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§1.3. “逆さ剣”亭

 カンテラを灯し、アズノアはリェーナを伴って街に出る。冬の日は沈むのが早く、日が落ちたばかりだというのに夜風は冷たい。

 

「飯を食べに行くが、何か食べられないものはあるか」


 リェーナはふるふると首を振る。

 

「なら、いつもどおり“逆さ剣(ハングドスティング)”亭に行く」


 アズノアはその言葉のとおりにペルクスポートの中央からすこし外れたあたりにある一軒の酒場に向かう。

 その入り口付近には人だかりができていた。近づいてみると野次を飛ばす声が聞こえる。

 酒場の灯りに照らされた人だかりの中では、人間族(ヒューマン)の男が二人、殴り合いの喧嘩をしている。周囲にいるのは野次馬らしい。

 

 酔った勢いで喧嘩が起こるのは、別段珍しいことではない。いま問題なのは、ひとだかりで出入り口が塞がれていることだ。

 

「面倒だな。別にこの店にこだわるわけじゃないが、今から他を探すのもな」


 アズノアはしばし状況を見守る。リェーナもその横で、じっと押し黙ったまま喧嘩の様子を注視している。リェーナは片時もそこから目を離さない。

 

 その時、喧嘩をしていた男の一人がヒートアップし、腰に下げていた短剣を抜き放つ。それに応じて相手も剣を抜く。こうなるとただの喧嘩では済まない。

 アズノアも顔をしかめ、わずかに魔力を体に通してなにかあったらいつでも動けるようにしておく。

 しかしそれは杞憂に終わる。一人の犬獣族(リカント)の男が喧嘩に割って入ると、双方の男の剣を持った腕をそれぞれ絡め取り、関節を極めて武器を取り落とさせる。

 

「酔った勢いで抜くにはちと物騒な代物じゃねぇか、お二人サン?」


 割って入ってきた犬獣族の男を見て、喧嘩していた男が小さく悲鳴を上げる。


「“切り裂き魔”ヴォルフ……!?」


「おうおう、そのヴォルフ・ヴァイクス様だ。まだやるかい? やるなら俺も混ぜてくれよ」


「ち、違うんだ、そんなつもりじゃ……」


 喧嘩していた男たちは二人して揃って顔を青くして震えだす。

 

「そんなら、お二人サン、さっさと落としたもん拾って今日は帰んな」


 男たちは落とした剣を拾い上げて収めると、慌てて駆け出していく。それを見届けて、覚めたムードの野次馬もあちこちに散っていく。

 アズノアは犬獣族の男に声をかける。

 

「珍しいな、ヴァイクス。お前が喧嘩の仲裁か」


 犬獣族の男は全身が真っ黒な毛で覆われており、瞳も真っ黒だった。それ故にこうした暗闇にいると闇に紛れて姿が見えづらい。アズノアよりずっと背が高い、筋肉質な大きな男だった。


亭主(マスター)に頼まれてな。ちと騒ぎがでかくなってきたから止めてくれってよ」


 そう言いながら、ヴォルフは指で銀貨を弄ぶ。


「小遣い程度だがな」


「金か」


「金だ。俺ァ金しか信じねぇ。知ってんだろ。にしてもあの野郎ども、あんなにビビらなくていいだろうにな。いくら俺様だってこの程度で剣を抜いたりしねぇってのに」


「それだけ名が売れてるんだ、別にいいだろう」


「ま、ナメられるよりかはマシだな。それより珍しいといえばお前だ、マギリヴラ。その子供(ガキ)ァお前の子供か?」


「そう見えるか?」


「そんなデカい子供がいるって話は聞かねぇが。そもそもお前が素直に男に抱かれるタマか?」


 ヴォルフは呆れたように笑う。アズノアはその軽口を無視して淡々と返事をする。


「ああ。少し預かってるだけの子だ」


「預かってる、ねぇ。お前さんは俺と同じで、他人が自分に近づくのを良しとしないタイプだと思ってたが」


「少しの間だけだ。私達は今から飯だ。お前は?」


「俺ァ今日はもう帰らァ。さっきのくだらねぇ喧嘩で酔いも覚めちまったしな」


「そうか」


 ヴォルフは酒場を後にする。その背中が十分に離れてから、アズノアはリェーナに説明する。

 

