§1.16. 友人
アズノアとアランは洞窟で焚き火を囲んでいる。外は夜中で、まだしとしとと雨が降っている。だがアズノアは、もう火も雨も気にならなかった。
「私は、リェーナを助けに行く」
「リェーナを? どういうことだい、話を聞かせてくれ」
アズノアがリェーナの出自が奴隷であること、奴隷商の組織である“錆び鎖商会”がリェーナをさらっていったこと、ヴォルフがそれに雇われていることを話す。
アランは顎に手をやりながら難しい顔をする。
「“錆び鎖商会”か……」
「知っているのか?」
アズノアは軽く身を乗り出す。
「うん。このあたりで活動している商会で、黒い噂が絶えない。奴隷の売買をしているらしいということも掴んでる。だけどそこ止まりなんだ。そこまで規模が大きいわけじゃないんだが、とにかく証拠の隠蔽が上手い」
「そうか。拠点は掴んでいるのか?」
「ある程度は。だけど証拠がないから踏み込めていない。この件は騎士団としては協力できない。カルカス小領の方に協力を要請することはもちろん、ペルクスポート領主としても部下を動かすことは難しい」
「大丈夫だ。最初から私一人でどうにかするつもりだ。だが時間が惜しい。無理を承知で、拠点の情報だけでももらえないか」
アズノアの頼みに、アランは呆れた顔をする。
「君というやつは……。僕がペルクスポート領主として動くことは難しい」
しかしニヤッと笑って続ける。
「だけど君が個人的に友人として頼むと言うなら、僕個人として動くことはやぶさかじゃない。
頼ってくれよ、アズノア。僕が君を信じているように、君も僕を信じてくれていい」
「いいのか」
「何度も言わせるなよ。いいんだ」
「すまない、フィッツロイ。……いや、ありがとう、アラン。それなら頼む。私はリェーナを助けたい。手伝ってくれ」
アズノアは頭を下げる。アランは芝居がかった仕草で大げさに頷いてみせる。
「いいとも。
拠点の場所の目星はついている。リトリトンからさらに東に行ったあたりだ。だが攫われたのは今日の夕方だろう? そこまで行かずとも、追いかけて道中で取り返す手もあると思うけど」
「いや。リェーナだけかすめ取るように奪い返しても仕方ない。向こうはこれだけ時間がたってるのにわざわざリェーナを探して取り返しに来た。リェーナがそれだけ奴らにとって価値のある商品だったってことだ。
私は居場所まで知られてる。向こうにとって、力づくでリェーナを取り返すことが『割に合わない』と思わせるくらいは最低でもしなければならない」
アズノアは炎を見つめながら落ち着いた声でそう言う。
「好戦的だね。リェーナを奪い返してそのまま行方をくらますという手は?」
「せっかくの友人をおいて、か? お前が治めるあの街はいい街だ。私とリェーナにはあそこが必要だ」
ニヤリと笑うアズノアとアランは目を合わせると、一緒に笑いだす。
「敵わないね。光栄だ」
アズノアはいつもどおり落ち着いた調子で続ける。
「それを別にしても、逃げ回る生活はリェーナのためにならないだろう。あの子のこの先のために、しがらみを断つことは必要だ」
「わかった。ならその方針でいこう。だけどそうするとヴァイクス君と正面からぶつかることになるだろう? それについてはどうする?
アズノア、君が彼より技量が劣るとは思わないけど、地の利が向こうにある状態で彼とぶつかるとなるとかなり厳しいだろう。僕と二人がかりでもどうにかなるかどうか」
「いや。ついさっき、ヴァイクスとは正面からぶつかって負けている。真っ向からやりあえばあいつのほうが強い」
アズノアは首を振ってアランの意見を否定する。
「ならなおさら、どうする?」
「それでも私がやる。考えがないわけじゃない。ないわけじゃないが……」
珍しくアズノアは言いよどみ、アランの方をちらりと見る。アランは、それだけでアズノアが何を企図してるのか察する。
アランは一瞬目を閉じて考え込むが、すぐにアズノアの方を見ながら続ける。
「僕は今回、君の友人として同伴すると決めた。ペルクスポート領主としてじゃなくね。だから、今回だけは不法行為にも目を瞑ろう。それが人道にもとるものでない限り。
……いずれにせよ奴隷商たちは捕まれば斬首刑だ」
「そうか。たすかる。ならヴァイクスは私がどうにかする」
「なら僕はそれ以外をどうにかすればいいわけだね」
「頼めるか」
「もちろん。君やヴァイクス君を相手にするならともかく、それ以外の有象無象を相手に劣るつもりはないよ」
アランは右手の拳で胸をトン、と叩いてみせる。
