§1.11. リェーナの一日
ここ一ヶ月ほどの日課通り、日が暮れるまで街の外で賦活術の練習をした後、街に戻って食事をとる。場所はいつもどおり、“逆さ剣”亭だ。
リェーナはごった煮のスープと丸パンの他に、粗挽きハンバーグを食べていた。運動したときちんと食べないと体力はつかないというアズノアの方針だ。一方でアズノアはエールをあおりながら軽くナッツをつまむだけだ。
そうして食事をしていると、ペルクスポートの領主、兎獣族のアラン・フィッツロイが現れる。
「やっと見つけたよ、アズノア」
アランはやれやれといった様子でアズノアの隣に腰掛ける。
「フィッツロイ。私になにか用だったか」
「ああ。ここ数日、君を探していたんだが見つからなくてね。今はペルクスポートにいるという話は聞いてたんだが。どこにいたんだい?」
アランは亭主にスープと丸パン、それにサラダを注文する。
「街の外でリェーナを鍛えていた」
アズノアはナッツを指先で弄びながら答える。そんなアズノアを見てアランはニヤッと笑う。
「なんだ、結局君が自分で育てることにしたのかい?」
「そんなつもりはない。基礎だけだ。いざというとき走って逃げられて損はない」
アランの反応にめんどくさそうに顔をしかめながらアズノアは答える。
「ふぅん、基礎だけね。リェーナ、アズノアからはどんなことを?」
リェーナはもきゅもきゅと齧ってた丸パンを落ち着いて飲み込んでから答える。
「えと、魔力を感じられるようになることと、それを操れるようになること。自分の体の賦活も、習いました。『石投げ』ができるように、今は自分以外の物の賦活、練習してます」
「アズノアは厳しくないかい? ちゃんと分かるように教えているかい?」
「アズノア様、優しいです。良くしてもらって、ます」
「そうか。それは何よりだ。アズノアはなかなか人を寄せ付けなくてね。僕も長いことすげなくされてるんだ。仲良くしてやってくれ」
アランはニコリとリェーナに笑いかける。そんなアランを遮るように、いつも以上にぶっきらぼうにアズノアが言う。
「フィッツロイ。仕事の話で来たんだろう」
「なんだ、照れてるのか? 仕事以外でたまに友人を訪ねてきちゃいけないかい?」
「私はお前の友人じゃない。それに用があって訪ねてきたと言ったのはお前だ」
アズノアをからかっていたアランは真剣な顔に戻る。
「まあそうだね。突然で悪いんだが、明日時間が取れるなら仕事を頼みたい。もう少し早く頼むつもりだったんだけど、なかなか君がつかまらなくてね」
「問題ない。内容は?」
「魔獣討伐。前にソーンダースの森の掃討をしてからしばらく経つからね。被害が出る前にそろそろ一度キレイにしておきたい」
ソーンダースの森というのは、ペルクスポートの北東にある大きめの森だ。大きいため、深くまで入れば魔獣も生息している。
「私は構わないが、大物でも出たか」
「未確認だが、白牙大蛇を目撃したという話がある」
「流石に見間違いだろう? そこまで深い森じゃないし、いるならいるで被害も出るはずだ」
「僕もそう思うけどね。けど軽率で部下の命を危険に晒したくはない。君がいれば安心できる」
「そうか。それで、いくら出す?」
「ウィンスレット銀貨で五枚。白牙大蛇かそれに類する魔物が本当にいたら、追加でもう十枚」
「まあそんなところか。いいだろう、受けよう。明日の夜明けにあわせて城門でいいか」
「ああ、それでいい。それじゃあまた明日」
アランとアズノアの付き合いはそこそこ長い。仕事のやりとりも何度もしてきた。話はスムーズにまとまる。
アランは料理を食べ終えると、少し多めに代金をおいて帰る。
「リェーナ」
アズノアはリェーナの方に目をやる。
「はい」
「そういうわけだから、私は明日は留守にする。大丈夫か」
