§1.13. 破滅
さらに数日。アズノアは何事もなかったかのように振る舞い、リェーナの訓練は続いていた。
場所は相変わらず人気のない入り江だ。
「物に魔力を通して賦活するのにもだいぶ慣れてきたように見える」
「はい、どうにか。でも自分の体と同時、に賦活するの、まだ難しい、です」
リェーナは足元の小石を拾っては目標の岩に向けて投げる。それは身体の賦活が不足して岩まで届かなかったり、逆に小石の方の賦活が不足して岩にあたって小石の側が砕けてしまったりする。時折暴投し、あらぬ方向に石が飛んでいってしまうこともある。
「お前は覚えが早い。もうあとは練習を重ねるだけだ」
「ありがと、ございます」
「少し、休んでいい。話をする」
「わかり、ました」
アズノアは手頃な何度も訪れるうちに定位置になった岩に腰掛ける。リェーナもまた、定位置であるその正面の岩に腰掛ける。
「“固有能力”というものについて話をする。固有能力とは端的に言うと、『モノが持っている、本来の構造とはかけ離れた構造』のことだ」
「え、と」
「詳しく説明する。
例えばナイフは『切る』ものだ。だが稀に、そうしたナイフが持つべき構造とは異なる構造を持っていることがある。こうした構造を固有能力という。わかりやすいもので言うと『火が灯る』であったり、『光る』であったりする」
「光る、ですか? ナイフが」
「そうだ。ナイフではないが、私のこれも固有能力を含んでいる」
そう言ってアズノアはいつも左手にだけつけている板金で覆われたガントレットリェーナに見せる。
「その一つはまさしく『強く光る』だ」
アズノアがそう言うと、ガントレットから一瞬だけ強い光が放たる。近くで放たれた光にリェーナは軽く目がくらみ、慌てて手で目を覆う。
「こんなふうに、近づいて使えばちょっとした目くらましになる」
「確かに、光り、ました……」
リェーナは目をパチパチとしばたかせながら返事する。
「こういう風にモノの本来の機能とは異なる構造を、固有能力という。
それと、固有能力を持つのは道具だけじゃない。人の体が固有能力を持つこともある。多いのは瞳、脳、心臓のどこかだな」
「人、も?」
「そうだ。
誰もが持ってるわけじゃないが、私は脳に固有能力を持っている。『方向を見失わない』だ。森の中を歩く時や、前に見せたように“魔法の糸”で上下左右にあちこち飛び回る時に役に立つ」
「あの。そういうの、簡単に話していい、ですか?」
「私のは知られて困るものじゃないし、隠してるわけじゃないから付き合いの長いやつには結構知られている。逆に私も、例えばヴァイクスなんかの固有能力を知ってる。
ヴァイクスの固有能力は強い。『自身への害意を感知する』だったはずだ。不意打ちが効かないから、あいつが索敵に回るだけでかなり楽になる」
「私にもある、ですかね?」
リェーナは自分の両手を裏表させながらしげしげと見つめる。何かが起こることを期待しているようだが、見つめていても突然光りだしたりはしない。
「わからん。魔力操作で体のすみずみまで意識できるようになれば、どこかに見慣れない構造が見つかるかもしれない。もし見つけたらそれが固有能力だ。
……そうだな。実際に触ったほうがわかりやすいだろう。これをお前にやる」
アズノアはそう言うと、腰に差していたナイフを鞘ごと引き抜いてリェーナに渡す。
リェーナは驚きながら両手でそれを受け取る。
「え。これ、アズノア様、いつも使ってるもの、ですよね?」
「いい。ナイフ自体は予備がある。
そのナイフは私が賦活術を習っている時に養父からもらったものだ。少し大きいかもしれないが、慣れれば使いやすい。クラフトポリスの名工、ハインツ・ゼルナー作」
