§1.14. アズノア・マギリヴラ
アズノアは二十五年前、ウィンスレット大領南部のとある街に住む、喰人鬼の夫婦の間に産まれた。
ルイスランド王国内での食人種族に対する風当たりは強い。夫婦は喰人鬼であることを隠して生活していた。
彼らは人を食べる種族であり、基本的にそれ以外の物から栄養を取ることが出来ない。しかしルイスランド王国で、普通の人たちの中で生きることを望んでいた夫婦は、普段は「人の成りそこない」である魔獣を食べて暮らしていた。魔獣は味も悪く、喰人鬼にとっての栄養価も高くはないが、人を喰う代わりにはなった。
アズノアはその夫婦の唯一の子供だった。赤茶色の髪は父親から、焦げ茶の瞳は母親から受け継いだ。父親は石工で、喰人鬼の高い膂力を生かして建築現場で働いていた。自警団の一員として街の皆からも慕われており、人並みよりは腕っぷしも強かった。
アズノアの幼少期は満たされていた。特別に裕福なわけではなかったが、父親も母親もアズノアを大切にしてくれた。唯一、お腹いっぱいになるまで食べ物を食べたことだけはなかった。魔獣を狩っているところも、見られれば問題になる。父親は時折こっそり狩りにでて魔獣を獲ってきていた。
喰人鬼は他の一般的な賜人種に比べれば少食だ。毎日食事をする必要はない。しかしそれを加味しても、食事の量は十分ではなかった。飢え死にするほどではなかったが、常に軽い空腹を抱えていた。
そうしてアズノアは七歳になった。
その頃、アズノア達が住んでいた街で、連続殺人事件が起きていた。アズノアの父を含めた自警団は警戒を強め、街全体がピリピリしたムードに包まれていた。
街全体が厳戒体制の中、捜査は進められた。しかしその警戒の結果見つかったのは、殺人鬼ではなかった。見つかったのは、アズノアの父が魔獣の肉を剥いでいるところだった。それによって、アズノアたちが喰人鬼であることが露見する。
連続殺人事件とそれに対する警戒は、街全体に大きなストレスを溜め込んでいた。皆が皆、抱えた不安の行き場を求めていた。
そしてその矛先は喰人鬼、食人を行う種族であるアズノア達一家に向かった。食人を行う者が自分たちのすぐそばに潜んでいたという事実が、限界まで高まったストレスを起爆した。
アズノア達が連続殺人の犯人であるという者がいた。それを信じるものがいた。そんなこととは関係なく、恐ろしい喰人鬼は喰われる前に殺さなければならないという者がいた。
食人種族である喰人鬼は殺しても罪に問われないということが、それに拍車をかけた。
いずれにせよ、喰人鬼であるとわかった彼らを、街の人々は拒絶した。
その夜のことをアズノアは今でも時々夢に見る。
生まれてからこれまでの間すごしてきた自分の家が、煌々と燃えている。多くの人がその周りにあつまり、手に手に武器を持ってなにか叫んでいる。
昨日までアズノアを可愛がってくれていた隣のおばさんがいた。父と仲が良かった職人のおじさんがいた。アズノアが一緒に遊んだ子供の親がいた。
アズノアがこれまでに親しくしてきたすべての人が、アズノアたちを見ながら叫んでいた。
アズノアの父が彼らに何かを訴えかけるが、その声は群衆の怒声にかき消される。彼らが手に持った武器を振るい、アズノアの父が倒れる。
アズノアは母と裏口から逃げ出したが、すぐに彼らに見つかってしまう。母は身を挺して時間を稼ぎ、アズノアを逃した。母親が群衆に囲まれ、暴力にさらされて悲鳴を上げるのを聞きながら、アズノアは必死に逃げて路地裏に身を隠した。
その夜、アズノアは震えながらすごした。朝になっても、見つけ出されることはなかった。
アズノア自身が見つからなかった代わりに、アズノアは街の中央の広場にさらされる両親の死体を見つけた。どちらも原型を留めないほどに痛めつけられ、体中のあらゆる箇所に傷があり、手足はおかしな方向に曲がっていた。それを見ても、幼いアズノアには何も出来なかった。
アズノアは街を出る馬車の荷台に潜み、街から逃げ出した。