「大丈夫、です」
「いい機会だ、留守番するだけじゃなくて、一人で街を歩いてみろ。この一ヶ月でなにがどこにあるかは覚えただろ」
そう言って、アズノアは四半銀貨を二、三枚リェーナに渡す。
「昼飯代、それと余るだろうから好きなものでも買ってみろ」
「えっ」
「街からは出るな。何かあったら賦活術使って、神殿まで走って逃げろ。そこらのゴロツキが相手なら、逃げるだけならできるはずだ」
何かあったら、という話にリェーナはゴクリとつばを飲む。
「わかり、ました」
「やってみろ。何事もないに越したことはないが」
話は終わり、リェーナが食べ終わるのを待って“逆さ剣”亭を後にする。
翌日。夜明け前にアズノアは起床する。リェーナも一緒に起きて、朝食として丸パンを食べる。
着替えて武具を手早く身につけると、アズノアは干し肉をくわえながらさっさと出ていく。
「行ってくる」
「行って、らっしゃい」
リェーナはパンを食べ終えると、日が昇るまでの間、魔力操作の練習をする。両手を合わせて、ぐるぐると自分の魔力を循環させるのだ。
最初はアズノアに補助してもらわなければできなかったこれも、リェーナは今はもうすんなりとできるようになっていた。
ぐるぐる、ぐるぐる。右回りに、左回りに。それができたら手を離して、体の内側だけで循環を行う。胸から右腕、指先を通って、胸に戻る。
ぐるぐる、ぐるぐる。左手、指先、ぐるぐる、ぐるぐる。右足、指先、ぐるぐる、ぐるぐる。左足、指先、ぐるぐる、ぐるぐる。
最終的には全身で魔力を循環させるのだが、このくらいまでいくとリェーナはまだぎこちない。うまくいかなかったら、また右手、左手と部分ごとに少しずつ練習を重ねていく。
ぐるぐる、ぐるぐる。魔力操作に没頭している内に、日が差してくる。
リェーナは随分魔力操作ができるようになってきた。もう魔力を回してる内に目も一緒に回してしまうこともない。
リェーナは運動用の服を着ると、街に出る。大きな道に沿って街の中をゆっくり大きく二周、走る。この一ヶ月、毎朝アズノアと走っているルートだ。最初は一周走り続けることもできなかったが、毎日走っている内に次第に体力がついてきて、今では二周走ることができる。
ランニングを終えて家に戻り、普段着に着替える。初めてアズノアに街に連れ出された時にケンドリック衣装店で買ってもらった服だ。丈夫だが可愛らしくて、リェーナはとても気に入っている。
汗で湿った運動着とアズノアの服を持って、家の裏手の井戸に行く。
「おはよ、ございます」
そこにいる数人の主婦に混じって洗濯をする。彼女らは口々にリェーナに挨拶を返してくれる。リェーナの顔もだいぶここらの住人に覚えられてきた。
井戸の水は冷たく、この時期にはつらいもので、主婦たちはみな時折手を擦りながら作業していた。しかしリェーナには気にならない。リェーナは雪華族だ。雪華族は元々、夏でも雪が溶けない山で暮らす種族。寒さには強い。むしろ冬の井戸水のひんやりとした感触が心地よい。
リェーナは母が雪華族であり、父が猫獣族だ。異なる種族から産まれた子は、両親どちらかの種族として生まれる。リェーナの場合は母の側の種族を受け継いだため、雪華族である。そのため、外見や体質の大部分は雪華族のそれである。
しかしハーフに時折見られるように、種族を受け継がなかったもう片親の種族特徴も混ざり合うようにいくつか受け継いでいる。リェーナの場合、瞳は父に似ていると言われたことを覚えている。雪華族の瞳は青白いが、リェーナの瞳は黄金だ。それに、明るいところに出ると瞳孔が縦にすぼまる。特徴的な猫獣族の瞳だ。
洗濯物を干してから、リェーナは街に出る。お昼までまだ時間があったので、リェーナは定期市を見て回る。
