襲われる
少しだけ眠っていたようだ。
辺りはまだ暗い。
丸い月がラビスの創ったコテージの、空いた天井部分に綺麗にハマってみえた。
人の気配を感じて、俺は身体を上にしたまま入口の方に目を向けた。
四角く切り取られた入口に、小柄な男が立っていた。
ウェーブした金髪が、外で炊かれている薪の、柔らかい炎を反射して揺らめいて見える。
綺麗だな……と眠たい頭でぼんやり思った。
「おかえり、マチュー」
「……!」
俺が起きているとは思わなかったのだろう。
マチューは一瞬息を飲むと、四人は楽に寝れるであろうコテージに入り、背中で入口を塞ぐ布を垂らした。
揺らぐ炎の明かりが隔たれ、室内は暗くなる。
俺は黒い影と化したマチューの動きを目で追った。
彼が俺の前を通る時、ふっと懐かしい匂いがした気がした。
なんだっけな?
考えてる間にアイリスのすぐ近くまで来たマチューは、腰を屈め、起きる様子もない女の子に手を伸ばしていた。
「ニックスに会わなかったか?」
「……ああ」
素っ気ない返事はいつも通りだが、いつもより声が固い……緊張?
俺は毛布を跳ね除け、咄嗟にアイリスの前に体をねじ込ませた。
アイリスに今にも手が届く、という所で遮られたマチューが、不服そうに舌打ちする。
「……何か?」
その手に握る布。匂いの正体を俺は知っていた。
「お前、どういうつもりだ。まさかそれをアイリスに使うつもりじゃないだろうな」
部屋に漂う微かな匂いは覚えのあるものだ。人の意識を一定時間、無条件に刈り取るもの。
確か、それをこの用途で使用されたのは、こんな古い時代ではなかったはず。何故?誰が用意した?
いかん、今は止めなくては……。
俺は思考を止めマチューの腕に手をかけるも、その手はあっさりと跳ね除けられる。
おっふ。俺の軟弱な筋肉よ……。
「マチュー、知ってるか?それで相手を落すとなると、数分間、鼻に当てたままにしなきゃいけない。最悪、窒息死させる危険性もあるんだ。誰に渡されたかは知らないが、そいつはろくでもない奴だぞ」
「……死……」
マチューが布を投げ捨てる。まるで呪いを払い除けるかのように。
その時、微かな音と共に、テオの切迫した声が壁越しに聞こえた。
「キリルさんっ、リンネ様を……」
隣の棟で寝ているであろう仲間を呼ぶ声だ。
ピ――――!
遠くで誰かの口笛が鳴る。
同時に森の静寂が破られ、複数人の足音が地面を揺らした。
静かだった森の中……。
人息で震える空気と相まって、まるで地震が起きたかのような、感覚。息が苦しくなる。
「裏切ったのか……お前」
「アイリス……ごめん……」
マチューが呟きは、金属音にかき消された。
マチューは立ち上がり、少し距離をとると腰の剣を抜く。
ウォォォォラァ!いけぇぇぇぇ!
外での衝突は突然始まった。
同時に、目の前のマチューが、彼の細身の剣を俺に向け、突いてきた。
「馬鹿っ!!」
思わずテムを纏わせた左腕で弾く。
「あぶねーだろ!」
キーンと嫌な音が耳の横に残り、顔を顰める。
咄嗟に庇ったせいで、体がアイリスの方に傾いていて、次の一撃に備えられない。
俺が地面に両手を着くと、剣を構え直したマチューが更に突いてきた。
身体を捻らせ、タイミングを合わせ、回し蹴りで払う。
低姿勢からの蹴りで勢いはないが、少し足ごたえがあった。
剣を握る手にでも当たったのだろう、マチューは後ろにジリッと下がると、剣を両手に持ち直した。
「ちょ、考えろや!アイリスに当たるだろ!」
「それがどうした……」
自虐かよ!
