戦場となる異世界の大宮殿の話⑦
――一方、その頃。
シャンマリーに蹴り飛ばされて半分意識を失っていたソノレは、何とか身体を起き上がらせると、止めどなく血の溢れ出ていた右手首の断面を魔法によりどうにかして止血した。
だいぶ出血してしまっていまだに意識が朦朧としてしまっているが、視界の先でシャンマリーに操られ兄妹同士で戦わせられているルヴィスとサフィアの姿に、とにかく状況を打開しなければと踏ん張って身体を持ちこたえさせる。
(これは拙い、何としてでもあの二人を解放しなければ……! だがあの糸、おそらく物理的にもただの魔法でも切断は出来ない。断ち切るには両方の特性を持つ攻撃が必要だ……!)
ソノレはローブの下からこっそり魔力結晶の一つを選んで取り出そうとするが、突然こちらの方を向いたシャンマリーと目が合うこととなった。
「あ、別に貴方のことを放置しているつもりはないのでお気をつけて」
途端、ソノレは急に頭上から悪寒と殺気を感じてふと天井を仰ぎ見る。
するとそこには、いつの間にか巨大な蠍のような怪物が張り付いていて、じっとこちらを凝視していることに気が付いた。
「なっ……?!」
(これはもしやギガントモンスター……?! こんなものが真上で見張っていたことに気が付かなかっただと……!)
おそらく何かの擬態能力で姿を消していたのだろうが、それにしてもこれは最悪だ。
これでは不用意に助太刀へ入ることが叶わない。
ソノレが戦慄から冷や汗を垂らしていると、全身を鎧で覆われたような蠍型のギガントモンスターは、ソノレ目掛けてそのまま頭上からどしんと飛び降りてきた。
「うおっ……!」
ソノレは押し潰されないよう急いで駆け出し、巨大な蠍型の魔物――鋸蠍蟲の圧し掛かり攻撃を回避するが、その間に別の方向から更に他の蟲の使い魔が三匹現れ、高速飛行してきた。
新たに出現した蟲の使い魔は大きな蛾のような形状をした怪翅蟲といい、それらはなんと意識を失って戦闘不能になっているジェド、女僧侶、ノレナをそれぞれ掴むと、そのまま上空へ飛び去ってしまった。
「なっ! いかん、ノレナたちが……!」
慌ててソノレが追いかけようとするも鋸蠍蟲が進路を塞ぐように立ち塞がり、大きな鋏を振り回してソノレを叩き潰そうとする。
「くっ、邪魔を……!」
そんなことをしている間にも三人を攫った怪翅蟲はホールからいなくなってしまい、仲間を完全に連れ去られる最悪な事態になってしまった。
(いつまでもコイツの相手をしていては埒が明かない。しかし私程度で簡単に倒せる相手でもない。……本当は六魔将相手に使う切り札のつもりだったが――)
ソノレは意を決して魔力結晶を取り出すと、精一杯の腕力と魔力を込めてそれを鋸蠍蟲に投擲した。
「仕方ないが、お前に虎の子をくれてやる! ――アブソリュートゼロ!」
ソノレが叫んだ途端、魔力結晶が空中で砕け散り、同時に鋸蠍蟲を包み込むほどの真っ白な冷気の大爆発が発生して広がる。
アブソリュートゼロとは、冷気属性の魔法でも極大呪文、超級魔法に位置する最強の術であり、絶対零度の冷気による瞬間冷凍で対象を問答無用で即死、消滅させる非常に恐ろしい技である。
たとえアダマンランク冒険者でも討伐に苦労する巨大怪獣であろうと、これをまともに食らっては耐えられる術はない。
もちろん鋸蠍蟲もその例に漏れず、冷気の最強魔法の直撃を受けたことによって全身が完全に凍り付き、そして粉々に崩壊を起こして砕け散ってしまった。
だが、それで終わりではない。
ソノレは続けて秘蔵の魔力結晶をもう一つ取り出すと、今度はそれをシャンマリーがいる方向に向かって投げつけた。
「プリズムスティンガー!!」
すると魔力結晶が弾けると同時に、床から十数メートルもの長大で鋭利なクリスタルの刃が無数に生えては、真っ直ぐシャンマリー目掛けて走っていく。
「――っと」
ルヴィスとサフィアを戦わせ合うことに没頭していたシャンマリーであったが、すぐに自身へ向けられた攻撃へ勘付くと、大きく飛び退いてクリスタルの剣による攻撃を容易く回避した。
しかし――
「――あ」
床に夥しく突き出た大量のクリスタルの刃はシャンマリー本人にあたりこそしなかったものの、彼女の指から兄妹二人に繋がった幽糸霊線を全て切断するに至った。
操り人形の状態から解放されたことで、今まで互いに攻撃しあっていたルヴィスとサフィアの動きが止まる。
「兄さん、身体が……!」
「ああ、自由に動くぞ……!」
「あー、私としたことがちょっとミスっちゃいましたねえ」
ぷつりと切れた糸を消滅させながら、さほど困ってはいなさそうな表情でシャンマリーは三人の姿を見据える。
「無影のシャンマリー……よくもやってくれたな!」
「兄妹同士で傷つけ合わせるなんて卑劣な仕打ち、絶対に許しません。倍にして返します……!」
ものすごい形相で睨みつけてくる二人の敵意を、シャンマリーはむしろ楽しそうに見つめて受け止める。
