アイドルは異世界の女悪魔の話⑩
「――んにゃっ?!」
若旦那は突然、自分の意識が鮮明になったことを自覚すると、目をパチクリさせてキョロキョロと辺りを見回した。
「お、おお俺はまた洗脳されていたのか?! ていうか、あろうことかレフィリア殿に武器を向けてたってえのか?!!」
エリジェーヌに操られて戦わされていたことを思い出し、若旦那は慌ててレフィリアの方へ向き直る。
「良かった! ちょっと不安でしたが、みんな正気に戻ったんですね!」
「うおおお! 本当にすまねえ! こんなの、詫びても詫びきれねえよ!」
「もう、気にしないでくださいよ!」
若旦那だけでなく、ルヴィスとサフィアも元に戻ったようで、ルヴィスは目頭を押さえながらも謝罪の言葉を述べた。
「すまないレフィリア。俺たちまで君に攻撃してしまっていたとは」
「レフィリアさん、本当にごめんなさい。私、なんて謝ったらいいか――」
「だから気にしないでくださいって」
レフィリアたちがそんな会話をしている間、会場内も一気にざわめき出す。
なんと闇の神殿内に集まっていたライブの参加者たち全員が洗脳から解き放たれたのだ。
「わ、私ってば今まで何を……」
「つーか、ここ何処?」
「ワシ、何でこんな所にいるんじゃっけ?」
「まるで長い夢を見ていたかのようだ……」
「くそっ! こんな戯けた歌に俺はずっと惚れ込んでいたってのかよ! いや、歌自体は上手かったけどさ!」
「俺、嫁も子供も見捨てて一体何をしてたっていうんだ……チクショウ!」
サンブルクの住民たちは今まで自分たちがしてきたこと、されてきたことを思い出し、それぞれが狼狽えながらありったけの感情を言葉として口にする。
その光景を尻目に、レフィリアは倒れている賢者妹を抱きかかえると、急いでサフィアへ声をかえた。
「サフィアさん! 彼女、心臓が止まっているのですが、何とかなりませんか?」
「えっ?! ――わ、分かりました。治癒魔法で蘇生を試みます」
サフィアが賢者妹をレフィリアから速やかに預かり、ルヴィスと若旦那が護衛として二人の前に立つ。
――それはそうと、先ほどまで対峙していたエリジェーヌが何故か一向に攻撃も妨害もしてこない。
もちろん、レフィリアはエリジェーヌへの警戒もまったく解いていない。
レフィリアの視線の先、なんとエリジェーヌは蹲って、呻きながら両目を手で押さえていた。
「うう……目、目がァ……ッ!」
まるで滅びの言葉を受けたどこかの軍人のように、エリジェーヌは苦しそうに悶えている。
――《ディスペルライト》。
レフィリアが今回の戦闘で会得した、新たな術技。
彼女が有する、害的な攻撃に対しての抵抗力を反転させて、瞬間的に外部へ拡散、放出させるというもの。
平たく言えば、レフィリアの光剣が放つ閃光を浴びた、もしくは視た者は全員“あらゆる状態異常や能力の弱体化といったデバフが解除される”といった効果である。
そして本来、この技は光を放つだけで直接ダメージを与えるような攻撃技ではないが、一つだけ例外がある。
それはこの光が“聖光”であり、高すぎる魔性や禍々しい魔力を持つものに対しては、毒となってしまうのだ。
今回、元々尋常じゃないほど高い魔性を持っているエリジェーヌが、膨大な魔力を瞳に巡らせて能力を使おうとした状態で、すぐ至近距離から聖なる光を直視してしまった。
――つまり、エリジェーヌの眼は灼かれてしまったのである。
「よくも……よくもやってくれたなッ!」
エリジェーヌは眼球の激しい痛みに堪えながらもハルバードを構え、レフィリアに向かって突撃してくる。
「みんな下がって!」
