次の異変と異世界の住民達の話③
「ようし、今日もエリジェーヌ様の為に頑張るぞい」
「あー、早くエリジェーヌ様の歌声が聞きたいんじゃあー」
「待ちきれねえなあ、とっとと週末になんねえかなあ」
サンブルクの住民たちは老若男女関係なく、そして誰から強制される訳でもなく、自ら魔王軍のために精一杯働き始めた。
魔王軍が使う武器や防具の生産、鉱物資源の採掘や建築資材の伐採、その他衣服や羊皮紙といった革製品などの加工や土木工事など、とにかく都市内の工房をはじめとした全施設をフル稼働させて馬車馬のように働かされ続けた。
しかしどれだけ奴隷として酷使されようと不平不満を零す者は一人もいない。
皆、どこか虚ろな目をしながらも一生懸命に労働へ勤しんでいる。
その理由はたった一つ。
月に一度か二度、闇の神殿で開かれるエリジェーヌのライブを住民全員が楽しみにしているからだ。
「俺、《冷酷な悪魔のテーゼ》が好きなんだよなぁー」
「オイラは《粋!戦国歌舞伎団》だな。つい口ずさみたくなるんだわ」
「私は《アメ雨フユカイ》とか《もってる!迷彩服!》とかかなぁ。エリジェーヌ様って歌って踊れるのが本当スゴイのよねぇ」
労働の結果に応じて、評価された住民ほど会場のより良い席に座ることが出来る。
住民たちはたった一度のライブイベントで、完全にエリジェーヌの虜になっており、自分こそがエリジェーヌに近い席で観戦するため、労働を監督する魔族に認められようと、鎬を削るよう必死になって各々が仕事に努めている。
中には厳しい労働環境に耐えられず死んでしまう者たちも出たが、サンブルクの住民たちはたとえ身内が目の前で倒れようと、まるで車に撥ねられた野生動物のようにぞんざいに扱った。
それが自分の子供や女房、旦那であろうと、使い物にならないとなれば葬儀すら開かず生ごみのように放り捨てる。
本来のサンブルクならば絶対に有りえなかった異常で非情な光景である。
――そして、金細工師を生業としていたハーフドワーフの若旦那もまた、他の者たちと同じくエリジェーヌの為に働いていた。
本業をほっぽりだして職人仲間たちと共に鉱山から魔光石と呼ばれる鉱石を掘り出し、それを加工してライブ用のサイリウムの代わりとなる、光る棒や飾りを日夜作っていた。
そんな生活を一か月ちょっと送っていたある日、若旦那は荷物の入った木箱を運んでいた途中、躓いて思いっきり地面に転んでしまった。
身体を強く地面と木箱に打ち付け、その痛みから打った箇所を押さえてうめき声を上げる。
しかし、その衝撃で若旦那はなんと――目を覚ましてしまった。
「俺は、一体何をやっていたんだ……?!」
自分の置かれている状況を一気に認識して、顔中から冷や汗を滴らせる。
「こうしちゃいられねぇ……! 皆を元に戻さねえと……!」
若旦那は妻や子供、そして子分である仕事仲間たちの所へ急ぎ、彼らを正気に戻そうと説得を始めた。
ところが、結果は出なかった。
それどころか、親しい家族や最高に仲の良かった仲間たちから全員、最低な軽蔑の眼差しと口汚い侮辱の言葉を受けた。
若旦那は自分と同じように痛みで目覚めさせようと子分の一人を殴りつけたが、どれだけ暴力を振るっても正気に戻ることはなく、それどころか今度は自分が仕事仲間からリンチを受けて徹底的に痛めつけられた。
身動きが取れなくなるくらい暴行を受けると、若旦那は街の外にある鉱山の切り立った崖まで連れていかれて、そこから勢いよく突き落とされた。
いくら人間より屈強で身体が頑丈なドワーフの血が混ざっていようと、とても耐えられる高さではない。
仕事仲間たちは崖から若旦那を落とすとろくに確認もせず、興味を失ったかのようにまた日々の仕事に戻っていった。
