旅で語られる物語は
薪を囲んで神話に耳を傾ける。
素敵な場面が少しでも伝わると嬉しいです。
パンにスープ、という素材の味そのままの簡単な食事を済ませた後、俺は薪を前にして優雅に美味い紅茶を飲んでいた。
高級そう!と香りだけで分かるこのお茶は、向かいに座る商人のおっさんに入れて頂いた物だ。
食事しながら、今回の旅について俺が「厄介な旅に付き合わせて済まない」って言うと、モーリスという小太りの商人は、陛下のお役に立てるのなら、と朗らかに笑ってくれた。
モーリスはオブシディアン出身の商人だが、この度ようやく隣国ティルクアーズに店を開く許可が出たそうで、娘を連れて引っ越す予定だったという。
今回、彼の娘はアイリスとすり替えられたけど、後からちゃんと出国出来る様に手配は抜かりなくされてあると言う。
「大丈夫です?疲れたでしょうに……」
見張りを交代してきたニックスが、紅茶片手に俺の横に座った。
「大丈夫だ。それより俺、この旅の行程聞いてなかったんだけど……明日からどうするんだ?」
別に怠けてた訳じゃないからねっ!ただ、色々忙しかっただけだからねっ!
「明日から二日をかけて、ティルクアーズとの国境、オーケアノス川のそばまで山を下ります。順調にゆけば、三日目の昼過ぎには橋の近くまで行けるでしょう。モーリスは、アイリス役のマチューと橋を渡り、ティルクアーズで傭兵を雇うそうなので、彼らの護衛は橋の手前までとします。我々は橋を渡らず本来の目的地を探しますので……。あとはリンネの指示待ちという事になりますね」
アイリス役のマチュー?……まあいい。
俺の指示、とはステュクスの水の湧き出る場所を示す事だ。
『ステュクスの泉』というその場所は、出現条件がランダムなのだ。
この大陸の何処かに、毎晩出現しているその場所を確実に知る事が出来るのは、ステュクスの水に惹かれる夢見る魂のみ。泉が高峰ヴラヒの裾野に出る事は分かっているが、近くに出現するとは限らないし、次の夜には消えてしまうらしいから、探して見つかるものでは無いとの事だ。
今現在オブシディアンにいる、『戻ることの出来る夢見る魂』はダヴィドと俺しかいない。だから、ステュクスの水が欲しければ、俺がその場所を感じ、示すしかないのだ。
そこまでして、水が欲しいか?とダヴィドに言いたい所だが、ダヴィドの仲間愛を否定したくはないから、俺はできる限り頑張ろうと思う。
「まだ何にも感じないんだけど大丈夫なのかな?ニックスはさ、何度かダヴィドと泉に行ってんだろ?いつもこんなぶっつけなの?」
ステュクスの泉が近くにあれば、感じるらしいのだが、そんな都合良く、近くに現れるものなのか? と不思議になる。
「そうですよー。陛下は無計画に平原地帯を何日もうろうろしたり、湖畔でのんびり魚釣りなんかしてますが、不思議と数日でその場所に行き着くのですよ」
それ、ただダヴィドが休日を楽しんでるようにしか聞こえないんだけど?
「そっか、ならいいんだけど……。えっと、そこに現れるんだっけ?アイリスの後見人って人?」
バタバタしてて聞けなかったけど、ずっと気になってたのだ。
「ステュクスの泉に現れるのは、番人と呼ばれる者ですね。番人はアイリス様の後見人となるオルフェウス様の直属の部下ですので、今回、番人にアイリス様を預けるまでが、我々の任務となります」
「ん?という事は、泉はオルフェウスって人の管轄下にあるって事かな。オルフェウスって何者?」
「あ――」とニックスはしばし逡巡してから答えた。
「オルフェウス様は伝説の人ですね。最初にこの世界に存在する事を許された人間です」
最初の人間?そうか……この世界は夢の世界だから、人間は元々存在しなかったって事か。
「伝説を聞きますか?」
ニックスはそう言いながら、くつろいだ様子で空を仰いだ。
薪のはぜる音が心地よく響き、俺の憧れた冒険そのもののロケーションに心が踊った。
オークファシルは、あまたある夢の世界のひとつでした。
その場所は、苦痛を強いられる人の世で暮らす人間の為に、神が創った安らぎの場所。
降り立つ魂は、『神の印』を胸に、しばしの休息を得るのだという。
ある日、オークファシルに降り立ったひとつの夢見る魂が、己の不幸を嘆きこの世界で生命を断つことを選択しました。
現生では選択できえなかった、自害という目的を実現する為に、その者は魂すらも打ち砕く程の剣を創造し、自らの胸に打ち立てた。
しかしその者の魂は消えること無く、代わりにその胸より『神の印』が零れ落ちたのでした。
神に見捨てられた魂は現生と同じ様に、この世界で生きる事を強いられる事となった。
「これがオルフェウスの物語です」
「となるど……伝説の人か……」
「そうですよー。この物語は、我々騎士団が最初に耳にするお話なのです。『オルフェウスの剣』に負けない剣を創れ、と。しかし今まで夢見る魂からアンクを取り出せる程の剣を創れた者はいなかったという事ですから、この話は『強い意志』を示すものとして伝わっているのですよ」
「……死ぬ事が強い意志だと?」
この世界に降り立った者たちの現生が、どれだけ過酷なものだったのか……。
明るい歴史ばかりでは無いことは知っていたけど、なんだか辛くて目を伏せた。
「ああ、そんな顔をする必要はありませんよ、リンネ。この物語の後には、彼がオルフェウスの剣を使い仲間を増やしていったり、他種族との戦いや、交流など、彼の冒険談が続くのですから。オルフェウス様や陛下が出てくるその物語は、決して不幸なものではないのですよ」
冒険と聞いて、なるほどと俺は頷いた。
「ダヴィドはそんな昔からこの世界にいるんだな。オルフェウスの仲間なんだろ?」
薄々気づいてはいたが、年齢は伝説級だろう。
「かつては良き友だったと……そう聞いてます。今はお互い別の国を建てたのですから、仲間、というのはちょっと違うのかもしれませんね。……リンネ、大丈夫ですよ。アイリス様の後見人としてオルフェウス様に勝るものはおりません」
ニックスには俺の不安がバレていたようだ。
「ああ、そうだな……ありがとう」
俺の罪悪感を和らげてくれて。
明日はアイリスを避けずにちゃんと話をするよ、と俺はニックスに誓った。
その日、俺は夢を見た。
夢の中で夢を見るの!?と思いながら、極彩色の小石を敷き詰めた川の上を、ふわふわと漂っていた。
周りを見渡せば、俺と同じように漂う光の粒が見える。
ああ、ここがステュクスの泉の中なのだ、と、何となくだけど確信した。
うぁっ!