しかしレフィリアは咄嗟に前へ出ると、的確にエリジェーヌの攻撃を受け止めて彼女からの攻撃を弾き返した。
「ちいッ……!」
「二人はサフィアの護衛に専念してください! ここは私が!」
「ああ、こっちは任せろ!」
「頼むぜ、レフィリア殿!」
体勢を立て直したエリジェーヌから、再度レフィリアに向けて攻撃の手が飛んでくる。
だが――
「はああッ――!」
「くそっ……!」
眼もろくに見えておらず、感覚のみで迫って来るエリジェーヌの動きは、速くはあるものの精度が落ちて何とか対処が出来る。
それに腕への負傷の影響でハルバードを振り回す力が落ちており、武器を打ち付け合ってもレフィリアの方が上回るようになってきたのだ。
「ふっざけるなァ……ッ!」
視覚をほとんど奪ってもレフィリアの位置をきちんと捉えて攻撃してくるところは流石、六魔将と驚嘆に値するところだが、それでもそのちょっとした能力の低下がこの場では致命的となる。
レフィリアはタイミングを見計らって単調化したエリジェーヌの攻撃を避けると同時に、カウンターの振り抜きでエリジェーヌの片腕を手首から斬り落とした。
「あ゛あ゛あ゛ァッ……!!」
溢れ出る鮮血を伴って、真っ赤に染まったか細い手首がぺとりと床に転げ落ちる。
エリジェーヌはもう片方の腕に力を込めて何とかハルバードまで落とさずには済んだものの、反撃には出られず慌てて後方へと大きく飛び退いた。
「いいぞ、レフィリア!」
「このまま畳みかけろ!」
ルヴィスと若旦那からの声援を背に、レフィリアは勝負を決めるために狙いを定める。
加えて正気を取り戻したサンブルクの住民たちも、戦っているレフィリアの姿を目にして応援をし始めた。
「聖騎士様、頑張れええええ!!」
「さっきは罵ってすまなかった! どうか、その悪魔をやっつけてくれぇ!」
「うおおおおおッ! 聖騎士様あああああッ!」
一気に形勢逆転され、場の空気や流れも完全にレフィリアの方へ向いてしまった。
ここにきてエリジェーヌはこの異世界で初めての焦燥と恐怖を身に覚える。
またもや自分の油断から招いてしまった手痛い失敗だ。それもカリストロスやゲドウィンのように、飛び道具や魔法が効かなかったなんて尤もらしい言い訳なんか立ちはしない。
だが、焦ったり苛ついている場合ではない。
ここからレフィリアに対して仕留めるどころか手傷を負わせるのも絶望的な危機的状況。
ならば撤退に専念しなければならないが、ここで行動の選択肢をしくじればそれこそ彼女の命運が尽きる時である。
なりふり構っている場合ではない。
そう決断したエリジェーヌは、即座に背中から悪魔の翼を広げると、一気に上空へと飛び上がった。
「アイツ、逃げるつもりか?!」
「逃がさない!」
レフィリアもエリジェーヌを打ち落とそうと、光剣を構え彼女目掛けて跳躍しようとする。
しかし、天井を破壊して逃げようとするでもなく、あくまで会場内の空中で制止しているエリジェーヌの様子は何かおかしかった。
「みんな、私を視ろ! 私の声を聞けえええええッ!」
エリジェーヌが会場全体に響き渡る魔力の籠った声で叫ぶとともに、何か身の毛もよだつほど恐ろしい波動のようなものが急速に広がっていった。
『――ドミネーション・アイズ!!』
その瞬間、レフィリア以外の会場にいた全員が、背骨の中に氷水を流し込まれたかのような、強い戦慄と恐怖、不快感を感じ取った。
エリジェーヌの叫び声にふと彼女を見上げてしまった者たちは、視覚だけでなく身体中全ての感覚で、名状しがたい何か悍ましいものを認知してしまう。
そして――
会場内にいた観客たちが全員発狂しだし、一斉に殺し合いを始めた。