「今のが、ヴォルフ・ヴァイクス。私と同じで、このあたりで腕貸しをしてる。金を積まれればなんでもするから、さっきみたいに怖がるやつも多い。実際、あいつ自身はそう悪いやつじゃないが、あいつの周りには後ろ暗い連中もいる。お前はあまり近づくな」


 リェーナがこくんとうなずいたのを確認してから、“逆さ剣”亭に入る。

 店内は清潔だが、そこまで広くはない。カウンター席と、それとは別に数人で囲めるテーブルが三つほど。客の入りはそこそこだが、客の多くが傷があったり筋肉質であったりと、かなり物々しい雰囲気がある。

 壁際には大きな掲示板がある。掲示板にはいくつもの紙が張り出されている。

 この店には用心棒や腕貸し、傭兵の類が集まり、それらの力をもとめる人物が酒場の掲示板を借りて依頼を張り出している。アズノアの馴染みの酒場だ。

 

「アズノアか。いつ戻った?」


 店に入ると、店で亭主をしているドワーフがカウンターの奥から声をかけてくる。

 そのドワーフの男は背が低く、アズノアのみぞおちあたりまでしか背がない。代わりに恰幅がよかった。もじゃもじゃとした髭面で、革のエプロンを身に着けている。

 

「今日の昼」


「その子は?」


「少し預かってる」


 アズノアはカウンターに腰掛け、リェーナも横に座らせる。

 

「この子に何か食い物を。私にはホットワイン」


 そう言いながらカウンターに銀貨を数枚載せ、押しやる。

 亭主は食事の代金としては明らかに多すぎるそれを受け取り、口を開く。酒場には情報が集まる。余分な銀貨は情報料だった。


「そうだな。ここの領主様が替わったっていうのはもう聞いたか」


「いや。隠居を考えてるって噂は前からあったが。後任は?」


「アラン様だ」


「フィッツロイか。大抜擢だな」


「あの方は市民のことをよく考えてくれる。あの方が領主になられたならペルクスポートは安心だ」


「そうだな。腕も確かだ」


「それと、マダム・ダーシーが探してたぞ」


「ああ、もうそんな時期か」


 そんな話をしながら亭主は料理を温め、シチューをたっぷり盛った器と丸パンを入れた籠をリェーナの前に出す。

 アズノアはリェーナに声をかける。


「食べていい」

 

 放っておくとリェーナは食事に手を付けない気がしたからだ。

 リェーナがそれを聞いておずおずと手を付けはじめてからしばらくして、アズノアの前にもホットワインが出される。

 

「――地母神ムルテアに恵みの感謝を」


 アズノアは小さくそうつぶやいてからホットワインに口をつける。その様子を、リェーナは不思議そうに見ている。

 

「どうした」


「ぇ、あっ、ごめんなさ……」


 リェーナは謝りながら慌てて目をそらす。


「別に怒ってるわけじゃない。私が祈るのが不思議だったか?」


「え、と」


養父(オヤジ)が敬虔だった。私のは習慣だ」


「ぁ、はい……」


 リェーナはすぐにシチューに戻ろうとするが、何かを思い出して一瞬口を開こうとする。しかし結局、何も言わずに口を閉じる。

 アズノアはその様子を見てしばらく疑問に思うが、ほどなくして気づく。

 

「ああ。もしかして、神への祈り自体が珍しかったか」


「えと……」


 リェーナは顔色を伺いつつ、恐る恐るうなずく。

 