「つまり大事なもの、ですよね?」
リェーナは両手でそっと包むようにナイフを持っている。
「構わない。お前が持っていろ」
「ありがと、ございます」
リェーナはギュッと大切にナイフを握り締める。
事実、アズノアにとっても大切なものだった。アズノアが養父から初めてもらったものであり、最も長く愛用していた装備でもあった。
「話は終わりだ。練習に戻っていい」
「わかりまし、た」
リェーナは「石投げ」の練習に戻る。
小石を拾っては投げ、拾っては投げを繰り返すうちに今日も日が傾いてくる。日が落ちると城門が閉まり、街から閉め出されてしまうので、アズノアとリェーナはペルクスポートへと急ぐ。
ペルクスポートへと戻る道で遠くに暗雲が立ち込めているのが見えた。どんよりと空が曇りだすが、幸いにして降り出すより前に城門にたどり着くことができた。
家に帰ると、アズノアの家の前に数人の男たちがたむろしていた。
彼らはアズノアとリェーナを見つけると近づいてくる。
「そいつを連れてるってことは、あんたがアズノア・マギリヴラで間違いねぇな?」
男の一人が「そいつ」と言いながら指差したのはリェーナだ。一方リェーナは、男の顔に見覚えがあるのか、元々白い肌からさらに血の気が引いて真っ青になっている。
「なんだ、お前ら」
アズノアはリェーナを後ろにかばいつつ誰何する。それと同時に背負った中巻剣に手をかける。
「あー待て待て、俺たちはあんたと争うつもりはねぇ。“錆び鎖商会”っつってわかるか?」
その場のリーダー格らしい猫獣族の男が媚びるような笑みを浮かべながら慌てて手のひらを見せながらアズノアの問いに答える。
「“錆び鎖”……?」
アズノアは首をかしげる。両手剣の柄には手をかけたままだ。
男はアズノアをなだめるような口調で続ける。
「去年の暮れごろ、あんたに護衛を依頼した男がいただろう。豚獣族の男で、そこの雪華族の子供を連れてた。俺たちはその同僚だ」
「確かにいたな。それでその同僚が何の用だ」
「遅まきながら同僚が死んだって聞いたもんでな。その子供を引き取りに来た」
男はチラリとリェーナの方に目をやる。リェーナは体を強張らせながらアズノアの後ろに隠れる。
アズノアがため息をつきながら言う。
「ハッキリ言ったらどうだ、商品であるリェーナを取り返しに来たと」
「一応そういう建前なんだよ。まあわかってるなら話が早くていい」
男の顔から笑みが消える。
「雪華族は金になる。悪いが返してくれ。もちろんタダでとは言わねぇ。こいつは迷惑料だ、確認してくれ」
男が小さな袋に入った硬貨を投げてよこす。アズノアはそれをキャッチすると、剣から手を離して中身を確認する。中には十枚程度の小金貨が入っていた。
アズノアはそれを見て顔をしかめる。
「随分な額だな、たかだか子供一人に」
「そんだけ迷惑かけたっていう、俺達の気持ちだ。それに“中巻剣”のマギリヴラとことを荒立てたくねぇ。受け取ってくれ」
アズノアにとってこの展開は、リェーナを拾った時に想定していたもののうちの一つだ。
想定していたものの中ではかなり楽な部類に入る。リェーナの行き先の面倒を見なくて良くなる。奴隷商たちが力づくで奪いに来なかったのもよかった。トラブルはごめんだった。
「リェーナ、最初から言ってあったな。私はお前を守らないと」
その言葉にビクリとリェーナは身を震わせる。リェーナは言葉を返せない。それはまるで、出会ったばかりの頃に戻ってしまったかのように。
アズノアは自分に言い聞かせる。
