送る
二日目、ゴツゴツした岩山は、やや緑の増えた なだらかな山肌になり、かなり歩きやすくなっていた。
少し余裕の出来た俺たちの話題は、モーリスの商売の話のはずが……斥候から降ろされ、アイリスの護衛(馬係)となった、美脚クレタスの恋バナで盛り上がっていた。
「なんで女は花なんかほしがるんッスかねぇ――」
「いや分かるよ、美脚くん。あんなのすぐに枯れちゃうのにさ!食えるもん貰った方がいいとおもうし」
「クレタスですよ、先生ー。俺も食べ物派ですわ。あ――彼女の手料理、食いたいッス……」
「皆様ロマンがありませんわ!恥ずかしがらならも花を差し伸べる殿方の、そのお姿に愛を感じるのですわ」
「あの気候じゃ、育つ花は限られちまうしなぁ……。日持ちする花なら見繕えますよ。需要があるのなら、いい値段で売れるかもしれませんねぇ」
アイリスの意見がラノベ寄りなのが気になるが、いい感じに打ち解ける頃には林の中に入り、日が沈む前には二日目の野営地に着ていた。
木と草と土の香りがする。
ただそれだけで安心するのは、俺の動物としての本能だろう。
今更ながらに、ダヴィドがどうしてあんな何も無い山中に国を起こしたのか、不思議でならない。
山を下りればもっと条件のいい土地があるだろうに。
まぁ、ダヴィドの事だから、仲間を増やしたらそのまま国になっちゃった、とか言いそうだが。
キャンプっぽく、その晩、俺は薪の前で毛布にくるまって寝る事にした。
虫や得体の知れない何かの鳴き声とか、雄叫びとかを遠くに聴きながら、肌触りの微妙な布にくるまり目を閉じる。
しかし眠りは一向に訪れず、俺は仕方なく体を起こすと、体育座りで薪を見つめた。
……癒されたい。
「つけられてるようですね……俺のテムが落とされました」
皆が寝静まった頃、見張り交代を終えたニックスが俺に気づき声をかけてきた。
ニックスは薔薇の中庭で創ったピンクの小鳥と感覚を共用出来るまでになっていて、それをこの旅の偵察の為に常に飛ばしていた。
テムには創った者の願いがのせられるとは聞いていたが、小鳥の中にニックスが入れたのは、ごく稀に高額で取り引きされているというアンクの欠片だ。
元は誰のものだか分からないそれに、心が乗せられるというのだから、自身のアンクを持つものの不思議な力は神様並だと思う。
しかし今、その小鳥が落とされたというのはかなり問題だと思う。
「ハーピーじやないよな?相手は誰か分かるか?」
「いえ……一瞬の事でして。ただ直前に光の矢のようなものが地上から飛んで来た様に見えました。高度はかなりとってたつもりですが……まあ、幸い小鳥は回収出来ましたが、どこから狙われていたのか、全く分からないのはかなり恐ろしいですね」
「マジか……。どこからにせよあのサイズに当てるとか……有り得ないだろ、暗いのに」
「ですが、事実です。さらに気を引き締めて行くべきでしょうね。まぁ、こちらに危害を与えるつもりなら既に出来ていたでしょうから、相手は我々を牽制するのが目的のように思えます。用心の為、今日の見張りは二人体制にしておきますが」
俺たちを監視してるのは認めるが、探ってはくれるなという事か。
「俺も人数に入れてくれ。戦力にはならないかもだけどな」
平和な国で生まれ育った俺の注意力など、役に立たないだろうけどさ。
「いえ、リンネは休む事を最優先に。ご自身では気づかれないとお思いでしょうが、かなり疲れた顔をされてますよ」
「あ――俺は元々こんな顔なんだ。今までが元気過ぎたんだよ」
あの職場での勤務状態に比べればここは天国だよ。
「ご冗談を……いいから寝てください」
俺はお姫様抱っこを全力で拒否し、渋々テントに入った。ニックスは俺が横になるのを見届けるとまた見張りへと戻って行く。
ニックスも疲れてるだろうに、そんなそぶりは微塵も見せない。
弱いなぁ……ホントに俺は……。
眠れない理由ならわかってる。
あの夢を見たくないと、心が眠る事を拒否してるのだ。
それでもウトウトしてたのだろう。夢は見なかったと思ったんだが……。
「西だな……多分、いや絶対近づいてる気がするわ……」
辺りはまだ暗い。