月明かりでも分かる、奴の泣き笑いの様な顔。
自分の心を裏切る事に必死なのだろう……。
彼は裏切り者にしては優しすぎるのだ。
「お前さ、今自分がどんな顔してるか分かってる?」
「うるさい!……大人しく寝てれば良かったものを!」
「寝てても結果は同じだろうよ。お前がもがき苦しむ人間を押さえ続けれるとは思えない」
苦しむと聞いて顔を顰めるあたり、知らずに持たされたんだろうと分かる。
「怪我を負わせたくないなら眠らせろ、とでも言われたか?殺す覚悟がない奴には、おあつらえ向きの仕事だよな」
「うるさい!!」
あ……俺、煽ってどうする。
でもムカついてどうしようもないんだ。
耳に入ってくるのは外で行われている戦闘の音。
「うぉぉぉぉ」とか「てゃっ」とか精一杯頑張ってる俺の仲間の声。
ずっと辿ってるが、途切れるのが怖くてならない。
「どうすんだよ!仲間だったんじゃないのか?みんな殺られちまったら!」
「うるさい!黙れ!」
くそつ!焦るな、俺。
大丈夫……彼らは強い。この俺なんかより、ずっと。
深呼吸して、今はアイリスを護る事だけを考える。
「目的は俺?……それともアイリス?ああ、アンクか。レジスに取って来いって唆されたか?まるで盗人だな」
横で身動ぎをするアイリスにコソッと「頭下げてろ」と告げ、ヘイトを取りながら俺は低い姿勢のままアイリスから離れる。
「閣下を盗賊扱いするな!知ったような口を利きやがって……」
マチューの剣先が俺を追ってくる。
素直な反応に苦笑する。やはりレジスか……。早くここをどうにかしたい。
俺はコテージの奥へと後ずさりながら、記憶を辿る。
確かこの辺にラビスがアンクを埋めてたと思ったんだが……。
「知らないよ、俺はこの世界に来たばっかだからな。だけどな、奇襲をかける様な奴を、俺はなんて言うかは知ってる。卑怯者のクソ野郎だ」
「うるさい!」
と、いきなり凄い速さで斬りかかってくる。
後ろに跳ぶしか出来なかった。
キーン――。
「やべぇ……」
マチューの剣は壁に当たり跳ね返されてた。
背中に感じる硬い感触。かなり危なかったと冷や汗がでてくる。
アンクは呼び寄せるしかないようだ、と、俺はマチューの動きを気にしながら、壁に右手を着く。
片目を閉じ、コテージのイメージを掌握して、小さく……小さくとイメージを固定させた。
一瞬にして、視界が開ける。
月明かりで視界が一気に明るくなり、目が眩む。
瞬間、焦ったマチューが、闇雲に剣を構え踏み込んでくるのが見え、手の中を確認する間もなく、握りしめてた大福サイズの、『コテージの成れの果て』を投げつけた。
「う……!?」
マチューが呻く。
見事な雪見……っぽいアンクを包んだ大福は、マチューの腕にベチャッと当たりマチューの細い剣先を反らしてくれた。
拘束……と、考えて思いついたそれは、マチューの腕を履い、体に巻き付きはじめる。
振り落とそうともがいてるが、伸び続ける触手に絡められ、手も足も出ないようだ。
「や……止め……!うぐっ……」
あっという間に体全体をニョロニョロと覆われ転がるマチュー。
もう声も出ない。
そうか……。生き物ってモンスターでもいいんだな!
スライム化した大福を見て今更気付く。
しかしなぁ……拘束は出来たが、あまりの姿態に自身で創造したものの、やな汗が出てきた。
美人なマチューの触手プレイは、見るものによっては眼福だが……。
「きも……」
横から聞こえるアイリスちゃんの怯えた声。
でも、出来ればそこで言葉切らないで。
精神的ダメージが……。
しかし……マチューめ……。
俺は抵抗をやめ、大人しくなったマチューの前に跪いた。
「なあ、マチュー。何があったか知らんが、仲間を殺す覚悟もないならやめておけ。たとえ、お前が殺らなくても、他のやつが殺りに来るんだぞ。お前の知らない所で、仲間が殺されてもいいのか?本当に?」
「……」
「俺は、お前は護る側の人間だと思ってたんだが、違うか?……まあ、中途半端な覚悟しか持たない奴に護られたくもないがな」
「……」
こいつはもういいだろう。さて……。何だか静かなんだが?