とにかく働いて成果を出して楽しいライブに備えなければならないのに、余計な仕事の邪魔をしやがって、と仲間だった職人たちは口々に元頭領である若旦那を罵っていた。
「――ぐっ……!」
――だが、幸いにも若旦那は死んではいなかった。
勿論、全く怪我を負わなかった訳ではなかったが、それでも九死に一生を得ただけ儲けものであった。
彼の落とされた地点にはちょうど、岩に見た目を似せて擬態する性質のある魔物、ストーンスライムが眠っていたのである。
それが衝撃を吸収するマットの役割となって、若旦那は一命を取り留めることが出来た。
更に幸いなことに、ストーンスライムは突然ぶつかってきた若旦那に襲い掛かることもなく、擬態をとくと若旦那を下ろしてその場からのそりと逃げ去ってしまった。
「なんて幸運だ……こいつぁ、神様が是が非でも俺に生きろって言ってんだな……ぬうぅ!」
若旦那は死なずに済んだことを天に感謝しながら、ゆっくりと身体を起こす。
そこで彼は上着の内側に何かを仕舞いこんでいることに気が付いた。
それは彼が本来、本職の金細工師として作っている超高級かつ超希少な装飾品、スターペンダントであった。
七色の宝石を星型に加工して作られたそのペンダントは、この世界において最上級の対魔性能を誇るアイテムの一つであり、世界的にも王家の人間など数える程の限られた人間しか持っていない、いうなれば超レアものとされる。
「そうか……こいつがあったから、俺は正気に戻れたのか……」
つまりスターペンダントを所持していたことで、自分だけ洗脳の効き目が弱かったのだ。
それならば、自分以外の仲間をいくらぶん殴っても目を覚まさないのは納得である。
しかし若旦那は暫くして戦慄を覚えた。
逆を言えば、最上級の対魔性能を持つアイテムを身に着けていても、洗脳そのものにはかかったのだ。
一体どんな魔法かは知らないが、そんな恐ろしい術を使う化け物が、自分の故郷を支配してしまっている。
「俺が生きてんのは偶然なんかじゃねえ……絶対に生き抜いてやらぁ……! みんな、いつか助け出してやっから……待っていてくれ……!」
若旦那は傷だらけの身体を引き摺って、落とされた場所から山道の方へと歩き始める。
彼が放り捨てられたのは、現在は使われなくなった旧鉱山のある地帯であった。
そこは山一つ越えた先まで地下坑道が広がっており、彼は人知れずそこを通り抜けてサンブルクを脱出したのだ。
それから遥々ブレスベルクを超えて隣国であるシャルゴーニュに何とか辿り着き、ちょうど駐留していたエーデルランド軍の遠征隊と出くわしたのである。
「――以上が、私が国を出てここまでやって来た事の顛末であります」
エーデルランド王城の会議室にて一連の話を終えたハーフドワーフの若旦那は、ゆっくりと頭を下げた。
「私はシャルゴーニュで会ったエーデルランド軍の兵士から、既に勇者は魔王軍によって討たれたと聞いて絶望しました。それは勇者に我が国をお救い頂きたいと頼みに行くつもりで、祖国を出たからです。……ですが!」
そう言うと若旦那はくわっと目を見開いて、面を上げて叫んだ。
「なんと勇者を滅ぼした魔王軍から隣国のシャルゴーニュを取り戻した、新たな英雄が現れたというではありませんか! どうか! どうか、その方に我が祖国もお救い頂きたい! その為ならば、私はどんな協力も惜しみませぬ!」
若旦那の必死な訴えに、エーデルランド国王はうむ、と頷き答える。
「これまで本当に大変だったな。よく、その情報を我が国に伝えてくれた。……聖騎士レフィリアよ、次は彼の故郷であるブレスベルク攻略を試みようと思うが異存はないか?」
国王の言葉に、レフィリアは素直に首を縦に振る。