「ふふ、怖いですねえ。ですが皆さん、だいぶ満身創痍なご様子ですけど果たしてどこまでやれるのでしょうか。……そうですね、もし降参するつもりでしたら悪いようには致しませんよ?」
「世迷言を……! どうせ死ぬより酷い目に合わせるだけだろう!」
「何でしたら、貴方がたが探しているレフィリアさんに合わせてあげるなんてことも、やぶさかではありませんけれど?」
「そんな甘言には乗せられません! 貴方はここで倒します!」
「どちらにしろ、生かしてもらえるのは二人だけで私は殺されるだろうからねえ。精一杯、抵抗させてもらうよ」
変わらず反抗的な姿勢を崩さない三人の態度に、シャンマリーは小さくため息をつく。
「そうですか、まあ別にそれでも私は構いませんよ。痛めつけられるのがお望みなら、もう少し遊んであげ――」
するとそこで、今までずっと余裕そうな笑みを絶やさなかったシャンマリーの表情が急に真面目なものへと変わった。
シャンマリーはまるでここにいない別の誰かと通信でもしているかのように片手を耳にあてると、三人との会話を打ち切って急に黙り込む。
「……?」
一見、隙だらけのようにも思えるが用意周到な彼女のことなので下手に手を出すことは憚られる。
それから数秒ほど経過して、シャンマリーはもう一度ルヴィスたちの方を向くと、今までの落ち着き払った雰囲気が少し薄れたような口調で話を再開した。
「――命拾いしましたね。私、急用が出来ましたのでこの場は失礼させていただきます。もし逃げ帰るなら今のうちですよ?」
そう言い残すと、ルヴィスたちの返答も待たずにシャンマリーは踵を返し、その場から一瞬で姿を消してしまった。
「おい、待て!」
咄嗟にルヴィスが叫ぶも、彼の声がしんと静まりかえったホールに響くだけで、誰からの返答も返ってくることはない。
「……行ってしまいました。何か様子がおかしかったですが……」
「さて、彼女の言葉通りで癪だが本当に命拾いしたようだ。これからどうするかね――おっと」
つい気が緩んでしまったのか、今まで何とか踏ん張って立ち上がっていたソノレがふらっと倒れて床に膝をつく。
「――ッ! ソノレさん、大丈夫ですか?!」
「はは、すまない。ちょっと血が出過ぎたかな。あいにく二人ほど私はタフじゃないようでね……」
「兄さん、ソノレさんの手を……!」
「いいよ、探さなくて。どの道私に斬られた手を繋げるような、ノレナのような治療魔法は使えない。残りの魔力結晶を君たちの回復にあてるから、足手纏いの私は置いて先に進むといい」
「そういう訳には行きません。一度撤退して貴方を船箱へと送り届け、そこからまた俺たち二人で再突入を試みます」
「いや、船箱へ戻るだけなら私一人でも大丈夫だ。だから私に構わず君たちだけでも――ん?」
そこでソノレは何かに気づいたような顔をして、懐に忍ばせていたクリスタル製の長方形をした板のような物を取り出す。
それはソノレとノレナのみが所持している、外にいるエステラとの会話が可能な古代技術による携帯型魔導通信機であった。
なんだか細かく微振動しているそれを手に取り、ソノレはクリスタルの板に向かって話しかける。
「こちらソノレ。どうした、エステラ?」
「――あ、繋がった。今、大丈夫? 戦闘中とか取り込み中だったりしない?」
「一応、大丈夫だ。で、何かあったのかい?」
「うん、ちょっとね。ソノレたちって今まだ王宮の中にいる?」
「ああ、その通りだが……」
「あー、そっか……。いやね、ついさっき王宮の玄関口辺りの方から信号魔弾っぽいのが上がったのが見えたからそっちの方に寄ってみたんだけど、ソノレたちじゃなくて“見慣れない人たち”がいたもんだからどうしたものかと思ってさ」
「見慣れない人たち……?」
「ええ、まだこっちは光学迷彩解いたりはしてないけど――あ、そのうち一人は金髪の女の人に見えるよ?」
「金髪? まさかレフィリアじゃないだろうな……?」
通信機ごしに話すソノレとエステラの間にルヴィスがつい割って入る。
「とりあえずどうする? 接触してみた方がいい?」
「いや、それはまだ待ってくれ。この宮殿の玄関口なら私たちの今いる位置からすぐ行けなくもない。私たちが現地に行くまで接触はせず、その場で待機しているように」
「オーケー、じゃあ私を呼び出すときは通信機なり信号魔弾なりで合図してね」
そこまで言って二人は会話を終了し、ソノレは兄妹二人に向き直る。
「――ということだが、ちょっと王宮の玄関口まで確認に行ってみるとしようかね」
「ええ、正面玄関なら回廊の窓から外に出て下に降りれば時間をかけずに迎えるかと」
「ソノレさんは俺が運びます。サフィア、先陣を頼む」
「了解、兄さん」
「おっと、ちょっと待った。その前に二人の傷くらいは治す。正面玄関まで向かうちょっとの間にまた敵襲が来ないとは限らないからね」