身体を起こすと、ぐっしょりと濡れた背中がスっとして、一気に頭がハッキリとした。
俺の呟きに、隣に寝ているニックスが身動ぎするが……規則的な寝息が続きほっとした。
「戻りたくないな……」
俺は、今日もこの場所に……この世界にいられる。
そう思うと何かが込み上げてきて。
……少しだけ泣いた。
三日目、俺たちは野営地から森に突入し、薄暗い木立を抜け、オーケアノス川に注ぐという小さな支流の河原を歩いた。
太陽が登りきる頃にようやく森から抜け、開けた場所にでる。
「割とでかい川だな……」
「こんなにたくさんの水を見たのは初めてですわ」
「……アイリス、荷物は喋っちゃダメだ」
「はっ!そうでしたわね」
俺は馬に乗せた、もごもごと動く可愛い荷物を優しく撫でた。
開けた場所に出る少し前、森の中でアイリスは馬の上で荷物と同じ布を被り潜んでいた。
好奇心が抑えられないのだろう、こっそり覗く姿は愛らしいが、この先人が多くなることを考えると厳しく言わざるを得なかった。
目の前に広がるのはなかなかの水量を持つ荒々しいオーケアノス川。
ヴラド山の雪解け水を集めた川は勢いよく流れ、山を削り森を分断していた。
オブシディアン側は手付かずの森だが、対岸ティルクアーズには木々の間から建物もちらほら見える。
今、姫様の姿を見られる訳には行かない。深窓の令嬢であったとしても、見るものには分かってしまう可能性があるのだ。
さあ行くか、とさっきまでと同じ様に河原へと進もうとしていた俺は、横を歩くマチューの手に止められた。
「ワニだ」
「マジか……サンキュな」
と振り返り慌てて視線を逸らす。
そうだった。
今奴を見るのは危険だ。主に腹筋が。
アイリスの変わりに、モーリスの娘に扮したマチューが、フンっと可愛らしく頬を膨らませるのが目の端に映る。
金色のウィッグが恐ろしく似合っている。……顔は問題ないんだ、顔は……。ただ、体型はふわふわドレスじゃ隠しきれない。
そう思ったのだが……。
ニックス曰く、マチューよりも体格のいいご令嬢は少なくないらしい。
俺はいよいよこの世界で、ずっと子供扱いされる覚悟を決めなくてはいけないらしい。
しかし明らかにこの要員として採用されたと言うのに……副隊長よ、なぜこの仕事を承諾した。
「俺、お前の事……尊敬するよ」
「うるさい。ちゃんと前を見て歩け。危なっかしい奴だな……」
と、言われた先からふらつく俺の腕を、彼は危なげなく引っ張ってくれる。その力強さは今の俺には無いものだ。
「支えられるっていいもんだな」
「ワニのエサになりたいか?」
「副隊長と先生って相変わらず仲良いッスね」
「「はあ!?」」
有り得ませんから……って思えなくなってるや、俺。
川沿いの道をしばらく歩くと、どここら沸いたのか次第に人が多くなってくる。
聞けばこの道は、ドワーフの大工房に行く道にも繋がっていると言う。道理で商隊が多いわけだ。
知り合いとすれ違ったのか、時折モーリスは足を止め、親しげに話しかけている。
皆、馬を引く大柄な娘をみるとちょっとだけ驚いた顔をするも丁寧に挨拶をし、離れて行く。
「モーリスの娘の評判が落ちないといいんだけど」
「大丈夫ですよ。逆に上がりそうで怖いのですが……それより不穏な噂を耳にしました。最近羽振りのいいティルクアーズの公爵家からオブシディアンでしか採れない宝石の取り引きを持ちかけられたと言う事です」
「なるほど……」
ダヴィドから聞いた、レジスの潜伏場所は、ティルクアーズの辺境伯の屋敷だ。
そこで何やら怪しげな方法で富を築いているとは聞いていたが、いよいよ隠す必要も無くなったという訳だ。
「リンネ殿……この先は更に注意が必要となりましょう。どうぞくれぐれもお気をつけて下さい」
「ああ、ありがとう。モーリスもな」
「恐縮です……あぁ、そうだ……貴方にはこちらを差し上げておきましょう」
モーリスは人の途切れるのを見て、俺を道の端へと誘う。
ついて行くと、モーリスが腰にぶら下げてある素朴なバッグから、豪華な刺繍のされた巾着を取り出した。
「リンネ殿、手を……」
「ん?ああ……これは?」
モーリスが傾けた巾着から、アンクの欠片が転がり出る。
その数……三つ!