「はい。そのブレスベルクという国を支配しているエリジェーヌとは、ガルガゾンヌでも戦いました。……次はきっと倒してみせます」
すると、レフィリアが目当ての英雄であることを知った若旦那は、泣きそうなくらい祈るような面持ちでレフィリアの顔を真っ直ぐ見た。
「貴方がシャルゴーニュを救ったという聖騎士様でしたか! 何卒、あの悪魔の女を討ち取ってもらいたい。あやつの居城があるサンブルクへの道のりは、実際に通ってきたルートから私が案内できます! そこからならば、敵に見つからず安全に街中へ入ることが可能です」
その言葉にルヴィスは眉を潜めて、静かに王へ向かって手を上げた。
「陛下、発言をお許し頂いても宜しいでしょうか?」
「うむ、どうした?」
「はい。前回、シャルゴーニュから我が国に逃げ果せてきた情報提供者は、本人に自覚はなくとも魔王軍によってそう仕向けられた者でした。その件は結果的に敵が何もしてこなかったから良かったですが、次も同じとは限りません」
突然、若い男性に口を挟まれたことに、若旦那は露骨に不服そうな顔で彼を睨みつける。
「私の話が信用できないと申されるのですか?」
「いえ。ですが相手が洗脳を得意とする以上、考慮しない訳にも行きません。その旧鉱山内の坑道を進軍中、爆破でもされて生き埋めになったら大惨事です。貴方もしばらくの間は洗脳されていたとご自分で仰っていましたが、それが全て解けているという保証はできないでしょう?」
「ぬう、確かにそうですが……!」
ルヴィスの言っていることが真っ当だということを理解できるため、若旦那は言い返せず悔しそうに歯噛みする。
しかしレフィリアはルヴィスの肩に手をかけると、静かに首を横に振った。
「私はこの方を信用します。どうか、案内を宜しくお願いします」
「せ、聖騎士様……!」
ルヴィスはやや困った顔でレフィリアの方を見た。
「……いいのかい? レフィリア、君も俺の言っていることは解ると思うけど、何か根拠でも?」
「いや、別に根拠とかはないんだけれど……しいていえば女の勘かな? あとは、あんまり人を疑いたくなくて」
「……分かった。君がそう言うなら俺も従うよ。確かに人を疑ってかかるのは気持ちが良くない」
話が落ち着いたのを見計らって、国王が咳ばらいをしつつ口を開く。
「では、ブレスベルクへはその者の案内で潜入するということでいいのだな?」
国王に問われ、レフィリアははい、と頷きを返す。
「宜しい。しかし話を聞く限りでは、殲風のエリジェーヌ相手に大人数で攻め入るのは明らかに悪手なようだ」
国王の言葉を元帥も肯定する。
「はい。此度もまた、シャルゴーニュと同じように少人数による討伐任務とならざるを得ないでしょう」
「せめて諸君らには、私からそちらの職人が持っているアイテムと同じ物を用意しようかと思う」
「王様もあのペンダントを持っておられるのですか?」
「ああ、我が王家でもスターペンダントを三つは保有していた筈だ。それを聖騎士レフィリアとクリストル兄妹、其方らに託そう」
国王はやや自信あり気にレフィリアと兄妹を見回す。
しかしレフィリアは途端、はっとしたように声を上げた。
「あっ、でも私はこのペンダント無くても大丈夫だと思います。以前、エリジェーヌと戦った時に催眠術っぽいことされて魔王軍に勧誘されましたけど、全然効かなかったので!」
「それは真か?! 流石は異世界からの使徒、尚更頼もしい。ならば残り一つ分は、我が軍に残っている精鋭から誰か一人見繕って連れていくといいぞ」
「部隊編成が決まったら私に声をかけて下さい。然るべき準備を整えたうち、諸君らにはブレスベルク攻略へ旅立ってもらいます」