。
「……だから、やばいのはあの子供ですぜ!」
子供じゃねーよ! 多分、俺はお前より年上だよ。
黒ローブの男は、まだ喋り足りない様子の男を、サッと片手で黙らせると、俺達の方へとやってくる。
薪の向こうまで来たところで、優雅にフードを下ろすと、俺たちの足元に目をやり、顔を顰めた。
薪越しでも何となくだが、その髪、顔、体型。全てがニックスに似てるな、と思った。
……いや、よく見れば劣化が激しい偽物。そんな感じだ。
「手の付けられない、クズどもの寄せ集めだと聞いていたのだが……」
呟くように言われた言葉に、キリルがピクリと動く。ラビスは……よし!眼鏡掛けてるな。
俺はアイリスをクレタスに押し付けた。多分、一番安全だ。
分かってるよ、俺だってムカついた。
「そのクズどもに殺られたこいつらは、クズ以下って事か?あんたも酷い事を言うな」
すると、今度は仲間を侮辱されたか、横にいる男が敵視剥き出しの目を俺に向け、剣を抜き、体を乗り出す。
だが、ポケットから出された俺の両手を見、すぐさま体を引いた。
両手に大福。
……俺、ただの食いしん坊だよ。
「ふん!口ばかり達者なガキだろ……テランス!おい、何をしておる。とっとと捕えんか!」
殺す気はないらしい。
しかし、黒ローブのその言葉に、テランスと言われた男は剣を収めると肩を竦めた。
「アンク持ちだけじゃねぇ、テム使いがいるとは聞いてねぇんだよなぁ。わりぃが俺はここで下ろさせてもらうぜ」
去ろうとするテランスの腕を掴み、さらに黒ローブの男が喚く。
「勝手は許さんぞ!金は払ったはずだ!」
「情報詐称だよ、レジス閣下さま。契約違反はそっちだろ? あんたのお陰でこっちは仲間を十は失った。これ以上はゴメンだ」
やっぱ、こいつがレジスなのね。
喚き散らすオッサンにしか見えねぇんだが。
「たかが子供一人捕えられんのか、お前らは……。ん? 待て。奴じゃない……。感じる……娘の方だ!」
突然、アイリスを指差すレジス。
「娘を殺れ!そのくらいできるだろ!」
殺れって?
どういう事だ?
「だからァ……」
金はいらねーし、もう関わんなよ。とか言っているテランスの腕を掴み、アイリスを指差すレジス。
雑魚感が半端ない。
「それは本当ですか?」
突然に、右手の方から野太い男の声がかかる。
森の中から出てきたのは、黒い短髪の細マッチョ。
彫刻のような彫りの深い顔立ち故に、影になったその瞳が、威嚇するように辺りを見渡し、最後に俺を捉えた。
レジスに注意を向けたまま、今度は誰だよ……って、何となくそいつを見てた俺の心臓が、急に強い鼓動を打ち始める。
薪に近づくにつれ、そいつが小脇に抱えている者が、はっきりと見えてきて……。
そして、奴は自身の足元に、それを放り投げた。
――大切な事だからもう一度言おう。
それを……ニックスを放り投げたんだ。
目の前が赤く染まった気がした。
俺はありったけの理性をかき集める。
「キリル……さっき言った事、覚えてるな?」
「はい!」
「いけっ!」
「ハッ!」
次の瞬間から、俺の身体は制御不能になった。
周りの音がシャットアウトされる中、自分の呼吸音だけがやけに近く感じた。
感覚が研ぎ澄まされたのか、まるで時間が止まったかのように、周りの景色がスローモーションで流れる。
音の無くなった世界で、俺はまず、飛ぶようにテランスに近づき蹴りあげ、高く飛び、首を狙うと回し蹴りで沈める。
次に、横にいたレジスの首に飛びつくと、軽く締め上げ、創ったナイフで苦しむ奴の一部を素早く切り取った。
向かってくる黒髪にそれを投げつけると、怯む奴の顔面、めがけて手刀を繰り出す。
避けられたところで、素早く回し蹴り――からのダイフク装着。
鞭のようなものが数本飛んできたので、テムを纏わせ身体硬化。
ぶっ飛ばされるも、距離をとる事ができたので、奴に張り付けたダイフクを遠隔発動。
触手が伸び、奴の体に巻き付くが、力負けしそうなので、鞭を避けつつ距離を詰め、さらにダイフク追加。鞭の無効化を図る。
厄介な鞭をダイフクを絡めたところで、回転のスピードにまかせ、体に馴染んだ双剣と蹴りで攻撃を繰り返す。
ダイフクの同時使用のおかげで動きが鈍った所で、鉄柱のような膝裏に蹴りを入れ、片膝を着いた奴にのしかかり、腕を取ると肩の関節を軽く外す。
最後に髪を掴み、その耳にナイフを当てた。
俺は医者だから命は取らない。
でも、少しくらい欠けても構わないだろ?