アズノアは歩き、自分たちの噂が届かないところまで逃げた。山にこもり、そこで暮らした。
おぼつかない技術で魔獣を狩り、時に山賊行為を働いた。喰人鬼は生まれつき腕力が強い。不用心に山にはいる旅人が相手なら、子供であったアズノアでも襲って持ち物を奪うくらいのことはできた。
そのまま殺して食べてしまえばと思ったことがないわけではないが、最後の理性がそれを制止した。
しかし人の肉を食べることもず、狩りの技術がなく魔獣の肉も満足な量に穫ることが出来ないアズノアは、次第に飢えていった。
飢えは感覚を研ぎ澄まし、代わりに理性と判断力を奪っていった。
朦朧とする思考の中、アズノアは山に一人で入ってくる者を見つける。なんとなく男のようだと思ったが、ローブを被っていて顔はわからない。大柄だが横幅も大きく、鈍重そうだった。それだけあれば、腹一杯になりそうだと思った。冷静な判断力はすでに失われていた。
アズノアは木に登り、枝の陰に潜んでその男を待った。かつて他の旅人から奪ったメイスを手にしていた。奪った武器はいくつかあったが、手入れも技術も必要ないそれがアズノアには使いやすかった。
男がすぐ下を通り過ぎた瞬間、その頭に飛びかかった。喰人鬼の膂力で思いっきり鈍器で殴れば容易に一撃で仕留められると思った。
アズノアの渾身の一撃を、男は巨体に見合わない身軽さでひらりと躱してみせる。アズノアは勢い余って地面に突っ込むが、どうにか転がって受け身を取る。
「山賊って風じゃねぇな。まだガキのくせに、元気がいいじゃねぇか」
男は被っていたローブをバサリと脱ぐ。
その下から出てきたのは、二マーメル近い背丈の多腕族の男だった。多腕族は賜人種の種族であり、腕が四本ある。そのうちの二本は人間族と同じようなサイズの腕だ。残りの二本はその上から左右に生えている腕で、通常の腕の倍ほどの大きさがある。それぞれ小腕、大腕という。大腕は普通にしていれば地面を擦るほどの大きさだ。
男は背に二本の両手剣を背負っていた。どちらも、大の男が両手で扱うようなものだ。
男はそれに手をかけると、脱ぎ捨てたローブと一緒に両方とも地面に置いた。
「襲われといて言うことでもねえが、俺はお前が気に入った。少し遊んでやる」
何も持たない手で男は手招きする。アズノアは獣のような唸り声を上げて、再度男に飛びかかる。振り下ろしたメイスを男は左の大腕でうけてみせる。金属製のメイスで殴ったというのに男はビクともしない。それどころか、殴ったアズノアの手の方がしびれていた。岩や金属と形容することすら憚られるほどの動じなさであった。岩であれば、力いっぱいメイスで殴れば砕けよう。金属であれば多少の凹みは出来よう。しかしメイスで力いっぱい殴られた男はびくともしなかった。
アズノアは何度も何度もメイスを振り下ろし、男を殴り続けた。男はそのすべてを真正面から受け止めた。受け流すことすらしなかった。
賦活術もなしに力いっぱい殴り続けたメイスが次第に歪み始めていた。
「そんだけか?」
男は小腕を組み、大腕をぷらぷらと揺らしながらアズノアを見下ろした。それは失望であり、挑発だった。
それに対しアズノアは男を睨むと、メイスを投げ捨て、近場の木に飛び移った。枝を弛めながら木の枝から木の枝へと飛び移り、徐々に速度を上げていった。そして男の顔にめがけて、正面から飛びかかりながら勢いを乗せて蹴りを見舞う。わずかに魔力を帯びたその一撃は、男の頬を歪める。
男は自分を蹴り飛ばしたその足を大腕で掴むと、軽々と放り投げる。アズノアは木の幹に衝突する。すぐに立ち上がろうとするが、ふらふらと目を回し、地面にへたり込む。
男はのそのそと歩いて、へたり込んだアズノアに近づいてくる。
「最後の一発は悪くなかった。お前、名前は?」
「……アズノア」
アズノアは力なく手足を投げ出したまま、投げやりに呟く。
「俺はブレンダン。ブレンダン・マギリヴラだ。お前、俺と来る気はないか。お前は強くなる」
