風精の谷と異世界の避難民の話②
突如襲撃してきた少年と妖精たちを無力化したレフィリア一行は、一応念のために全体詠唱沈黙の魔法を彼らにかけ、少年だけは変に抵抗をされないように後ろ手をロープで縛った。
そして賢者妹がクラフトウォールで塞いだ箇所を人間が通れるくらいの大きさにだけ崩して穴を開けると、少年を括りつけて背負ったキャプテンと照明魔法を使って行く先を照らす女狙撃手、そして殿から監視を行うルヴィスの三人で中へと入っていく。
巨大な岩盤をくり抜いて掘ったトンネル内に一定の空間を開けつつすっぽり収まっているキング・ノーティラス号の船体に沿って横を歩きながら、三人はその真ん中くらいで上部から縄梯子の降りている場所まで辿り着くとその位置で立ち止まった。
「よし、この上がハッチだな。おい坊主、今からここを昇るが暴れると落っこちて危ねえからな。一応ロープで固定はしているが、くれぐれも大人しくしてるんだぞ」
「お前ら、俺に何をするつもりだ……? 拷問した後、惨たらしく殺した死体を見せしめにして晒すつもりか……?!」
「だからそう怖がらなくても大丈夫だって。うちのキャプテンは君にこのデカいのが魔物じゃなく船だってことを証明したいだけなんだからさ」
「しかしこの縄梯子を昇っていくのもちょっとばかり時間が掛かるな。ここは俺が一気に全員を船の上へ連れて行くとしようか」
「ほう、そんな事が出来るのか?」
「ああ、今鎧に着替えるから少し待っててくれ」
そう言ってルヴィスは腕輪に魔力を通すと、白く輝く甲冑を即座に身に纏う。
「うおっ?! 何だ、そいつは!? ビックリした……。つーか、超カッコイイなおい!」
「ええっ、何それ?! もしかして先代勇者が持ってたのと同じような、いわゆる伝説の装備ってヤツ?!」
「まあ、その解釈でも構わないさ。これを身に着けていれば身体能力が飛躍的に強化されるから、わざわざ魔法を付与して維持する必要もないんだ」
(い、一体何なんだこの連中は……?! 急に何もないところから鎧が現れやがったぞ……!?)
「じゃあ二人とも、俺にしっかり掴まっててくれ。一息でハッチのところまでジャンプしてみせるから」
「おう、そんじゃ頼むぜ!」
「キャッハー、勇者兄さんお願いしまーす!」
蒼の獣団の二人がルヴィスの肩を掴み、ルヴィスが二人の腰に手を回すと、そこから即座に飛び上がって10メートル近くあるキング・ノーティラス号の船上まで一発で見事に着地を果たす。
当然、ルヴィスの身体能力は脚力だけでなく視力やバランス感覚など各種肉体の機能を全て強化しているため、飛び上がり過ぎて天井に頭をぶつけるような失態を冒すこともなく、ちょうど良い具合できれいに全員を船の上まで連れて来ることに成功した。
「うっは、すげえなオイ。本当にただのジャンプで船の上まで飛び上がって見せやがった」
「すっごーい、アタシなんかちょっとドキッてしちゃったかもー。さっすが勇者兄妹のお兄さん、カッコイイ―」
ルヴィスの力の片鱗を見せられただけではしゃいでしまった大人二人であったが、女狙撃手の話を聞いた少年がキャプテンの背からおそるおそるルヴィスを指差す。
「勇者ってその人がか? 確か勇者って言われてた人は何か月も前、魔王軍によってとっくに殺されたんじゃなかったのか……?」
「いや、それは俺の叔父であるエメルド・クリストルのことだな。俺はその甥のルヴィス・クリストルだ」
「坊主は知ってるかしらんが、この兄ちゃんは超有名な冒険者でもあってな――」
「はいはい、キャプテンの冒険者蘊蓄はまた今度ね。今はその坊やに船の中を見せるのが先でしょ?」
「っと、そうだったな……。そんじゃ、ハッチを開けて中に入るとしますかねえ」
そう言って、キャプテンはキング・ノーティラス号の背びれのように突き出た部分にあるハッチに手をかけ、船内へと侵入する出入り口を開き始めた。
◇
「――おや、キャプテン。かなり早いお戻りでしたね。というか、その少年はどうしたのです?」
キャプテンたちのあまりに早い帰還に驚きながらも出迎えたドクターは、キャプテンが連れてきた見知らぬ少年に目を向ける。
「ちょっと訳でな。とりあえず坊主、ここがうちの船の操舵室だ。どう見たって生き物の身体の中って感じじゃあないだろう?」
「う、嘘だろ……? まさかこれがあの怪物の中だっていうのか……?」
予想だにしていなかった光景に少年は口をポカンと開けて驚愕しながら、室内の様子をキョロキョロと見まわして回る。
「もしかしてアンタら、俺に幻術か何かかけて騙そうとしてるんじゃないだろうな……!」
「そこまでして坊主を惑わす意味が何処にあるってんだ。そんなにお前たちを始末したけりゃ、回りくどいことせずともお前が怪物扱いしてるこの船で暴れまわった方がどう考えたって早いだろう」
「そ、それは確かにそうだけど……」
「まあ、普通の船は陸に上がって宙に浮きながら進んだり、山の中にトンネル掘ったりなんかしないもんねえ。でもこれで、この船が魔物ではないってことは理解してもらえたでしょ?」