確か、一つで一年分の給料だとニックスに聞いたぞ。
……流石国一番の商人だ。
「こちらを貰っては頂けませんか?」
「いや、無理!」
即答する。
「そう言わずに……大丈夫ですよ、合法取引で手にしたものですから」
「そこは疑ってないよ、ただ、貰えるだけの事を俺はしてないから」
モーリスには、美味しいお茶と楽しいひと時を頂いた。貰いっぱなしだよ、俺。
「いや……してくださったじゃないですか」
そう言うとモーリスは、チラリと俺の後ろに目をやった。
振り向くと、照れたように頭をかく、クレタスと目が合う。
「息子デース」
「マジか……」
「治療費……という訳ではないのですが、私から渡せる物で、あなたの役に立ちそうな物はこれしか思い浮かびませんで……。リンネ殿、ありがとうございました。お陰で息子は脚を失わずに済みました」
モーリスは、俺がよくやるように頭を深くさげた。
俺は妙に恥ずかしくなって、顔の前で手を振る。
「それは言い過ぎだ。あの程度の怪我で脚は無くならない」
「貰っておきましょう、リンネ」
いつからいたのか、ニックスの手が俺の手に添えられ、アンクを握らせる。
「あの程度の怪我で命を落とす者もいます。それに、そのアンクは、ティルクアーズには持ち込めませんから」
「え?そうなの?」
「ティルクアーズはアンクを自由に持てない国なのです」
「リンネ殿、貰って下さいますね?」
モーリスが悩む俺に、いい笑顔で凄んでくる。
これで断ったら相手の心意気を潰してしまうだろう。
ふぅ、と俺は息を吐き、しっかりとモーリスに向き合う。
「ありがたく頂くことにするよ、モーリス」
「どうぞお役立て下さい。それこそが我が望みですから」
絶対、増水する度に作り直してるだろう?と疑いたくなるような、渡るのも心配な、簡素な木製の吊り橋が見えてきて、モーリスとはお別れとなった。
「ここまで本当にありがとう、モーリス。商売繁盛を祈ってるよ」
「はい。陛下によろしくお伝え下さい。どうぞご息災でと」
モーリスが手を振り、娘を連れ出発する。
慣れた様子でマチューが馬に乗るのを見ながら、俺は少しだけ寂しい気分になってた。
ドレス姿で、馬にガッツリ跨るマチューと一瞬目が合う。
「いい奴だった……」
「死なねーよ!お前……後で覚えてろよ」
マチューのツッコミが磨かれていく。
マチューとは、今夜の野営地で合流する手筈になっているらしいから、しばしのお別れだと言う。
問題は怪しまれずに、橋の向こうの入国管理局を抜けられるかだけど。パパを前に、娘の容姿をとやかく言える兵などいないだろうから。
まぁ、大丈夫だろう。
「ん?」
マチューの後ろ、遠ざかるモーリスが手を振りながら何か叫んでいるのが見える。
「リンネ殿――!愚息をよろしく頼みますよ――!」
目的はそれか?モーリスめ……。
俺らは護衛完了となり、モーリスに別れを告げると、元、来た道を戻り森の中に入って行った。




