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マチュー

 王お抱えの商人、モーリスが泊まるという国境からほど近い古い宿屋に着いた俺は、食堂を抜け、真っ先に二階にある部屋に入ると、鬱陶しい衣装を脱ぎ捨て用意してあったティルクアーズの一般的な軽装に着替えた。


 解放された気分で階下の食堂にもどると、今まで好意的に一緒に旅をしていたモーリスが、カウンターに着いたまま俺を待っていた。

 夕飯にはまだ早いせいか、食堂には俺たち以外の客はない。一緒に話していたであろうゴツイ店主が、目を細めて俺を見るが、何も言わずに離れていく。


「マチュー、ここに座るがいい。お前が何をしようとしてるのか、話をしよう」


 この男……ついさっきまで、あのふざけたピンク頭を、孫のように可愛がっていた奴とはまるで別人になったようだ。俺に向ける目は鋭く優しさの欠けらも無い。

 その違いに俺は、少し苛立ちを感じたが、もとよりこの商人と親しくするつもりなどなかった事に気付く。


 俺にはこっちの方がお似合いだ。

 あいつの纏う、生ぬるい空気には居心地の悪さしか感じなかったから。


「何を話すと言うんだ。俺は忙しい」


 一刻も早く閣下の所に行かねばならないのだ。

 今日の野営地の場所は分かるが、明日の行先の分かる者はいないと聞いている。……あの男を除いて。

 国の上層部の面々が、あの男に振り回されているようで、苛立ちと共に憤りを感じた。


 俺はモーリスの厳しい視線を振り切る様に踵を返すと、足早に簡素な扉に近づき、乱暴に取手に手をかける。

 すると扉は向こうから開き、俺は驚いて腰の剣に手をやりながら後退した。

 しかし目の前に現れたのは閣下、その人。

 驚きと共にその場で片膝をつく。


 予定外だ。待てなかったのだろうか……。


 黒装束に身を包み、ローブのフードを目深に被った閣下は俺に気付くも、すぐにその奥に座る商人の方に目をやり、ゆっくりと彼に近づいていく。閣下と一緒に入ってきた大男にも見下ろされる格好になり、俺は軽く舌打ちした。

 黒髪に茶色の瞳をした表情の読めない大男、エンキというこの男が俺は苦手だ。


「モーリス……久しいの」

 古い付き合いと分かる閣下のその言葉に、商人はフンっと鼻を鳴らした。

「やあ、レジスじゃないか。どうした、いつからお前は日の明るいうちから出歩ける様になったんだ?」


 モーリスのその言葉に、横に立つエンキがピクリと動く。伏せてある閣下の名前を呼ばれたからだろう。見るとその右手に小さな光が微かに揺れていた。


 嘘だろ?この国でアンクを持ってる事がバレたらすぐに没収されてしまう。


「おいおい、そこのあんた。まさかアンクを持ってるんじゃないだろうな?」


 やはり……と言うべきか。どこで見ていたのか、店主がカウンターに顔を出し、頑丈そうな木のテーブルにドンと拳を打ち付ける。

 右手には肉切り包丁。元は冒険者だったのか、立ち振る舞いは大仰だが隙がない。


「ハハッ、まさか……彼は光の精霊の加護を受けたエルフ。戯れの威嚇を本気にしないで欲しい」


 閣下は片手でエンキを制すと、フードを外し落ち着かない様子で商人の横に座った。

「私と彼にアルコールを頼む」

 閣下が多めの金をカウンターに置くと、店主はエールの分だけうけとり、奥へと消える。

 代わりにやたらと可愛いウェイター出て来て、睨み合う二人の前に飲み物を置いた。

 そのままの何食わぬ顔で開店準備を始める女に、何故か気圧されて、俺とエンキは黙って後ろの席に着くしか無かった。


「死に損ないめが……。最近お前、ティルクアーズの王城に足を運んでいるそうだな。一体何をしておる」

 閣下は声を落とし、忙しなくテーブルを指でつつきながら、モーリスに問う。


「わしの店が繁盛するのがそんなに気に食わないのか?お前の方こそ最近新しい商売を始めたらしいではないか。……まあ、何の資金かは想像つくがな」


 商人は威嚇するように両肘を付き、閣下を覗き込む。閣下はそんな商人を苦虫を噛み潰したような顔で睨みつけている。


「お前が大きい顔をしてられるのも今のうちだぞ」

「なんだ?こんな老ぼれを殺るつもりなのか?言っておくがワシを殺した所で、オブシディアンには何ら影響はないぞ、お前の罪状がふえるだけだ。今ならもれなくティルクアーズの罪状もついてくるがな」

「お前は――っまあいい。……だが、お前の娘はどうだ?お前は娘の花嫁姿が見たくはないのか?」


 閣下の引き結ばれた口角が上がるのが、後ろからでも見えた。これでは明らかに閣下の方が悪人だ。


「聞いたかマチューよ。お前はこんなものについて行くのか?あの太陽の様な男を捨てて」


 突然商人の口から自分の名が出てきて、俺は思わず声が出そうになった。

 なぜ今、俺に?