リェーナがそれなりに見える身なりをしているので、市を眺めていても追い払われることはない。これがアズノアに拾われたときの、奴隷商から与えられた衣服のままだったら話は違っただろう、とリェーナは思う。
そうこうしているうちに昼になり、リェーナは何度かアズノアに連れられて入った食堂に入る。店主の方もリェーナの顔を覚えており、今日は一人であることにわずかに怪訝そうな顔をしながらも、リェーナの注文に従ってスープと丸パンを出してくれる。
冷ましながら少しずつゆっくり食べて、いつもアズノアがしているようにお代を払い、店を出る。自分でお金を払うと、少し大人になった気がした。
「ごちそう、さまでした」
食事を終えて、リェーナは神殿に向かう。
「こん、にち、は」
「あら、リェーナさん! いらっしゃい、今日は一人ですか?」
ペコリと頭を下げながらリェーナが神殿に入ると、神官のエイダが気づいて嬉しそうに駆け寄ってくる。
「はい。アズノア様、フィッツロイ様からの仕事で魔獣狩り、です」
「なるほど、魔獣ですか。それなら今日は魔獣の話でもしましょうか」
エイダはいつもどおり神殿の長椅子に腰掛け、リェーナに隣を勧める。リェーナも慣れた様子で隣に座る。
「魔獣の、話?」
「はい。ときに魔獣の母とも呼ばれる、夜の神イヴリスフィールの話です。いいですか?」
「はい」
エイダは一転して真剣な表情になると、澄んだ声で語り始める。
「――月の神もまた、他の神々のように人を為そうとした。
月の神は最初に、獣に魂を与えた。
それは人とならず、人に牙を立てるモノとなった。
月の神はそれならばと、植物に魂を与えた。
それは人とならず、人を絞め殺すモノとなった。
月の神は諦めず、石に、水に、風に魂を与えた。
それらは人とならず、人に害なすモノとなった。
――神産みの母は、神を産めども人を造れなかった」
リェーナもまた、膝に手をおいて真剣にエイダの話を聞いている。
「わかりますか。つまり魔物とは、イヴリスフィールが人を造ろうとして失敗した結果できてしまったモノなのです。平たく言えば、人の成り損ないが、魔物です。特に獣から造られた魔物を、魔獣といいます」
「人の、成り損ない」
リェーナはブルッと身を震わせる。
「はい。ムルテアが獣から造り出した人を獣人族といいますが、イヴリスフィールはそれができなかった。これが魔物の起こりとされています」
エイダはそう言って話を締めくくる。リェーナはそれをしっかりと頭に入れた後、おずおずとエイダに切り出す。
「あの、エイダ様。私、どの神様を信仰するか、まだ決まら、なくて」
「そうですね。祈りを捧げる神には合う、合わないがあります。自分の性格や嗜好に合わない神を信仰しても、生きづらくなってしまいます。仰ぐ神を決めるためにはまず、自分自身を正しく知ることです。
リェーナさんは、何が好きですか?」
エイダは優しくほほえみながらリェーナに問いかける。
リェーナは小さな眉にシワを寄せ、むむむ、と唸る。
「好きなこと、わからない、です。
でも今、アズノア様と暮らしているのは楽しい、です」
「そうですか。リェーナさん、前よりも笑うようになりましたね」
「えと、そう、ですか」
リェーナは戸惑って首をかしげる。
「はい。初めて会った時はもっと、周り全てを怖がっているみたいでした」
「そう、かもしれない、です。アズノア様、優しい、です」
「驚くという意味では、アズノアさんの方が驚きましたけどね。あの方、なかなか他の人を寄せ付けないですから。リェーナさんを預かってると聞いた時、実はすごく驚いてました」
リェーナはそのあともエイダからいくつかの話を聞き、しばらくして神殿を後にする。
日が暮れるまでまだもう少し時間がある。リェーナは帰る前に、“逆さ剣”亭に寄っていくことにした。