口があればそう叫んでいたかもしれない。
急に何かに引っ張られ、俺の視界は一気に見覚えのある景色の中に引き込まれた。
ふわりと浮けば、真下に自分の姿が見える。
黒髪の華奢な青年。大きな目は、今は閉じられてて……。近くに両親が言い争う様子が見え、ここが現生だと確信した。
一方的に怒鳴る親父に、何も言えず俯いてる母が言い返す事はない。
俺はいつだって見ている事しか出来ないんだ……と、苦い笑いと込み上げる吐き気……。
……帰りたい。
俺のいるべき場所はここじゃないんだ。
「なんであんな夢を見ちまったんだろ……」
背中に張り付くシャツの気持ち悪さで目が覚めた。やな汗をかいたようだ。テントの薄い布越しに、辺りがうっすらと明るくなっているのがわかる……もうすぐ夜明けだろう。
喉が異様に乾いて、俺は水を求めて硬くなった身体をおこした。
あ――水の場所が分かるわ……。
多分……いや絶対西。……そう遠くない気がする。
ステュクスの泉は探す必要などなかった。
泉はアチラからやってくるのだ。
「……怖っ――」
あれは夢ではない。
泉は現生に少しでも未練のある者を、親切にも、送り返す為に出現するのだろう。
アンクを割る意味が今、ハッキリと解ったわ。
「リンネ?早いですね……」
俺の身動きで起こしてしまったらしい。ニックスが慌てて起き上がった。
どういう訳かニックスは、俺の傍でに寝ると言って聞かなかったのだ。お陰で寒くはなかったが。
「悪いな……起こしちまって」
「いえいえー。リンネ、大丈夫です?」
俯く俺の顔を至近距離で覗かれて、慌てて体ごと反らせた。きっと俺は今、情けない顔をしてると思う。
「大丈夫だ。ちょっとだけ夢見が悪かっただけだ……」
ニックスはそうですか、と毛布を俺の肩にかけてくれた。暖かい毛布に包まれ、ついでにニックスにも包まれ、体が冷え始めていた事に気付いた。
多分ニックスには、俺がこうなる事が分かってたんだ。
「もう少し横になりましょう。少しでも……」
「ニックス、分かったんだ、泉の場所。って言っても何となく方向が分かる程度なんだけど、それでも大丈夫かな?」
場所は多分、ハッキリと分かっていると思う。でも、すぐにその場所に行ってしまうのは早急だと思った。
まだ王都を出て一日しか経ってないし、ここは見通しが良すぎる。アイリスを引き渡すのならもっと場所に気をつけるべきだ。
何より肝心な番人とやらがまだいない。
「……そうですか。本音を言いますと、俺はそこに貴方を近づけたくはないのです。泉に近づくと夢に呑まれる、と祖父が言っていました。俺は……怖いのです。失うのではないかと」
怖い、と聞いて納得した。
そうだ、夢から目覚めるのは、恐怖や不安といった感情を抱いた時。今まで見なかった夢を見たのは
、俺が不安に思ったせいに違いない。
こんな事で周りに心配かけるのか、俺。全くもって、らしくない。
「心配なら不要だ、ニックス。なあ、明るくなったら地図を見せてくれないか?過去に泉が出現した場所も知りたいんだが、わかるか?」
然るべき時に然るべき場所まで誘導しなくてはいけない。安全にアイリスを渡せる場所まで。それが今の俺の役目だ。
もう一度あの夢を見ると思うとゾッとするが、一度は退けられたんだ。次も出来るはずだ。そこに番人が現れるかどうかは分からないが……。
「分かりました。私がわかる範囲でお教えしましょう。でもきつい時はそう言ってくださいよ?」
「わかってるよ」
俺は元気に返事した。
しかし……その後、俺は深い眠りに着くことが出来なくなってしまった。