「大義を成す為の犠牲をいちいち憂う必要などない。皆が幸せになる方法などありはしないのだからな。今は効率よく大義を成す事だけを考えるべきだ……その方が犠牲を増やさずにすむだろう?」


 閣下は前を向いたまま独り言の様にそう言う。

 でもそれが、俺に向けての言葉だとすぐに分かった。


 そうだ……あの日、陛下が国の一部を切り捨てた様に。

 俺が自分の家族を見捨てたように。

 犠牲は免れないのだ。



 あの日、鍛冶屋から出た火事は国中を巻き込む大火となった。

 俺がその事を知ったのは護衛任務からの帰り道。

 空に昇るどす黒い煙を遠くに見た時の、心臓が止まるかと思うほどの胸騒ぎを忘れはしない。


 近づくにつれ、見えてくるのは巣を追い出されたネズミのように穴から這い出でる人、人……。

 結界越しに見える中の様子は、赤く不気味な渦が巻く地獄のようだった。


 その後の事はあまり覚えてはない。

 ただがむしゃらに走り、焼けた空気の中、逃げ惑う人々を安全な場所へと誘導しながら、知った顔を探し続けていた。


 どのくらいそうしていたのか……。

 気がつけば新鮮な空気と共に、冷たい雨が降り注いでいた。

 時間が止まったかのように、皆、足を止め空を仰いでいた


 白い鳥が舞っていた。

 曇天の空が、いつもより鮮やかに見えた。


 天がそこに開けていたのだ。


 俺は日常を失った事に絶望した。

 国を覆う結界が開けられたのを見たのは後にも先にもない。……あの時だけだ。

 王と優秀な部下たちは国の一区画を閉鎖し、火事を食い止めていた。

 その一区画に俺の家があったのは、ただの偶然だった。

 しかし運が悪かった。と片付けるには犠牲が多すぎた。


 理不尽に奪われた日常が戻る事はない。

 愛する者の死に、打ちひしがれる者たちを見て、人々は不安を掻き立てられた。

 それは国民が国の在り方に疑問を抱くのに十分な理由に違いなかった。


 俺たちは安全に住める場所を求めるべきだ。

 世界にはこんなにも住める土地があるのだから。


「……俺はただあの日を繰り返さない為に行動するだけだ。犠牲は出るかもしれないが……」


 そう、あんな事は二度と起きてはいけない。

 俺は知らずに呟いていた。

 モーリスが体ごと振り返る。その目は慈しむかのような親しみを帯びていた。


「勘違いするでない、マチューよ。人の死を犠牲という言葉で一括りにしてはいけない。何故死んだのかを考える事が生きる者の義務であり、犠牲を出さぬ道を探る事こそ我々の向かうべき道であろう」

「分かってるよ!だから……俺はっ」


 その先は出てこなかった。

 モーリスの言う事と、俺たちの目的とでは何が違うと言うんだ。

 眉を顰めていると、横に座るエンキがポツリと言った。


「悠長なことで……」


 そうだ、計画は既に進んでいるのだ。

 俺の考えも及ばないほど速く……粛々と。

 エンキが立ち上がる。


「そろそろ行きましょうか……時間です」


 よかった。これで、俺も、役目を果たせる。


「マチュー、よく考えろ……こいつのやり方では誰も幸せになれんぞ」


 考えたさ……俺だって……。

 俺は何も言わずに立ち上がり、逃げるように宿屋から出た。


「あの商人に監視を付けろ」


 店から出るなり。閣下は店の前で酒を飲みながら馬の番をしている、こなれた冒険者風情の男に声をかけた。

 男の周りにいるゴロツキの様な男達が、ニヤニヤとこっちを見ている。何が面白いと言うんだ。


「それはいいですが……こっちの人数が減ってしまいますぜ?」


 派手な色の髪を隠すように布を被った、眼光の鋭い男が面白そうに言う。 その顔は傷だらけ。傷を勲章と考える輩にありがちな風貌に顔を顰める。


「マチュー、向こうは今何人だ?」

エンキはそう言いながら地図を懐から出し、周りを鋭く見回すと、拡げられる場所に俺達を誘導した。


「七人です。内子供が二名」

「二名?増えたのか?」

「はい。その事なんですが……」


 閣下には出発する前までの情報しか報告出来ていない。直前に決まったアイリスの留学の事は初耳だろう。

 俺は姫君が同行している旨を簡単に説明し、同時に野営地の場所を指さす。


「番人か……遭遇したくないな。閣下急ぎましょう」

「で?監視はどうするんでぃ?」

 黒馬の手綱を閣下に渡しながら男が空を仰ぐ。日暮れは近い。

 エンキもつられて空を見上げると、ため息をつく。思った以上に時間を食っていたようだ。


「閣下、商人の件は諦めて下さい。番人に遭遇すれば私とて皆を無事に返せる自身はありません。今、人数を減らすのは自殺行為です」

「分かった……。任せる」


 エンキが遭遇したくない相手がいるのなら会ってみたいものだ。

 会った途端命がなくなりそうだが……。


「行くぞ!」


 俺達は各々馬に跨り、ひと足早く夕闇に呑まれたオブシディアンの森へと急いだ。


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