「私は喰人鬼だ。人を喰う化け物だ」
アズノアはそう言いながらブレンダンをにらみつける。体が動かない今、それくらいしか出来なかった。
「喰人鬼? マジか、ルイスランド王国にもいるもんだな。そりゃあ確かに問題だな。だがお前、人を喰うってのは嘘だろ」
「嘘じゃない。お前を殺して喰うつもりだった」
それはアズノアの精一杯の虚勢だった。しかしあっさりブレンダンに見破られる。
「嘘だな。人を喰ってる喰人鬼が、そんなに空腹なわけがねぇ。喰ってねぇから飢えに耐えかねて俺を襲ったんだろうが」
「どっちでもいいだろ」
「いや。無辜の人を殺して喰うやつなら、放置できねぇ。まだガキだがお前はこの場で殺す。
だがそこまで落ちぶれちゃいないってんなら、アズノア。お前、俺と来い。お前には俺の持つ技のすべてを受け継いでもらう」
ブレンダンは動けないアズノアをそのまま担いでいく。
こうしてアズノアはブレンダンに拾われた。
ブレンダンはペルクスポートを拠点に用心棒をしていた。ブレンダンはあらゆる武芸に通じていた。
ブレンダンはアズノアにあらゆる技を教えた。剣、槍、斧、弓、賦活術に魔法術、狩りの仕方から用心棒としての生き方まで、全て。唯一神聖術だけは授からず覚えられなかったが、その他のすべてをアズノアはブレンダンに習った。
きちんとした狩りができるようになり、魔獣の肉が手に入るようになってからは飢えで死ぬ心配はなくなった。
アズノアは喰人鬼であることを徹底して隠した。元々の膂力が人間族より遥かに強いことも、普通の食事から栄養が取れないことも、全て。
それが露見すればこれまで親しくしていた相手も手のひらを返すことをよく知っていたからだ。
ブレンダンの教えはそれに役立った。
「人を愛してはいけない――俺達はそれを守れない
友人をつくってはいけない――俺達は片腕で己を守り
恋人をつくってはいけない――俺達は片腕で依頼主を守る
大切なひとをつくってはいけない――きっとそれは枷となって、俺達を滅ぼすだろう」
用心棒は不安定な職業だ。自分のことで精一杯で、誰か他の人間を抱え込むほどの余裕はない。利害ではかれない関係、損切できない関係を抱え込んでしまえば、その重みに耐えかねて破滅する。そういう教えだ。
もっとも、ブレンダンはいつも決まってこう続ける。
「まあ俺には腕が四本あるから、もう少しだけ多く守れるがな!」
いずれにせよ、人と深い関わりを避ける生き方は、アズノア自身が喰人鬼であることを隠すのにも役に立った。
アズノアが十六歳のころ、ブレンダンは死んだ。
アズノアが仕事で大怪我をし、その街にはそれを治せる神聖術を使える神官がいなかった。だからブレンダンは大きな隣町まで神官を呼びに行った。その途中で、山賊に襲われて致命傷を負った。どうにか隣町までたどり着いたが、そこで息絶えたとアズノアは聞かされている。
ブレンダンは本来なら、山賊がいくら束になってかかろうともまともに傷をつけられるような相手ではなかった。だが事実としてそのときは、山賊に襲われて深手を負った。
アズノアは隣町の神官に助けられ命を繋いだが、一人になった。
以来アズノアは一人で生き続けた。一人でなければならなかった。ペルクスポートで構築した人間関係も、自分が喰人鬼であることを隠し続けているから成り立つものでしかなかった。「少食である」と嘘をつき、人目を盗んで魔獣を狩り、その肉を食べた。隠れて行う狩りでは十分な量を確保できなかったから、いつも空腹だった。
用心棒として名が売れ、安定した生活ができるようになっても、そうして金貨がいくら溜まっても、腹は満たされたなかった。
常に空腹に苛まれながら、アズノアは自分の正体を隠し続ける綱渡りを続けた。
人と関わりたくなかった。人と関わるわけにはいかなかった。人と関わらないのが一番良かった。
……人と関わるのが、怖かった。人と関わらないことでしか、生きられなかった。
そしてアズノア・マギリヴラはリェーナ・クリスタノアと出会った。