「ならそれで行く。
ヴァイクスとやり合うなら、今負ってる傷は治す必要がある。六時間くれ。全て治す」
「そうだね。今の君の体は随分ボロボロに見える。僕は朝まで火の番をしてるから、治療に専念すると良い」
「頼む」
そう言うとアズノアは目を閉じ、自分の内側の魔力に集中する。魔力を循環させ、自身の肉体の構造を賦活する。特に自然治癒に携わる部分だけに集中して賦活し、治癒力を高める。微かなむずがゆさを伴いながら、じわじわと全身あちこちの傷が治っていく。
アズノアはそのまま治癒を続けながら、うつらうつらと眠りに近い状態に入り、ギリギリまで体を休める。
全身全ての傷の治癒を終えアズノアが目を覚ました時、すでに夜が明けていた。雨もあがり、洞窟に差し込む朝日が眩しい。
「おはよう、アズノア」
静かに目を開いたアズノアに気づいてアランが声をかける。
「ああ、アラン。待たせた、行こう」
アランとアズノアは一度ペルクスポートに戻り、きちんと準備を整えてから目的地に向けて出発する。リトリトンまでは数日かかるし、正面から交戦するつもりならそれなりの装備が必要だった。
アランとアズノアは馬を走らせ、道を急ぐ。向かう道すがら聞き込みをして、半日ほど先行して奴隷商たちが同じ道を通過していったことを確かめる。
夜はしっかりと体を休め、昼は馬を駆る。そうして拠点があると思しきあたりまでたどり着き、馬を降りる。
少し先に山が見えた。
「この山の中腹ほどに彼らの屋敷兼倉庫がある。どうも人目を避けたい商品はそこにおいてるみたいだね。だけどそこまでの道は一本道で、麓に見張り小屋が置かれている。正当な理由がなければ通ることは出来ない」
「麓の段階で見つかるのは避けたい。とはいえ道を避けて山を登れば罠だらけだろう」
「そうだね。どうする?」
「見張り小屋の連中が知らせを出す間もなく始末する。隠形してギリギリまで近づく。私がやる。アランは逃げ出すやつがいたら頼む」
「わかった」
二人は魔力操作によって気配を消し、素早く山に近づいていく。目当ての見張り小屋を見つける。宣言通り、その近くギリギリまで近づく。
アズノアが隠形を解き、一瞬の内に賦活術で聴覚を強化して周囲の気配を探る。発見した人数は、小屋の外に二人と、小屋の中に三人。
アズノアは腰から投擲ダガーを二本抜いて右手に持つと、鋭く腕を振り下ろして一本、切り返して振り上げながらもう一本のダガーを投擲する。投擲したダガーは寸分たがわず見張りの眉間を打ち抜き、頭部を貫通する。外に出ていた見張りは反応する間もなく絶命する。
左手で腰から新しく持ち出してきた両刃の短剣を抜き放ちつつ、右手でさらに投擲ダガーを手にする。そのまま見張り小屋の扉を蹴破って突入、最も遠くにいた一人に右手のダガーを投擲し、同時に一番近くにいた一人の首に短剣を突き立てる。すばやく引き抜く。
残る一人の男が声を上げそうになったため、空になった右手を伸ばしその口を覆う。そのまま床に引き倒し、左手の短剣で首を掻き切る。殺された見張り達からじわりと血が床に広がっていく。
一呼吸の合間の出来事だった。
アズノアは喰人鬼だ。喰人鬼にとって栄養のある食事とは人の肉であり、それなくしては全力を発揮することなど到底出来ない。
アズノアは躊躇なく床に倒れた男の胸を短剣で切り開くと、そこからまだ暖かい心臓を切り取る。そして生のままのそれにかぶりつく。
人の心臓は、全身の中で最も魔力を多く含んでいる部位でもある。喰人鬼にとってはもっとも栄養がある部位だ。それを口にしたことで、アズノアは全身に熱が広がっていくのを感じる。
さらに残る二人からも同じように心臓を切り取り、口にする。指先まで熱いほどに感覚が広がる。体のすべてが完全に思い通りに動くようになっていく。視界が明るく、鮮やかさを増す。己の体が栄養を欲していたことを痛感する。
アズノアはまともな“食事”をした。常に感じていた空腹が満たされ、強い魔力が全身を巡る。体の隅々まで意識が行き届き、これまでの自分の神経が鈍っていたのだと理解する。
およそ生まれて初めて、アズノアは万全の状態だった。
アズノアは小屋を出る。
「悪いなアラン、待たせた」
「他に見張りはいないようだよ。流石だね」
アランはちらりとアズノアの口元についた血に目をやるが、それについては何も触れない。
「ああ。ここからは一気に駆け上がる」
アランとアズノアは賦活術で自分の筋力を引き上げ、山道を一気に駆け上がっていった。
リェーナの元へと。