想定通りだ。こうなった時に引き渡しに面倒がないように、わざわざリェーナを自分の手元においていた。
だからアズノアは数ヶ月少女を世話した代わりに臨時収入を得て、それでこの話は終わりだ。
だからアズノアは少女の腕を掴み、奴隷商に引き渡せばいい。
だからこんなにも怯えてる少女を、アズノアがこれまでしてきたのと同じように、利害で切り捨てればよくて――
「だから、答えは『NO』だ」
――間違っても、そんなことを口にするつもりでも、近づいてきた奴隷商を力いっぱい殴り飛ばすつもりでもなかったのに。
アズノアの中でリェーナを大切に思う気持ちは、もう押し隠すことが出来なかった。今更リェーナを見捨てるなんて、できるはずもなかった。たとえそれが、これまでの自分の生き方に反するものだと頭でわかっていても。
アズノアの渾身の拳を受けた奴隷商が地面に叩き伏せられ、数マーメル転がって気を失う。アズノアはそれに向けて金貨の袋を投げ捨てる。
「クソッ、話が違うじゃねぇか! おい、ヴォルフ!」
残る男のうちの一人がそう叫ぶと、路地裏からこれまで隠れていた男が姿を表す。黒い毛で全身を覆われた大柄な犬獣族。丸盾と曲刀を持った傭兵。“切り裂き魔”ヴォルフ・ヴァイクス。
ヴォルフはすでに剣を抜いている。
「意外だったぜ、マギリヴラ。お前がそのガキかばうとはなァ」
剣を軽く肩に担ぎながら、ヴォルフは冷めた目でアズノアを見る。
「ヴァイクス。そっちにいるってことは、“錆び鎖商会”とやらに雇われてるということでいいのか」
「そういうこったなァ。古い知り合いでな。最近は請けてなかったんだが、前に雇ってたやつが死んじまったらしくてな。久々に雇われたってわけよ。
悪いがそこのガキは力づくでもらってくぜ」
「こんな街中でやるつもりか? 騎士が飛んでくるぞ」
アズノアは背負った中巻剣を抜く。
「そんな時間はかけねェよ。かかったとして、この街にいるような騎士の一人や二人来たところで俺様やお前が止められるかよ」
「仕方ないか。リェーナ、走れ!」
アズノアが叫ぶと、リェーナは一目散に駆け出していく。
「マギリヴラは俺がやる。お前らはガキを追え! 俺もすぐに行く、見失うなよ!」
そして奴隷商たちがそれを追う。
アズノアが両手剣を振るってそれを制そうとするが、すばやく距離を詰めたヴォルフが盾で割って入って妨げる。
「ヴァイクス!」
アズノアは盾で止められた反動を使う形でヴォルフから距離をとる。そのまま大きく距離を取り、“魔法の糸”を周囲の家々の壁に渡して足場を作るつもりだった。
しかしアズノアの手札を知っているヴォルフはそれを許さない。距離をとるアズノアに対してヴォルフは鋭く距離を詰めてくる。
「いつかこういう風にお前と戦う機会もあるかもしれないと思って昔から考えてた。俺とお前が戦ったらどうなるか、ってなァ」
アズノアが振るう横薙ぎを、ヴォルフは盾で受け流し、くぐり抜けて近づき、曲刀を振るう。アズノアは後ろにさがりつつそれを躱す。
「“糸”を使ったお前の空中機動は大したもんだ。あれは俺にはできねェ」
アズノアは壁際に押し込まれるが、ヴォルフの一閃を躱すため構わず壁に向かって飛ぶ。そのまま壁を蹴ってヴォルフの頭上を飛び越し、位置を入れ替える。
しかしヴォルフはその動きを予期していた。すぐに小さく反転し、アズノアが壁を蹴った大きな跳躍から着地する瞬間に合わせて剣を振るう。
アズノアは躱しきれず、剣で受け流す。ヴォルフの剣も流れるが、アズノアのガードも空く。ヴォルフは左手の盾を振るって、その脇腹に殴打を叩き込む。アズノアの体勢が崩れる。距離を詰め、ヴォルフが曲刀のナックルガードでアズノアを殴りつける。距離を詰め切られたアズノアは中巻剣を取り回せない。