「……いまだに信じ難いけど、その事に関してだけ認めざるを得ないな。でもアンタたちが魔王軍ではない、そして俺たちにとって敵ではないという証明にはなってないぞ」
いまだにギロリとした目で睨みつけてくる少年の視線を受けとめて、キャプテンは小さく溜息をつく。
「ん-、まだまだ話を続ける必要がありそうだなあ。……坊主たち、あれだろ。この谷に隠れて暮らしてる連中ってのは、魔王軍に住処を追われた“善性妖精”の集まりだろ?」
「……ッ?!」
「キャプテン、さっきも聞いたがその善性妖精というのは?」
「おう、このドライグ王国には人間の暮らす街とは別に、妖精種の住む生息圏が各地に存在する。そしてその妖精種を人間側は自分たちに利害があるかどうかで区別していて、主に善性妖精、悪性妖精、中性妖精の三つに分けられるんだ」
ルヴィスからの問いに、キャプテンは指を三本立てて更に詳しく説明を行う。
「“善性妖精は”ホビット、ブラウニー、コロポックルといった、人間の仕事を手伝ったり基本的に利益を齎すような妖精が該当する。逆に“悪性妖精”はトロール、グレムリン、コボルトなどの人間に悪戯を仕掛けたり危害を加えるようなものが分類される。こいつらは別の国だと“妖魔”や“妖鬼”って呼ばれ方もするんだけどな」
「そして、その二つに当てはまらないのが“中性妖精”。人間にとって毒にも薬にもならない、頑なに人へ接触しようとしてこない、もしくは環境次第で善悪どちらにもなるような妖精が振り分けされるんですよ」
「で、話はここからだが――実は魔王軍がドライグ王国を占領した後、管理者である竜煌メルティカはこの国に住む人類以外に、他の文化圏を持つ知性体にあたる妖精種にも手を出した。――人類に仇名す妖精種は我々魔王軍の軍門に下れ、それ以外は全て殲滅するってな」
そこでキャプテンが三本立てていた指の一つを折って二本に変える。
「それによって悪性妖精と中性妖精にあたる連中は生存のために魔王軍の配下となり、これまで大規模に争うようなことはなかった残りの妖精派閥や辺境に逃げ延びた人間達を襲っては捕らえたり殺したりするようになった。……この坊主と一緒にいた妖精たちはおそらく、元いた生息圏を追われて逃げ延びた“善性妖精”の生き残りたちだ」
「……話の腰を折るようで悪いが、質問が一つ浮かんだ。多分問題ないとは思うが、俺たちを攻撃してきた妖精たちが“善性妖精”であると判断した理由について。妖精の種族以外に何か根拠はあるのか?」
「そいつは簡単だ。既に王国内は基本的に人間も善性妖精も狩り尽くされて、いまや部隊を引き連れて残党を探し回る必要はない。そんなのはワイバーンどもの仕事だ。それに妖精種は決まった場所以外では魔族無しで単独行動することを許されていない」
「なるほど……。それならこの少年や妖精たちが、魔物の見た目をした船で急に乗り込んできた俺たちを恐れて襲い掛かって来たのも納得だな」
頷くルヴィスを見た後、キャプテンはもう一度少年の方を向いて顔を真っ直ぐ見つめる。
「なあ、坊主。何度も言うが別に俺たちは生き残りの民を探して襲いまわってる訳でもなければ、これからお前たちに危害を加えるつもりもない。何か身の潔白を証明しろと言われると困ってしまうが……。とにかく俺たちの目的は龍都ブリダインに赴き、この国を支配している魔王軍の頭目、竜煌メルティカを討つことだ。それだけはどうか信用してほしい」
真摯な態度で頼み込むキャプテンに対し、少年もまたその目をしっかり見返しながら返答を行う。
「……アンタたちの言っている事が全て本当だと仮定して聞くけど、じゃあ何でわざわざこの船を谷の中に隠そうとするんだ? こんなに便利で強力なものを持っているなら、そのまま乗って龍都まで突撃すればいいだろ」
「それは確かに尤もな話だ。俺たちも最初はそうするつもりだったんだが、事情が変わってそうもいかなくなっちまったのさ」
「アタシたちがこの船に乗って龍都に向かっていることをさっき敵側に知られてしまったんだ。だから今の状態でそのまま突入しようとすると、船ごとまとめて迎撃されてしまうって訳」
「何だよ、それ……。そんなんでお前たち、本当に魔王軍から王国を取り戻せると思ってるのか?」
「分からん。だが行動を起こさなければ、いつまで経っても平和な時が戻ってこないのは確かだ」
「………………」
「坊主たちの隠れ家の傍でこれ以上、俺たちが何かをするつもりはない。今この船の中にいる連中も外に出てきて、お前たちの住処や生活を脅かすようなこともない。坊主らにはただ、ほんの少しの間だけ俺たちのことを見て見ぬ振りしていてほしいだけなんだ」
少年の肩に手をかけて話しかけるキャプテンに、少年は一つ息をつくと目の前に立つ大柄な男を見上げる。
「……もう好きにしろよ。だいたい、アンタらが本気で殴りかかってきたら俺たちにはどうしようもない事だけはよく分かったし。もし魔王軍どもに俺たちの隠れ家が見つかったらそっちの方がよっぽど迷惑だから、さっさと支度済ませて龍都にでも行っちまえよ」
「すまんな。見逃してくれてありがとよ、坊主」