俺は立ち上がると、弱くなった薪の明かりを頼りに、辺りをざっと見た。
薪を挟んだ向こう側、もう一棟あるコテージの前に、敵であろう、身なりの軽い盗賊風数人とクレタスが転がっていた。
クレタスを庇うように盾をかまえ立っているのは、赤髪のキリル。そして彼が相手にしているのは、ちょっとくたびれた冒険者風の男。
だが今、何故か二人とも剣を構えたまま固まり、こっちを見ていた。
バンダナを頭に巻き、皮の装備という軽装。自信の表れか、片手剣一本で挑むその男の目は、大きく見開かれ、俺の足元に転がるマチューに釘付けされている。
……ゆっくりと視線が俺に向けられ……。
カチリと合った。
「お前も大福にしてやろうか……」
俺の中の悪魔が、俺の口を使ってよく分からないことを言った。
いや、おれじゃないからね!
「!!」
男はあからさまに怯え、踵を返すと森の中に消えた。
俺は急いでアイリスを掴み、横になったクレタスの所まで走ると、膝をつく。
「クレタス様……大丈夫でしょうか?」
アイリスは涙目だ。
「生きてるよ」
首筋に手をやるとピクリと反応したし。
脈はある……てか、まさかの死んだフリじゃないだろうな?
「う……先生……これを……」
クレタスは仰向けに転がると、俺に何かを押し付ける。
「ん?」
これはラビスの眼鏡じゃないか!
「ラビス!!無事か!」
「ふっ……お呼びですか?」
コテージの影からゆらりとラビスが現れた。
「良かった……生きてたか」
驚いて、本体(眼鏡)に声掛けちゃったじゃないか。
てかお前、青い長髪を妖艶にかきあげてるが、なんかついてるぞ。
何だ? そのべっとりとした黒っぽいものは。
血か? どうしたらそんなことに……!
だから、剣を振ってばらまかないで!
「早く眼鏡を……これ以上の惨殺は……うぷ」
クレタスが口に手をやり、込み上げる何かに耐えながら急かす。
マジか……眼鏡を外すと人が変わるとか。テンプレキャラかよ。
「アイリス……周りを見るな……」
あ……手遅れか。
死んだ魚のような目をしたアイリスを胸に抱え込みながら、ラビスに眼鏡を渡す。
「で?あとの二人は?」
ニックスとテオは見張りだったはずだ。
「テオは先程、姿を見ました。我々に危険を知らせたのもテオです。追われていましたが、逃げ足は早いので、今は何処かに隠れていると思います。あれだけの数、テオ一人じゃ捌ききれませんから」
キリルは周囲を警戒ながら淡々と報告する。
俺はその辺に転がる事切れた敵を見回し、そこにレジスらしい人物がいないか確認する。
あ、こいつ腕三つあるよ……違った、隣のヤツのか。なに刻んでんだよラビス……。
転がってる敵は七人。比較的若い男ばかりだ。身なりからして傭兵か何かか?
という事は、ここにいないニックスが、本隊と対峙した可能性は高い。いかん、動悸が……。
……落ち着け、俺。
「あ――取り敢えず、ニックスが合流するまではキリルを頭目とし、アイリスの安全を確保しつつにテオを捜索しろ。テオは泉の場所を知ってるはずだから、見つけ次第泉集合で。敵を見つけても深追いはするな。安全第一だぞ」
「うぃ――」
返事がユルい!お前ら本当に騎士団かよ!
「じゃ、俺は……」
ニックスを探さなくてはならないんだ。
約束したから。
俺は頭の中で創造出来うる限りの戦力を検索していた。