そこからは一方的だった。距離を詰められたアズノアはヴォルフの攻撃を捌ききれず、押されているために距離をとることも許されない。一撃、一撃と攻撃が入り、ついにはアズノアは地面に叩き伏せられる。
「お前は強い。だが俺様がお前より弱いとも思わねえ」
ヴォルフはアズノアの後頭部に蹴りを落とす。
「同じ街のよしみだ、命まではとらねぇ。あのガキのことは諦めろ。お前はこれまでもそうやって生きてきただろ」
降り出した雨が、アズノアの体を濡らしていく。
暗く冷たい視界の中、意識が遠のいていく。
暗く、狭く。冷たく、深く……。
アズノアは、リェーナ・クリスタノアを切り捨てられなかった。
それはアズノアがこれまで守り続けてきた養父の教えと、これまでの自分の生き方を裏切る行為だった。それはアズノアにとって唯一の、生きていく指標だった。
だからきっと、アズノアはもうこの時点で破滅していた。
次に意識を取り戻した時、アズノアは見慣れない天井を見ていた。痛む体を起こすと、そこは“逆さ剣”亭だった。暖炉のそばの席で横になっていたらしい。周囲には数人の客。起き上がったアズノアを見て近くの客が一時会話をやめるが、すぐにまた元の騒々しさをとりもどす。
起き上がったアズノアを見ると、ドワーフの亭主が湯気の立つ木のカップを持ってくる。ホットワインだ。
「飲め。体が冷えとる」
アズノアがそれを受け取りながら尋ねる。
「私はどのくらい気を失っていた」
「儂が見つけてからは、一時間程。だが見つけた時点で随分濡れてたから、もっと長い間だろう」
「そうか。すまない、世話になった」
アズノアはホットワインを一息に飲み干し、立ち上がる。脇に置かれていた両手剣を背負う。すぐに出ていこうとする。
「そういえばアズノア、お前、家でもろくに食事をとらないというのは本当か」
「なぜそんなことを訊く」
アズノアはピタリと動きを止める。
「リェーナからそう聞いたもんで、気になってな」
リェーナ。その名を聞くと、ギュッと胃が締め付けられた。
「そうか」
「それとだなアズノア、前に知り合いの猟師が、お前が魔獣を捌いてるのを見たという」
アズノアは体を強張らせる。
体が冷たい。雨に濡れたせいだけではない。
亭主は続ける。
「お前がいつも食ってる干し肉、ありゃもしかして魔獣の肉か?」
アズノアはサーッと血の気が引いていくのを感じる。木のカップを握ったままの手にギュッと力が入る。そうでもしないと手の震えで取り落してしまいそうだった。
「魔獣は人の成り損ないだ。普通の人間はそれを食わん。食うとしたら人を食う種族だけだ。
アズノア、まさかとは思うが、お前は人間じゃなくて……喰人鬼なのか?」
そう問われ、アズノアは後ずさる。下がる足で椅子を蹴飛ばしてしまい、大きな音を立てる。
大きな音に驚き、酒場の会話が止まる。“逆さ剣”亭が一瞬の静寂に包まれ、アズノアに視線が集まる。
アズノアは蹴飛ばした椅子につまずき、転びそうになる。足元がおぼつかない。視界が暗く狭く、ぐらりと地面が回るようだ。まだ冬の寒さは厳しく、体は確かに震えているというのに背中にかいた汗でベッタリとシャツが張り付いていた。
「私、私は……」
アズノアの視線があちらこちらに彷徨う。出口に目が留まり、何もかもを省みず一目散に駆け出す。
「おい、待てアズノア!」
亭主の怒号がその背中を追うが、アズノアは夜の街に消えていく。
事実、アズノア・マギリヴラは人間ではない。
アズノア・マギリヴラは、人を食らって生きる忌み嫌われる種族、喰人鬼だった。