「別にいい。知る機会がなかったのはお前のせいじゃない。

 神とは、世界を作った大いなる存在だ。創世神ソリシアとその妻イヴリスフィール、そしてその子供、イグナレティオ、ムルテア、サルヴァレッジ、ガニスボルグ、ウクィミァルのことを指す。

 ちゃんと知りたければ一度神殿で話を聞くか、詩人の歌でも聞くのがいい。

 大抵の人はいずれかの神を信仰してる。私の場合はイグナレティオだ。火の神、戦いの神」

 

 そう言って、アズノアはポケットから三角形の形をしたレリーフを取り出す。イグナレティオのシンボルだ。

 

「信仰のない人間は不審がられる。知っておけ」


 リェーナは小さくうなずく。

 

「他に訊きたいことは?」


 リェーナは首を振る。

 

「なら、冷めない内に食べてしまえ」


 リェーナは料理に向き直ると、冷ましながら少しずつシチューを口にする。


 リェーナが食べ終わるのを待って、“逆さ剣”亭を後にする。すっかり夜は深くなり、冷たい風が頬を撫でる。

 アズノアは、かばんから取り出した干し肉をかじりながらリェーナに訊く。

 

「ペルクスポートまでの道中でも訊いた気がするが、寒くないのか?」


 リェーナは静かに首を振る。

 リェーナは冬だというのに薄着だ。簡素なシャツとスカート、それに靴だけ。それも相当に傷んでる。奴隷だったというならこれでもマシな恰好なのだろうが、街を歩くにはあまりにみすぼらしい。

 

「とはいえ、いつまでもその格好という訳にもいかないだろう。明日はお前の服を買いに行く」


「ふく……」


「この先どこに行くにしても、印象は大事だ」


 帰宅してから、床で眠ろうとするリェーナにアズノアは声をかける。

 

「そっちじゃない、こっちだ。ベッドは一つしかないから、私と一緒で悪いが」


 それを聞いてリェーナはギクリと身を強張らせると、口をキュッと結びながら服を脱ぎだす。少女の透き通るような白い肌、腹部が覗く。

 アズノアはそれを見て一瞬固まった後、すぐに事態を飲み込んで慌てて止める。

 

「そういう意味じゃない。私にそういう趣味はないし、私はお前を奴隷として扱うつもりはないと言ったはずだ」


 そう言われて、リェーナは服の裾から手を離しつつ不思議そうにアズノアを伺う

 

「単に、ここで寝ていいと言っただけだ」


 リェーナは恐る恐るベッドに潜り込んでくる。しばらくは体を強張らせていたが、しばらくすると静かに寝息を立て始める。

 アズノアは子供なのに妙に低いリェーナの体温を感じながら、眠りに落ちるまでの間、かつて養父と暮らしていたときのことを思い出していた。

 

 養父であるブレンダン・マギリヴラが死ぬまでの間、アズノアは今リェーナとそうしているようにブレンダンとこのベッドで寝ていた。

 自分よりも大きなブレンダンがアズノアは最初少し怖かったが、次第にその大きさに安心するようになっていった。今となりで寝ているリェーナは小さくて細く、腕も首も、アズノアが力いっぱい握れば折れてしまいそうなくらい儚い。当時のブレンダンからもアズノアはこうやって見えていたのだろうか、と思いを馳せる。


 このベッドは大柄であったブレンダンが用意したものだったから、それにあわせて大きく作られていたが、それでも最後の頃にはアズノアとブレンダンが並んで寝転がると少々狭く感じられた。

 ブレンダンが死んだのはアズノアも成人に近づき、そろそろ独り立ちしてもいいだろうという話をしていた頃だった。

 

 ――『俺は、お前がそうすべきだと考えて行動した結果を尊重する』

 

 アズノアがリェーナにかけた言葉も、アズノア自身が繰り返しブレンダンから言われてきた言葉だった。

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