「もういい……十分だ」
耳元に突然吹き込まれた落ち着いたその声に、俺の心が少しだけ覚醒した。
気付けば首には腕が回っていて動けない。
細い腕なのに振り解ける気がしないのは何故だ?
「離してやれ」
何を言っているのだこいつは。離せば殺られるのはこっちじゃないか。
「だめだ、こいつは許さない。……こいつは……ニックスを……」
「大丈夫だ、彼は生きている」
「……生きて……」
黒髪を掴む俺の手に、感覚が戻る。
奴の耳に当てたナイフから、生あたたかい赤い雫が垂れてきて、その気持ち悪さに、たまらず手を離した。
そうだ……早く治療をしなければ。
「……ニックス……」
手を離した隙に、奴が逃げていくのが目の端に映ったが、俺は構わず首を回し、ニックスを探した。
同時に縛めが解け、俺の体は自由になり、地面に両手を付いた。
俺の体は何故か、ぎこちなくて……上手く動かせなくなっていた。
這うように辺りを探すと、少し離れた所に、くたりと倒れる見慣れた姿を見つけた。
「手をかそう」
「ありがとう……てか、誰だよお前」
「リュカス。オルフェウスの代理だ。ダヴィド王の要請に応えて来た」
「おk、番人ね」
番人という言葉が気に入らなかったのか、眉を潜めるリュカス。見た感じ、めっちゃ若いんだよなぁ……高校生位?
「悪ぃ……今、気ぃ回せねぇんだ、許してくれ。公式な挨拶は……」
「いいから診てやれ」
「おk」
俺はリュカスに支えられ、ニックスの横まで行くと、ぺたりと座り込んだ。
鞭による切傷に擦過傷、打撲傷は、鍛えてあるから大したことはないだろうが、肋は折れてるな……。
脇腹の刺傷は内蔵までいってないことを祈るか。
後は腕が……割と酷くイッちゃってる。
これは……。
確かに息も意識もある。ただ苦しそうだ。
「リン……ネ……。アンクを……盗られました……。腕を抉られそうになり、やむなく……」
「大丈夫だニックス。仰向けにしたいんだが……ああ……ダイフクはどこだ?」
黒髪の奴から剥がした、ダイフク二匹が手元で尻尾を振っていた。……尻尾?手?……まあいい。
「手を貸せ、ダイフク」
世の中がスライムブームな訳だ。こんな使えるやつはいない。
半液状になった大福は、伸縮自在で患者を包み込む。さらに自在に動き、患者の負担なく体位を変えられる。ナメクジのような動きだが、移動も自在、動くウォーターベッドだ。
……どんだけ自在なんだ。
「リンネ様……すんません……」
「ん?テオか!」
ニクスを取り敢えずコテージまで移動させてると、テオがそっと俺のバックパックを差し出してきた。
「はい……俺、何も出来ず、隠れて……」
「いいんだ、隊長命令だろ?気にするな。無事で良かった」
心の底からそう思う。
「はい……。でも隊長は……」
「悪いが、すぐに探して欲しいんだ……近くに泉がないか?」
レジスが俺を生かしておきたかった理由。
心当たりは一つしかない。
ステュクスの泉だ。
クレタスの傷の治癒速度は異常だった。
神様の水は、丸いアンクと同じ位貴重だろう。
「あ、それならそこにあるっすよ」
テオが指差すのは、ひとつ残ったコテージ。
「なんか、この中、水湧いてきちゃったらしくて……それで、みんな出てきた所で遭遇、みたいな?」
「マジか……」
その安眠妨害……俺のうたた寝のせいだわ。
でも室内にいたら、一網打尽されちゃったかもだろ? だから……許して下さい。
「ん?あいつらは?」
多分テオを探してるはずだ、と、ニックスから目を離すと、暗がりから手を振る仲間たち。
「リンネ様――! 敵の離脱、確認して来ました。もう安全かと……っん?」
近づく彼らの足元から、ムギュっと音……声がした。
「あ、わりぃ」
「ギュ……」
「すまんな、つい」
「グェ……」
「ごめん……でもな」
「ヴ……」
三人にウロウロと踏みまくられるのは、ダイフクに包まれたマチュー。
「気持ちはわかるが、その辺にしといてやれ」
多分、だが、ニックスの怪我に誰よりショックを受けてるのは、マチューだろう。
眠っている俺をレジスに差し出すだけ。
彼の中では、簡単にやり遂げられる仕事だったはずだ。
――なのに、結果がこれ、だ。
「マチューの事は後で……な。それより、まだここを動く訳には行かなくなったんだ」
警戒を頼む、と言い、俺はニクスを連れ、コテージに入ると……ぶっ倒れるまで全神経を注いだんだ。




